第53話:【狂わされる拍子】
【あらすじ】
スペインのカデテリーグで圧倒的な才能を見せつける吉良氏真。彼の理不尽なまでのプレーに、ジャーナリスト志望のルナと女子チームの天才司令塔エレナは強烈に惹きつけられる。ファインダーと戦術盤、交錯する二人の乙女心を天然で躱しつつ、氏真は宿敵・織田凱人が待つ冬の全国大会「ユース・ウインターカップ」への出場を決めた。己の雅を世界に示すため、極東のストライカーが過酷なトーナメント戦へと足を踏み入れる。
1. 氷雨の幕開け、レンズとデータの予測
12月下旬。イベリア半島特有の刺すような冷たい雨が、緑の芝を黒く沈ませていた。
スペイン全土から32の強豪クラブが集い、頂点を争う「ユース・ウインターカップ」。負ければ終わりの一発勝負、過酷な冬のトーナメント戦が開幕した。
FCバルシーノU-15の1回戦の相手は、アンダルシア地方を勝ち抜いてきた荒削りなチームだった。
雨を含んで重くなったピッチの上。エンジと青のユニフォームを泥で汚しながらも、吉良氏真の動きには一切の淀みがなかった。
「¡Mátenlo!(潰せ!)」
敵の屈強なディフェンダー、ダビドが水飛沫を上げて猛烈なタックルを見舞う。
だが、氏真は直前に息を吐き切り、全身の緊張を水のように解き放つ。鋼の体幹と極限の脱力が生み出す『剛柔一体呼吸法』により、ダビドの推進力は柔らかく吸収され、いなされた。
直後、一切の予備動作を削ぎ落とした無拍子の足の振りが、ボールの芯を正確に射抜く。
ズパァッ! と雨を切り裂く軌道がネットを揺らした。結果は3-0。氏真のハットトリックによる圧勝であった。
スタンドの屋根の下では、二人の少女がそれぞれのやり方で極東のストライカーを「捕捉」していた。
「……完璧ね。芝の水分量によるボールの減速、敵のプレス強度、ウジザネの初速。すべてのデータが私の計算式通り」
バルシーノ女子チームの天才司令塔・エレナは、タブレットの戦術盤に氏真の移動データを打ち込み、知的な青い瞳を満足げに細めた。
(彼の動きは、完全に私の頭脳で把握できるわ。私なら、彼に完璧なパスを供給できる)
「もらったわ、最高のフレーム!」
その数メートル横では、スポーツジャーナリスト志望のルナが、巨大な望遠レンズを覗き込みながらガッツポーズを作っていた。
(ウジザネがシュートを撃つタイミング、重心が移動する瞬間の構図……全部私のファインダーのど真ん中よ!)
二人の少女は、それぞれが氏真という存在を誰よりも理解しているという、甘美な錯覚に酔っていた。
しかし、続く2回戦。その自信は、音を立てて崩れ去ることになる。
---
2. 連続する拍子、FCティスの封じ手
大会3日目。ベスト8進出を懸けた2回戦の相手は、力強く正確なショートパスを持ち味とするマドリード州の強豪「FCティス」。
ピーッ!
試合開始のホイッスルが鳴った直後から、バルシーノは明らかな劣勢に立たされた。
「クソッ! またワンタッチで逃げられた!」
中盤のダイナモ、マテオが激しいプレスをかけるが、FCティスのミッドフィルダーはボールを保持せず、ダイレクトで味方へとはたき続ける。
タン、タン、タン、タン。
まるで精密なメトロノームのように、一定で正確な拍子を刻むショートパスの連続。
FCティスの知将、マルティン監督は徹底したデータ分析により、氏真の「剛柔一体呼吸法」のカラクリを理解していた。
「¡Pasa rápido, no lo toques!(早く回せ、奴に触れるな!)」
ティスのキャプテンであるアレハンドロが声を張り上げる。
「接触しなければ、あの日本人の衝撃吸収など何の意味もない! 距離を取り、パスを回し続けろ!」
氏真が寄せてくれば、ぶつかる前にパスを出す。
無敵艦隊の代名詞であるティキ・タカよりも直線的で力強いパスワークが、雨上がりのスリッピーな芝の上を滑るように繋がっていく。
バルシーノの守備陣は、ボールの奪いどころを完全に見失い、前半20分にはサイドからの崩しで先制点を許してしまった。
「……なるほど。相手の指揮官もなかなか鋭い。予の間合いに踏み込まぬ戦い方を選んできたか。」
前線でボールに触れられない氏真は、黄金の瞳を細め、濡れた前髪をかき上げた。
焦りはない。
(……むしろ、好都合だ。圧倒的な劣勢こそ、己の器を試す舞台に過ぎぬ。)
混沌と化したピッチの中で、氏真の目には、敵の陣形に生まれるわずかな綻びと、勝利へ続く一本の道だけが鮮明に浮かび上がっていた。
---
3. 誘い込みの網、現代に蘇る釣り野伏せ
前半30分。スローインでプレーが止まった一瞬の隙を突き、カルロス監督がマテオと氏真をタッチライン際へ呼び寄せた。
「いいか、マテオ。奴らのパス回しは正確だが、秩序を重んじるあまり自由を失っている。」
カルロスは戦術ボードを素早く指差した。
「ボールを奪おうと真っ直ぐ突っ込むから、いなされるんだ。プレスのかけ方を変えろ。ボールホルダーに対し、お前とアルフォンソで『外側のパスコース』だけを意図的に塞ぎ、あえて『中央へのパスコース』をぽっかりと空けておけ」
「……中央を、わざと空ける?」マテオが眉をひそめる。
「そうだ。安全にパスを繋ぎたい相手は、外を塞がれれば必ずその『空いた中央』のスペースへボールを出す。……そこが、我々の狩り場だ」
カルロスはサングラスの奥の目を光らせ、氏真を見据えた。
「ウジザネ。お前は前線から少し下がり、その狩り場の『死角』に潜んでおけ。相手が誘い込まれてパスを出した瞬間……予測の外から飛び込み、奴らのリズムを根元から叩き斬れ。」
「……あはは。見事な軍略だ、監督。蜘蛛の巣を張り、獲物が飛び込むのを待つというわけだね」
氏真は爽やかな笑みを浮かべたが、その内なる声は天下を俯瞰する武将のものだった。
(……島津が用いた『釣り野伏せ』、あるいは我が今川が得意とした陣形操作か。相手の選択肢を狭め、自ら死地へと飛び込ませる。面白い……その網の底、予の刃で縫い留めてくれよう)
---
4. 計算外の鳳凰、データとフレームを超える一撃
試合再開。
カルロスの指示通り、マテオたち中盤の選手がプレスの角度を微調整する。
ボールを持つFCティスのアンカー、ハビエルは、外側のコースが塞がれているのを見て、ぽっかりと空いた中央のスペースにいる味方へ向けて、強い縦パスを入れた。
――罠にかかった。
スタンドで見ていたエレナの脳内で、戦術データが瞬時に弾き出される。
(……カルロス監督の誘い込みの戦術! ここでウジザネがパスカットに入り、そのままカウンターを仕掛ける……タイミングはここッ!)
ルナも同時にファインダーを覗き込み、氏真がインターセプトするであろうポイントへレンズを合わせた。
(予測位置にフォーカス! 最高のパスカットの瞬間を撮る!)
しかし。
「……遅い」
氏真の動きは、エレナの計算式とルナの視界の、遥か『先』を行っていた。
パスカットに飛び出すと予測されていた氏真は、ボールの軌道上には現れなかった。
彼は、極限まで重心を落とし、膝の力を抜いて重力に身を任せることで、一切の予備動作を完全に削ぎ落とした「滑らかな重心移動」を実行した。
足音が消え、気配が霧散する。
>> スキル発動:【無拍子の跳躍:ランクB】
特殊系 / 効果:自己バフ(初速極大化・気配遮断) / 発動条件:敵の死角への侵入
極限まで重心を落とし、膝の抜きを利用することで、予備動作を完全に削ぎ落とし最高速に到達する滑らかな移動術。
ボールを受けようとしていた敵のミッドフィルダーのさらに背後――完全に予測不能な『死角』へと、一呼吸で回り込んでいたのだ。
敵がボールをトラップしようとした瞬間。
氏真は背後からスッと足を伸ばし、鞠を「奪う」のではなく、ダイレクトで前線へと弾き出した。
「¡¿Qué demonios?!(一体何だ!?)」
パスを出したハビエルも、受けようとした敵も、何が起きたか全く理解できなかった。
タン、タン、タン、というFCティスの正確無比なリズム。
氏真は、その拍子と拍子の『隙間』に音もなく介入し、戦術の連動を寸断した。
弾き飛ばされたボールに、氏真自身がトップスピードで追いつく。
カバーに入った屈強なセンターバックがショルダーチャージに来るが、氏真は呼吸法による一瞬の剛体化でその衝撃をあっさりと跳ね除け、ペナルティエリア外から右足を振り抜いた。
>> スキル発動:【剛柔一体の呼吸・壱式:ランクA】
攻撃・特殊系 / 効果:自己バフ(インパクト時の反発力極大化) / 発動条件:極限脱力からの瞬間的な筋肉の硬直
全身の脱力状態からボールを捉える瞬間のみ丹田に力を込め、無駄なモーションを省いた弾丸のようなシュートを放つ。
ドンッ!!
一切のモーションがない、弾丸ミドルシュート。
打撃音がスタジアムに響き渡り、ボールは重い雨粒を切り裂いて、キーパーが一歩も動けないままゴール右上隅に突き刺さった。
「¡Golazo!(ゴラッソ!)」
「同点だァァァッ!!」
バルシーノのベンチが総立ちになり、マテオが歓喜の拳を突き上げる。
---
5. 制御不能のストライカー
「……計算、外」
スタンドのエレナは、ピッチの中央で悠然と歩く氏真を呆然と見つめていた。
(私の予測したパスカットのタイミングより、コンマ5秒も早かった。それにあの位置取り……監督の指示すらも超えて、最もゴールに近い最短距離を即座に計算し直したというの……!?)
「フレームから……消えた」
ルナもまた、カメラを下ろして震える息を吐いた。
彼女が予測して置いたフォーカスの中に、氏真は収まりきらなかった。ファインダー越しではなく、肉眼で見たそのプレーは、恐ろしいほどの美しさと、暴力的なまでの理不尽さに満ちていた。
戦術というデータにも、レンズというフレームにも収まりきらない、進化し続ける極東の鳳凰。
二人の少女は、自分の思い通りにならないその圧倒的なストライカーの存在に、抗いようのないほど心を惹きつけられていた。
「……用意された盤面で踊るだけでは、ただの兵に過ぎぬよ」
氏真は、カルロス監督に向かって小さくウインクをして見せた。
監督の戦術を基礎としつつも、ストライカーとしての純粋なエゴでその戦術をさらに高みへと昇華させる。
その後、完全にリズムを崩したFCティスから、勢いに乗ったバルシーノは追加点を奪い、2-1で逆転勝利を収めた。
次なる舞台は、ベスト8(準々決勝)。
立ち塞がるのは、かつて氏真がそのエゴで打ち破り、復讐に燃えるバスクの猛牛『バオルビFC』。
「さあ、次はどんな策で僕を楽しませてくれるのかな」
冷たい雨すらも心地よいシャワーのように受け入れながら、吉良氏真は黄金の瞳を輝かせる。
極東から来た異端のストライカーの快進撃は、自らの意志で戦場を支配する能動的な熱狂を、冬のスペインに巻き起こそうとしていた。
【次回予告】
ウインターカップ準々決勝! バルシーノの前に立ち塞がるのは、復讐に燃えるバスクの猛牛バオルビFC! 彼らの自律分散型プレスが、氏真の個人技を完全に封じ込める!? 絶体絶命のピンチの中、氏真が中盤のマテオに向けた「極限の要求」とは!?
第54話:【共鳴】。次なる天下へのパスを回せ!




