1
保達がゼルと別れてから早一週間ほど経過しようとしていた。
それほど長い時間一緒に居たわけではないのに、保達の心には未だにぽっかりと穴が空いたような寂しさが時折顔を見せていた。
その為か、せっかくアキホから許可を貰い、リーアと二人で外に買い出しに行くことを許されたというのに、保が持つ本来の能天気さはそこには見当たらなかった。
「溜め息が多いぞ、タモツお兄ちゃん」
「そ、そうかな……」
横を歩くリーアにいきなり言われれば、保は両脇に抱えていた紙袋を落としそうになる。
「ゼルが居ないことを寂しがってるんだな」
「相変わらず直球だなぁ。実際……あんなに懐かれていると余計に。それと、心配かな」
「それは同意見だな。だが私達は、どういう形にしろ、セフィアを信頼して託したのだろ?」
まあな、と言いながらも保はリーアの気遣いに感謝していた。ここ最近元気が無かった保を外出に誘ったのもリーアだし、アキホから許可を貰ったのもリーアだった。
「それなら、今度はアキホと一緒にゼルの家へ行ってみないか」
思わぬ提案をするリーアに、勢いよく振り返った保はとうとう紙袋からいくつか果物を落としてしまう。
リーアは慌てて拾い集めて、紙袋に入れながら保は早口で喋る。
「家の場所知ってるのか!?」
「タモツお兄ちゃんのことだから、ゼルが心配になって家に向かうんじゃないかとアキホに言われていたからな。本当は口止めされていたが……そろそろ見に行ってもいい頃合だろ」
「否定はできないが……。心配して溜め息吐いているよりもずっといい! 行こう、明日にでも! すぐに!」
久しぶりに見た元気な保の姿に、はははっ、と大きな声でリーアが笑うと保が両手に持っていた紙袋の一つを取り上げた。
「安心してくれ、ゼルはどこにも逃げたりしない。それよりも久しぶりの外出だ。今は、私との時間を楽しんでほしいぞ」
紙袋とはまた違った重みを感じた保の腕には、しっかりとリーアの腕が回されていた。加えて、胸の膨らみも。
「アキホは小遣いだってくれたぞ。彼女も彼女なりに心配してくれていたんだろう。それに、今日はタモツお兄ちゃんにどうしても連れて行きたい行きつけの店があるんだ。絶対にタモツお兄ちゃんは気に入ってくれるに決まっている!」
「決まっているのか……」
度々、リーアとアキホは二人で外出していたことを知っていたが、まさか常連客になるほどの店を知っているとは保には驚きだった。しかし、リーアのはちきれんばかりの笑顔を見ていると、きっと自分も気に入るのだろうという不思議な予感がしてきた。
今はこの時間を楽しもうと決めた保は、急かすリーアと共にあるエルフの女性が給仕として働く店へと向かったのだった。
※
帰宅した保とリーアはアキホに提案をし、渋々ながらも許可を貰った。そして、アキホは聞いていた住所を目指して、馬車を借り、午前中には家を出た。たっぷり二時間程馬車を走らせて行き着いた先は――廃墟だった。
錆び付いた門扉に、隙間無く蔦の走る壁、当の屋敷の屋根には穴が空き、窓ガラスは割れて内側にも外側ににも飛び散っていた。とても人を買えるような家でもなければ、人が住んでいるようには見えない屋敷がそこにはあった。
愕然とする保は手土産を地面に落とし、リーアは顔を逸らし、アキホは舌打ちをした。
「――これって、どういうことだよ! アキホさん!?」
馬車の音が聞こえなくなった後、カラカラに乾いた喉から搾り出すようにして叫んだ。
門の錆を指でなぞりながら、アキホは髪をかき上げた。
「随分と生活に苦労しているのね」
「冗談言っている場合かよ」
「……上がってみる?」
とてもそんな気持ちになれない保は、苛立ちと共に門を蹴れば、改めて燦然とした光景を睨む。
妹のことを大切に思っていたセフィアは、一体どこに消えたのだろう。まさか、半分お化け屋敷みたいなこの建物中で生活をしているわけじゃないだろうか。いいや、絶対にそんなことはない。それに、ゼルの他の姉妹達はどこに居るのだ。
我慢できずに扉門を開けて、屋敷の庭に飛び込んだ保は割れた窓から中を覗き込んだりもした。それでも、人が住んでいるような痕跡は見当たらない。せいぜい、住んでいる生き物といえば害虫の類ぐらいだ。
「やられたわね」
保を追いかけて中庭にやってきたアキホが言った。
「俺達、はめられたてことか」
「狙いはゼルだったようね。まさか同じダークエルフが犯罪の片棒を担ぐような真似をするとは思わなかったわ。こうくると、あのセフィアとかいう女の言葉は真実を探す方が困難かもしれなわね」
地面に散らばった窓ガラスの破片が割れる音で振り返ると、アキホの後ろからリーアも来ていた。ただし、その顔は、見るからに怒りの様相を呈していた。
「―ーダークエルフは強い魔力を持っているんだ。それも、エルフとは比べ物にならないぐらい、攻撃的な方面に特化した性質のな」
最近までの角の取れたように穏やかだったリーアはもうそこにはいなかった。エルフを迫害し、エルフの敵となる者を地の果てまで追いかけて始末する戦士がそこにはいた。
「ゼルは強い力を持ちながら、奴隷商人に行動の自由を制限されていただろ? 奴らの枷に使用している鎖に使われている素材には魔障絶という鉱石が使われている。魔障絶には、魔法の使用を妨げる力があるんだ。ただし、着けられたり触れたりしなければ問題ないが、ああいう手枷足枷、首輪なんかされてしまえば、年相応の少女になりただの人間と変わらなくなる。そんな物を持っているかもしれない奴らに……ゼルは一度気を許してしまっている。あのセフィアとかいう女が贈り物の装飾品にでも魔障絶の混ざる物を使ってしまえば、難しい話ではないだろう」
「ゼ、ゼルには俺を助けてくれた時みたいな身体能力があるはずだ。そう簡単に負けるなんてことは……」
「タモツお兄ちゃんは考え違いをしているぞ。ダークエルフは良くも悪くも魔法と共に生きている種族だ。そもそも、ゼルにそんな運動能力があるなら、とっくの昔に奴隷商人から逃げ出しているに決まっている」
「……じゃあ、あの力も全部ゼルの魔法……」
「そう考えるのが正しいだろう。ゼルは魔法を詠唱しなかったのなら、詠唱を必要としないゼルの体質から出せる特異魔法かもしれない」
眩暈を覚えた保は壁に手をつき、片方の手でふらつく頭を支えた。
穏やかな暮らしの中に居たせいで、保は忘れかけていたことを、ここではっきりと思い出した。
この世界は、こういう世界だ。
あまりにも露骨に目の前に、毒々しく禍々しいまでに差別というものが自分達の前に横たわっている世界なのだ。この世界で笑うということは、誰かがその下で泣いている。そんなおかしな循環で当然のように成り立っている世界。
「……なあ、アキホさん。俺、」
「ゼルを取り返すとか言うつもり?」
途中でアキホに言いかけた言葉を止められて、保は口を閉ざす。即ち、それが肯定の意味になった。
無謀だと罵られるかと思った保は、探るような視線を送りながら顔を上げた。しかし、目の前のアキホは目を開き、口角を僅かに歪めていた。
「望むところよ。奴は、国家魔法薬師を騙したのよ。タダじゃおかないわ。そもそも、人身売買以前にこれは詐欺行為。こういう犯罪者はさっさと、お縄にしないとね。あること無いことでっちあげて、乗せれるだけの罪を乗せてやるわ!」
腕まくりをしたアキホがガッツポーズをすると、屋敷の玄関へ歩き出す。
「理由はどうあれ、ありがとうございます」
礼を言う保に片手を上げて返事をしたアキホは、足を速めた。
「それに、最初は巻き込まれた形とはいえ、ゼルと過ごした時間は悪いものじゃなかったわ。そんなあの子が危機に立たされているなら、当然助けるわよ」
口に手を当ててリーアが冗談混じりに言う。
「金にはならないが、いいのか?」
「アンタ達は、私のことをどんな目で見ているのよ。身寄りの無いアンタ達を助けて、ゼルも人身売買の身から救った。この世界のこんな善人数えるぐらいしかいないんだから。……あえて言うなら、ゼルが帰ってくれば心の利益になるわ」
「え? アキホさん、もう一回言ってくれ」
「二度も言わないわよ!」
耳を赤くしながら離れていくアキホを保とリーアが追えば、向かう先は出口ではなく屋敷の入り口。
「馬車が来るまで約二時間。その間、この屋敷を探るわ」
「何言ってんだ、ここには誰も住んでいないだろ」
「住んではなくても、ここは奴らが唯一残した接点なのよ? 探してみるまで、分からないじゃない」
転んでもただでは起きない精神を目の前で見せられた保は、これぐらいの気概がないと異世界でのし上がるなんて難しいかもしれないなんて感心していると、目の前を突風が吹きぬけた。代わりに、先程まであったはずの屋敷の扉は粉々になり、ぽっかりと馬車でも突っ込んだかのような大穴ができていた。
とっさに突風の吹いた方向を保が見ると、ドヤ顔をしたリーアが右手をかざしており、すぐ近くのアキホは、別に自分が魔法を使ったわけでもないのに、腕を組んでいた。
「イライラして何かに当たりたかったのかもしれないけど、せめて一言欲しかった……。危うく、俺に大穴が開くところだったんだけど……」
「――さあ、捜索開始よ」
「ああ!」
「……当然のように、俺のことは無視して話が進むのね。いや、そのつもりだったからいいんだけどさ」




