第九話
セイはソレイユの手を引いて階段を降りていた。
ソレイユの足取りにあわせてゆっくりと下る。
「ごめんね。遅くて」
ソレイユが申し訳なさそうに言う。
「気にしないで。それより、オレ早くない? もっとゆっくりのほうがいい?」
「うん、大丈夫。階段なんて、もうどのくらいぶりかな」
ゆっくり、ゆっくり二人は階段を降りていく。
セイはふと思った。
降りるのはいがどこへ行けばいいのだろう。
船はもうない。
まだ沖に停泊していたとしてもユウたちが自分を受け入れてくれるとも思えない。ソレイユもダメだろう。陸に居場所がない者が済むための住居船は別だが、交易船など長期間航行する船は原則女人禁制だ。
セイも戻るは気はなかった。自分のせいでユウが他の船員たちから責められるのは見たくないし、ユウなら自分などいなくても立派に船を率いていけるだろう。不思議と寂しさはなかった。
しかしソレイユはどうだろうか。
ソレイユはどのくらいこの塔に閉じ込められていたのだろう。先程の話しぶりからするとかなり長い間になるようだが。
思えば、セイはソレイユのことはほとんど何も知らなかった。
ソレイユとは会ったばかりで、ほとんど何も知らない。聞く機会はあったはずだ。先程まで楽しく話していた。なのにお互いの素性についてはほとんど話さなかった。
無意識に避けていたのかもしれない。
全てを話すと嫌われてしまうのではないか。
セイはこれまでほとんど人と打ち解けたことがなかった。船長やユウとは親しかったが、それは幼い頃から長く一緒にいたからだ。
そう言えばソレイユがセイの傷を癒したようなことを言っていたが、あれも意味がよく分からない。
お互いがお互いをほとんど何も知らないのだ。
だがソレイユの口ぶりと、司祭の言動、そしてセイを責め立てた島民たちの態度からしてソレイユが島で歓迎されるとは考えにくい。
ソレイユに「一緒に探そう」などと大見栄を切ったはいいが、具体的にどうするのかはおろか、塔から出てどうするかの見通しすらない。
そんなことを考えながら一階についた時には、空はすっかり明るくなっているのが窓から見えた。
「あれ?」
セイは床に扉があるのに気が付いた。床の一部に扉が張り付いている。本来壁にあるはずの扉が床にあるのだ。
「なんだこれ。こんなのあったのか」
アブラハムに連れられて塔に入った時には気づかなかった。夜で塔が薄暗かったためだろうか。今は陽の光が塔全体をぼんやりとだが照らしている。
「どうしたの?」
「床に扉があるんだ」
セイは床の扉の前に立った。
「ソレイユ、これ知ってる?」
「うーん、初めて連れて来られたのはもう何年も前だから」
ソレイユは少し考えてから、何かを思いついたように顔をあげた。
「もしかしたら……ねぇ、これがそうなのかも。楽園に続く道」
「楽園って、何それ?」
「浄化された光の楽園。さっき話したでしょ? この塔の下にあるんだって。司祭さまが言ってた」
「浄化された世界って海の底だろ? この先は地下だとfs思うけど」
「だから、その地下の先が楽園に続いてるんじゃない? ただ、普通は行けないとも言ってた」
「うーん」
セイは床の扉を見た。
海の底の楽園という話自体が信用に値するとは思えないし、まして塔の地下がつながってるというのはさらに考えにくい。
「じゃあ、取り合えず開けてみるか」
セイはしゃがんで扉に手をかけた。開かない。
「鍵がかかってる」
「えー、楽園、見てみたかったのになぁ」
ソレイユが残念そうに言う。
セイは改めて扉の鍵を見てみた。
「……よくあるタイプの鍵だな。このくらいなら、いけるか」
「え?」
セイは長い黒髪をかきあげる。その手にはいつの間にか二本の針金が握られていた。
セイは二本の針金を鍵穴に差し込み、数秒ほど動かすと鍵が開くガチャリという音がした。
「開いた」
「え? どうやったの?
「それは─┬」
セイは言い淀んだ。
航海の最中にが無人島を発見することが稀にある。そういう場所から様々な遺物を取り出して売り払うのは船乗りなら誰もがやっていることだ。
ひらたく言えば盗掘だ。失われた技術で鍛造された剣や武具、先込めではない燧発式や雷管式の銃、研磨のしかたさえ不明な宝石、そして使い方も不明な機械類。これらの“お宝”は船の苦しい財政をおおいに助けてくれた。
セイの遺跡荒らしでの役割は錠前類を破ることだ。時には民家や人里から食料などを失敬することもあった。盗みが悪事、少なくとも他人様に胸を張って言えるようなまっとうな行いでないことは分かっていたが、自分と船員たちが生きるために手段を選んではいられなかった。
自分が遺跡荒らしや、時には盗みまで働いていたことをソレイユに知られるのは怖かった。
この手の悪事に手を染めていない船乗りは皆無だ。陸に住めず、影の海にしか居場所のない者たちにはキレイ事を唱えている余裕はない。
それでもソレイユには知られたくなかった。
「えっと、鍵が落ちてたんだ。砲撃で司祭が落したんだと思う」
咄嗟にウソをついたがすぐに後悔した。よく考えればこれだって窃盗には変わりない。だがソレイユは特にそれを咎めるようでもなかった。
「司祭さまが持ってたなら大事な鍵だよね? やっぱりあるんじゃない? 楽園に続く道が」
セイは扉を開けた。重い音が響く。
「……階段だ。下に続いてる」
下り階段が扉のすぐ下にあった。まるで扉で隠されているように。
セイは再びソレイユの手を引いて地下に続く階段を下った。
時折ソレイユが不安そうに肩にも手を置いてくる。
上とは違って階段は急なため、よりソレイユを気遣う必要があった。
窓から差す外の光もなく、松明で周囲を照らす必要があった。片手にソレイユ、もう片手に松明というのは予想以上にバランスが難しい。
どれほど降りただろうか。
底、といった表現が正しいのか。階段が終わるところに辿り着くまでの長さは塔と同じくらいあったように感じた。
「多分、ここが一番下だと思う」
「うん。下からはねかえる音が近いから、底だって分かるよ」
セイが改めて周囲を照らす。松明の明かりは壁に反射することなく暗闇に吸い込まれていく。
「広いね」
「分かるの?」
「足音や私たちの声が返ってくるのが遅い。響いてる」
塔の直径よりも広く感じる。松明一つでは空間全体を照らすことはできそうもない。
ソレイユが指を鳴らす。パチンと小気味よい音がした。
「前のほうになにかあるね。デコボコして……縞模様? そんな形してる」
「スゴいな。そんなことまで分かるんだ」
「うん。ちょっと広すぎて私一人の音じゃ難しいけど、一年もしたら誰でも出来るようになると思うよ」
セイには何年経ってもそんな芸当ができるとは思えなかった。
ソレイユは更に何度も指を鳴らす。済んだ音が何度も空間を駆け抜ける。
「人……? ううん、違うな。中が空っぽ。鎧かな? でこぼこの近くに、五人分くらいの鎧……みたいなのもある」
そうは言われてもセイにはただ真っ暗な暗闇が広がっているだけにしか感じない。
手持無沙汰で周囲を見渡すと、階段の近くの壁に松明やランプを固定するブラケットがあることに気づいた。
ブラケットにはランプも油もある。かなり古いもののようだが問題なく火がついた。
空間が煌々と照らし出され、松明の頼りない光だけだった暗闇が一変した。
「……船?」
セイは思わず口に出していた。
十m程先に祭壇のような台座があり、その上に船が展示されていた。
船といっても骨組みだけの竜骨と呼ばれる状態だ。外材のない骨だけの状態は、セイには死んだ船、という言葉を連想させた。船底から幾本か伸びた骨組みは人間の肋骨を思わせ、ソレイユが「でこぼこの縞模様」と形容したのもうなづける。
竜骨の中には乗組員のように五体の黒い鎧が飾られていた。一見、黒く変色した白骨死体かと思ったが、よく見ると鎧のように見える人工物だった。
船の手前には船をそのまま浮かべることができる程の大きな丸い水面が見える。波打っているところを見ると海面だろうか。
突如、部屋全体に女性の声が響いた。
『ようこそ。白の光たち。あなた方を待っていました』