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次代魔女は、当代魔女よりも力が強い。
しろきひとを手に入れてしまえば、当代魔女とておそるるに足らぬ。
そなたは愛しき者を片時も離さずに、ただ愛を注ぎ続ければよい。
忌まわしき、古の呪。
人の意識を切り離し、そこに欲望を吹き込む。
秘めた望みが大きければ大きいほど、抗うことは難しい。
魔法を使わずに意識下に潜り込む、痕跡を見つける事さえも難しい傀儡の呪。
ネアイラと共にありたいと願う彼の心は、抗う間もなく、その呪に染め上げられてしまった。
「ネアイラ」
いつもの時間、いつもの場所。
庭園でそわそわとしていたネアイラは、優しい声にその顔を上げた。
「ヘリオス!」
久しぶりの逢瀬、すぐに彼女はヘリオスに駆け寄る。
「よかった! 間に合わないかと思った」
そう笑う彼女の表情には、隠しきれない緊張感が漂っている。
ヘリオスは優しく笑うと、落ち着かせるように頭を撫でた。
「月の魔女を継ぐネアイラを、一人になんてできないよ。儀式が終わるまで、ちゃんと待っているから」
月の宮の譲渡。
当代魔女から次代魔女への引き継ぎが、今夜満月の夜に行われるのだ。
今日を持って当代魔女は唯の人となり、しばらくののちこの世から消える。
今日を持って次代魔女は当代魔女となり、月に我が身を捧げ月の宮を護り過ごしていく。
「これからも、一緒だからね」
例え短い人の歳月、ヘリオスが先に行ってしまうとわかっていても、彼女にとってそのほんのひと時はこれから長い間を生きていくその糧となり支えとなるだろう。
ヘリオスは笑みを深めて、彼女を抱きしめた。
「あぁ、いつまでも……いつの時も一緒だ」
月の宮は思いを馳せる。
当代魔女が赤子だった頃を。
次代魔女が拾われてきた時の事を。
幾度も見てきた、魔女の交代を。
「さぁ、ネアイラ。当代月の魔女より、次代に引き継がれる月の雫。これをその身に」
当代魔女は心の臓の上に両の掌を当て、小さな欠片をその身から取り出した。
「代々魔女は、これをその身に引き継ぎ月の宮を継いできた。今これからは、そなたが護っていくのだ」
月と、宮と、そしてこの地上の生きとし生けるもの達を。
ネアイラは緊張した面持ちで月の雫を受け取ると、当代魔女と同じように心の臓にそれを押し付けた。
肌を焼くような熱さがあったけれど、それは一瞬。
胸に浮かび上がるのは、月の印。複雑な文様。
その昔、月の宮を作った初代魔女が、月の神と契約した際に受けたという文様。
雪のように滑らかな白い肌の上に、銀色の線が文様を描き出していた。
「魔女さま」
その身に月の力を受け始めたことを感じたネアイラは、目を覆う布を取り去る先代魔女となった彼女を見つめた。
その眼はしっかりと開かれ、蒼く深い瞳がネアイラを捉えていた。
「唯の人となった……、どれだけこの時を待ちわびていたか……」
その目から流れるのは、一筋の涙。
「魔女さま……」
そう声をかけるネアイラを、先代魔女は押しとどめた。
「そなたにならわかってもらえるだろう? 祝福をもらえぬか?」
魔女として生まれ人としての生を奪われた私達に、最後にかけられる温情。
ネアイラは……、当代月の魔女は顔を綻ばせた。
「エウリュノメさま」
数百年呼ばれることのなかった、人としての名前。
先代魔女……エウリュノメは、幸せそうに笑った。
「では、両親に会いに行くとしよう。私に残された時は短い」
人となった魔女は、次の新月でその姿は消える。
数百年の歳月が一度に押し寄せるかのごとく、髪の毛一筋、骨のかけらさえも残らずに。
二人で月の拝殿を出る。
ネアイラは宮の外にいる人々に顔を見せる為に、外階段へ。
エウリュノメは、最後を見届ける宮女と騎士を連れて裏から出る為に。
外階段の前まで来たその時が、二人の別れ。
「ヘリオスと幸せにな。短くともその年月は、そなたの大切な宝物なろう」
「エウリュノメさま、今までありがとうございました」
そう、別れようとしたその時。
「魔女さま! 宮が囲まれました!!!」
 




