77 あたし
雪が何を言っているのか、よく分からなくなった。
あたしの上に跨る雪は、どこまでも切なそうに目を細めている。
雪にされた事は暴力的で、彼女はそれで嫌われても構わないと言う。
この状況が悔しいのなら私を殴ってでもいいから諦めるな、と。
その感情に根付いていたのは、あたしの事が好きだから――って。
「え、えっ、い、いきなりっ、何言ってんの……!?」
頭の中を整理してみると、やっぱりパニックだった。
あの雪があたしの事を好きだと言っている。
かつてはあたしを遠ざけ、誰とでも距離を取る彼女が、あたしの事を好きなのだと。
「言わないと納得してくれなさそうだから……」
困ったように彼女は視線をそらす。
それでもあたしの上に跨ったままで、左手も押さえられたままだ。
あたしの意志を確認するまでは、この場を動く気はないらしい。
もちろん、それは好意に対しての答えではなくて、あたしのこれからについての答えなのだろうけど。
どちらにしてもあたしの心は揺れまくっていた。
「そんなのいきなり言われても困るんだけど……」
そんな訳がないと思っていた。
雪と仲良く出来るのはあたしだけという自負はあった。
それでも、その雪の感情が友達の枠から外れる事はないだろうと思っていた。
そんな感情からして希薄な人なのだろうと、ずっと一緒にいて感じてきた事だった。
友達でいられるだけでも雪にとっては特別なのだと、そう思い込もうとしていた。
なのに、なのに……。
「まぁ……私もこのタイミングで言うのが合ってるとは思ってないんだけど……それでも気付いたらこうなってたから仕方ないと言うか……」
どうして、こんなにも胸が熱くなっているのだろう。
さっきまで絶望のどん底にいて、全てが終わったと思っていたのに。
彼女の言葉だけで、荒んでいた心が和らいでしまうのか。
でも、そんな自分の感情すらも納得出来ない。
「何で……何で……今なの?」
「いや、だから、私がここまでする理由が分からないって言うから……」
そうじゃない、そうじゃない。
理由は分かった、それはいい。
どうして今更そんな希望をチラつかせて来るんだ。
もう全てを諦めようとしていたのに。
そんな事をされたら期待してしまう。
この先の未来を考えてしまう。
希望に満ちた世界を思い描いてしまう。
「手……離して……」
「え、いや、陽葵がこれからどうするか聞かないと――」
「言いたい事があるから離して」
「――あ、うん」
観念したように、雪の手が離れる。
そして自由になった左手を振りぬいた。
「うっ」
雪の低いうめき声が上がる。
力は上手く入っていないけど、それなりに痛いとは思う。
でも、これくらいしないと気が済まない。
「ムカつく……」
胸の中にどうしようもない感情が溢れてくる。
それを留めておけなくて、おかしくなりそうだから雪にぶつける。
ぶつけてもぶつけても、収まる事はない衝動。
「そ、そうだよね……私に言われても……だよね。タイミングも、もっとあったよね」
雪はバツが悪そうにしてから俯いた。
きっと“私の告白は断られた”、とかそんな事を思っているのだろう。
それでも、あたしの事を考えて辛い顔を見せるような事はしないんだ。
「……ちょっとズレてんのが、またムカつく」
今更すぎるでしょ。
あたしが雪の事をどう想っていたかなんて。
あたしに告白したらどうなるかなんて、誰でもきっと分かってた。
それが分かってなかったのは、お前だけなんだっつーのっ。
「えっと……そっか、おかしいよね、私は色々」
「ほんと、最悪」
なんで、今なんだろう。
あたしはずっと昔から待っていたのに。
雪は一度あたしから離れようとして、それでもまた仲直りして。
でもそれ以上に踏み込む事はなくて。
雪の気持ちは不透明なままで。
きっとそういう人なんだろうって言い聞かせて、その暗示はあたしの中で真実になって。
だから、これ以上は期待しないように。
その先の未来を思い描ないように。
雪がいつか消えてしまう世界を考えてきた。
それなのに……。
「……あたしは……もっと、もっと早く言って欲しかった……!!」
初めて会話したあの日からでも。
中学でも、高校でも、大学生になってからでも、いつでもいい。
こんなあたしじゃなければ、いつでも良かった。
なのに、こんなあたしになってしまってから、そんな事を言うのだろう。
心の奥にしまっておいたその感情は、あの頃のあたしが思い続けたもので。
この体になってしまったあたしの心からは遠くなってしまったものなのに。
それでも、その言葉に惹かれてしまう。
あまりに残酷だった。
「そんな事言われても、あたしには何も出来ない……! 一緒に歩く事も、抱きしめる事も、自分の事だって満足に出来ないのに……!」
溢れてくる涙を拭く事すらままならない。
嬉しさとか悲しさとか悔しさとか、そんな全部の感情を込めて殴ってみても今の雪をどうする事も出来ない。
こんなあたしじゃなくて、かつてのあたしなら喜んで答える事が出来たのに。
こんなグチャグチャになったあたしで、そんな告白を受けたくなかった。
「……ごめんね」
「許したくない、許したらまた元に戻っちゃう」
二人での日々を過ごしたくても、変わってしまったあたしがあの日々を塗り替えてしまう。
あの頃の記憶が、辛い記憶に変わるのが怖かった。
「……陽葵」
雪の黒髪が揺れる。
覆いかぶさってきた彼女の体が、あたしを抱きしめていた。
「大丈夫だよ、焦らなくても私は待ってるから」
そんな優しさに満ちた言葉を送らないで欲しい。
あたしの覚悟が霞んでしまう。
全てを投げ出して、雪との関係性を清算しようとしていた気持ちが消えてしまう。
「……雪はいつも遅すぎる」
「私はいつも陽葵に教えられてばっかりだからね」
微笑む雪を見て、心が傾く。
今のままのあたしは嫌だ。
雪の告白を拒否するのも嫌だ。
でも、このまま付き合うのは嫌だ。
それなのに、時計の針は戻らない。
あたしは今のあたしを受け入れて、これからの雪との関係を考えないといけない。
だから……。
「責任とってもらうから」
心はまだ絶望と希望の淵を彷徨っている。
それでも、あたしが唯一決められるのはどちらに向かうのかだけ。
この先がどうなるのかは分からなくても、それだけは決められる。
「あたしも雪の事が好き」
だから、もう離したりしない。
抱きしめる代わりに、雪と唇を重ねる。
あたしはとっくの昔から、白凪雪に恋をしていたんだから。




