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死線を突破し、王都から僅かな兵士と騎士と共にリーア達は義勇軍の陣地へと帰って来た。
陣地の奥のテントの中。ハンモックのように紐と紐で上下を支柱に繋いだ寝床と小さな椅子それと机があるだけの空間が、今のリーアの部屋だった。現在、その部屋には救出された王都の人間を代表して近衛騎士をしていたウィルキスから話を聞いていたリーアは、ゆっくりと椅子の背にもたれた。
「……驚かないのか」
「何となくそうなる気がしていた。アキホは、負け戦はしない。……奴はいつだって、確実な勝利の下にしか戦わない女だ」
「アキホが実権を握っていると? 馬鹿な、ギマリスが中心のはずだろ」
ウィルキスの言葉にリーアは表情を変えることはない。
「考えを改めた方がいい。ギマリス達は今まで行動に移ることはなかった。しかし、そうさせたのはアキホだ。彼女にはそれだけの力がある。少なくとも、大陸をひっくり返す程の強大な力がな」
「まさか本当に……。ただの人間が信じられんな……」
「ただの人間ならな。でも、今のアキホは……悪魔の類と変わらん」
吐き捨てたリーアの一言に、ウィルキスは視線を落とした。リーア達の境遇を下手に知っているウィルキスだけに、中途半端な言葉は争いの火種にすらなることを承知していた。
しばらくの沈黙の後にリーアが、ところで、と声をかけたことでウィルキスは顔を上げる。
「これから、諸君達はどうするもりだ」
「俺達の心は決まっている。王都まで行って、この国を奴らから奪い返す。そのためにも、義勇軍に協力させてほしい」
「いいのか、この間まで私達を信用していなかっただろ?」
意地の悪いリーアの質問にウィルキスは肩をすくませた。
「いくつもの種族が入り乱れて組織を作るなんて、正直夢物語だと思っていた。その内に綻びが生じて、駄目になるはずだとな。だが、君らの統率された動きを見ていれば、夢物語はとっくの昔に現実になっていたことを思い知らされたよ。アキホやギマリスは悪夢だが、彼らに対抗するには青すぎるぐらいの理想でちょうど良い。……謝罪させてほしい、夢物語を現実に変えた貴女は紛れも無い真実の戦士であり優れた指導者だ」
ウィルキスの言葉の真偽を確認するように、瞬き一つすることなくその顔を見ていたリーアは、ようやく深く息を吐いた。
「買い被りすぎだが、嬉しく思う。……王都の騎士や兵士の中には、私達に差別的な考えを持つ者もいるかもしれない。そういう者達の指導を頼めるか」
「当然だ。義勇軍になる以上、俺達は戦友だ」
ウィルキスが即答すれば、肌にヒリヒリとしていた緊張感が弱まっていくのを感じた。
「我が義勇軍で騎士達の力を存分に発揮してほしい。……過去は過去だ、義勇軍は未来を進む組織だ。これからは共に未来の為に戦おう」
無防備にリーアは優しく微笑んだ。
信頼を感じさせる笑顔に、少しばかりウィルキスは思考が停止していた。その後、ウィルキスは一人納得する。きっと、他種族の者達の心を動かしたのは、この聖母のような笑顔にほだされたのかもしれない。
らしくないこと続きで、また自分らしくないことをウィルキスは考えていることに気づき自嘲する。いつもなら、ここで表情を険しいものに変えるところだが、微笑むことにした。
「王からも仲間とは仲良くするように言われている。……裏切るような真似はしない、義勇軍隊長リーアに誓おう」
どちらかともなく知らず知らずの内に差し出された手を握ると互いに頷いた。
握手を終えたリーアは、机の引き出しの中から大きな地図を机上に広げる。
「すぐにでも休ませたいのは、やまやまだが……。私達には、さほど猶予は残されていない」
「構わないよ、リーア隊長。俺でも信じられないぐらい活力に満ちているところさ」
頼もしいウィルキスの発言にリーアは深く頷けば、地図を見下ろすように椅子から腰を上げた。
「まずは現在分かる範囲の城の現状。それから、避難した住人の行き先。騎士達しか知らない隠し武器庫もあるのだろ? 他の隠し通路といった秘匿されているものの所在も教えてほしい」
「もう愛すべき王もない、亡国の騎士だ。しかし、聞かせてくれないか。……目的は?」
懐からナイフを抜いたリーアは、地図中央の王都へと突き立てた。
「――王都の奪還。そして、悪魔達を討つ」
※
一通り方針を決めてウィルキスはリーアのテントから出て行った。今から仲間達に、これからの振舞い方や作戦参加の是非を問うのだろう。
堅苦しい、それも人間の騎士を相手にしたことでリーアはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。
「少し休むか……」
疲労をそのままにして、いざという時に動けないことの方が大変だと保からリーアは嫌というほど指摘されたことを思い出した。思い出したと同時に、胸の奥に積もり積もっていた感情が去来する。保から教わった教訓に則り、寝床で体を横にした。
「……タモツお兄ちゃん」
これだから過去を思い出すのは嫌なのだと内心呟いてみる。やれやれと目元に触れてみれば、指先に涙の雫が付着した。
戦争で多くの命が奪われ、愛した者達も殺された。事の発端にいるのが、アキホだという事実がリーアの心を激しく掻き乱す。
確かに仲間だった、確実に家族だった、明らかに絆があった。そのはずなのに、アキホは騙していたということになるのか。考えても考えても、アキホに不審な様子はない。そこにあるのは、温かな日々の思い出だけだ。だが、アキホが保の命を奪ったのは紛れもない事実だった。
殺戮の王が、殺人鬼が平気な顔して生活を共にしていた事実に、黒々とした憎悪の感情が膨らんでいくのをリーアは感じていた。
ふと誰かの気配を感じて寝床から、体を起こして剣を手に取る。
「誰だ」
「私だよ、リーア」
ゼルの声だった。陣地の中だというのに、無意識で気を張っていた自分に溜め息を吐いた。
「入っていいぞ」
部屋に入ってきたゼルは両手にコップを持っていた。落とさないように気をつけつつゼルは、先程までウィルキスと座っていた椅子に座れば、机の上にコップを置いた。そして、ずいっと手の平を掬うような形にして前に押し出した。
「どうぞ」
「どうぞと言われても……。どういうことだ」
「今日助けた村の人たちが淹れてくれたお茶。はちみつとか甘みの強い薬草とか混ぜてあるの。甘くて美味しい」
ゼルの言う通りテントの中には唾液の分泌を加速させる甘い香りでいっぱいになっていた。匂いからでも、強烈な甘さを秘めていることが分かったが、今は懐かしい濃い味が何よりも贅沢に感じた。
剣を壁に掛けたリーアは香りに誘われるミツバチのように椅子に座れば、素直にコップを受け取った。
口を付けて、味わうようにして喉を潤す。歯が溶けてしまいそうな甘さが、今のリーアには心地良かった。
「ふう……。今気づいたんだが、これはちゃんと皆にも配っているのか?」
「……」
「目を逸らしたな、ゼル……。私に飲ませるぐらいなら、これは他のみんなに飲ませてやれ。子供達なら、きっと喜ぶはずだ」
「一杯だけなら喧嘩になる」
「よく見ればゼルのは、いつもの野菜のスープだな。だが、私の分のコレはコップ一杯はあるんだ。だったら、それを薄めるなり小さな容器に入れて分ければいいはずだが?」
そこまでくどくどリーアが言った後に、ある状況の変化に気づいた。目の前のゼルは小さな顔の動きでむっとした表情をしていた。
怒っているのは自分なのに、まるでゼルが怒っているかのような雰囲気にリーアは首を傾げる。
疑問は思ったより早く解決するようで、リーアは勧めていた手をくるりと反転してコップを指差した。
「リーア、これはみんなの意思。みんなが、リーアに飲んでほしいて言ってた」
「みんなが……?」
ぎょっとしてリーアは今一度コップの中を覗き込む。手の中の熱がさらに温かくなった気がした。
「みんなはリーアに感謝している。だけど、みんなはどう返していいか分からない。だから、みんなはみんなができる方法でリーアにお礼がしたい。助けたいて思っている。……これが、せめてものの気持ちなんだよ」
代表して言ってくれるゼルの言葉にリーアは思わず目頭を押さえてしまう。
「これはどうしようもない……。最近は涙脆いようだ……」
「リーアの気持ちがいっぱいいっぱいなのもみんな気づいてる。それに、最後の戦いが近づいてるなら……もうすぐこの戦いは終わると思う。だけど、その前に……リーアはゆっくりと休んでいい」
「しかし……」
「みんなの気持ちだから」
強くゼルに言われてしまえば、リーアは返す言葉も無く黙ってしまう。そして、その沈黙が目の前のあまりに温かいコップを飲むように促しているのだとすぐに気づいた。
これはきっと忘れられない味になるだろうとリーアは予感していた。それからは一言も会話することなく、掻き集めた希望を一心に吸収するようにしてリーアは黒々とした感情が綺麗に流されていくようにも感じていた。一時的なものだとしても、この一口一口が枯れた心に水を与えてもらっているようだった。
コップを空にして、唇に付いた残りを舐め取ったリーアはそっとコップをゼルに押し返した。ちょうどゼルもスープを飲み干したところだった。
「ありがとう、おいしかったよ」
「久しぶりにリーアのそんな笑顔を見たよ」
リーアははっとして頬に触れた。自然に笑っていることに気づく。思い起こせば、ここ最近笑ったことといえば、村を蹂躙されて行き場を無くした者達を励ますように笑っていただけだ。心の底から幸福を感じて笑ったのは、本当に久しぶりだった。
「みんなには感謝しないとな。今日はよく眠れそうだよ」
ううん、とゼルは首を横に振った。疑問を聞く間もなく、立ち上がったゼルは座ったままのリーアの頭を覆うように抱きしめた。
「甘えたい……というより、私を甘やかそうとしているのか?」
「まだリーアは休まないといけない。だって、知っているよ。リーアが泣いていたこと……」
「恥ずかしい話だ。大勢のエルフを殺し、父や友人だった者を殺すことを目標にしている義勇軍の隊長が昔の男を思い出して泣いてるなんてな」
「泣いていいんだよ。保が死んだ日に泣いたぐらいで、あれから泣いてないよね? 私が側にいる。私だって泣きたい。でも、一人で泣くには……あまりにも辛すぎるよ。だから、ね? 一緒に泣こう。リーアは私に甘えたくないかもしれないけど、私はリーアの悲しみを受け止めたい」
ゼルはさらにぎゅっとリーアを強く抱きしめた。ゼルの体の温もりや胸の鼓動が、ここがリーアの居場所なんだと優しく語りかけてくるようだった。
気づけばリーアは泣いていた。涙を堪えることはできず、リーアは両手をゼルの腰に回して強く抱きついた。
「ここでなら……あの日のことを……思い出していいのか……」
「うん、思い出して泣いていい。悲しいて分かってて思い出して泣くのは、きっとそれが幸せな思い出だからだよ。……私も、アグニマンの屋敷でのことは嫌なこともあったけど、今でも思い出すと泣きたいぐらい幸せになる。少しだけ、分かる」
肩を震わせたリーアは目を閉じ、ただ幸福な日々を思い出す。
屋敷で初めてタモツお兄ちゃんが作った野菜、それをみんなで並んで調理をした。
暑い日、近くの川までみんなで泳ぎに行った。最初、裸で泳ごうとする私をタモツお兄ちゃんは必死で止めた。
奴隷達を助けて屋敷に帰って来たあの日、屋敷に残っていたタモツお兄ちゃんは「おかえり!」と言って全力で抱きしめてくれた。すぐに赤面したタモツお兄ちゃんは離れていったが。
そういえば、畑の空いた空間にみんなで花を植えた。もしも屋敷が無事だったなら、きっと綺麗な花を咲かせているだろう。
そして、タモツお兄ちゃんと愛を語った日。柔らかな毛布に心も体をくるまれているような、ただただ幸福な時間だった。
「――おやすみ、リーア」
気が付けばリーアは、ゼルの胸の中で寝息を立てていた。涙の痕が残ってはいたが、幸せそうに頬は赤くなっていた。




