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――時間は保が店の外に出たところまで、遡る。
保は目を見張っていた。
車道の一車線程度の広さの道に人、人、人、いや、それだけではない。体の大きさは小学生なのに、顔は大人の顔をした集団や頭から角を生やした人達。エルフだって、当たり前に道を歩いている。人と異種族が共に生きている光景が保の目の前に広がっていた。
この世界にとっては、日常の景色なのだろうが、保にとっては何時間でも見ていられるような不思議な光景でもあった。いくつか経験した非日常の体験はどれも楽しいものだとは言い難かったが、手を伸ばせば触れることのできるこの現実は保の気持ちを多少なりとも愉快にさせた。
ただし、多くの様々な思想を持ち合わせた生物が密集して生きている以上、そんな気持ちに水を差す存在が居るのも事実だった。
「足を止めるな、早く歩けっ」
「え……」
今一瞬、保の数メートル先をおかしなものが通り過ぎた。体を稼動させるのに必要な歯車を一、二個外れてしまったようなゆっくりとした動きで通り過ぎた異物を目で追いかけた。
通行人達は若干、彼らから距離を空けて居たが、特別気にする様子も無く通り過ぎている。僅かでも正常な思考が仕事をしているなら、絶対におかしな集団がそこにはいる。そこまで考えて、ようやくこの世界が一筋縄でいかないことを思い出した。
「あんなの、おかしいだろ」
そう遠くに行かない内に、保はその集団を追いかけた。
集団が通ったところは僅かにスペースが空くので、そこをすり抜けるようにして足を急かせば、集団の前に出た。
「なんだ、お前は」
先頭の男が片方の眉毛を上げながら、突然、現れた保を訝しがる。先頭の男の年齢は四十代で、丸々と自己主張の激しい腹をしていた。高級そうなコートを着ているが、コートの下から見える服装は通行人が着ている庶民のそれと変わらないように見えた。
警戒するのはその男だけではない。男の後ろには鎧に身を包んだ屈強な戦士達も居る。物騒なことに、その内の二人は既に剣の柄に手を置いていた。
そんな名前も知らない彼らの前に保が出たのは、いちゃもんをつけるためではない。明らかに分が悪い状況でも、前に出ないといけないと思わせる何かがそこにはある。
「その子を、どうするつもりなんですか?」
保の真っ直ぐに指差した先には、兵士達に囲まれるようにして一人の少女が居た。
年齢は十四、五歳に浅黒い肌に尖った耳はエルフ族のそれ。無感情とも呼べる瞳は仄暗い灰色、真っ黒の髪は少年のように短く、無造作に横から毛がハネているのは外見に気を遣っていないということなのだろう。しかし、整った顔立ちは少女ながらも不思議な色気を感じさせた。
ドレスでも着せてやれば、たちまち異国のお姫様にでもなりそうな少女には―ー首輪が付けられ、不細工なピアスのようにエルフの耳の端からは番号らしき物が記載されたタグのような物がぶら下がっている。
「お前は何だと聞いている」
横柄な態度で先頭の男が強い声で言う。
ここで名前を答えてしまうと負けたみたいで嫌だったが、保は渋々と返答した。
「俺は、タモツて言います。……俺の質問にも答えてくださいよ」
「わがままな小僧だ。見て分からんか? コイツは、奴隷だよ」
男は手に持っていた鎖を引いた。
「ひぃん―ー!」
どうやらその鎖の先と少女の首輪は繋がっているようで、頭をガクガクと動かしながら少女は前のめりに倒れこんだ。
愕然とする保とは違い、周りの兵士達は大きな声で笑った。
保にはそこで笑う理由が一ミリたりとも理解できなかった。そして、一生理解できないだろうと思った。
「その子、痛がってるだろ!? やめろよ!」
「―ーやめてもいいぞ」
喉に食べ物でも詰まらせたような声で男が笑う。男の発言に耳を疑いつつも、保は反応してしまう。
「どうすればいい? どうしたら、その子を離してくれるんだ」
「お前がどうしてこうも執着するのか知らんがね、魔女や魔法使いなんていう魔法を極めた者とエルフ族の間でしか生まれない、世にも珍しいダークエルフなんだよ。まあ同時に、エルフにも人間にも差別の対象であるがな。……だがしかし、こういう命の軽いペットが好きな変態も居るのさ。そういうズレた奴に限って、金持ちも多いのがこの商売の面白いところなんだがね」
「そんな話どうでもいい」
「まあ聞け、今まで奴隷に同情する奴は多かったが、面と向かって文句を言いに来たのはお前が初めてだ。無礼な奴だが、商売をするには面白い相手だと俺は判断したぞ」
「商売?」
「コイツは、ある貴族に売られる予定なんだが、お前がどうしてもコイツを自由にしてほしいていうなら、俺を納得させるだけの金を出してもらおうか。俺は商売人だ。お前は店に陳列されている商品が並んでいるがおかしいからって、勝手に取らないだろ。ちゃんと、買ってもらえれば後はお前の自由だ。……もう一度言うが、俺は商売人なんだぞ。商売人、ジャラバだ」
人身売買をしていることは許せなかったが、この世界の現実に従うなら男の言うことは正しいのかもしれない。いい加減、常識で物事を図るのはやめるべきだった。
ジャラバと名乗った目の前の男は保をどのように見ているのだろうか。疑問に思い、ジャラバの目つきには明らかに小馬鹿にするような動きがある。
きっと、ただ同情しただけの世間知らずの青年が言いがかりをつけているだけに過ぎないと思っているのだろう。異世界歴の短い保にも、ジャラバの感情は嫌になるほど感じられた。
どうしようもない状況に保は目を逸らした。
「どうした、金は無いのか? 金が無いなら、商売の邪魔になるから道を開けてもらおうか」
何事かと数名の人間達が保達の様子を窺っていることに気付いたジャラバは、一方的に目線を送る者達へ迷惑そうに視線を返していた。
保は心の中で、トオガに謝ると重たい足を無理やり動かして道を開けようとした。
「――いくらなの? その子」
はっとして顔を上げると、アキホがジャラバの前に腕を組んで立っていた。その隣には、リーアの姿もある。
突然の来訪者に最初は驚いていたジャラバだったが、尊大な態度だったアキホがまだ若い女性だということに気付き、とても商売人とは思えないような醜い営業スマイルを浮かべるとわざとらしく腰を低くしてアキホを見た。
「どこのどなたか存じませんが、これは安い買い物ではありませんよ。一度は、お名前をお聞きしたことがあるでしょうが、かの有名な貴族様である――」
「――おしゃべりな商売人は嫌われるわよ。今、そこの青年に金があれば売るて言ったわよね。金さえあれば、取引相手が違ってもいいでしょ? どうせ商品の買い手をコロコロ変えるぐらいだったらね」
目に見えてジャラバは大粒の汗を流していた。絶対に支払うことのできない保を笑い飛ばす為の冗談半分のつもりが、思わぬ客の出現により芳しくない状況に引きずられているような気持ちになっていた。
「失礼ながら、貴女はまだお若い……。取引をひっくり返すほどのご令嬢にも見えませんが」
「あら、意外と人を見る目が無いのね」
鼻で笑ったアキホは、懐から一枚の紙を取り出した。折り畳まれたソレは、何度も開いたり閉じたりしたせいか、折り目がいくつも付いていた。
「ふむ、これはただの住民証では……な……い……」
不審者を見るような顔をしていたジャラバは、目が飛び出すような勢いでその薄い色をした瞳を大きくした。驚愕に肩を震わせたのはジャラバだけではない、保も同じだった。アキホが持っている住民証というのを、保も持っているのだ。
「まあご令嬢て感じではないけど、そこそこの金持ちであることは知っていただけたかしら」
「――ひぃ!? あ、はは、はいぃ!」
ジャラバが電気ショックでも走ったように、背筋をピンと伸ばしたすぐさま両膝をついた。最初は兵士達も戸惑っていたが、尋常ではない様子のジャラバに同じく体を小さくさせた。ジャラバ達の真似をしようとするダークエルフの少女に、リーアは首を横に振った。自分はしなくてもいいのだと理解した少女は、不思議そうに自分の足元で体を丸める男達を見下ろしていた。
「私は、国家魔法薬師。国に認められた魔法薬師は、研究の為なら国のお金を使うことができる。であると同時に、国家魔法薬師がどれだけ王家と関りが深いのかも、金持ちに奴隷を売っている貴方ならよくよく分かるんじゃないかしら?」
「へ、へい……」
「なら、この子は国家魔法薬師の研究費用として購入し国が負担するわ。……契約書は?」
思わぬ大物の出現に遠巻きに見ていた野次馬も、口を閉ざしていた。イマイチ凄さが理解できなかった保にも、何となくアキホが強力な権力という武器を持っていることを知った。
頭を下げたままで青ざめた顔したジャラバは、震える手で胸元からA4サイズ程度の紙を取り出した。それは、契約書。人権を無視して一人の少女を縛る一枚の紙きれ。
アキホは契約書をひったくるように受け取ると目を走らせるとそれを四回折り、ポケットに押し込む。次に手を出した時には、五~六枚程でまとめられた紙の束が出てきた。一枚切り取ると、手を伸ばすジャラバを無視して地面に落とした。
「そんなかしこまらなくてもいいわよ。私達は取引相手なんでしょう? ……その紙は国から発行された小切手に、私の魔法印が押してあるから、持っていけばすぐにお金が手に入るはずよ。少なくとも、アンタの本来の取引相手が出した金額以上の収入になるわ」
「は、はあ……」
「それよか、すぐに鍵を出しなさい」
差し出された鍵を受け取り、おどおどとするダークエルフの少女の首輪の鍵穴に鍵を差し込めばそれを外す。
「名前は?」
「……ゼル?」
「何で疑問形なのよ。……リーア、タモツ、とりあえず今日の予定は変更。一度、店に引き返すわ」
きょとんとしていた保とリーアは慌ててアキホの背中を追いかける。
当初の目的であるダークエルフの少女ゼルは、どうしていいか困っているようで、無表情ながらも視線を泳がせていた。
足を止めたアキホは大きく溜め息を吐いた。
「何してんのよ、ゼル。もう貴方は私が買ったの。別に逃げてもいいけど、どうせ行くあてなんてないんでしょ。……だったら、うちに来なさい」
薄く淡くゼルの頬に赤みがさした。小さく頷くと、照れ隠しのように足を早めるアキホの後ろを追いかけた。
離れていこうとするアキホに向かって、両膝をついたままのジャラバは言う。
「俺は商売人だが、一つ警告だ。……お前が奪い取った少女は、恐ろしいお方のご所望だったんだぞ。そんな人から横取りをしたんだ……どうなってもしらんぞ」
聞こえているのか聞こえていないのか、アキホは不敵に笑えば元の騒がしさを取り戻しつつある喧騒の中に保とリーアとゼルを連れて消えていった。




