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数頭の馬達が森の荒れた道を疾走していた。一頭や二頭ではない、十数頭駆ける馬達は背中にエルフを乗せて走る。
背中に弓矢、腰に剣を携えたエルフを乗せる馬達は、ただの馬とは違い、蹄から魔障を散らしながら地面を踏み鳴らしていた。魔障を視認できるエルフ達は、己の発した魔法の強弱を馬の足元の魔障の加減を調整しながら魔法を行使する。それ故、足元が不自由な道だとしてもエルフの魔法影響下の馬達は、困難を感じさせないスピードで走ることが可能だ。
先頭を走っていた馬が止まると、少し先ではウルフェス族の集落が確認できた。
「リーア様」
一人のエルフの青年が先頭を走っていた同じくエルフの女性に声をかけた。
長い金色の髪に、サファイアのような瞳が輝く女性。白を極限まで追求したような肌の白さはただただ美しさを美術品として求めたような色。尖った耳を揺らして、己を呼ぶ声に振り返った。
「なんだ」
外見の年齢は二十代前後に見えるが、落ち着いた声には同時に他者を従わせるような威厳のようなものを感じさせる。事実、リーアと呼ばれたエルフの女性は、エルフ族に複数ある内の集落の一つの族長の娘に当たる。
「合図を」
男の短い言葉にリーアは頷いた。
「やれ」
エルフを乗せた馬達がリーアの前に出る。その数は五人。全員が弓矢を遥か遠くのウルフェス族の集落の方向へと構えた時だった。
「リーア様、狼共に気づかれたようです」
魔法の効果で身体能力を高めたリーアにも、民家の扉を閉めて、どこかに非難をする住人。それから、使役する狼の獣を連れてこちらへ向かってくるウルフェス族の戦士達の姿がはっきりと見えた。戦士達は進むだけでも一苦労の森の道を、慣れた動きで木の幹を蹴り、枝を掴み、巨大な大木の根っこを滑り、エルフ族の元まで近づいてくる。このままのペースなら、あっという間に接敵をすることになるだろう。
「魔法も無しで私に挑むのか。奴らも家畜と変わらんな」
リーアのウルフェス族を中傷する言葉にエルフ達の口元に失笑が浮かぶ。
奴の襲撃なんて緊張を解くのにいい機会だ、と心の中で呟くリーアは攻撃の合図の為に手をかざした。
「――放てっ!」
矢を構えたエルフ達の前に魔障によって円が描かれ、次に円の中に無数の線が描かれる。それは星型となり基本の魔方陣を形作る。人間の魔方陣というのは、この段階で完成するが、エルフ族の魔方陣の形成はまだまだ続く。
作り上げた魔方陣の中で、鞭のように線が動き回り、それは結合し枝分かれし、完成したばかりの星型を蔦のように覆い隠す。エルフ族にしか判別できない魔方陣が完成した。
魔方陣完成までかけられた時間は五秒にも満たない。個人差はコンマの速度程度。しかし放たれるタイミングは同じ。弓が引かれ、矢が放たれれば魔方陣を貫通した矢がウルフェス族の集落へと発射される。
集落まで随分と距離がある。まず人間なら視界に入れることすら不可能な距離だ。それは矢も同じことで、いくら矢を数本飛ばしたからといって集落に被害を与えることも、届くことも不可能なはずだ。異世界とはいえ、この世界にも重力は当たり前のように体を地上に縛り付けているのだから。
――それでも、ここは異世界だ。
魔方陣を貫通した矢は炎となり、姿を変えて、鷹の形に変化する。燃え上がる鷹は翼を大きく動かして、ウルフェス族の頭を飛び越えて集落へ向かう。それはもはや矢ではない、決して落ちることはない炎の塊だ。
必死にウルフェス族の戦士達は弓を構えて落とそうとするが、彼らは高い身体能力は持つものの重力にも逆らえなければ魔法への対抗手段なんてものも持たない。無常にも矢は炎の鷹を散らすことなく、地上へとUターンを繰り返す。
誰に止めることもできないまま、炎の鷹はウルフェス族の民家が並ぶ大木にぶつかると同時に爆発を起こした。
「次の矢を構えろ」
ほお、とリーアが息を吐いた。ウルフェス族の集落から立ちこめる黒い煙に炎を眺めて、冷静に次の攻撃を用意する。ただし、その狙いはウルフェス族の集落ではない。
再度出現した魔方陣を貫通して、再び矢が放たれた。今度は炎の鷹が出現することはなかったが、さらに加速した。
リーアの前方から壊れた楽器が音を奏でるようにして、ずれた位置から一人一人違う高さの声で悲鳴が上がった。
接近を止めなかったウルフェス族の戦士達は、そのまま続けて集落を狙うと思ったのだろう。その焦りから隠れることも忘れ最短距離で近づいた戦士達を弓矢で一網打尽にすることを簡単にさせた。
「……一人だけ活きのいい奴がいるな」
「へ?」と間抜けな声を漏らしてリーアを見たエルフの体がぐらりと傾き、馬からころげ落ちると今まで馬がいた場所にウルフェス族の男がいた。――トオガだった。
「ここの戦士は雑魚ばかりかと思っていたが、お前のような奴が居てくれて嬉しく思うよ。虐殺は趣味じゃないからね」
他のエルフ達が動揺する中で一人冷静なリーアを血で塗れたサーベルを振り払いながら、トオガが睨みつけた。
「お前、エルフ族の奴らか! ただでさえ、大変な時に何で俺達にちょっかいを出すんだよ!」
「今さらだ。私達エルフ族とウルフェス族はもう数え切れいない昔から互いに争っていただろ。今の世の中が大変なのは承知しているが、まずはこの森の害となる野蛮なウルフェス族を退治し言うことを聞かないなら使役するところから始めようというのが、私の父上の考えだ」
「他の集落のエルフ族の奴らだって、最近はここに出入りしているんだぞ」
「軟弱な奴らだ。目先の平和に目が眩んでいる。私達は大局を見ているのさ」
トオガは右手のサーベルを握りなおして、腰を低くしたことに対して、他のエルフ達は矢を背中に戻してトオガを囲むようにして移動すれば、その手に銀の剣を抜いた。
「後悔してもしらねえぞ。戦えば戦うだけ、エルフ族もウルフェス族も殺し合うだけだ」
「後悔はしない。私は父上の命令にただ従うのみさ。父上の示す道こそ、私の歩く道でもある。私達の部族はそうやって生きてきた」
舌打ちをしたトオガは、馬上から剣を構えていたエルフに飛び掛った。
※
魔法道具グロウブハンガーと呼ばれるリュックサックを取り出したアキホは瞬く間にテントごと、リュックに入れた。グロウブハンガーは見た目はただのリュックだが、いざ収納をするとなると中には異空間に繋がっており、一度収納した物ならこのリュックを開くだけで掃除機にでも吸い込まれるようにして自動で収納してくれるのだ。
僅か数秒で終わった片づけに目を丸くしていた保だったが、アキホの「○次元ポケットと一緒よ」という言葉に不思議と納得できた。
音のした方向へと向かって走っていた保とアキホは、目の前で起こっている惨状に愕然としていた。
民家のところどころでは火が上がり、ただでさえ燃えやすい木に対して炎が生き物のように動いて次から次に断続的に集落を炎に包んでいく。
ウルフェス族の住人達も消火作業で忙しいようで、いきなり現れた保やアキホに目を向けられる余裕もなさそうだ。
木の上に用意された道はどこも炎に巻き込まれているので、保とアキホは降り注ぐ火の粉の中で出口へと向かっていた。
「アキホさん、一体何が起きてるんだよ!」
「そんなの私も分からないわよ! でも、この炎てただ発火しているだけじゃないわ。たぶん魔法が影響を与えている」
「魔法て……。じゃあ誰かがウルフェス族を狙って攻撃しているてことか? もしかして、人間?」
「いいえ、人間がウルフェス族に攻撃しても何の得もないわ。昔からこういうのをやりそうな奴……たぶんエルフ族かも……。彼らてウルフェス族を野蛮な種族だて言って、いつも見下していたし」
保は「は!?」と驚きの声を発した。
「それって、単なる差別だろ……。野蛮だからて火を付けるのか! 当たり前に生きている住人達が何かしたのかよっ」
「この森の中で共に生きている分、昔から何かと小競り合いの多い種族同士なのよ。死人が出たのも一度や二度じゃないわ。そりゃ基本的には互いに表立った戦争なんてしていないけど、ウルフェス族にもエルフ族にも過激なタカ派て呼ばれる者達もいるの。ここの集落は基本大人しいのに……よほど過激なタカ派が動いてるのね」
額の汗を拭い、背中に背負ったリュックをガチャガチャ揺らすアキホと保は並走する。
「くっそ、物語の世界ではだいたいのエルフは優しいもんだろ」
「アホなこと言わないでよ。種族て言ってもみんないろんな思想を持っているわ。貴方の常識なんて通用しないのよ、ましてや、創作物の知識なんて特にね」
せっかく助けてもらった集落なので保としては消火活動程度なら協力したいと思ったが、アキホにすぐに反対された。混乱した状況をさらに悪くさせる可能性があるというのと、もしもエルフ達がやってきたら保やアキホにも危害が加えられる可能性があるということだ。
それなりに経験を積んだアキホならどうにかならないこともないだろうが、保ならこの世界の知識もなければ刃物で一突きにでもされればそれで終わりだ。罪悪感を感じながらも、保は足を急がせる。
「――やばい、早く隠れて!」
「え、あ、なにを……」
アキホに手を引かれて、地面からせり出した木の根っこの方と潜り込んだ。横から見てしまえば丸見えだろうが、前後には同じく盛り上がった木の根っこがあるので体を直接覗き込まないと見えることはないだろ。
「アキホさん、一体どうしたんですか……?」
顔を上げると同時に、集落の入り口から馬の鳴き声が鳴り響いた。
続いて、やれ、と声が聞こえたかと思えば、馬の声が聞こえた方から矢が飛んでいく。もちろん目で追いかけることができたわけではなく、青い色の鳥のようなものが飛翔していくのが見えたのだ。そして、鳥が燃え盛る炎に飛び込んでいくのが確認できると同時に、炎が弾け、貯水タンクでもひっくり返したかのような多量の水がウルフェス族の集落に降り注いだ。
喉が焼けるような暑苦しさも、止まらない汗から解放されて、途端に森に涼しい風が吹き渡る。
「これが、魔法……」
初めて見た魔法は、まるで映画のような光景だった。魔法が出てくる映画は多々あるが、それでも目の前の光や弾ける魔障の輝きは今現実で起こっている出来事だと思うだけで、感じたことのない興奮で胸が高鳴る。
もし自分が魔法を手にしたら? そんな考えることすら放棄していたような馬鹿げた発想すら浮かびそうなぐらい、保にとっては強い衝撃を与える光景だった。
「保君と同じフィクションまみれの日本人なんだし、魔法に興奮する気持ちは分からなくもないけど、ウルフェス族は魔法は使えないのよ。少し隠れていなさい、少しまずいことになったかもしれないから」
仰天している保の襟首をアキホが掴めば、強引に座らせた。
身を小さくしながら、周囲をきょろきょろと見渡せば、魔法に驚いたこと以外は他の住人達も保と変わらない表情をしていた。これかどうなるのだろうかという不安と、何かが起きるかもしれないという悪い予感が同居しているような表情。
「そういえば、トオガはどうしたんだ」
「彼はこの集落の戦士よ。襲撃者が居るなら、戦うのだけど……」
小声で話しかける保に言い淀むアキホ。住人達の悪い予感が伝染するようにして保の脳裏にもある想像が浮かぶ。いや、この状況では、自然とそう考えてしまうものだ。
「見て」
アキホの声に反応して目を向けると、ぞろぞろと蹄の音を鳴らしてエルフ族を背中に乗せた馬達がやってきた。先頭には彫刻美術品のような美しい女性が居るが、どことなく冷たい印象を与えた。彼女こそ、リーアだった。
リーアは後方のエルフ達に顎でしゃくってみせて合図を送ると、何かが投げ込まれた。地面に強く打ち付けられて転がるのは、数名のウルフェス族の戦士達。いずれも体のどこかに深い傷を負い、両手両足を植物の蔓の縄によって縛り付けられていた。
「トオガ……!?」
思わず立ち上がりそうになるのを堪えた保の視線の先には、他の戦士よりも傷ついたトオガが地面に横たわり呻いていた。
ざわつく集落を満足そうに見回したリーアは馬を数歩前に進ませた。
「ウルフェス族の者達よ、よく聞け! お前達を守ろうとしていた戦士達は我等が仕留めた。ここに残されているのは戦う力の無い者達だろう。素直にこの集落を引き渡せば、戦士達の命を助けてやろう。どうだ、この提案を受けてはくれないか!」
リーアの宣言を聞き、足が凍りついたように動けなくなっていたアキホは苦々しい表情で呟いた。
「保君、本当に運が悪いわ。……今私達は、長年続いていたウルフェス族とエルフ族の小競り合いが戦争に発展していこうとする瞬間を目撃することになったのかもしれないわね……」
まだ状況の半分も理解できていない保には、アキホの暗い表情は事態をの重さを感じさせるには十分だった。




