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 最初、ゼルは戸惑っていた。

 セフィアに連れて来られた場所は富豪とは聞いていたが、それがまさか領主だとは思わなかった。

 己の財力で土地をいくつか自分の物にしている貴族は居ても、国王から正式に土地を占有する許可を貰った者は領主ぐらいしかいない。領主が指示を出せば領地の法律はある程度変えることも可能であり、気に食わない者が居れば罪を被せることも造作もないのだ。身内になるなら頼もしい人物だが、もし敵となるなら魔物よりも恐ろしい。

 今、ゼルはそんな領主の家族として迎えられたのだ。


 迎えてくれた領主の名前は、アグニマン・ウィルターソン。ゼルはあまり詳しくはないが、代々領主としてこの地に根強く息づいてるウィルターソン家の主なのだと、ゼルは家庭教師から教わった。

 ゼルに警戒心はあったものの、アグニマンは食事の席で挨拶はしたが、「そうか」と短く返事をするだけで、後は何も言わることはなかった。それを冷たいと言う人間も多いかもしれないが、ゼルにとっては、いろいろ注文を押し付けられるよりも好都合であった。

 アグニマンとの会話は、それが最初と最後になった。生活を始めて一週間になるが、それ以降にアグニマンと接触することはなく、無視されているというよりも、特別に話すことが無いといった感じだった。同時に、それはゼルも同じことだった。

 一応、ゼルにとっては義理の父になるらしいのだが、そもそも家族というものがよく分からないゼルにとっては、父親像というのがうまくイメージできるわけがなかったのだ。

 セフィアの提案で、ゼルは他の姉妹と一緒に家庭教師を付けてもらい、勉強をしながらこれからのことをゆっくりと考えるように言われた。セフィアにそんなことを言われた時、保の顔が脳裏に浮かんだ。ゼルの意思に任せてくれる、そうしてくれたセフィアを今一度強く信じてみようと思った。


 アグニマンの家には話に聞いた通り、セフィア以外にも他二人の姉妹が居た。午前中の勉強は、その姉妹と学ぶのだ。ちなみに、セフィアには父親の手伝いがあるらしく、妹達が学習中の間はそちらの手伝いに向かうのだそうだ。

 三人の居る広い部屋は陽当たりの良い勉強部屋、そこに並べられたのは三つの椅子に三人のダークエルフは座っていた。左の席には、次女ハル、中央には三女ゼル、右の席には四女のディラが着席する。三人の前には、大人二人が両手を広げた程度の長さの黒板が壁にはめこまれており、その前にアリシアという女性の家庭教師が教鞭を振るっていた。

 どことなくボーイッシュな性格のハゼルが「先生」と挙手をした。


 「なんですか、ハル様」


 黒板に書いていた手を止めて、少年のような短いオレンジの髪をしたハルをアリシアが見た。


 「今やっているのは、経済の勉強なんですよね?」


 「ええ、経済学です。歴史の勉強と間違えましたか?」


 「そ、それは昨日の話じゃないですか! 先生!」


 ゼルを教えるアリシアは外見の年齢では三十代前半のエルフの女性だった。金色の髪を一つ結びにしていたが、ゼルは何となくリーアに似ていると思っていた。


 「この間は経営のことも学んでいましたけど、私達ダークエルフなんですよ。こんなこと学んでも、まともに商売なんてさせてもらえるわけないじゃないですか! こんなことより、ゼルも入れて一緒に外で運動しましょうよ! この間みたいにボールを使って!」


 ハルは四姉妹の仲で一番運動をする時間が好きだった。授業という名目の上でないと、他の姉妹が一緒に運動をしてくれないので、なおさら体を動かす授業を好んでいた。その為、座学に飽きてくると必ずといっていいほど、運動の授業を提案してくる。


 「うるさいよ、ハル姉さん」と冷めた眼差しを送るのは、四女のディラ。


 「ディラぁ……一緒に遊ぼうよぉ……」


 餌をお預けされた犬のようにめそめそするハゼルを見たディラの表情はさらに険しいものとなる。

 ディラはゼルよりもまだ幼く見える少女だった。しかし、四姉妹の仲では一番頭の回転も早く、物覚えもいい方だった。運動好きなハルと違い、室内で読書をしたがる根っからのインドアなので、座学も好んでいたディラは授業をわざわざ中断してまで運動を推薦するハルに腹が立つのだった。


 「今、ハル姉さんは「遊ぼう」と言いましたよね? 遊びなら、後でいくらでもできます。授業が終わってから、後で壁相手にボールでも蹴っておけばいいじゃないですか。私はハル姉さんと違って、それなりに座学も楽しいのです。ハル姉さんだって、運動を途中で止めて座学をしろと言われたら嫌でしょ?」


 「嫌だ! 怒って魔法発動しちゃうよ!」


 「でしょう? 後、ハル姉さんの魔法は洒落にならないので、やめてください」


 「で、でもぉ……」


 ディラは水色のツインテールの毛先をいじりながら、唇を尖らせるハルを呆れたように見ていた。次に、ディラはハゼルではなくゼルに視線を送る。


 「ゼル姉さんも、何か一言言ってやってください」


 半分も理解できない授業を受けていたゼルは、いきなり声をかけられたことに、寝起きのような眼差しを送ると、しばらく悩んで一度小さく頷いた。


 「――お腹空いた。今日のお昼は何かな?」


 「ぬわ!? ゼ、ゼル姉さんまで!?」


 「あはははっ! ゼルおもしろー!」


 室内に二回、手を叩く音が響いた。その音の先は、教卓に立つアリシアだった。

 アリシアは不満そうに繭をひそめ、視線が集中したのを確認すると口を開いた。


 「授業を途中で変更することはありませんし、ディラ様もハル様を注意するはずが、一緒に授業の妨害をしていますよ。後、お昼はお魚料理になるそうです。ゼル様、魚と聞いて露骨に落ち込まないでください、うなだれないでください」


 やれやれ、とアリシアは一呼吸を置く。


 「ハル様、経済も経営の勉強もこれから必要になるはずです。ゼルさんには初めて話をしますが、私はハーフエルフ。言ってしまえば、はぐれ者です。人でもエルフでもない私は、昔はかなり苦労しました。ですが、年々、大きな街に行けば少しずつですが異種族も受け入れられる場所も増えてはきているのです。それに、貴女達はせっかく人間の権力者の娘として生活できる権利を得た、私はそんな貴女達に期待を抱いているのですよ。これから、異種族が少しずつ受け入れられて行くであろう未来を貴女達姉妹が切り開いていけるはずだと」


 アリシアはハルの席の前に立つと、両手でハルの手を包み込んだ。


 「ダークエルフの歴史は暴力に満ちています。しかし、それは歴史であり過去である。……貴女のこの手は、過去を繰り返す必要はないのですよ。今からは、その手に筆を握り、文字を書き、数字の計算をし、余裕があれば詩の一つでも書きなさい。貴女達なら、きっとこれからの未来を変えられる。その為の勉強なんですよ」


 微笑んだアリシアを見惚れたように見ていたハルは、上目遣いで珍しく小さな声で問いかけた。


 「その時は、一緒に手伝ってくれますか……?」


 自然とアリシアは深く頷いた。


 「貴女達が望むなら、必ず」


 ゼルは二人を見ながら、やはりアリシアの姿をリーアと重ねていた。



              ※



 ゼル達四姉妹の食事は、大広間で行われる。長いテーブルに二人分程の間隔を開けて食事をとる。中央奥は彼らの父親であるアグニマンの席だが、ゼルは彼が一度も娘達と食事を共にしたのを見たことがなかった。それに対して、さほど感慨も無く目の前の豪勢な食事に夢中でかぶりつく。


 「こーら、ゼル」


 ゼルが顔を上げると、横顔をナプキンで強引に擦られた。嫌そうに顔を逸らすと、ゼルをナプキンが追いかける。逃げつつも拭き取られたことで顔が綺麗になれば、ゼルの視界には汚れたナプキンの代わりにセフィアの母性的な微笑みがあった。


 「ナイフとフォークがあるんだから、面倒くさがらずに使いなさい」


 「途中までは使った」


 「途中までじゃなく最後まで。お客様が居るところだと、笑われちゃうわ」


 「海老は甲羅が難しいし、魚は骨ごと食べられるから、このままでも私は問題ない」


 「だーめ、これからは私がゼルをしっかりと育ててあげるんだから、覚悟しときなさい!」


 覚悟しときなさい、なんて言うセフィアだが、その顔からは一切の毒気は感じられない。むしろ、やんちゃをする飼い猫をたのしなめるような、怒ることすらも可愛がっているような様子だった。

 怒るのに優しい、そんな不思議な言葉にゼルは首を傾げつつ、汚れた手でナイフとフォークを握りなおすのだった。


 「そうだぜ、セフィア姉ちゃんの言うとおりにしないと、後で怖いぞ!」


 にひひ、と笑うハルの頬にもばっちりソースの跡が残されていたので、すぐにセフィアから注意が飛ぶ。


 「まったく、作法の一つも守れない姉を持つと大変ですよ。ゼル姉さんは、ハル姉さんの真似をしちゃ駄目ですからね」


 ナプキンで顔を拭くディラだが、皿の隅に集まっている野菜の塊に気づくと、そこでもセフィアの注意が飛んだ。

 怒られて半泣きになりながら野菜を口に運ぶディラを見て、ハルが腹を抱えて笑うと、唐突にゼルに顔を向けた。


 「私達、みんな一緒だな。みんな失敗して、みんな楽しい。今はまだ難しいかもしれないけど、これが家族てやつなんだと思うぜ。……ゼル、うまく説明できねえけど、これが私達姉妹なんだ。なんとなく、分かってきたんじゃないか?」


 鼻の下を指で擦りながらハルは照れ臭そうに言った。

 ゼルは、まだ多くを話していないため、三人の姉妹のことはよく知らない。それ以前に、この状況をどうしていいのか分からなかった。経験したことのないことの連続で、選択肢すら浮かばないのだ。

 ハルやディアは、ここに来て何年経つのだろう。

 三人の好きな食べ物はなんだろう。

 ゼルは今一番勉強をする時間が好きだが、三人はどんな時間が好きなのだろう。

 ふわふわと過ごしていた一週間は、まるで何も無い草原を歩いているようだった。怪我をすることのないが、どこに歩いているのか混乱してしまう原っぱの世界。だが、今その草原には三人の姉妹が、家族が、立っていた。

 何も無い空間に現れた三人に、ゼルは至極当然のように考えた。

 ――三人のことが、知りたい。


 「ふふっ」


 ゼル以外の三人が息を呑んだ。すぐにゼルは、驚いたように口を押さえた。


 「は、初めて見たぞ、ゼルの笑った顔!」とハル。


 「あ、当たり前じゃない、ゼルちゃんは笑うに決まっているでしょう!」とか言いながら、慌てふためくセフィア。震える手でスプーンを握ったせいで、凄い勢いでスープがこぼれていた。


 「……笑うとそんなに可愛いなんて、ずるいです」と何故か嫉妬するディラ。


 胸の奥に何か温かな物が流れ込んでくるのを感じつつ、もう一度押さえていた手を口から離したゼルは――四人で笑いあった。

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