3
ダークエルフの少女ゼルを連れて家に帰って来た保達だったが、ゼルの体にはいくつかの傷跡が確認できた。ただ奴隷として連れて来られたわけではない、何らかの暴行の形跡が少女の肉体にまざまざと残されていたのだ。
リーアはゼルの傷を癒す為に、治癒魔法を掛けるとのことだったので、リーアはゼルを風呂に入れるのを兼ねて風呂場へと向かった。
静かになった居間では、保とアキホが向かい合わせに座り、アキホは腕組み、足を組んで、突き放すような眼差しで保を睨む。
「本当に世間知らずね」
アキホの第一声がそれだった。
「元の世界でも怖いお兄さんが多少の悪さをしているのを見れば、見てみぬ振りをしていたんじゃないの? それはこの世界でも同じことよ。あの兵士達は奴隷商人の手下でも傭兵でもなく、どこかの土地の有力者に飼われた兵士よ。あそこまで堂々と奴隷を連れて歩いているところを見ると、ある程度のことなら隠すことのできるそれなりに名の知れた人間かもしれないわ」
奴隷の少女を救うヒーロー気取りで突っ込んで、結局のところ助けてくれたアキホに迷惑をかけた。一目瞭然の事実に、保は肩を丸めて頭を垂れた。そして、アキホが強く責めるような口調ではないことも、保の気持ちを余計に重たくさせた。
「今の保君には何もない、この世界で力を持たないことは危険なことなのよ? 奴らは本気になれば、保君一人の死だって無かったことにできる。それだけじゃない、捕まえられて無理やり奴隷にすることだってあるわ。……人間を売買してお金に変えるなんて、まともな思考じゃできない。そんな行為を、当たり前の顔してやっている奴なんて、はっきり言ってこの世界でも異常者よ」
アキホは責めることはない。ただし、まざまざと現実を並べ立てる。
大人しく真面目な青年として生きてきた保にはあまり人から怒られた記憶なんてなかったが、自分の行動の結果によって招いてしまう真実を告げられることが、首を絞められるような気持ちになることを初めて知った。
「別に保君が悪いとは言わない。善悪で話をするなら、悪は完全に奴隷商人の方よ。けれど、せっかく助かった命を無駄にしちゃいけない。今、保君はたくさんの人に生かされている状態なのよ。……生かされた保君は何一つ無駄にしちゃいけない。……私ね、トオガ君に頼まれたのよ。『タモツを頼む』って……何でトオガ君があそこまで、タモツ君を助けたいと思ったのかは今となっては分からないわ。だけど、無謀なことをしてトオガ君の必死の想いを無駄にすることだけはやめなさい」
トオガ、という名前にチクリと胸の奥を針で刺すような痛みを感じる。それは、保の心を刺激する針。しかし、保の心は刺激されたことで萎むことはなく、保の鼓動をさらには加速させる刺激だった。
暗い表情でアキホの言葉を黙って聞いていた保の瞳に僅かな光が宿る。
「……でも、目の前のゼルは差別と現実で苦しんでいました。あそこで無視をするなら、なおのことトオガに託されたものを駄目にしてしまうような気がするんです。何もせずに黙って通り過ぎてしまったら、俺はここに生きている資格はない!」
重たい空気を内側から突き破るように出した声は、アキホのビンタという形で折れることとなる。
右頬を触れれば熱い痛み、保が顔を上げると、初めて怒りの表情をし立ち上がるアキホの姿があった。
「理想を語るのは勝手だけどね、アンタを助けようとした人達が、ただ理想を押し付けただけじゃないってことが分からないの!? アンタに生きていてほしいと思ったから、アンタは生かされているのよ!? リーアはアンタを愛しているから生きていてほしい、トオガは友達だから生きていてほしいと願った! じゃあ、恥をかいてでもまずは生きることを考えなさいよ、馬鹿童貞!!!」
今まで一番響いた童貞という言葉に、アキホの嫌というほどの現実が込められている気がした保は素直に頭を下げる。
「……すいません、俺がガキでした」
「それなら、もうリーアを悲しませないようにすることね。守りたいと保君が思う以上に、保君は大切にされているんだから」
「はい……その言葉、忘れません……」
保は今更ながら、己の小ささを感じていた。
短い間にいくつかの危険を乗り越えただけで、気持ちが大きくなっていた。何度助けようとしても、結局のところは常に誰かに助けられている。自分一人の力ではどうしようもないというのを頭に置いて行動をしないといけないのだ。俺には俺の出来ることがある。今は悔しくても、そう考えるしかなかった。
熱くなってしまったことが恥ずかしくなったのかアキホは、頬を?いて目を逸らした。お茶でも淹れるのか、立ち上がったアキホの代わりに保が準備を名乗りでようとした。
「こ、こら、ゼルっ」
リーアの声が風呂場の方から聞こえた。何を遊んでいるだと楽しげな声に誘われるようにして、首を動かせば、保の隣を影が通り過ぎた。
「いやあー」
とてとてと可愛い声で走り去るその影をまじまじと見ると、ゼルではないか。
「ゼル、裸で走ったら風邪引くぞて裸ああぁぁぁ!?」
――ゼルが裸でそこに居た。
思わず立ち上がる保に、ゼルはこともあろうか身を寄せてくる。
「ねえ、何でおっ立ててるのよ」
「アキホさん、すんませんが、それをここで言うといろいろ誤解させてしまうと思うのですが……。というか、絶対に誤解させようと思って言ってますよね! 本当に下品!」
「下品!? 説教したばかりの人間に言う台詞がそれ!?」
「今はそんなこと、どうでもいいでんすよ!」
ゼルは濡れた頭を保の体に擦り付け、掴んだ手は保の服にさらにシワを寄せる。小柄な分、もっと幼く感じていたが実際に密着してみると、やはり女性的な部分もそれなりに成長しているようで、これだけ成長しているんだよと保に悪魔、いや、サキュバスのように二つの丘が語りかけて来ているようだった。
「保君、今凄いくだらないこと考えてない?」
「なんで!?」
「いや、顔がキャバクラで女の子と話をするおっさんみたいな顔しているよ? そういうおっさんて、大体くだらないおやじギャグを考えているものだし」
「元の世界のおっさん達と、俺に謝ってほしい」
なんてやりとりをしていると、ゼルよりも少しだけ大きくなった足音でリーアがやってきた。残念ながら、バスタオルを巻いていた。
「ゼ、ゼル!? どうして、タモツお兄ちゃんにくっついているんだ!?」
どうしてリーアがそんなに動揺しているのか保には分からないが、なるべく目線を逸らしつつ、そっとゼルを体から離す。その際に、触れたゼルの両肩の柔らかさに変な気が起きそうになったのは、胸の奥の戸棚の辺りに大事にしまっておくことにする。
「ゼル、リーアは悪い奴じゃない。言うことを聞くんだ」
「ぎゅぅー」
抗うように小さな声を発しつつ、保に抱きついてくるゼル。
「はうぅ!?」
「何でだー!? 何で、ちょっとまんざらでもなさそうな顔をしているのだ、タモツお兄ちゃん!」
「ここの女達は、俺がにやけることすら許してくれんのか!?」
「タモツ」
リーアが湿った体をすり合わせながら、妙に甘い声で言う。自然と保達は、騒がしいやりとりを止めて次の言葉を待つ。
「お腹のところ、何か当たって痛いよ……」
身をくねらせながらゼルが言った瞬間、保はリーアの悲鳴とアキホの溜め息を聞いた。そして、保はジャラバに大金を請求された時以上の大量の汗を噴き出した。
「タモツお兄ちゃん! 私と、私というものがありながら……こんな幼い子に……!」
「誤解だ、ギリギリだけどセーフだ! 後、まだそんな関係じゃないだろ!」
「女に対して、そんな関係じゃないだろって言う男にろくな奴は居ないわ」
「アキホさぁん! ここぞとばかりに反撃すんな、売れ残りぃ!」
「さらっと私をディスるんじゃない!」
「まだ私の話は終わっていないだろ! 訳の分からない言葉を使って誤魔化すな!」
三者三様、揉め始めた理由も忘れ、三人の騒ぎは大きくなる。
リーアが半泣きになりながら保の肩を何度も左右に動かし、アキホは保の後ろから絶妙に気を失わない程度の力で首を絞め、騒ぎのスタートラインを切ったゼルは「うるさくなった」と呟いて腰を低くした。
「あ、これが当たってたのか」
ひーひー言っている保の下腹部に手を伸ばしたゼルは、当たっていたソレを触った。ソレとは――保のズボンのベルトだった。
※
武器商人ジャラバは、取引相手の家にやってきていた。
控え目に言っても豪邸。三階建ての屋敷は広く、どこまでも長い通路が屋敷の左右に作られ、その中央には大広間がある。屋敷の主は、その大広間の長テーブルの中央の最奥に座るのは三十代中頃の男性。肉食獣のような鋭い瞳は、年齢の割に白髪の目立つ髪すらも彼の凄みを増幅させた。
ジャラバは思った。まるで、知性を持った魔物と相対しているようだと。
「頼んでいたダークエルフは、どこに居るのだ」
ゼルをアキホに売った後は、街からしばらく姿を消すつもりだったジャラバは、儲けた金で兵士達も買収するつもりでいた。しかし、兵士達はジャラバが思っていた以上に、忠義者達ばかりだったのだ。
今や護衛していたはずの兵士達は、すぐにでも首を落とす為の残酷なジャラバの処刑人となっていた。
「申し訳ございません……。ある魔法薬師の女が、買い取っていきました……」
雇い主の男は両手を絡めて両肘をテーブルに突き、手の甲に顎を乗せた。
「ほう、払いが良い方に尻尾を振ったということか?」
「ち、違いますっ。その女は、アキホと言って、国家魔法薬師だったんです。国が後ろに居る以上、奴隷売りである私にはどうしようも……ありませんでした……」
長い沈黙から、仕置きの専門家による拷問か、それとも、この屋敷から出られなくなるのか。
ジャンバの頭にはいくつもの最悪な想像が浮かんでは消え、浮かんでは消えていた。予想に反して、男は低い声で言った。
「探せ」
「は……? 探すのですか……」
「二度も言わせるな。その女に使い魔や護衛は居るのか」
「し、しかし、私は奴隷商人です。それは傭兵でも雇った方が良いのでは? 人間を買い付けることはあっても、誘拐は仕事では……」
「――お前を次の領主にしてやろう」
「なんですと!?」
鼻水を吹き出しながらジャンバは立ち上がった。目の前の雇い主の発言がうまく頭の中に入って来ない。入って来るとすれば、自分の鼻水をすする音がぐらいだ。
ジャンバが驚くのも当然だった。この男は嘘や冗談の類が嫌いなのだ。
「お前の経歴は知っている。奴隷として親に売られ、酷い変態に買われたようだな。そんな過去から這い上がったお前を私は高く評価している。……気に入っているのだよ、お前の貪欲さを」
過去に三度、奴隷を男に売ったことがあるジャンバもその発言に驚いていた。
直接会うのは、これが二回目で、連れて来た奴隷を屋敷の使いと金を交換するだけだった。初めて会ったのは、正式に契約する時だったが、その時も目の前で契約書にサインをしただけである。
ジャンバは密かに憧れているのを、そこで初めて実感した。自分よりも十歳以上若い男に惹かれていた。男の瞳の奥の世界を何度も夢想し、その男の目が自分を真っ直ぐに見ていてくれている。
ただ恐れているかじゃない、ただこの場しのぎの嘘を言うつもりだからじゃない、この時初めてジャンバは金以外の目的で活力が満ちてきているのを感じていた。
頷いたジャンバは、腰かけたままの男の横で祈るように片膝を曲げて頭を肩よりも低い位置に下げた。
「――貴方のお力になりましょう、領主アグニマン・ウィルターソン様」
リッドガリアすら統べる領主、ウィルターソン家のアグニマンが薄く微笑んだ。




