第172話:【北の覇者】
【あらすじ】
選手権岩手県予選を制した盛岡城南。だが歓喜に浸る間もなく、9カ月の総決算となるプリンスリーグ東北の最終2連戦が幕を開ける。首位を勝点1差で追う城南に許されるのは自力での2連勝のみ。激闘の疲労と凍てつく芝に苦しむ中、技巧派・宮城セント学院と堅守・帝都義塾福島が立ちはだかる。東北の覇権を懸け、チームの真価が試される!
1.晩秋の海風、通年リーグの総決算
吐く息が、白かった。
11月中旬、仙台。みやぎ生協めぐみ野サッカー場を吹き抜ける太平洋からの海風には、初冬特有の湿った冷気が混じっていた。
全国高校サッカー選手権・岩手県予選決勝で宿敵の遠野を破り、歓喜の全国切符を手にしてからわずか1週間。校内や地元紙は初の快挙に沸き立っていたが、敵地のピッチに足を踏み入れた盛岡城南イレブンの脚には、激闘の疲労が澱のように沈んでいた。
ふくらはぎの奥が重く張り、冷気に晒された皮膚がピッチの硬直を過敏に拾い上げる。
「ウジ、足裏の接地を固めすぎないこと」
ウォーミングアップの合間、専任トレーナーのキャム・ベルナルドが氏真のふくらはぎに触れ、ポンと軽く叩いた。
「寒さで筋肉も腱も縮こまりやすいわ。力任せに地面を踏ん張ったら、足首のクッションが死んでしまうわよ。薄い氷の上を滑るように、軽やかに重心を運びなさい」
「はい、キャムさん。意識します」
氏真が静かに息を整えて頷くと、キャムは白い歯を見せてその背中を力強く押した。
円陣の中央、吉良剛監督が引き締まった声で告げる。
「選手権予選の勝利は過去だ。今日から始まるのは、9カ月間積み上げてきた通年リーグの総決算だ。首位の青森セカンドとは勝点1差。他力本願の昇格枠狙いなど毛頭ない。まず俺たちが2連勝してプレッシャーをかけ続ける。自分たちの仕事をやり切った上で、東北の頂点をもぎ取るぞ」
「「「はいッ!!」」」
冷えた大気を震わせる声とともに、イレブンが所定の位置へと散っていく。
2.第17節・宮城セント戦、脱力のアウトサイド
高円宮杯 JFA U-18 サッカープリンスリーグ東北・第17節、アウェイの宮城セント学院戦。前後半各45分の長い戦いが幕を開けた。
試合は立ち上がりから、城南の想定を揺さぶった。
宮城セント学院は、足元でボールを動かす技術に長けたテクニカルなチームだった。城南が前線から連動してハイプレスの網を広げても、相手の2ボランチは半身の体勢で視野を確保し、ワンタッチの三角形でプレスの矢印を巧みに外してくる。
連戦の疲労から、城南のファーストディフェンスの出足はコンマ数秒遅れていた。追わせては空いた背後を使われ、守備陣が横に間延びさせられる。
前半17分。
左サイドを細かなパス交換で崩され、ペナルティエリア中央へ斜めのクサビを差し込まれる。密集からワンツーで抜け出した相手トップ下に強烈なグラウンダーを叩き込まれ、GK工藤一の懸命な横跳びも届かず、ボールはゴール右隅へと突き刺さった。
0-1。
敵地のスタンドから歓声が沸き上がる。
「慌てるな! 奪いに行くラインをひとつ下げるぞ!」
アンカーの諸島憲二が鋭く声を張り上げた。
先制されても、城南のブロックは乱れなかった。過密日程の中で培ったタフネスが、選手たちに無謀な突進を思いとどまらせる。前線からの深追いを自重し、中盤に強固なフィルターを敷き直して前半を1点差のまま耐え忍んだ。
ハーフタイム。更衣室の冷えた空気の中、分析担当の久保田誠がタブレット端末の画面を諸島と氏真に見せた。
「相手のボランチ、中央で前を向く瞬間にボールを右足の前に晒す癖があります。うちが前線のプレスを緩めてミドルブロックへ移行したことで、相手の最終ラインから中盤への縦パスに慢心が生じています」
「なるほど」
諸島が短く頷き、剛監督がホワイトボードのセンターサークルを指先で強く叩いた。
「網にかけるのは中盤の底だ。諸島、お前が仕留めろ」
「了解です」
後半に入ると、グラウンドの芝は冷え込みを増し、夕暮れの湿気を含んでボールの転がりが急速に重くなり始めていた。セント学院の軽快なパスワークに、わずかな減速とズレが生じる。
後半9分、その瞬間が訪れた。
敵陣中央で縦パスを受けようとした相手ボランチに対し、諸島が死角から鋭く間合いを詰めた。相手がトラップして顔を上げる一瞬前、ボールが足元から離れた刹那を狙い、踏み込みの力を逃がさず正確に右足を差し込んでボールを刈り取る。
「カウンター!」
諸島が奪った勢いのまま叫び、前線を捉えた。
最前線で、氏真はすでに動き出していた。ボールを足元に呼び込むように、あえて相手の右センターバックの視界の前を横切り、手前へと落ちるフェイクを入れる。
(予を警戒しているな)
相手CBは氏真のクサビを警戒し、反射的に前へ1歩釣り出された。
その背後に、ぽっかりと広大なスペースが口を開く。
そこへ、外側から斜めに走り込んできたのが右ウイングの八重樫隆生だった。
諸島が放った縦パスは、氏真の足元ではなく、氏真の脇をすり抜けて背後の空白へと滑り込む。氏真はボールに触れず、ただ半身を開いてボールの軌道を通過させた。
「抜けたぞ!」
完全にフリーで抜け出した八重樫が、飛び出してきたGKの位置を見極め、左足で冷静にゴール左隅へ流し込んだ。
1-1。
「ナイスパス、諸島! ウジ、最高の囮だったぞ!」
八重樫が叫び、駆け寄った氏真と拳を突き合わせた。自ら触れずとも、相手守備の重心を狂わせてゴールを陥れる。個人のひらめきではなく、チームの連動が生んだ同点弾だった。
その後、試合は激しい消耗戦へと突入する。
剛監督は後半20分過ぎ、疲労の見えるクアンに代えて不来方純也を、インサイドハーフに猿沢佳樹を投入。ピッチに入った不来方が相手最終ラインの視界から消える裏抜けを繰り返し、猿沢が的確なポジショニングで中盤のセカンドボールを泥臭く回収する。控え選手たちの献身が、主力の疲弊した足を確実に支えていた。
そして後半43分。
ペナルティエリア手前約20mの中央で、相手のクリアボールが氏真の足元へ転がってきた。
相手の屈強なボランチが、雄叫びを上げながら突進してくる。肩から身体をぶつけ、力任せに潰そうとする猛烈なチャージ。
だが、氏真は正面から踏ん張らなかった。
キャムの助言通り、足裏の荷重をふっと抜き、体重を重力に委ねるように左膝をわずかに緩める。相手の右肩が触れる寸前、接触の支点を外しながら身体を滑らかに半回転させた。
突進してきた相手の力は空を切り、前のめりになってバランスを崩す。
氏真はその相手の突進する慣性を利用して入れ替わり、フリーで前を向いた。
カバーに入ろうとした相手CBが慌てて足を伸ばす。GKもニアサイドを警戒して重心を左へ沈めた。
氏真は右足を振り下ろす。
無駄な力みを一切排除し、インパクトの瞬間だけ足首を強固に固定。ボールの芯のわずか外側を、右足のアウトフロントで鋭く払うように擦り切った。
パシュッ。
乾いた小気味よい音が響く。
低く放たれたボールは、相手DFの足先をかすめるようにすり抜け、外へ逃げる軌道から急激に内側へ巻き戻ってファーサイドのサイドネットへ突き刺さった。
2-1。
静寂ののち、城南ベンチから歓声が爆発した。
アディショナルタイムの3分間を全員で跳ね返し、タイムアップの笛。
敵地で執念の勝点3を積み上げた。
同節、他会場で明青青森セカンドも勝利を収めたため、勝点差は1のまま。勝点は青森セカンドが40、城南が39。すべては翌週の最終節へと委ねられた。
3.凍てつくホーム、堅陣・帝都義塾福島
11月第4週、日曜日。
高円宮杯プリンスリーグ東北・第18節、最終節。
盛岡城南高校グラウンドには、凍てつくような岩手颪が吹き荒れていた。
グラウンドの芝は前夜の冷え込みで表面が白く霜を帯びて硬く締まり、スパイクを踏み込むとシャリと乾いた音を立てる。
他会場では、首位の明青青森セカンドが山形ユナイテッドFCユースとの最終戦を同時に戦っている。
城南が逆転優勝を果たすための絶対条件は、この最終節での勝利のみ。引き分け以下に終われば、その瞬間に青森セカンドの優勝が決まる。
迎えた相手は、帝都義塾福島高校。
センターバック2枚の身長はいずれも185cmを超え、中盤にも屈強な肉弾戦を好む選手が揃う。彼らは強固な4-4-2の守備ブロックをペナルティエリア前に整え、中央への侵入を完全に拒絶していた。
前半、城南は焦れずにボールを動かした。
重く冷えた芝の上で中央へ強引にクサビを入れれば、相手の屈強なフィジカルの餌食になる。
右の一戸政実から左の三浦蒼太へ。中盤の諸島を経由しながらピッチの幅を使い、相手の2列目と最終ラインを左右へ大きく揺さぶり続ける。
振られるたび、帝都義塾のブロックは横スライドを強いられた。冷え切った芝の上で、急激な切り返しの負荷が相手の足腰に確実に蓄積していく。
城南は決定機を作らせず、前半を0-0で折り返した。
「焦るな、相手の足腰に効いている」
ハーフタイム、剛監督が落ち着いた声で告げた。
「後半の45分間、自分たちの信じたフットボールを最後までやり抜け。隙は必ず中央に割れる」
「はいッ!」
4.守備を裂くフェイント、大逆転の戴冠
迎えた後半24分。ついに試合が動いた。
ピッチを広く使った揺さぶりにより、相手の2ボランチと最終ラインの間にわずかな横ズレが生じる。
自陣中央から諸島がグラウンダーの鋭い縦パスをバイタルエリアへ差し込む。
中央で待ち構えていた氏真へ、相手の2枚のボランチが挟み込むように寄せてくる。
氏真は足裏の荷重を抜いた軽やかなステップで、ボールを迎えながらわずかに身体を開いた。
寄せてきたボランチの足先を半身でかわし、ペナルティエリア手前の中央へ侵入する。
目の前には、巨躯を誇る相手センターバックが仁王立ちしていた。シュートコースを遮断すべく、両足を広げて間合いを詰めてくる。
氏真は右足を大きく振り上げた。
(打つ!)
相手CBの視線がボールに釘付けになり、全身がシュートブロックのために前へと沈み込む。GKもニアサイドへ重心を預けた。
だが――氏真の右足は、ボールを蹴らなかった。
振り下ろされた右足はインパクトの直前に力を抜き、ボールの上を撫でるように通過した。キックフェイント。
相手CBは全体重を前に乗せていたため急停止できず、芝を空しく蹴って前のめりにバランスを崩す。
氏真は軸足の左足インサイドで、ボールを右斜め前方へと優しく押し出した。
相手守備の継ぎ目が、ぽっかりと割れる。
そこへ、外側からトップスピードで侵入してきた影があった。八重樫だ。
完全にフリーとなった八重樫の足元へ、寸分の狂いもなくボールが転がる。
「決めろ!」
氏真の声に呼応し、八重樫は迷いなく右足を振り抜いた。
低く放たれたグラウンダーの弾道が、必死に戻るGKの脇の下を抜け、ゴール左隅へと突き刺さる。
ドッ、とネットが揺れた。
1-0!
「うおおおおっ!」
八重樫がユニフォームのエンブレムを握りしめ、氏真の胸へと飛び込んできた。
相手の重心を狂わせ、生み出した完璧なスペース。力尽くではない、知性と連動の結実だった。
残り20分、帝都義塾はロングボールを前線へ放り込み、捨て身のパワープレーを仕掛けてきた。だが、林皓然と及川翔平が泥だらけになりながら跳ね返し、諸島がこぼれ球に身体を投げ出す。
そして――。
ピィッ――ピィッ――ピィィィッ!
試合終了の長い笛が、盛岡の凍てつく空に響き渡った。
「他会場、試合終了!」
ベンチ裏で携帯端末を握りしめていた久保田が、声を震わせて叫んだ。
「明青青森セカンド、山形ユースと1-1の引き分け! 勝点41!」
一瞬の静寂ののち、グラウンドが歓喜で爆発した。
高円宮杯 JFA U-18 サッカープリンスリーグ東北 最終順位
1位:盛岡城南高校(勝点42/13勝3分2敗)
2位:明青国際大学附属青森高校セカンド(勝点41)
「勝った……! 優勝だ!!」
控え部員たちがベンチから雪崩を打ってピッチへと飛び出していく。
公式戦のピッチに立てなかった部員も、練習でAチームを削り合ってきたBチーム、Cチームの仲間たちも、全員が涙を流して抱き合っていた。
諸島が天を仰ぎ、剛監督がベンチの前で深く目頭を押さえている。
5.北の覇者、そして冬の広島へ
夕暮れの冷たい風の中、閉会式を終えたピッチの脇で、氏真はベンチに腰を下ろしてスパイクの泥を落としていた。
隣に、湯気の立つ温かいボトルを持った諸島が歩み寄ってくる。
「お疲れ、氏真」
「お疲れ様です、諸島さん」
受け取ったボトルの温もりが、冷え切った指先に染み渡っていく。
「9カ月、長かったな」
諸島がグラウンドの向こう、雪を抱いた岩手山の稜線を見つめながら言った。
「お前が夏合宿で言った通りになったな。誰か1人の力じゃ、この過酷なリーグは獲れなかった。全員で掴んだ優勝だ」
「はい。このチームの強さは、本物です」
氏真は誇らしげに微笑んだ。
ポケットの中でスマートフォンが小さく震えた。画面を見ると、東京の愛からメッセージが届いていた。
『プリンスリーグ東北優勝、心よりお慶び申し上げます。北の頂に立たれたこと、誇らしくて胸が熱くなりました。冬の広島、そして選手権。東京より祈りを込めて、いつでもお迎えできるよう準備を整えております』
文末には、飛び跳ねるスズメの愛らしいスタンプ。
氏真の口元が自然と緩む。
「だが、ここからが本当の修羅場だぞ」
諸島が引き締まった表情で前を見据えた。
「12月中旬は広島でプレミア昇格プレーオフ、そして年末には東京で選手権全国大会だ。相手は全国の化物ばかりだぞ」
「望むところです」
氏真は立ち上がり、茜色に染まる冬空を見上げた。
北の覇者となった盛岡城南。
だが、その歩みは止まらない。高校年代最高峰のプレミアリーグへ、そして冬の全国の頂へ――冷たい風を切り裂き、次なる決戦の地へと進軍は続いていく。




