第66話:【空中の支配者】
【あらすじ】
急激な骨格の成長に伴う神経伝達の「バグ」に苦しみながらも、吉良氏真は実戦の激流の中で自らの肉体を強制的にアジャストさせようとしていた。FCアラベス・カデテとの後半戦、堅牢な守備を前に膠着するピッチで、未完成の白鳥がついにスペインの空へ飛翔する。
1. 汚れた招待状と、神の眼
後半25分。スコアは【 1 - 1 】。
凍てつく郊外のスタジアムで、FCバルシーノ・カデテは深い泥沼に足を踏み入れていた。
「¡No salgan! ¡Quédense atrás!(出るな! 引いて守れ!)」
アラベスのサンチェス監督が、ピッチサイドから身振り手振りで指示を飛ばす。
氏真の異常な空間支配力と、フェリペの精緻なパスワークを警戒したアラベスは、ペナルティエリア内に屈強なディフェンダーを密集させる「極端なドン引き守備」を強行していた。
ゴール前は、壁のような男たちの肉体で完全に封鎖されている。フェリペがいくら精緻なパスを紡いでも、幾重にも重なる壁の前に決定的な楔を打ち込めずにいた。
「¡Oye, mueve el balón!(おい、ボールを動かせ!)」
苛立つマテオが右サイドから要求するが、パスコースはない。
その膠着した盤面を、フェリペは最後方から冷徹な『神の眼』で俯瞰していた。
彼の視線は、敵の密集陣形ではなく、最前線で息を潜める味方の背番号9――吉良氏真の足元に注がれていた。
(……修正してきている)
前半から氏真を苦しめていた、脳の指令と筋肉の収縮の間に生じる0.035秒のラグ。
180cmへと急激に成長した体躯の「バグ」を、この日本人は試合の激流の中で、プレーを重ねるたびに強引にアジャストさせているのだ。
(ならば、地上を埋め尽くすこの盤面の最適解は、一つしかない)
フェリペと氏真の視線が、一瞬だけ交わった。
言葉など必要ない。互いの知性が、次に描くべき絶対的な軌道を共有する。
フェリペの右足が、ボールの底を鋭く擦り上げた。
密集するアラベス守備陣の頭上を越え、ゴール前の極端に狭い空間へとピンポイントで落ちる、冷酷なまでに美しいアーリークロス。
「¡Mío!(俺のだ!)」
アラベスの巨漢センターバック、ダビドが氏真の前に立ち塞がった。
氏真が落下点に入り、ジャンプの踏み切りに入った、その瞬間。
ダビドはボールではなく、氏真のシャツの裾を両手で強く掴み、力任せに下へと引きずり下ろした。
審判の死角を突いた、空中戦を妨害するための極めて悪質で暴力的なファウル。
「¡Falta! ¡Árbitro!(ファウルよ! 審判、見てないの!?)」
スタンドのVIP席で、エレナが激昂して立ち上がる。
ルナが「ウジザネ!」と悲鳴を上げた。
長身とはいえ、まだ線の細い氏真に対し、ダビドの全体重をかけた下方向への強烈なベクトル。
通常のストライカーであれば、バランスを崩して無様にピッチに引きずり倒され、ボールはダビドの頭に弾き返される場面だ。
だが。
空へ向かう直前の氏真は、優雅に微笑んでいた。
(その程度の力任せで、予は落ちぬ。その力、逆に借り受けよう)
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2. Z軸の支配
氏真は、筋肉を硬直させなかった。
極限の『脱力』。下へと引かれるベクトルを、一切の抵抗なく受け流す。
(……なんだ? 俺は今、確かに全体重で引いたはずだ。なぜ、重さを全く感じない!?)
ダビドは、突如として手応えが完全に消滅したことに戦慄した。
空中戦に絶対の自信を持つダビドの常識が崩れ去る。彼の巨体は、自らの引く力に引っ張られるように前のめりにバランスを崩し、ピッチへ崩れ落ちた。
「¡¿Qué?!(なっ……!?)」
ダビドが恐怖とともに見上げた先。
氏真は、崩れ落ちる巨漢の質量を文字どおり「踏み台」にし、足首のバネだけを爆発させていた。バレエの『引き上げ』――地へ縫い止めようとする力を、空へ舞い上がる力へと変える。
トンッ。
スタジアムの時間が、止まった。
地上で踏み切ったダビドや他のディフェンダーたちが、次々と重力に負けて落下していく中。
氏真の身体だけが、見えない糸で空から吊るされているかのように、空中の最高到達点(頂点)に君臨し続けていた。
そこは、一切の暴力も戦術も届かない絶対領域。
彼を見上げたフェリペの目が、驚愕に見開かれる。
氏真の異常な滞空時間は、フェリペが描いた冷徹な計算式すらも凌駕していた。
(これが……予の目指していた景色か)
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3. 白鳥の舞
空中で、氏真の身体が解き放たれる寸前の弓のように、大きくしなった。
幾度となく壊し、幾度となく組み直してきた肉体が、ようやく空で花開こうとしていた。
>> スキル発動:【白鳥の舞:ランクC】
特殊系 / 効果:自己バフ(空中可動域の拡張・姿勢制御) / 発動条件:空中での極限の脱力と空間認識の合致
重力から解放されたかのように滞空し、極限まで折り曲げた身体のバネを解放して放つ、予測不能のアクロバティックボレー。
魔法ではない。極めて物理的で、神秘的な身体操作。
重力から解放された肉体が、異常な柔軟性をもって極限まで折り曲げられる。その優雅でアクロバティックなシルエットは、かつて世界を魅了した『ユトレヒトの白鳥』の再来であった。
振り抜かれた右足が、ボールの芯を完璧に撃ち抜く。
ドグァァァンッ!!
空気を叩き割る轟音が、スタジアムの静寂を引き裂く。
放たれたボレーシュートは、密集するディフェンダーの頭上を嘲笑うかのように飛び越え、ゴール右隅の絶対死角へと真っ直ぐに突き刺さった。
アラベスのキーパーは、反応すら許されなかった。
視線がボールを捉えた時には、すでにゴールネットが激しく波打っていた。
一瞬の沈黙。
直後、スタジアムは爆発的な歓声の渦に飲み込まれた。
「「「¡Gooooooool!(ゴォォォォォォル!)」」」
カルロス監督は、サングラスをわずかに押し上げると、小さく頷いた。
「……その空だ。ようやく、お前の武器になり始めたな」
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4. 科学が証明する「進化」
モニター越しに映像を見ていたミツウロコ科学班のラボでは、早川舞が震える指でキーボードを叩き、氏真のバイタルデータを表示していた。
「見た!? 今の空中での『引き上げ』……! 通常では考えられない速度で、神経回路が急速に再構築されているわ!」
「ええ……急激な骨格成長のバグを、試合の激流の中で強引に同期させている」
姉の愛が、純白の扇子を握りしめながら推測する。
「完全に制御しきれてはいないけれど、確実に適応し始めているわ。……ファン・バステンに並ぶストライカーへの第一歩ですわ!」
スタンドの関係者席では、エレナとルナが言葉を失っていた。
ルナは、撮影したばかりの「空中で静止し、DFを見下ろしながら放たれるボレー」の写真をモニターで確認し、感動に震えている。
「……¡Qué hermoso!(美しすぎるわ!)。なんてこと……今のウジザネ、本当に背中に羽が生えていたように見えた……」
「あのファウルさえ、彼にとっては翼になってしまうのね……」
エレナが、熱に浮かされたようにうっとりと呟く。
ピッチの中央。
ゴールを決めた氏真は、空から優雅に舞い降りた。
着地の瞬間。ズキッ、と。
氏真の右の足首と膝の奥で、関節の軋むような鈍痛が走った。前戦のような殺人的な激痛ではない。だが、無理やり噛み合わせた歯車は、まだ静かな軋みを上げ続けていた。
「¡Uzi! ¡Eres un genio!(ウジ! お前は天才だ!)」
マテオやチームメイトたちが歓喜に打ち震えながら駆け寄り、氏真をもみくちゃにする。
その歓喜の輪から少し離れた自陣で。
フェリペはその姿を見つめ、静かに目を細めた。
(……まだ足りない。身体の使い方に、まだわずかな誤差が残っている。次はもっと高く飛べるはずだ)
氏真もまた、冷や汗を流し、膝の鈍痛を隠しながらチームメイトたちの輪の中で誇らしげに微笑んだ。
(ようやく、この空が見えてきた。……だが、まだ高みは、この先にある)
狂った歯車は、凄絶な軋み音を立てながら、ようやく回り始めたばかりだ。
極東から来た異端児の「未完成」の飛翔は、この日、スペイン中のディフェンダーたちに新たな悪夢を刻み込んだ。
競り勝っても届かない。引きずり落としても止められない。――だが、それでもなお、この白鳥はまだ飛び方を学んでいる最中だった。
【次回予告】
未完成の白鳥として空への支配への第一歩を踏み出した氏真。一方、マドリードでベンチを温め続けていた織田凱斗が、練習試合で規格外のパワーを見せつけ、監督に「俺を使え」と無言の圧力をかけ始める! 次なる進化、そして魔王との再会へ!
第67話:【曲線】。次なる天下へのパスを回せ!




