第101話:【北欧の氷壁】
あらすじ】
国内リーグ第8節ローナFC戦を制し、勢いに乗るバルシーノ。だが、ユースCL第5節で待ち受けていたのは、極寒の地コペンハーゲンと北欧屈指の守備ブロックだった。攻めても攻めても崩れない堅牢な氷壁を前に、氏真たちは苦戦を強いられる。果たして、この難攻不落の壁を打ち破る術はあるのか――。
1. 凍てつく風の都
地中海の柔らかな秋陽が降り注ぐバルセロナで迎えた、国内リーグ第8節ローナFC戦。
前節に続き先発した吉良氏真は、立ち上がりに相手DFの死角を突く反転から鮮烈な先制ゴールを沈め、前半を1-0で折り返した。過密日程を考慮され、2-0とリードを広げた後半10分にベンチへと退いた。その後、チームは1点を返されながらも2-1で逃げ切った。途中出場からスタメンへと、氏真はカンテラ内での立場を着実に固めつつあった。
だが、息つく間もなく訪れた次なる舞台は、温暖なカタルーニャとは対極の極寒の地であった。
11月初旬。デンマークの首都コペンハーゲン。
澄み切った青空とは裏腹に、スタジアムの上空を吹きすさぶ北欧の風は、肌を刃物のように鋭く切り裂く冷たさを帯びていた。
UEFAユースリーグ・グループステージ第5節。
3勝1分、勝ち点10でグループ上位につけるFCバルシーノ・フベニルAは、アウェイの地でコペンハーゲンFCとの大一番を迎えていた。
トップチームのカップ戦に帯同し、途中出場で見事なアシストを記録して現地メディアを沸かせているエステバン・ロサーノは今節も不在。
しかし、前節休養を取ったCBカレス・モンテロとボランチのテンテが先発に復帰。中盤にはサビエル・フェルナンデス、ダビアン・シヴァ、イネス・カスティーニャが顔を揃え、前線にはレオン・ラインハルトと背番号29の氏真が名を連ねていた。
試合前、ロッカールームでジョゼップ・カサス監督は、白い息を吐きながら選手たちへ静かに告げた。
「相手の守備ブロックは規律が取れている。無理に中央をこじ開けようとすれば、分厚い壁に跳ね返されるぞ。セットプレーの機会を逃すな。こぼれ球の反応、相手の隙を徹底して突け」
監督の鋭い視線が、氏真の黄金の瞳と重なる。
「氏真、お前が前線の基準点だ。相手の頭脳を揺さぶり続けろ」
「はい、監督」
氏真は静かにスパイクの紐を結び直し、冷え切った空気の中へと足を踏み出した。
――
2. 北欧の流動と鋼鉄の檻
ピーーーッ!
鋭いホイッスルとともに、凍てつくピッチで決戦の幕が上がった。
コペンハーゲンFCを率いるネルトス監督が構築したシステムは、洗練された[4-2-3-1]。
ボール保持そのものに執着せず、奪った瞬間に縦へ鋭く仕掛けるダイナミックなフットボールを信条としていた。
最前線の長身FWマティアスが中盤の底まで下りて起点を作れば、入れ替わるようにトップ下のイェンスが前線のスペースへ飛び出してくる。流動的なポジションチェンジに、バルシーノの守備陣も神経を研ぎ澄まして対応した。
「¡Cuidado con el cambio!(ポジションチェンジに気をつけろ!)」
キャプテンの守護神トニ・ラマジェが声を張り上げる。
だが、復帰したカレスとテンテ、そしてピボーテのサビエルが形成する中央の防波堤は堅牢だった。相手の鋭い縦パスをテンテが屈強なデュエルで弾き返し、こぼれ球をサビエルが瞬時に回収する。
ボールは、すぐさまダビアンとイネスの足元へ預けられた。
「¡Vamos!(行くぞ!)」
バルシーノの誇るパスワーク――ティキタカが始動する。
サビエルからダビアンへ。ダビアンが相手ボランチの寄せを優雅なターンでかわし、左サイドのイネスへ展開。
ト、ト、トンッ。
乾いた芝生の上を、リズミカルにボールが走る。
流麗なパスの連鎖で相手陣内深くへ侵入し、右サイドのアントニや左サイドのキケが幅を取って揺さぶりをかける。
だが――コペンハーゲンFCの守備ブロックは、恐ろしいほどの規律を保っていた。
中央へ楔のパスが入った瞬間、屈強なCBアンドレアスとラスムスが間合いを詰め、力強い体幹の接触で前を向かせない。最前線のレオン・ラインハルトには常にマンマークが張り付き、決定的なシュートコースを身体を投げ出して遮断していた。
「くそっ、締めどころが徹底されている……!」
ダビアンが息を荒らげ、ボールを一度後方へ戻す。
バルシーノがボールを支配しながらも、ゴール前の最後の数メートルに張り巡らされた「氷壁」を崩し切れない。張り詰めた膠着状態が、じりじりと時間を削り取っていった。
――
3. 擦り込まれる残像
前半20分を過ぎる頃から、バルシーノはペナルティエリア手前で幾度かフリーキックのチャンスを獲得し始めた。
鋭いパス回しで相手を押し込み、バイタルエリアでファールを誘う。
キッカーの位置に立つのは、左利きの名手イネスと、右足の精度を誇るダビアン。
その横で、背番号29の氏真は、ある役割を静かに重ねていた。
一度目のFK。
笛が鳴ると同時に、氏真は相手の壁の右脇から斜め前方へと鋭く走り出した。
「Achtung auf die 29!(29番を警戒しろ!)」
コペンハーゲンの選手たちが叫び、壁の視線が一瞬だけ氏真の動きに引かれた。だが、ボールはイネスから直接ゴール前へ供給され、氏真は囮として役目を終えた。
二度目のFK。
中央やや右寄りの位置。今度は氏真がダビアンと同時に助走に入り、直接狙うような強いフェイントを見せた。
相手CBアンドレアスが反射的に身構え、GKヨナスも氏真の軸足へ視線を配った。だが、実際に右足を振り抜いたのは背後のダビアンだった。放たれたシュートは惜しくもクロスバーの上を越えた。
そして、前半30分の三度目のFK。
氏真が再び鋭い助走を見せる。しかし今度は、コペンハーゲンの守備陣はほとんど氏真に動じなかった。壁に並ぶ長身DFたちの視線は、初めからボールを蹴るイネスの左足だけに固定されていた。
(……ふむ。人の認知とは、繰り返される日常にこそ最大の油断を抱くもの)
氏真は、寒風に揺れる前髪の奥で、相手GKヨナスと壁に並ぶDFたちの足元を冷徹に見つめていた。
三度目にはもう、「どうせこの29番の助走は囮だ」と相手の中に刷り込まれ、氏真の動きを誰もケアしなくなった。
相手の頭脳に「本命は後ろの二人であり、29番は触らない」という先入観が完全に根づいた、その瞬間を、氏真は見逃さなかった。
――
4. 氷壁を穿つ一筋の閃光
前半35分。
中央やや左寄り、ゴールまで約22メートルの絶好の位置で、ドリブルを仕掛けたイネスが倒された。
ピピッ――!
主審がファールを取り、ペナルティエリアの手前にボールがセットされる。
コペンハーゲンFCは190センチ台の長身選手4人を隙間なく並べ、高くて分厚い壁を形成した。
GKヨナスがゴールポストを叩き、壁の位置を細かく修正する。
ボールの横に歩み寄ったのはイネスとダビアン。
そこへ、最前線から氏真が静かに歩み寄ってきた。
「イネス、ダビアン」
氏真は二人にだけ聞こえる静かな声で囁いた。
「ここは僕に蹴らせてほしい」
イネスとダビアンが一瞬だけ目を丸くした。
「ウジザネ、狙えるのか? あの壁の上を越えて落とすのは、この寒風じゃかなり厳しいぞ」
ダビアンの問いに、氏真は穏やかに首を横に振った。
「壁の上は越えないよ。……彼らは、必ず跳ぶからね」
氏真の黄金の瞳に宿る静かな確信に、二人は息を呑み、無言で頷いて立ち位置を譲った。
氏真はボールの空気弁の位置を丁寧に整え、芝の上にセットした。
助走距離は、わずか3歩。
相手GKヨナスの重心、壁に入る選手たちの膝の沈み込み、そして味方の壁として相手の横に並ぶカレスとレオンの位置関係。
すべてが、氏真の脳内でひとつの射線へと結実していく。
ピィィッ!
主審の笛が冷たい空気を震わせた。
氏真が助走を開始する。
コペンハーゲンの守備陣は、これまでの三度と同じように、「また29番が囮として助走するだけだ」と確信していた。
後ろに控えるイネスの左足から巻いてくるシュートを遮断するため、壁に並んだ4人の選手たちは、氏真を視界から外していた。
その刹那。
氏真は助走の勢いを逃がすことなく、インパクトの瞬間だけ右足首を強く固定する。
力任せにボールを叩きつけるのではない。
凍てついた芝生を撫でるように、右足の甲でボールの中心を真っ直ぐに打ち抜いた。
パシッ――!
乾いたインパクト音。
放たれたボールは、上空へ跳び上がった味方の壁の下――宙に浮いたスパイクの靴底の真下を、地を這うような猛烈なグラウンダーの弾道となってすり抜けていった。
「なっ……!?」
相手の壁の選手たちが驚愕に目を見開く。
壁の上を越えて曲がってくる弾道を予測していたGKヨナスは、右足を踏み出したまま、逆を突かれて体勢を崩した。
冷たい天然芝の上を滑走し、鋭く直進する弾丸。
芝生を切り裂いて進んだボールは、GKヨナスの伸ばした左足の先をかすめ、ゴール右隅のサイドネットの内側へと吸い込まれていった。
――ザシュッ!
前半36分。1―0。
FCバルシーノ先制!
――
5. 静まり返るスタジアム。
一瞬の静寂の後、アウェイのベンチから控え選手たちが一斉に飛び出し、歓喜の声を上げた。
「¡Golazo!(なんてゴールだ!)」
「決まったぁぁぁッ!!」
駆け寄ってきたレオンが氏真を抱き上げ、サビエルとダビアンがその頭を笑顔でくしゃくしゃに撫で回す。
「見事だ、ウジザネ! まさか足元を通すとはな!」
「味方が跳ぶと分かっていても、あの狭い隙間を通すのは並大抵の技術じゃないぞ!」
称賛の嵐の中、氏真は息を整えながら、少年の素直な笑顔を浮かべた。
「相手GKが完全に僕の助走を偽物だと信じてくれたからね」
ベンチ前で腕を組むジョゼップ監督は、冷徹な表情のまま、満足げに小さく頷いていた。
力でねじ伏せるのではない。
相手自身の憶測によって生まれたバイアスを利用し、正確に射抜く。
それはまさに、14歳のストライカーがピッチ上で紡ぎ出した、冷徹で優雅な解答であった。
失点に動揺するコペンハーゲンFCの強引な反撃を、カレスを中心とする最終ラインが危なげなく跳ね返し続ける。
ピーーーッ! ピーーーッ!
主審が二度の笛を鳴らし、前半終了が告げられた。
1―0。
敵地に寒風吹きすさぶ中、バルシーノが先制点を守り切って前半を折り返した。
だが、ベンチへ引き揚げる氏真の眼差しは、すでに後半の戦い、そしてその先にある欧州の頂を見据えていた。
【次回予告】
1点リードで後半を迎えたバルシーノ。だが、北欧の巨人が怒涛のパワープレーで牙を剥く! 猛攻を凌ぎ、グループ突破を手繰り寄せる次の一手とは――!?
第102話:【言葉なき双璧、極北を穿つ】次なる天下へのパスを回せ!




