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崩壊する王の部屋から放り出されるようにして宙に飛び出したアキホは、瓦礫と共に重力に引かれれば、器用にも落下する瓦礫に飛び移りながら接近するザブリウスを捉えた。
白衣の下から注射針を取り出したアキホは、襲い掛かるザブリウスに注射針を投げた。
「忘れていたよ! お前には、魔法の才能が無かった!」
ひらりと身を捻りザブリウスは注射針を回避する。しかし、僅かなザブリウスの行動の遅延が、本来なら地面に到達する前にザブリウスに仕留められていたであろうアキホに着地する余裕を与えた。
無論、そのまま落ちてしまえばアキホの体は粉々になるはずだが、アキホはあえて体を丸めて背中から落下した。そう、まるで羽織った白衣に庇われるように。
「くぅ――」
それなりに衝撃は感じているものの、地面に落ちたアキホの周りに砂埃が上がるだけで、当のアキホ自身には傷一つ付いた様子はない。
「そうか、その白衣でさっきは私の魔法を防いだか!」
言いながらもザブリウスは、身をくの字にしたままのアキホに腕を振り下ろした。
即座にアキホは体をごろりと回転させると、先程まで寝転がっていた場所にザブリウスの拳が突き刺さる。その衝撃にアキホの体は地面を軽く転がっていくが、アキホはなおも背中を曲げて白衣で受け身をとるよいにして地面を滑る。そして、何事もなかったように立ち上がるとアキホはそこから走り出す。
降りしきる瓦礫に身を隠しながら移動するアキホをザブリウスはじっと凝視し、身近に寄ってきた獣に指示を告げた。
「ファントマ、城の損害は気にするな。存分にやれ」
瞬間、身を隠そうとしていたアキホの前にあった瓦礫が空高く舞い上がった。一切重さを感じさせないまま、四~五メートルはある壁の一部が回転し城の一箇所を壊した。
幸いにもファントマの動きに気づいていたアキホは、白衣を盾のように扱い、攻撃を防いでいた。
電気ショックでも浴びたように跳ねるようにして素早く体を起こすアキホは、再び走り出す。逃げるアキホをファントマは両腕、そして尻尾を駆使して追い掛け回す。
アキホの様子を眺めていたザブリウスが感嘆したような声を漏らした。
「ほう、その白衣はなかなかの素材を使ってる様子だ。見た所……オリハルコン、ミスリルにアダマンチウム、ウーツ、イシルディン……ふむ他にはエルフや他種族の技術も流用されておるな。世界一頑丈な服か……アキホ、お主は最高傑作を死の直前に生み出しおったな」
ザブリウスが冷静に分析している間も、アキホの体がファントマの手に殴られボールのようにバウンドする。それでも、致命傷にはなっていないようで、なおも立ち上がる。
起き上がったばかりのアキホへ、ファントマは尻尾の先から鋭い棘のような物を出して容赦なくアキホへと突き出す。この尻尾の刃が、エルフ達を刺し殺したのは容易に理解できた。
そもそも、幻獣は魔障に侵食された魔物や魔獣と違い、魔障から自然発生した存在だ。種族によっては、幻獣を世界の意思だと唱え、幻獣を崇める宗教もあるほどだ。
一体いつどうやって発生し生まれたのかもわからないほど、規格外の存在が――幻獣だ。例に上げた宗教以外にも、神と同格に考える者も少なくはない。
「まあ、噂の幻獣様がこんな化け物なら幻滅するでしょうね! さぁて――私のアイギスとどっちが強いかしらね!」
アイギスと呼んだ白衣を脱いだアキホは、それを盾のように自分の前に構える。そして、程なくしてファントマの刃とアキホのアイギスが衝突した。
一瞬だけ体が重力を感じなくなったアキホだが、それは程なくして治まり、五体満足で目立った外傷のない自身を確認して、すぐさま走り出せば民家の間の路地裏に姿を消した。
ザブリウスもアキホの手品じみた魔法道具に言葉を失っていたようで、生まれてから一度も攻撃を防がれたことのない一撃を防がれた驚きからか身動き一つしないファントマを叱責する。
「何をしておる、ファントマ。お前の目的は、アキホの魔法道具の実験ではなかろう!」
直後のファントマの動きは早かった。力強く四本の手足で地面に力を込めれば、それをバネのように使い、路地の間に目掛けて飛び込んだ。
見たままで考えれば、大人二人がようやく行き来できる狭い路地にファントマが飛び込んだら崩れてしまうはずだ。だが、ファントマは器用に体を捻り、隙間に入り込む蜘蛛のようにして民家の壁に張り付いた。三つの目が見開けば、路地を懸命に走るアキホを捉える。
ガシャガシャと手足を吸盤のようにして壁にくっつけたり外したりしながら、足や手が民家の窓を破ろうとも止まることなく、アキホへの距離をどんどん詰めていく。
「世界征服しようとしているのに……まだこんな道具に頼らないといけないとはね……!」
懐から二本の注射針を取り出せば、振り向きざまに接近するファントマに投げつけた。
一本はファントマの腕によって叩き落されたが、触れた際にもう一本は腕に刺さっているのをアキホは目視した。
「どこまで利くかは、分からないけど……ね!」
アキホは脇に抱えた白衣のアイギスを広げてファントマの後方から出現した尻尾から身を守るが、突風に煽られるようにして地面を滑った。
壁に手をつき、顔を擦るように立ち上がったアキホ。すぐに、ファントマのある変化に気づいた。
先程の尻尾の一撃を与えて後、後退したアキホを追いかけることはなかった。――ファントマは、殺虫スプレーを噴きかけられた害虫のように、壁の間で仰向けになり大きな手足じたばたと動かしていた。時折、黒板を引っかくような音が聞こえるが、それは恐らくファントマの悲鳴なのだろう。そこには、崇められた幻獣の面影一つ残っていなかった。
「やってみるもんね……。幻獣は、魔障の塊。つまり、意思のある魔法みたいなもの。それなら、魔法を壊すようにすればいいのよ。私には魔法の才能なんてなかったけど、知識を学ぶことはできた。この世界のみんなは魔法を持つ者に対して、同じように魔法を使えるようになるように頑張ってたみたいだけど、私はその逆。……どうやって、魔法を壊せるかどうかを考えていたのよ」
白衣の下から、新しい注射針を取り出すとファントマに歩み寄る。そして、ぎょろりぎょろりと三つの目を右往左往させるファントマの目に突き刺した。
再度、アキホの耳にはあの甲高い悲鳴が届いた。
「魔法はちょっとした問題で失敗し大事故に発展する。まあ稀に、新たな魔法になることもあるけどね。幻獣なんて、それこそ奇跡のような魔法の一つ。複雑に魔障が絡み合ってできた、バケモノ。そんな複雑過ぎる細胞に異物を混ぜたら、どうなるかしら? 今、ぶち込んだのは、たっぷりと体に瘴気を溜め込んだ魔物から採取した魔障よ。純然たる魔障で出来上がった幻獣には、猛毒に感じるでしょうね。……後ね、この路地に追い詰められたんじゃなくて、誘い込まれたのよアンタは。お分かり?」
死に際の蝉や蛾の如く、声は大きくなりその暴れ方もさらに激しくなっていけば、動き回る大木のような手足が民家の壁や屋根を殴り崩し始める。
まともに立っていられない程の揺れの中、アキホはその場から逃げようと足を動かす。降りしきる民家を形成していたはずの瓦礫を避ければ、どれだけ背中を向けて走っても震動から離れていないことに疑問を覚えて顔を背後に向けた。
――魔物の瘴気と入り混じり、全身を赤黒くさせたファントマが死に物狂いでアキホを追いかけてきていた。
「どんだけしぶといのよ! アンタにブッ刺した注射針なんて、普通の魔獣なら一瞬で粉々に吹き飛んでるんだからね!」
本来、肉体派ではないアキホには猛スピードでやってくるファントマの相手は少々荷が重たい。
アキホの予定では爆発するなり暴れたりで、瓦礫に潰される予定だったが、さすが幻獣というわけか存外しぶとい。
そうこうしている内に、アキホはとうとう民家の路地を抜けようとしていた。ファントマが絶命するのは間違いないが、幻獣の底力を見ていると決め手がどうしても足りなかった。
「注射針は、残り二本か……。ザブリウス用に無駄使いはできないし……」
異世界一の超硬度素材の白衣一枚で戦える程ザブリウスは甘くないということは、アキホは嫌というほど理解していた。そもそも、この注射針はザブリウスが強力な魔法を使った際に暴走させる為に用意していたものだった。至近距離で鉛玉を撃っても勝てるかどうか不明確な相手に、その鉛玉すら失うようなものだった。
今は嘆いてもしょうがないと頭を振り、少なくともファントマとザブリウスを離せて追い詰めたことだけでもアキホは良しとして無理やり自分を納得させた。
路地から大踊りに飛び出し、白衣を広げて、まるで闘牛士のようにして歩いた道を瓦礫に変えるファントマを迎え撃つ体勢になる。
「本当は、切り札にするつもりだったけど……モードチェンジ! アイギスの壁!」
民家と民家の壁から今まさにアキホに飛びかかろうとする満身創痍のファントマを防ぐようにしてアキホは、白衣を地面に押し付けた。すると、瞬く間に白衣は形を変えて、左右の裾を壁に密着させるとズルズルと音を上げながら民家の間に伸びていく。アキホの肩から膝下まで隠すだけだった白衣が、十数メートル以上長くなり、路地の先に行き止まりの壁を形成した。
「アイギスは、伸縮自在! その勢いのまま、飛び込んでひしゃげて潰れなさい!」
アイギスの壁に両手で触れたままアキホが叫ぶと、瓦礫が路地の出口付近の民家が全て崩れ落ちる直前にアイギスの壁の内側から巨大な空き缶がぐしゃりと潰れるような音が響いた。――突進したファントマが、瓦礫と壁に押し潰された音だ。
「ざまあないわね。油断した罰よ。いくら幻獣と呼ばれて、幻想じみた強さがあったのだとしても、幻想は幻想でしかない。完璧な幻想なんて存在しないわ。そもそも、幻想が現実になる時点で、お前は手の届く何かになったんだよ」
アキホの言葉まで含めて一種の攻撃だったかのように、直後、ファントマは魔障を弾けて爆音を立てながら爆ぜた。爆風がアイギスの壁にアキホを飲み込むことはなく、アイギスの壁から切り開くようにして爆風は過ぎ去っていった。
静かになった周囲を確認しながら白衣を元の形に戻せば、それを改めて羽織る。瓦礫を押し上げる程の爆風の中心地は黒い焦土になっており、魔眼を通したアキホからは毒々しいスモッグのような魔障が漂っているのが見て取れた。
「届いて触れる存在が幻想じゃない。どれだけ手を伸ばしても届かなくて、ただ心の逃避のようにして追いかけ続けるものこそ……幻想なのよ」
ポケットから小瓶を取り出す。薬の一種だが、それはほんの数時間だけ痛覚を無くす薬だった。ザブリウスとの戦いでは、無傷で済まないことは分かりきっていた。痛みを感じている暇が隙になる恐れがあるのだ。この薬がアキホなりの対策だった。
小瓶を飲み干し、瓦礫の中に放り捨てた。そういえば、と瓦礫を見てみれば、人的被害は全くなさそうだった。
曲がりなりにも、ザブリウスは弱者の為に最善を尽くして市民を避難させたようだった。
「なぁんだ、師匠にしては生き物らしいところあるじゃない」
自分が壊した家も、壊す可能性のあった命も、まるで他人事のように廃墟になった王都の一角で呟いたアキホは、ザブリウスの待機している城の方へと再び歩き出した。




