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保は確かにダークエルフの力を手に入れた。だが、保はそもそも人間だ。
海の生き物にすぐに陸で泳げと言われても、そもそも陸という概念が無い海の生物には難しい話だ。それは、人間からダークエルフになったにも言えることで、魔障というものを目で見ることができても、それを理解することも利用することもできない。せめて、保に魔法の知識が僅かでもあるなら、また戦況が違っただろうが、一朝一夕で覚えられる訳が無かった。
二度三度とアグニマンから放たれる魔法を回避するが、保には攻撃する手段が無い。保はそれを悟られまいとするように、再び炎の球から避ける為に地面を転がればアグニマンへ声をかける。
「どうして、こんな酷いことができるんだ。お前はセフィアを愛していたんじゃなかったのか!」
「ジャラバから聞いたか……。そうだな、私は確かにセフィアを特別扱いしていた」
戦えない保が気づかれない為に吐き出した言葉だったが、アグニマンの気を逸らすことに役立ったようで休み無く放たれていた魔法が停止した。しかし、相変わらず魔法陣はそのままなので臨戦態勢は変わる様子もなかった。
「傷つける必要はないだろ! アグニマン、お前はあの姉妹達と過ごしてきて、何も思わなかったのかよ!? 計画の為だとしても、娘として一緒に生活してたはずだろ!」
「お前の言い方は少々癪に障るな。羽虫が私と肩を並べるところまできたというなら、そう騒ぐなよ」
無意識に言葉選びをしていた保も気が逸れたようで、僅かにアグニマンが魔法陣の方向を修正したことには気づかなかった。斜め下を向いた魔法陣から放出されるのは、炎の球なんてものではなく、紛れも無く炎の波。
保が反射的に吸った空気は熱く、肺の中が熱気でいっぱいになる。引いていた潮が戻ってくるように、足元から炎の波が保に押し寄せた。
「く、来るなっ――!」
足がすくんでしまったことで、足に回るはずだった力が全て腕に回ってしまったかのように、保は反射的に右手を炎へと向けた。焼き尽くされるのは、まず腕からだろうなとどこかネジの外れたことを考えた時――伸ばした手の先で魔障が爆ぜた。
見えない手で引っ張られるように、前方へ向けた保の腕はバネのように後頭部側へと跳ね返れば、受身も取れないまま背中から地面に倒れた。
「身を守ることぐらいは、できるようだな」
魔障が保の周囲を煙のように漂っているが、今の保にはそう見えるだけで体が隠れたわけではない。気づいた保は大急ぎで、体を起こした。
実のところ保には何が起きたのかよく分からなかった。逃げることもできず、人間の時の癖のようにして無我夢中で手を動かしたらアグニマンの炎を壊すことができた。
幸いにもアグニマンは保が自らの意思で魔法を防いだと勘違いしているようだったが、黙っていては何も知らないことに気づかれる。弱味を見せない為にも、頭の中ではダークエルフのことを考えながら口を開く。
「俺の質問に答えてないぞ。お前にはまだ聞きたいことがあるんだ」
「聞かないと戦えないとでも言うのか」
保はアグニマンを見据えて頷いた。うまく話しに乗ってくれたアグニマンに向かって内心ガッツポーズをしたい気持ちにもなるが、今は別の方面に思考を広げる。
「いいだろう、お前は人質のようなものだからな。お前が居る以上、女二人は手出ししてこないだろう。……セフィアに対して確かに愛のようなものはあった」
アグニマンのことは聞き流しつつ、まずダークエルフのことを考える。
まともに話したことがあるのは、ゼルとセフィアだけだ。セフィアが魔法を使っているところなんて見たことがないので、考えから外すがゼルはどうだろう。
「だが、それは娘としてもましてや一人の女としてではない。愛玩動物を愛でるような、それでいて娼婦と戯れるようなものさ。最初から私に尻尾を振っていたからさ、私はセフィアが最も欲しがっていた愛というのを、分かりやすい形で与えていただけに過ぎない」
前に襲われた時にゼルはダークエルフの力で助けてくれた。エルフであるリーアは魔法を使うときは、魔法名を唱えたり詠唱を行う必要があるそうだ。だが、ゼルにはそんな様子は見えない。ゼルだけじゃない、アグニマンも……?
「自由に動かす手駒が必ず一つは必要だったのだよ。それにしても、女とは怖いものだな。こうも簡単に飼い主に噛み付くとは……おっと、この言い方では本当に犬と同じか。おお、言い忘れていたが、お前を襲撃したのは私の指示を受けたハルだぞ。あの耳飾がどれだけ有効利用できるか、本番前の実験の良い機会になったよ」
「……まだ全部答えてないだろ。俺のことなんてどうとでもなるなら、それぐらい教えてくれよ。ダークエルフの王様さんよ」
アグニマンの話が終わりそうだったので、保は煽るようにして次の言葉を促す。領主の癖なのか、アグニマンはスイッチが入ったようで饒舌に語る。
「姉妹達か? 言っただろ、言うことを聞く手駒は一つで良いと。他は聞かせればいい、口で聞かせる手駒は多ければ多いほど成功率と失敗率を同時に上げるものさ」
空いた時間を有意義に使う為にも、まだダークエルフのことを保は考える。
詠唱や魔法名を必要としない、つまりはもっと本能的な部分で魔法を使っているのではないのだろうか。
それなら点と線が繋がる。さっき魔法を防いだのは、魔法から自分を守ろうとした結果だ。
ダークエルフが魔法に近い、いや、それ以上に魔法を自然と生み出すような体の仕組みをしているなら、そのトリガーを引いてしまえば早い話じゃないのか。
体にいくつかあるトリガーの場所が分からないだけで、既に自分の体そのものに魔法を使う準備が備わっているとしたら?
「それにしても、まさかセフィアが私よりも妹達を選ぶとはな……。希少種を守ろうとする本能には逆らえぬということか……」
「――希少種を守る? お前の言っている意味が分からないんだが」
賭け事に近い結論を導き出した保は、いい加減耳障りな声を止めされるために気持ち良さそうに己を語るアグニマンに横入りをした。
拳を握り締めた保は、前進を始める。
「俗物には分からんよ」
「俗物はお前のことだろ、変態領主。教えてやるよ、セフィアがお前を裏切った理由を」
肩眉の端を吊り上げたアグニマンの魔法陣が今一度輝きだす。炎が出ようが、魔障の塊が出ようが関係ないという気持ちで保は走り出した。
「私の語りを邪魔した罰だ、最低限の肉体だけ残して爆ぜろ」
魔障が血液のように、アグニマンの魔法陣を駆け巡る。巨大な蛇の形をした炎が魔法陣から出現すると、先端が二つに裂けたかと思えば保を頭から飲み込むように襲い掛かる。
握りすぎたぐらいに丸めた右手の拳を振り上げて、頭上からやってきた炎の蛇からバックステップをして避ける。だがしかし、炎の蛇は地面を焦がしながら保の足の辺りから丸呑みにするように再び接近した。
「俺から、離れろっ――!!!」
保は精一杯の力で、炎の蛇へ向かって拳を振り下ろした。
瞬間、炎の蛇の頭が潰れたかと思えば、暴発した花火のように目の前の空間でバチバチと宙に小さな火柱を上げた。
「なっ――」
動揺したアグニマンの魔法陣が揺らめいた。その隙を逃すまいと駆け出した保は、今度は左の手の平をパーの形にするとそれを押し付けるようにして魔法陣を――。
「――お前があの姉妹を語るな!」
――砕いた。砕け散った魔法陣は、ダークエルフとなった保からしてみれば、割れたステンドガラスのようにも見えた。
目的は守ることだけじゃない、保は右手を引きながら、さらにもう一歩前に進む。
「私は、俺は……お前が触れて良い存在ではない……!」
後退しかけた足を止めると、次はアグニマンの足元から魔法陣が出現した。アグニマンの焦りを表すように十五センチ程の魔法陣が不必要なぐらいいくつも発生していた。
前に進もうとする保から遠ざけるように、アグニマンの全方位の地面に現れた魔法陣から氷の柱が突き出した。先端は槍のような鋭さがあり、急所に当たればまず命は助からないだろう。
「こっちだって、てめえに触れたくなんかねえよ!」
アグニマンへと向けられた拳はすぐさま保は地面へ向けた。足元にあった氷の槍は砕け散る。しかし、前も後ろも魔法陣に囲まれていた為、急所は避けられたものの腕や足に槍が貫く形となった。
「こんなもので、俺は止められない! ゼルを悲しませ、セフィアを傷付け、彼女の姉妹を玩具のように扱うお前への怒りは、この程度で止められるかよ!」
咆哮をあげる保から魔障が噴き出すと、周辺の氷の柱は一つ残らず単なる魔障に代わり空気に溶けた。
アグニマンが驚くよりも考えるよりも先に、保はアドレナリンが溢れる頭で駆け出した。
「お前がどれだけゼル達から力を奪っても、結局この程度の奴だってことだよ!」
前に出した足からは、血が零れ落ちた。それでも、全身全霊の一撃をその拳に乗せた。
「うじ虫からやり直せ、クソ領主!」
アグニマンの顔面に、魔法を『壊す』特性を宿した保の拳が突き刺さった――。
※
地面に倒れて動かないアグニマンからは、先程までの禍々しい魔障のオーラのようなものは感じられなくなっていた。
気を失った振りをしているだけかもしれないと、保は横たわるアグニマンの姿を凝視すれば、軽くその体を足で蹴ってみる。目を閉じたままのアグニマンは呼吸すらしてないように見えるが、今のアグニマンでは戦いようが無いだろう。
「どうやら俺にもダークエルフの特異体質てのが宿ってみたいでよ、その力はたぶん魔法を『壊す』力だったんだ。普通の人間を殴ってもただのパンチだったが、魔法の力で変身したお前だからこそここまで致命的な攻撃になったんだな……。しばらくしたら、お前からダークエルフの力は消えるはずだよ」
肩の力が抜けてしまえば、次にやってくるのは体のあちこちを貫かれた傷だ。
骨が数本抜けてしまったかのようなおぼつかない足取りの保がゼル達を寝かせていた木の近くまでやってくると、目覚めていたらしいゼルが駆け寄ってきた。
ほんの数センチだけ地面から出ていた石に躓いた保は、踏ん張ることもできずに前のめりに倒れようとするが、すぐさまゼルは抱きとめた。
「タモツ……無事で良かった……」
ゼルの方が保に比べれば当然小さな体をしていたが、今なら先天的な魔法がゼルの体に魔障を循環させていることが手に取るように感じられた。
「ゼルも無事で良かったよ……。なさけねー……まともに歩けもしないぜ……」
「ううん、そんなことない。タモツは人間であることを捨ててまで、私達の為に戦ってくれた私の知っている誰よりも、かっこいい」
保の胸に顔を埋めるゼルが首を横に振る。できれば、どんな顔をしているのか興味を惹かれるが引き剥がしてまで無理して見る訳にもいかない。
頭を撫でたくなった保だったが、まともに腕が上がらないことに気づき、仕方なく手を下ろす。
「ありがとよ、ゼルからそんな風に言われるだけでも頑張ったかいがあるな。だけど、人間を捨てるなんて大げさだぞ。このダークエルフの姿だって今だけのものだ」
「今だけ?」
「おう、時間制限があるんだよ。だからほら……」
保の肉体から湯気のような魔障が出たかと思えば、そのまま湯気は空へと昇っていった。そして残された保は、ゼルのよく知る人間の保だった。
「戻った……。タモツ凄い……」
「俺が凄いんじゃなくて、アキホさんが超凄いの。でもまあ……いてて……しばらくしたら体が無理をした反動が出るらしいから、今の内にアキホさんかリーア呼んできてもらえるか? これ以上、体がきつくなったら、俺泣いちゃうよ」
「任せて、そういうの朝飯前」
「疲れているのに、おつかいみたいなの任せてごめんな」
「ううん、タモツを泣かせたらいいんだっけ?」
「え、そっち!?」
冗談、と小さく小さく舌をゼルは舌を出した。
ゼルが前とは見違えるぐらい感情が豊かになったことに保は驚き、先程よりももっと撫でたくなる心とは反対に肉体は正直でやはり満足に動こうとしない。どうしても、ゼル頼りになってしまうようだ。
保を引きずり木のところまで連れてきたゼルは、任せてくれと胸を叩いた。そこから離れていこうとするゼルに、保はあることに気づき何気なく話しかけた。
「そういや、ゼル。……セフィアさんはどこに居るんだ? どこか別の場所に連れて行ったのか」
ゼルは足を止めて振り返る。その視線は保を通り過ぎ、木の周りをじっと見回した。そして、可愛らしく首を傾げる。
「セフィア……あれ? さっきまで――?」
――突然、ゼルの体が宙に舞った。
淀んだ魔障が吹き抜ければ、保はとっさに木に掴まった。風が止み、すぐに目を開けた保は愕然とした。
「お前は……そこまでして……!」
満身創痍の体に鞭を打ち、保は木に全身を擦りつけるようにしてようやく立ち上がった。それは、憎い相手が目の前に現れたから、保は立ち上がらなければいけなくなったのだ。
「――アーハハハハハハハ!!! お前は失敗した! 間違えた! だから、全てを失う! 壊される! 壊されろ! お前はぁ……私を殺しておくべきだったようだぞ!!!」
体をのけぞり大笑いをするのは――焦点の定まらないアグニマン。
気が狂ったように笑い続ける保には、アグニマンの笑い声以上に感情をかき乱す光景があった。
「アグニマン! その二人を離せ!」
アグニマンは両手を広げれば、右の手には荒々しく首を掴んだゼル、左手には乱暴に髪を掴んで持ち上げるセフィアの姿があった。
「離せ!? 離せえぇ!? この最高の舞台で最強の道具を手放す訳がなかろう!? 舞台装置も完璧だぁ――!!!」
あっという間にアグニマンの足元には、先程まで行おうとしていたダークエルフの儀式の魔法陣が発生した。そして、保が声をかけるよりも早く、魔法陣が発動した――。




