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「うぎゃああぁぁぁ――!?」
今まで感じたことのない悪寒と共に夢の世界から覚醒した保は、絶叫しながら頭や首に手を走らせる。
「頭……俺の頭ぁ! ……て、あれ?」
直前の記憶では確かに頭を矢で貫かれていたはずだった。何なら、ずぶりと異物が脳に入ってきた感触すら味わった。そのはずだが、ぺたぺたと頭や首を触れば血の一滴たりとも流している様子はない。
自分の身の安全に安堵した保は、目の前の光景に愕然とした。
「起きたようだな、タモツ」
トオガが保を見ることなく、労わるように言う。トオガが保の方を見ないのも、目の前の光景を見れば当然と言えば当然だった。
尻を地面についたリーア、トオガが蹴り飛ばしたのか、彼女の武器である剣は遥か後方に転がっている。そして、トオガはリーアの首まで僅か数センチという距離に刃を近づけて見下ろしていた。
トオガの真剣な表情からも気づけたが、リーアの些細な動きすら逃すことなくトオガは首を刎ねるつもりなのだろう。事実、それがこの戦いに決着を着ける最良の手段なのだから。
戦場は相変わらず、魔障の光の中で矢が飛び、血飛沫が舞う。だが、保の目の前では確実に戦いを終わらせる為の最後の一手というものが切られようとしていた。
どれだけトオガとリーアがそのままで居たのか分からないが、俯いたリーアから抵抗する気力が無いのを感じたのかトオガは緊張を解くように口元を歪めた。
「不思議そうな顔するな。保がこの女の魔法をどうにかして防いでくれたお陰で、俺は助かったんだ。俺が正気を取り戻した時には、魔法をかけた当の本人であるこの女が、ふらついて、まともに戦えない状態だったから、余裕で追い詰めることができた。……卑怯な気もするが、戦いだから許してくれよ、保」
トオガという人物のことを保はさほど知っているわけではないが、目の前のウルフェス族の青年が保が考えているよりもずっと死に近い生活を送って生きてきたことは想像に難くない。
一つのミスで、命が奪われる世界に居たからこそ、他者の命を奪うことになった時には、生きる為に守る為にトオガは簡単に剣を振るうのだ。例え、反則のような状況で、相手が女だとしても。
これが、この世界の現実なのだ。全てを終わらせる為には、奪うことが最善なのだろう。
しかし、今までは敵として意識していたリーアの危機に保の心は大きく揺れていた。
「おい、女。……最後に俺達ウルフェス族に詫びはないのか?」
リーアは少しだけ顔を上げると、光の弱くなった瞳が前髪の間から伺えた。
「分かるだろ? 私は戦士だ。やるべきことの為に戦っただけで、謝罪なんてしたら、そちらにも私の過去の戦いにも失礼だろ。……でも、思い残すことがあるなら……」
「思い残すこと?」
リーアは一度だけ、ちらりと保の方を見た。ほんの一瞬、瞬きをすれば気づかないほどの刹那の間だけ、リーアは物言いたげな顔をして感情を表に出していた。
「……いいえ、何でもないわ」
トオガは剣を持ち上げ、返事をすることなく剣を薙いだ。……が、それは思いもよらぬものを傷つけていた。
「―ーどういうつもりだよ」
「ぐっ……」
鮮血を上げたのは、リーアではない、ましてやトオガでもない。……リーアを押しのけて身代わりになった保だった。
幸いにも保に気づいたトオガが、振り切る前に手を止めていたから良かったが、それでも保は右肩を朱に染めて、染みをさらに広げ続けていた。
肩と胴体を無理やり引きちぎられそうな激痛に歯を食いしばり、なるべく傷口を意識しないようにして痛みに耐えきれず腰を屈めた保はトオガに視線を送った。
「ごめん、トオガ……。俺、リーアが殺されるのを黙って見ていることができなかった……」
「なんなんだよ、それは……それじゃわかんねえんだろ!? どういう意味なんだ!」
余裕の表情を浮かべていたはずのトオガには、いつしか焦りの色が見えていた。裏切るはずがないと思っていた人間の奇行を前に、まともに頭がついていっていない様子だった。
「タモツ……お兄ちゃん……」
一回りほど幼くなったような高いリーアの声に気づき、隣を見れば自分が血に濡れることなんてお構いなしに右肩ごと保の体をリーアが抱きしめていた。急な抱擁よりも、リーアが口にした言葉の方がごく短い時間だけでも痛みを忘れてしまうぐらい保にとっては衝撃的だった。
「やっぱり、覚えていたのか……」
「うん、覚えていたよ。……幼い私を助けてくれた人間のお兄ちゃん」
死の間際に見せたリーアの表情は、己は戦士だと口にしていたリーアにしては違和感があった。複雑そうな表情の中には、強く後悔を感じさせたのだ。たったそれだけのことで、保はもしかしたら、あの過去の世界の記憶を覚えているのではないかと考えた。もしも、それで心境に変化があったのなら、それは誰も悲しむことなく戦いを終わらせる可能性を抱えてた。
リーアの姿が必死に守り抜こうとした幼いリーアに重なった時には、保は一直線にリーアを守る為にその身を投げ出していたのだ。
しばらく嬉しいやら苦しいやら、胸の詰まるような思いでリーアと見詰め合っていた保だったが、トオガが大きな声で「タモツ!」と呼ばれたことで自分の置かれている状況に再び意識が向く。
「お前、その女の仲間だったのか」
心地の良い太陽のようなトオガの目には、はっきりとした怒りの色が浮かんでいた。
それもそのはずだろうと保は、第三者のような立場で考える。
リーアとは話をしていた様子もないのに、この土壇場で、急に親密に会話をしている。そうなると、全てが演技で、どこかに裏があるのだろうと疑ってしまうのが性だ。むしろ疑わない方が、異常だろう。
血が流れるのを押さえるように、さらに体を寄せるリーアも何か言いたそうな顔をしているが、下手に声にしてしまえば、余計に事態を悪くしてしまう可能性だってあることを承知しているのだろう。
「……いや、仲間じゃない」
「それなのに、庇う必要があるのか!? コイツは、俺達の住処を焼いたんだぞ! 俺は集落に住んでいた女子供が泣いている顔を見た。泣かせたのは、紛れもなくその女だ、そこのエルフ族なんだ!」
感情的になったトオガは、剣を大きく振るうと保達に怒声を浴びせる。そこで、初めてリーアはトオガへと言葉をかける。
「よく聞いてくれ、私とタモツは本当に仲間じゃないの。だが、私にとって……タモツが……傷つけられない存在になってしまった……。私だってうまく説明できないが、タモツと私が繋がっていないことは、エルフ族の誇りにかけて真実だ! 私のことは、もう諦めた命だ。タモツを友人だと思うなら、この男だけでも助けてやってほし!」
保にもトオガにも、リーアの言葉に偽り無く本気で自分のことは省みずに助けようとしていることが分かった。それ故に、トオガの心の中はさらに掻き乱される。
トオガが歯を噛み締めた音が、保の耳に届いた。
「お前の言葉が嘘じゃないのは、本当のようだ。お前の言うエルフ族の誇りに免じて、タモツの命は助ける。安心しろ、タモツ。俺が今からお前を救ってやる。……どうせ、エルフ族に洗脳されただけなんだろ」
思い当たるところがあるのかリーアは、諦めのように短く息を吐いた。
決して良くない方向に転がろうとしていることに気付き、保は切迫した様子で慌てて会話に割り込んだ。
「ま、待ってほしい、リーアはさっきまでのリーアとは違う。もっとよく話し合えば、きっと争わない未来もあるはずなんだ。トオガだって疑問に思っているはずだ! だって、どう考えてもおかしいだろ、種族の問題で殺し合いをするなんて間違っている。みんながみんな悪いわけじゃない、きっと俺達は分かり合うことができるはずなんだよ」
リーアも保の言葉を補うように、たどたどしく続けて口を開いた。
「私だってすぐに打ち解けられるとは思わないし、私だって仲間を大勢失っている。……だが、タモツに関わって、もっと別の未来があるんんじゃないかと思えたんだ。大多数で見れば悪かもしれないが、個で一つ一つ重ねれば、もしかしたら別の関係になるのではと考えるまでに至った。まだ考え始めたばかりだが、新たに私の中に生まれた感情の芽生え摘んでしまいたくないのだ」
立ち上がろうとするが、うまく力が入らずにフラフラする保をリーアが支えて立ち上がらせる。
エルフ族であるリーアが人間である保を庇う姿に、トオガは顔を歪めた。そして、次の瞬間に乾いた笑いを漏らした。
「はは……ははは……。俺には、お前らの言っていることは全く分かんないよ……。俺はどうしたらいいんだ……」
「戦いを止めてくれたらいい、それから俺達とリーア達でじっくり話し合うんだ」
「じっくり話し合えだと!? タモツは知らないかもしれねえけどな、お前が思っている以上に血を流し過ぎているんだよ! 俺達も! エルフも!」
今のリーアとトオガが、二人で協力すれば、きっとこの差別の歴史は終わる。完全に消えることはなく根強いものがずっと残るかもしれないが、必ず薄くなっていく、差別は永遠ではないはずだ。今の保にとっては、これから先の不安よりも、トオガとリーアが憎み合い殺し合う未来の方が何よりも恐ろしかった。
狼狽するトオガは、激しく葛藤していた。剣を構えては、すぐに下ろし、思い出したように保達へと向けてみるが、刃先を明後日の方向に向けたり――。
「トオガ! もう戦いを止めてくれ!」
――強くなる肩の痛みに堪えながら保が叫んだ時、周囲を炎と雷が降り注いだ。




