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部屋から出ると、なんとなく自分のいる場所について分かってきた。
お城、である。恐らく。
廊下はシンプルだが豪奢な装飾で彩られているし、何よりも広い。窓から見えるのはこれまた広い中庭と、古めかしいが歴史を感じさせる建物。高い塔。高価そうな、毛足の長い絨毯を踏みながら歩いていると(日本人として靴を脱ぎたい衝動に駆られたが、一応やめておいた)、アリアがこっそりと隣に来た。申し訳なさそうに悲しげな顔をしているのを見ると、落ち着かない気分になる。
アルフはスマートフォンのような機械で、どこかの誰かと通話中だ。話すなら今のうち、か?
「翔太、ごめんね」
「ん? いいよ。別に」
冤罪で捕まるのは気分がよくないが、だからと言って女の子にそんな顔をされると困るというもんだ。
「起きたばかりなのに」
「あー、うん」
生返事を返すとアリアはおもむろに翔太の手を取った。
「大丈夫! わたし、何とかしてみる。翔太はなにも心配しないで」
「姉ちゃん? 余計なことはしないでよね」
「むー」
すかさず突っ込まれたアリアは頬を膨らませる。小動物のような仕草に、翔太は思わず苦笑した。思いがけず和んでしまったのだ。
そういえばこの二人は兄弟なのだろうか。翔太のことを兄ちゃんと呼ぶところを見ると、その限りではないが。しかし間合いは家族のそれに見えるから、間違いないだろう。
「アルフは厳しすぎなの。翔太はわたしを助けてくれたんだよ?」
「それはそれ、これはこれだよ」
やがて目的地に着いたのか、豪奢な扉の前に立つ。
生意気野郎が鋭く睨んできたので、仕方なく笑いを引っ込めた。
「兄ちゃん、いい? 開けるよ」
「あーうん。どうぞ」
「もうちょっと緊張感持って欲しいけど、まぁいっか」
扉が開くと、広い場所に出た。いつかの世界史の授業で見たような、ノートルダム大聖堂にも似たとんでもなく広い空間。首が痛くなるほどに天井が高い。色鮮やかなステンドグラスに外の光が差し込んで、荘厳な雰囲気を醸し出している。正直、度肝を抜かれた。
「お姉ちゃん!」
アリアがぱっと駆け寄っていく。
――とんでもない美人が、そこに居た。
アリアと同じ黄金の髪は緩やかに広がり、濃い緑色の瞳が微笑んでいる。軍服のようなジャケットを盛り上げる胸部、タイトなスカートから伸びる脚――
「ッ!?」
足を思い切り踏まれた。アルフだ。痛ぇなこの野郎。
思わず睨むと、顔をしかめて舌を出しやがった。
こちらのやり取りを知ってか知らずか、彼女は笑みを絶さない。アリアの頭を撫でてから、翔太と視線を合わせる。
「私はアルビニオン王国、エミーリア=ジェダイト・フィア・ローゼンベルク・アルビニオンです。どうぞエミリとお呼びください。貴方のお名前を教えて頂けますか?」
「あ、えっと。翔太です。桐原翔太」
「翔太さん。まずお礼を言います。アリアを助けて下さったようですね。ありがとう。心から感謝します」
「はぁ」
優しげに微笑まれるとなんだかむず痒い。
「翔太さん」
ハイヒールを鳴らしながら翔太のほうに歩み寄る。そして、ずいっと顔を近づけた。思わず仰け反って避ける。なんだか背後でアリアが慌てているような気がするし、アルフだって何か言っているようだが、それどころじゃない。
近い、顔が! なんだか甘い匂いもするし、心拍数及び体温は急上昇で大変だ。
エミリは顔色ひとつ変えずに、ぽつりと言葉を薔薇色の唇から紡いだ。その声は、この広い空間にやけにはっきりと響いたように感じた。
「翔太さんには、私の弟になってもらいたいんです」
「……」
思考停止した。どうやらエミリ以外全員が唖然としているようだが。
そんな中、その場を代表するがごとく、アリアが尋ねてくれた。
「お姉ちゃん、どういうこと……?」
「そうですね。順を追って説明したほうがいいでしょう」
そう言って、エミリは頷いたのだが、
「待ってください」
小生意気なガキ、アルフが一歩前に出て割り込んだ。
「姉上。これ――この人は容疑者です。まず、事情聴取をすべきです」
今、これ、とか言われた気がしたが、まあいい。それよりも――。
アルフは、右手に着けた手袋に何事かを呟く。すると手袋の甲に付いているビー玉みたいなものが光を発して、次の瞬間には棒状の杖のようなものになっていた。その先端の玉を、喉元に向けられる。なんだこれは。
「正直に答えてよね。抵抗するなら容赦しないよ?」
「アルフ! やめて、翔太は何も悪いことなんか、」
「姉ちゃんは黙ってて!」
強い口調で発言を遮られたアリアは、ビクッと肩をすくめる。
それを見ていた翔太は――とても珍しい事なのだが――頭にきた。翔太に向けた脅迫めいた問答や、杖を凶器のごとく喉元に突きつけられているこの状況よりも、何より。
「そういう言い方はねぇだろ」
まっすぐに相手を見据える。すると不思議なことに翔太の両手をがっちりと拘束していたはずの手錠が、軋んだ音を立てて外れた。
「え、あ、嘘!?」
アルフは慌てている。しかし翔太にとっては丁度いい。自由になった手で杖の先端の球体を掴む。静電気に触れたような感覚がしたが、構わず押しのける。
「俺はいい。好きでこんな妙なとこに居るんじゃないが、不法入国とやらと言われたら確かにそうかもしれねーからな。けど、こいつはお前の姉じゃないのか?」
「…………」
翔太が掴んでいたモノを払いのけると、 黙り込んだアルフはなぜか、翔太の方を恐ろしいものでも見るような目付きで見て、やがてアリアに向き直った。そしてぺこりと頭を下げる。アリアはおろおろと手を振った。
「ごめん、姉ちゃん」
「ううんアルフ、いいの。頭上げて! 全然気にしてないからっ」
「でも兄ちゃんの言うとおりだ。アリア姉ちゃんに当たった僕が悪いんだ。けど、」
恐る恐るといった様子で翔太を見た。
「……兄ちゃん、平気なの?」
「は?」
何故か戸惑うように見つめてくる。なんだ、どうした。
「魔法武器を……しかも発動形態の魔法石を素手で掴むなんて……正気の沙汰じゃないよ」
今度は狂人扱いか。憮然としつつも翔太はとりあえず無罪を主張することにする。罪人にされるのは御免だ。
「とにかく、俺は何にもしてねーし、何が何だかもよく分かってないんだよ」
「……ふーん。じゃあ、兄ちゃんが使った禁則魔法については? それは言い逃れ出来ないんじゃない?」
「知らねーよ。んなファンタジックなもん、俺が使えるわけねぇだろ」
「兄ちゃん、それ言い訳として無理矢理すぎ……」
「言い訳? なんでだよ。事実だ」
「竜召喚も禁則の広範囲攻撃魔法もあんな派手に、しかも堂々と使っといてよく言うよね」
「は? 竜? あぁ……」
あの大きなドラゴンのことか。ジークフリード、とかいう名前だったような。しかしドラゴンに名前か。ペットじゃあるまいし。
「そういやどこいったんだ、あいつ」
「召喚術式が解除されたからね。消えたよ。当たり前でしょ」
「消えた?」
「それくらいジョーシキでしょ。兄ちゃん、相当成績悪いでしょ」
さすがにむっとした。中傷されたら誰だって不快になるだろう。
「失礼だなお前。これでも平均以上はある。まぁ理系選択だし、現国……特に古典は悪いと言えないこともないけど」
「ふぅん、古典魔法が苦手だっていうの? それこそ本末転倒じゃない? 現代魔法は古典魔法を基礎論理として組み立ててあるんだから」
「はぁ? 古典とか漢文に魔法はないだろ。竹取物語のかぐやは実は宇宙人だとか言う奴なら知ってるがな……あれはSF小説だ、ってな」
浩一のことだ。成績はやたらいいが、あいつの思考と知識の宝庫である頭脳は、凡人には理解しがたい摩訶不思議な話題を振るのである。たまについていけない。
アルフはますます眉をひそめた。何か気に食わないことでも言っただろうか。
「何言ってんの、兄ちゃん? まさか魔法分類も知らないの? ってことは――さっき言ってたのは本当に――」
「お前こそ何言ってんだ? 意味分かんねーよ。ドラゴンやら魔法やら、全く……いくら夢でもファンタジーすぎるのは御免だな。リーコ辺りの刷り込みか……ったく、乱暴なくせにこういうのは好きなんだよな、あいつ……」
途中から独り言というか、愚痴になった翔太の発言を聞いたアルフは、戸惑うようにエミリを見た。
エミリは何か考え込んでいるようだったが、
「翔太さん。ひとつお尋ねしてよろしいですか?」
「はい」
「あなたは、どこから来たのですか? どこの国の、出身なのですか?」
「……日本、です、けど」
そうとしか答えられないだろう。しかし、それを聞いたエミリは表情を変えた。
「アルフ。管理局に連絡して。仙崎さんに知らせないと」
「でも姉上、だって、あり得ません! 出来たとしても同一世界、ましてや異世界間で異次元転送魔法を使うなんて――そんな魔法力を使える人間なんか、」
「でも、現に翔太さんはここにいます」
アルフは黙り込んだ。なんだか重い空気が立ち込めている。
そして――そんな中。それは突然やってきた。
翔太は勿論だが、後から考えてみれば恐らく、その場にいた人間、そして城に、街にいた全ての人間が予想もしなかった事態が。
突如としてどこからか剣呑な警報音が鳴り響き、翔太以外の三人の表情が硬くなる。
「まさか――そんな。今朝の深淵の門は安定してた筈。どうやってここまで」
言いながらアルフが杖を前に突きだすと、光の模様が空中に展開し、画面が現れる。そこに高速で流れる文字列のようなものを見ながら、
「姉上。観測隊から報告来ました。インビディア・クライゲンです」
「わかりました。お願いできますか? 私もすぐに向かいます」
「はい」
翔太は訳が分からず、緊迫した空気に戸惑うばかりだ。そんな翔太を見ていたエミリが静かな声で言う。
「アリア。翔太さんを連れて逃げなさい」
「お姉ちゃん、でもわたし、」
「大丈夫よ」
エミリは不安な表情のアリアに歩み寄ると、全人類が見とれるような可憐な笑顔を浮かべ、アリアの頭を撫でた。
「あなたはわたしの自慢の妹ですもの。大丈夫に決まっているわ。……頼めますか?」
「……うんっ!」
「ありがとう」
アリアは照れたようにはにかんで、ふと意を決したように胸の前で両手を握りしめる。
そして、翔太の手を取って駆け出した。突然だったので足を取られ、転びそうになる。
「うわ、ちょっ、待て! どこにっ」
「ここは危険なの!」
「危険? 何が――」
その時、建物全体を震わせるほどの破壊音が轟いた。翔太が何かを言う暇も無く、強く腕を引かれ、広間を通過し外に出る。豪奢な廊下を駆け抜け、外へ。
そして、理解した。
いや、正しくは理解できてなかったのだろう。しかし、ことの緊急性を否応なしに実感させられた。知識がなくとも一目瞭然に、やばいとわかる光景が広がっていたのだから。
「なんだ、あれ……」
空が真っ黒だった。
「グラナードの大群だよ」
「は……? 嘘だろ、あれが全部……?」
アリアは沈鬱な表情で空を見上げている。
「じゃあ、あれ。襲ってくるのか」
「うん。もう理性も残ってないと思う」
繋いだ翔太の手を握りしめる。
「行こ。わたし達に出来ること、ないから。せめて足手まといにならないようにしなきゃ」
「アルフは? エミリさんは。まだ中に居るんだろ? 逃げねぇのか?」
「お姉ちゃんとアルフはお仕事があるもの」
「仕事って」
「凶暴化した魔法生物の討伐は、お姉ちゃん達、戦闘部隊の仕事だから」
なんだか頭が痛くなってきた。けれど、そうも言っていられない。
「とにかく、逃げるんだな?」
「うん。とりあえずここから離れなきゃ――」
上空から影の集団の一部が動き、一直線に向かってくる。アリアは翔太の手を強く引き寄せて走り出した。速度的には大したことはないが、やけに風が周囲に渦巻いている。アリアが走りながら服の胸元からペンダントのようなものを取り出し青く光るそれを握りしめ、そして翔太を見上げ、
「せーのでとぶからね。 いくよっ! せーのっ!」
「――ッ!?」
手を引かれた反射で地面を蹴ると、まとわりついた風に、ふわりと身体が持ち上げられる感覚。その直後にものすごい力で、上空へ引っ張られるように飛び上がった。
「う、わ……!」
「こっち!」
飛んでる? 空を!? 嘘だろ!?
ひっくり返りそうになった所を、アリアに引っ張られ、方向転換する。その勢いで体勢を立て直す。高度はあまり高くないが、地面はかなり下にある。
混乱しながらアリアを見ると――、
「安全な場所、安全な場所……公園は近すぎるし、みんなの避難が済むまでは下には降りられないし……っ」
半泣きだった。逆にこちらは冷静になるが、大丈夫かと不安になる。
しかし悪いことは重なるもので、




