第十九話 ナメクジ、友達と語る
ナメクジが寝床に帰る途中、上層の訓練場から物音が聞こえてきた。
こっそり覗くとラグナが一人稽古をしていた。
無手だ。
最近のラグナはナイフを持たない。
素手でも斬れるし突けるから必要なくなったらしい。
ラグナの演舞はナメクジでもはっきり見えるほどゆったりした動きだった。
昼間とは違い深く腰を落とさず、足を狭く開いて前後にステップを踏んでいる。
背中を立てたまま、後ろの脚で体を前に押し出す。
それに合わせて、体を捻らずに、引いていた拳に体重を乗せて突き出す。
それを何度か繰り返す。
下層のせせらぎの音だけが響いている。
ラグナが長く息を吐いて目を瞑った。
「シャッ!」
なにかが割れるような音がしたかと思うと、既に拳は振り抜かれていた。
身体を押し出した足元の岩が割れて窪んでいる。
ラグナの足に弾き出された水滴が、ナメクジのところまで飛んできた。
構えを解いたラグナは細く息を吐いている。
ナメクジが岩陰から出てくると、ラグナはすぐにこちらに気づいた。
「こんな遅くどうしたのよ」
「個人的な訓練です。小鬼たちに稽古をつけるのに、今の俺の実力では足りません」
お嬢が言うには、彼女がぶちのめしたデーモン大隊長より、ラグナの方が強いらしい。
そんな強者の彼でも遠足に行くと怪我をして帰ってくる。
「頑張りますよ、攻撃の当たらないスーパー軽装歩兵を育てるんです」
「……出来るの?」
「わかりません。とりあえず俺が出来るか試しているところです」
「……そうなんだ」
「まずは第一段階です」
そう言ってラグナはにっこり笑うと、一人稽古に戻ろうとする。
ラグナも蛮族たちもイエスマンじゃない。
俺がやるって言ったから、やれることをやってくれている。
ワガママ言っているのは自分なんだ。
湿気に煌めく天井からポツポツと雫が滴っている。
ラグナはまるで一粒一粒が見えているかのように避けて歩いている。
こいつはどんどんスーパーマンになっていくなあ。
ナメクジはラグナに触覚を伸ばした。
お話ししようぜ。
頷いたラグナはナメクジをお腹に抱えて、岩壁に背を預けて座った。
遠く入り口付近がうっすらオレンジ色に染まっている。
まだおやっさん殴られてるのかな。
「なあラグナ、愚痴を聞いてくれ。俺、神様なんてやりたくねえよ」
「はい。わかります」
「小鬼たちが傷つくところだって見たくねえ。もちろんお前のこともだよ、ラグナ」
ナメクジが見上げると、ラグナは口をへの字にして遠くを見ていた。
どういう顔なんだよそれ。
視線に気づいたラグナは指で頬をかいた。
「ナメクジ様に偉そうな口を聞くのもどうかと」
「いいよ、言ってよ。俺たち友達だろ?」
「じゃあ、一個だけ。俺、とても大事にしている言葉があるんです」
視線はナメクジを見つめているが、でもどこか遠い目だ。
「俺がガルナを、同族殺しをしたことを悔やんでたら、ナメクジ様が言ったんです」
――それで君は、どうしたいんだい?って
「俺は同族殺しだけど、立派なホブゴブリンになって見せますよ。誰になに言われても関係ない」
ナメクジは大きく頷いた。
立派な生徒だよ。
やりたいことがあるんならどう思われたって関係ないんだ。
ラグナはご機嫌に膨らんだナメクジの体を、優しく撫でながら聞いた。
「ねえ、ナメクジ様。貴方はどうしたいんです?」
またそれかよ。
体をこわばらせて、モゴモゴと口を動かす。
「だ、だからスーパー軽装歩兵を育てるんだよ」
「違いますよ。
貴方の夢は立派なホブゴブリンを育てることでしょ?
本当にそう思ってるなら、貴方が神様になってどう思われるか、そんなこと関係あるんですか?」
ラグナの真っ直ぐな目を向けられて、ナメクジは見上げた触覚を下に垂らした。
俺の神使は、生徒は、友達は、全く大したヤツだ。
情けねえなあ俺は。
でも嫌なんだよラグナ。
ナメクジは粘液を垂れ流すように、言葉をずるずると紡いだ。
だめだ、止まんねえ。
「お前もわかるだろ。
俺もひとりぼっちなんだ。
わけわかんねえけど気がついたらナメクジだったんだ。
今だってなんにも思い出せねえ。
やっとみんなと家族みたいになれたのに、神様なんかになっちまったら俺、ひとりぼっちでおかしくなっちまうよ」
もたれかかるラグナのお腹がとても暖かくて、体が溶けてしまいそうだった。
あの時死にかけたラグナに会わなければ俺はどうなっていたんだろう。
身動き一つ満足に取れない軟体動物には、今の生活は奇跡なんだ。
自分をこの世界に繋ぎ止めるものは、こいつらとの絆だけ。
それが無くなったら、もう死にたくないとすら思えなくなるだろう。
入り口から火の気配が消えていた。
あいつら、もう寝床に向かったんだな。
薄暗い洞窟の湿った岩肌が、淡い月明かりに反射してぬらぬらと光っている。
川の流れる音だけが訓練場に響いていた。
もう自分たちも眠ろうか。
だらしなく伸びた体を引き締めようとした時、ラグナに持ち上げられた。
ナメクジはなされるがままに、ラグナと向き合った。
「俺は友達ですよ」
「えっ?」
「あなたが神様になろうが、ただのナメクジだろうが、俺たちは友達です。
俺は友達が神様だって別にいいですもん」
ラグナの瞳は、昔の頭の悪かったゴブリンの時と同じように、真っ直ぐこちらを見ていた。
ずっとスカしてたのは立派なゴブリンを目指して頑張っていただけだ。
軟体の奥底からなにかが込み上げている。
あの日のおバカなゴブリン君が、今ナメクジのために言葉を探しているんだ。
「なりたい貴方になればいいじゃないですか。
友達になれる神様。
先生になれる神様。
拝んでくるヤツなんて首根っこ捕まえて、友達か生徒にしてやりましょうよ!」
「そ、それでも神様は嫌だっていったら?」
ラグナは犬歯を剥き出しにして笑った。
「その時は、スーパー軽装歩兵を育てましょう!」
なんだそれは!
ナメクジは触覚を大きく広げてラグナの顔面にかぶせた。
「そんなの出来るわけねえだろぉがよお」
友達にも見られたくない姿はある。
軟体を真っ赤にして体を震わせるナメクジを、ラグナはずっと撫で続けた。
※
翌朝、ナメクジとラグナが会議スペースに着くと、蛮族三人が紛糾していた。
スーパー軽装歩兵育成のために、それぞれの案を戦わせていたらしい。
ナメクジは朝の挨拶を済ますと、黒板に書いてある不可能な目標をゴシゴシ擦って消し去った。
「全部の兵科を認めます。子供達のなりたいようにさせましょう」
蛮族三人は顔を真っ赤にして爆発しかけたが、やがて目をキラキラさせて三角マークを掲げた。
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