第2話【凛々しき令嬢】
【あらすじ】
動画拡散から五年。九歳になった吉良氏真は、インパルス清水FCのジュニア・セレクションへ挑む。立ちはだかるのは、ボールに群がる少年たちの猛烈な蜂の巣プレス。さらにピッチ脇には、氏真を見つめる謎の令嬢・早川愛の姿が――。五百年の時を越えた邂逅と、戦国の蹴鞠宗家が魅せる『雅』なる脱力の身体技法。少年はピッチの混沌を切り裂けるか?
1. 五年後の「神童」
ピーッ!
初夏の抜けるような青空の下、甲高いホイッスルが三保グラウンドに吸い込まれていく。
ピッチには、真新しいスパイクが人工芝を噛む「ザザッ」という硬質な摩擦音と、少年たちの荒々しい息遣いが充満していた。
あの日、インパルス清水FCのスクールで「四歳の怪物」の動画が密かに拡散されてから、五年という歳月が流れた。
九歳になった吉良氏真は、同年代の中では頭一つ抜きん出た背丈と、無駄のないしなやかな体躯、そしてどこか浮世離れした気品を湛えた美少年に成長していた。本日は、インパルス清水FC・ジュニアチームの入団セレクション当日である。
(ふむ。これほど多くの童が集まるとは。誰も彼も、己の技を披露したくてうずうずしている顔つきだ。現代の『戦の庭』も、なかなかどうして活気がある)
氏真は、支給されたオレンジ色のプラクティスシャツに身を包みながらも、立ち居振る舞いには隠しきれない名門宗家の落ち着きを漂わせていた。
「氏真、緊張してないか? 今日は本部のユーススカウトや、メインスポンサーのお偉いさんも大勢見に来てるぞ。いつものお前のプレーを見せてやれ」
ジュニアコーチであり叔父の吉良剛が、甥の肩をポンと叩く。その顔は当の氏真よりも強張っていた。
「大丈夫だよ、剛おじさん。それより、あの子たちすごく元気だね。あちこち走り回って、まるで野山を駆ける野兎のようだ」
氏真は屈託なく笑い、グラウンドでボールに群がり、無秩序に走り回る少年たちへ視線を投げた。
ボールの周囲には盲目的なカオスが渦巻いている。だが、氏真の瞳はその密集を追っていなかった。
首を左右へ小刻みに振り、少年たちの視線がボール一点に吸い寄せられているのを見届けると、その死角となる広大なスペースへ、あらかじめ身体の向きを開いて歩を進めていた。
(皆、足元の球ばかりを見て、周りの空間を見ておらぬな。……おや、あのピッチ脇の天幕にいる女子たち……。どこかで見たような気がするが……)
氏真の視線の先には、クラブの公式スポンサーとして名を連ねる巨大企業「ミツウロコ・HAYAKAWAホールディングス」のVIP用特別観覧席が設営されていた。
2. 宿命の再会、二人の早川
グラウンド脇に横付けされた黒塗りの高級セダンから降り立ち、凛とした足取りでピッチサイドへ現れたのは、名門私立中学の制服に身を包んだ早川愛だった。
氏真の三学年上となる彼女は、十二歳にしてすでに大人顔負けの気品と、慈愛に満ちながらも射抜くような鋭い瞳を持っていた。彼女が歩を進めるたび、周囲の保護者やクラブ幹部までもが無意識に道を空け、ざわめきが波紋のように広がる。
(……やっと、やっと直接お声がけする日が来ましたわ。この五年間、遠くから見守るだけでなく、あなたが最高の舞台で羽ばたくための『外堀』を、すべて埋め続けてまいりました)
愛の胸は、抑えがたい高鳴りに震えていた。
五年前の決意通り、一族の資金力を動かしてクラブへの出資を取り付け、氏真の育成環境を影から整え続けてきた。彼女の瞳には、ピッチ中央で佇む氏真の姿が眩しいほど鮮明に映っていた。
「氏真様……」
万感の思いを込めてその名を紡ごうとした刹那、愛の背後から小柄な影が勢いよく飛び出した。
「おっそーい! 愛ねーさま、ウジ様はもうあそこにいるよ!」
氏真と同い年である九歳の妹、早川舞だった。清楚な姉とは対照的に、ストリート系のスポーツウェアを身にまとい、片手には最新型のタブレット端末を抱えている。
「舞、はしたないですよ。氏真様の前では礼儀を……」
「いいのいいの! ウジ様ー! 初めまして、舞だよ!」
舞は一直線に駆け寄り、氏真の顔を至近距離からのぞき込んだ。
「え、僕のこと知ってるの? 君、すごく足が速いね。それに、その持ってるピカピカした板……かっこいいなあ」
(……ほう。この女子は舞というか。顔立ちにどこか面影はあるが……これほどまでに騒がしいとは。だが、後ろから歩いてくる姉の愛は……。やはり、どこかで……)
追いついてきた十二歳の愛と、真正面から視線が交差した。
氏真の脳裏に、雪の降る江戸の屋敷で、不遇の時代も変わらぬ誇りを持って自分を支え続けた妻の横顔が鮮烈に蘇る。国を失い、流浪の身となったあの過去。
だが、氏真の胸を去来したのは湿っぽい感傷ではなかった。むしろ口角が自然と持ち上がり、腹の底から熱い肯定感が弾けたのだ。
(……あの日々の没落すら、現代のこの輝かしい舞台で再び天下を舞うための、極上の前振りであったか。運命とは、なんと粋な筋書きを描くものか!)
「私は早川愛。……吉良氏真さん、今日、あなたの真価を私に見せてください。あなたが最高の舞台で舞うための道を、私がすべて整えてみせるとお約束しますわ」
中学生とは思えない威厳と、同年代の少年なら気圧されてしまうほどの重い献身を宿し、愛は氏真を見つめた。周囲のコーチや保護者たちが息を呑み、異様な緊張感が漂う。
しかし氏真は、まったく悪びれる様子もなく破顔した。
「あはは、愛はお姉さんなのに面白いね。僕を助けてくれるの? ありがとう!」
五百年の時を越えた重すぎる誓いを、氏真は「新しい友達からの熱烈な応援」として、爽やかな満面の笑顔で受け流した。
愛は「もう、相変わらずなのですから……」と白魚のような指で口元を覆い、頬を赤らめながら嬉しそうに目を細めた。
3. 極限の脱力と「ボールの置き所」
セレクションの合否を分ける八人制のミニゲームがスタートした。
ピーッ!
試合開始のホイッスル直後から、氏真を取り巻く少年たちはその異質な動きを目の当たりにすることになる。
「いけっ! ボール奪え!」
血気盛んな三人のディフェンダーが、ボールを持った氏真へ猛烈な勢いでプレッシャーをかける。少年サッカー特有の、ボールへ盲目的に群がる密集プレスだ。
「ハァ、ハァ」という荒い息遣い。芝を蹴立てる複数の重い足音が迫り、三方向からの圧力が一気に氏真の視界を塞ぎにかかる。
だが、氏真の肉体には微塵の力みも存在しなかった。
ボールを受ける直前、氏真はすでに首を振って周囲の守備位置を把握していた。転がってくるパスに対し、半身の体勢を作りながら、相手から最も遠い足のインサイドで優しく迎え入れる。
「右よ、舞。データを見るまでもありません。氏真様は力で蹴るのではなく、鞠が最も喜ぶ場所へ導いているだけですわ」
ピッチ脇で愛が祈るように両手を組む。
一方、舞は目まぐるしくタブレットの画面をスワイプさせていた。
「信じらんない……! ウジ様、ファーストタッチで相手から一番遠い足元へボールを逃がしてる! 前も横も全部のコースが同時に開いた!」
一人目の少年がたまらず突っ込んでくる。
氏真は上体の力を完全に抜き、相手を引きつける。少年が勢い余って前傾姿勢になった刹那、足裏でボールを手前へと引くロールを繰り出し、その突進をあっさりと空転させた。
横から挟み込もうと二人目が身体を投げ出してきた瞬間、氏真は右足のアウトサイドから左足のインサイドへとボールを滑らせるダブルタッチ(ラ・クロケッタ)を放つ。
二人目の身体がそのまま一人目の進路を塞ぐ壁となり、三人目が間合いを詰める前に、氏真はその狭い間隙をふわりとすり抜けていた。相手の突進力と重心の偏りをそのまま利用し、最小限の歩幅でいなす淀みのないステップワーク。
「……嘘だろ、なんだあのステップ……」
「一人だけ、時間の流れが違うぞ……!」
観客席のスカウト陣から、驚愕の声が漏れ出した。
4. 天空の放物線
日本人は古来より力技ではなく「空間を制する知性」を重んじてきた。
戦国の修羅を生き抜きながらも、武力ではなく「蹴鞠」という無血の芸道で天下の武将たちを魅了した今川氏真。彼にとってこのピッチは、現代に蘇った新たな檜舞台であった。
ミニゲーム終了間際。
自陣からの苦し紛れのクリアボールが、前線に張っていた氏真の頭上を越え、相手ゴール前へと大きく落ちる。
「長すぎる!」「追いつけない!」
誰もが諦めかけたその時。
氏真は背後から落ちてくる球の放物線を見極め、落下地点へ滑らかに身体を滑り込ませた。
右足をふわりと空へ掲げる。
急降下するボールの強烈な推進力を、足の甲を数ミリ引きながら優しく包み込み、衝撃を完全に殺すクッションコントロール。走りながらのトラップにもかかわらず、ボールは芝生の上に吸い付くようにピタリと収まった。
その目の前に、小学生離れした体格のゴールキーパーが猛然と飛び出してきた。両腕と両脚を広げ、コースを完全に塞ぎにかかる。その距離、わずか二メートル。
(……焦ることはない。前に突進した勢いで、軸足が深く芝に縫い止められておる。もはや跳ぶことは叶わぬ。……ならば、鞠には空を飛んでもらおう)
氏真はキーパーの瞳を真っ直ぐに見据え、強烈なシュートを叩き込む構えで右足を大きく振りかぶった。
キーパーが反射的に身構え、強打をブロックしようと両足のスタッドを芝へ強く踏み込む。
インパクトの刹那。氏真は振り下ろした右足の筋緊張をふわりと解き放ち、親指の付け根でボールの真下をそっとすくい上げた。
放たれたのは、驚くほど静かで、優しく、そして強烈なバックスピンがかかった美しい放物線だった。
「……あ」
キーパーは、自らの頭上をふわりと越えていくボールを呆然と見上げるしかなかった。
夕日を浴びて黄金色に輝くボールは、放物線の頂点を過ぎると急激に失速して落下し、無人のゴールネットの中央へと吸い込まれた。
パサッ、という柔らかな音だけが、静まり返ったグラウンドに響く。
「……決まっちゃった。ねえキーパーくん、驚かせてごめんね。今の、鞠がどうしても空を飛びたいって言ったんだよ」
氏真は、座り込んだまま固まっているキーパーに手を差し伸べ、屈託なく微笑みかけた。
「合格……いいえ、それ以上の何か。もはや芸術ですわ」
愛は確信に満ちた声で呟いた。
「ねーさまヤバいよ! 今のトラップからシュートまでの一連の動作、ウジ様の心拍数が全く上がってない! ループの軌道も完璧な放物線を描いてる!」
舞が興奮を抑えきれずにタブレットを掲げる。
ピーッ! ピピィーッ!
ミニゲーム終了の長いホイッスルが鳴り響いた。氏真は汗を拭いながらピッチサイドへと歩み寄る。
「あはは、愛お姉さんに、舞。二人が応援してくれたから、これからすごく楽しくなりそうだよ。よろしくね、二人とも!」
(よいぞ。愛の深い慈しみ、舞のデータサイエンスという新しい知識。この二人がおれば、現代の戦も悪くない。……いや、最高に胸が躍るではないか。未来は、これから幾様にも塗り替えられるのだから!)
氏真は、茜色に染まり始めた空を見上げ、未来への希望に満ちた意志を胸に宿した。
だが、その背後でもう一人。
グラウンドの隅で前髪を押し上げ、奥の瞳を冷徹に光らせながら、氏真のプレーを見つめていた少年がいた。
――松平基哉。
手元の戦術ノートには、走り書きされた冷徹な分析が刻まれていた。
『×(味方との連動なし)』『個の孤立』。
(……確かに個人技は異常だ。だが、あいつのサッカーは一人で完結しすぎている。味方との配置の連動がない。……あれではいずれ、組織で守る相手に行き詰まる)
基哉はノートをパタンと静かに閉じ、鋭い視線を氏真の背中へと注ぎ続けていた。
過去の因縁ではない。これは、氏真自身の「魂の解放」。
現代サッカーという新たな盤面で、真なる天下取りが今、幕を開けた。
【次回予告】
セレクション最終関門・紅白戦!「君のサッカーには致命的な欠陥がある」
個人技で無双する氏真の前に立ちはだかる冷徹な少年・松平基哉。飛び込まぬ鉄壁の守備が、『雅』を戦術的袋小路へ追い詰める!
第3話:【耐性の演出家「松平基哉」】。次なる天下へのパスを回せ!
ーーーーお願いーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
もし今日、ほんの少しでもこの物語に心を動かされたなら――、ちょと面白いと思ったら――
投げ銭はいりません。
その代わり、せめて、評価☆☆☆☆☆を一つ、何卒、そこをなんとか置いていってくださいませ(笑)。
今後も氏真の物語を、温かく一緒に見届けてください。




