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第七話

 寒い。

 セイは船の甲板に立っていた。風が強い。

 目の前には五歳ほどの少年が座り込んでいる。

 オレだ。

 目の前にいる少年は五歳の頃のセイだった。

 セイは夢を見ていた。

 これは過去の記憶の夢だ。

 自分の脇腹に触れてみる。

 痛くもないし、血も出ていない。服も破れていない。そこでこれが夢か幻覚か、少なくとも現実ではないと理解できた。

 人間は死ぬ直前にそれまでの人生を思い浮かべるというが、これがそうなのだろうか。

 五歳のセイは両手で何かをこねあわせているように見えた。手の中には黒い粘土のようなものが見える。

 いや、粘土じゃない。黒い水、海水だ。

 セイは物心ついた時には海水を粘土のようにして遊んでいた。これはその時の記憶だ。

 セイは生まれつき影の海に触れても死ななかった。そればかりか、黒い水に向かって命令すると、水はその通りに動いた。

 固まれ、命じれば四角形や球体などに自在に形を変えた。

 散らばれ、と命じれば四方に水滴となって散った。

 しばらく遊んでいると、黒い水はやがて命令をきかなくなり、ただの水に戻った。その後は何度命じても動くことはなかった。水が動かなくなると『手の中に飛び込んでこい』と命じるだけで、また海から新しく黒い水が手に入った。

 幼いセイにとって、影の海は無限に広がる砂場と同じだった。

 セイにはそれが当たり前のことで、他の人間にはできないことを理解するのにしばらく時間がかかった。そのせいで周囲からはずいぶん気味悪がられれ、不吉な子として避けられた。

 だからセイは子供のころかほとんどの時間を一人で過ごしていた。海の近くにいさえすれば、無限に遊べる粘土が手に入る。

 今思えば、触れるだけで死ぬような危険な水を操る子供など受け入れられるわけがない。

 猛毒を持つ虫と戯れながら、当人はその猛毒の影響を受けない、こんな奴がいたらセイだって近づこうとはしないだろう。

 最初に船長に見つかった時はこっぴどく叱られた。二度と人前でその遊びをするなと怒られ、泣いてしまったのを覚えている。

 今思えば船長もセイが不気味だったのだろう。同時に、セイが少しでも他人に拒絶されないよう隠しておくべきだという親心もあったかもしれない。

 船長の意図がどうあれ、セイは一人でいる時間がますます多くなった。セイも海から長い距離を離れると海水を操れなくなることから、あまり陸にも上がらなくなった。

 皆が港で楽しく過ごしている間、セイは船の上で一人で海水を粘土のようにして遊ぶことが多かった。そのほうが気楽だったからだ。

 そんなセイを船員たちもますます避けるようになった。船長と、年齢の近いユウ以外はセイはほとんど他人と口をきくこともなかった。

 また、強い風が吹いた。


 時が経つにつれ、黒い水は一定時間動かさずにいるとただの無害な黒いだけの水に戻ることを理解した。水で遊ぶためにはたえず命令を与え続け、動かし続ける必要があった。

 セイの目の前にいる幼い自分はいつの間にか七歳ほどに成長していた。

 黒い水を粘土のようにして遊ぶのではなく、剣の形にして振り回して遊んでいる。

 しかし剣ではいくら振り回してもすぐにただの水に戻ってしまう。

 セイがまた海水に向かって手を伸ばしたところで、ローブを目深にかぶった人物がそばに立っていることに気づいた。

「これ……“先生”の記憶か」

 セイには子供の頃、武器の扱いを教えてくれた人がいた。

 名前は知らない。

 体格も、当時七歳の自分よりは大きかった、大人の男性であったことしか覚えていない。

 顔もローブのせいで見えなかった。覗き込もうとしても絶妙に視線を遮られて見ることはかなわなかった。

“先生”とはほんの数か月の航海の間一緒に船にいただけだった。

“先生”はどうやら客人らしく、船の仕事をしている姿を見たことはないから、船員ではなかったと思う。

 セイは“先生”に黒い水を武器にして遊んでいるところを見られて、咄嗟に何か言い訳をしようとした。しかし“先生”は特にセイを責めることはせず、セイに剣や槍、鎚の使い方を教えてくれた。

 時には一緒に練習もしてくれた。“先生”は木の棒を、セイは黒い水で造った短剣や槍を使ったが、“先生”には触れることさえかなわかった。

 ある時“先生”は見慣れない不思議な武器を見せてくれた。

 二つの短い鐵の棒を、鎖で繋いだもので、振り回した遠心力で相手に叩きつけるというものだ。

セイも貴族の舘の暖炉の上に飾られているフレイルと呼ばれる連接棍棒を見たことはある。しか“先生”しが持っているそれは少し違うようだった。

『これはヌンチャクと言ってね。海に沈んだ遥か東の国に伝わる武器だ。カラザオやホドロタタキとも呼ばれていたそうで、元は農具や、馬の世話に使われていたらしい』

 多くの子供がそうであるに、セイも幼いころから剣士に憧れていたが、ヌンチャクという独特の形状に惹きつけられ“先生”に使い方を教わり夢中で練習した。

 その後先生と会うことはなかったが、セイは一人でヌンチャクの訓練を続けた。

 また風が吹く。

 今度は少し、寒さが和らいだ気がした。


 周囲の景色が変わり、甲板は喧噪と煙に包まれた。

 セイの目の前には十二歳になった自分がいた。

「これ、最初の……」

 甲板の上で男たちが剣を片手に切りあっている。

 海戦だ。

 海賊が襲撃してきたのだ。交易船はよく積荷を狙われる。大抵の海賊は脅して荷物の一部を要求するだけだが、中には船員を皆殺しにしようとする荒っぽい者たちもいる。この時がまさにそれだった。

 船が大きく揺れる。船側砲が船体を直撃したのだ。

 十二歳のセイにも海賊が襲いかかってきた。

 初めて他人から向けられた純粋な殺意。これまで人に忌み嫌われることはあっても、命を狙われたのは生まれてはじめての経験だった。

 セイは恐怖に駆られ、船側から呼び込んだ海水を相手の男に浴びせかけた。男が振りお下した剣がセイに到達する直前に、男は黒い水の塊になった。

 初めて人を殺した瞬間だった。

 だがセイはそれを実感するより先に行動を起こした。他の船員たちを助けるため、海賊たちの元に駆け寄って海水を浴びせかkた。時には後ろから海賊を突き飛ばして海に落し、時には味方の船員に海水がかからないよう、ヌンチャクの形にして相手を殴りつけた。ヌンチャクの状態でも海水の効果はあるようで、海賊たちは数秒で黒い水に変じていった。

 セイは船の皆を助けるため、この日はじめて人を殺した。一人や二人ではない。少なくとも覚えている限りで五人は命を奪った。もっと多いかもしれない。皆を守るために必死だったのだ。

 だが、その日から他の船員はますますセイを避けるようになった。

 礼を言ってくれたのはユウだけで、褒めてくれたのは船長だけだった。

 物心ついてから自分が歓迎されていないことはおぼろげに感じてはいたが、この時ハッキリと悟った。

 ここに自分の居場所はないのだ、と。


 強い風が吹き付けた。寒い。今までで一番冷える。凍てつきそうだ。

 どうしてこんなイヤな記憶ばかり思い出すんだ。

 もうすぐ死ぬのなら、せめてもう少し幸せな思い出を呼び起こしたかった。

 そう思ったが、セイにとって幸せな思い出はほとんどないことに気づいて、笑ってしまった。

 船長とユウだけは多少距離は近かったが、船長は自分の目の前で死に、ユウは自分とは決別した。

 セイの中にはただ寒さだけがあった。このまま冷えて……きっと死ぬんだろうな。

「嬉しいことも、あったでしょ?」

 セイは後ろから声をかけられて振り向いた。

 知らない少年が立っていた。歳の頃は八歳くらいだろうか。美しい金色の髪と、スミレ色の瞳が印象的だ。

「君は─┬」

 少年はセイの言葉を遮った。

「会えて嬉しかった人がいるでしょ?」

 少年がセイに近づき、セイの左わき腹に触れる。

 暖かい。

 少年の手を通して、温かみがセイの中にゆっくりと伝わってくる。暖かさは全身を駆け巡り、少しづつ、でも確かに幸せな心持になってくる。

「あの人がボクに、ボクがあの人に願ったように、あなたも願われている」

 どんどん体が暖かくなってくる。

 意識が遠のいてきた。

 眠い。心地よい眠気がセイを濃い霧のように包む。

 夢の中で眠気というのもおかしな話だが、セイはこの幸せな気分に包まれながら死ぬのなら悪くないと思えた。

 遠のく意識の中で少年を見据えた。

「だから、ボクもあなたの中に入る。あなたの一部になるよ。あなたは一人じゃない」

 少年がにっこりと微笑んだ。

 どこかで会ったような気がする。

 キミは……誰なんだ?

 セイはその言葉を口にすることはできなかった。もう目を開けていることも、口を動かすことすらも億劫なほどに眠い。

 そしてとても暖かい。

「そばにいるよ」

 そうか、この子は─┬


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