第六話
セイが顔をあげると星空が見えた。
星空?
部屋の中にいたのになぜ星が見えるんだ?
部屋の天井と外壁がない。夜風がセイの頬をなでた。火薬の匂いがする。
砲撃だ。
セイは二回ほど船の砲撃を間近で見たことがある。交易で訪れた港で海戦が起きたのだ。先程の轟音と衝撃、そして周囲に漂う火薬の匂いは船側砲で間違いない。
砲弾が塔の壁を直撃して天井と外壁ごと吹き飛ばしたのだろう。
「セイ……」
セイは押し倒す形になったソレイユを見た。ケガはないように思える。
「ソレイユ、大丈夫!?」
「うん……でもあんたは……」
「オレは大丈夫──うっ!」
セイは立ち上がろうとしてうずくまった。左脇腹に激痛が走った。焼けた鉄串を突き刺されたように熱い。床にぽたりぽたりと液体が滴る音がする。
「セイ、あんた、血が!?」
「ち、違う。水筒が、壊れた、漏れた、だけ……」
少しでも心配されないように明るく言ったつもりだったが、痛みで喉を通る言葉は何度もつかえ、滑らかに出ない。
「ウソ! 血の匂いするよ! 私はケガしてないからあんたしかいない!」
床に伏せるセイとソレイユの後ろから瓦礫を踏む足音がした。
セイは痛みをこらえて背後を振り返ると、仮面の男が立っていた。
「いい判断だ。反応も悪くない。破片を受けたのは不運だったな」
仮面の男は吹き飛んでしまった天井と外壁を見まわした。よく見ると砲撃を受けた壁と反対の壁は残ったままだ。
「陽動のための、ただのぶどう弾のはずだったが。思っていた以上に老朽化していたらしい。おかげで奴を切り損ね─┬いや、そうでもないか」
仮面の男は壁の穴から下を覗き込む。
「た、助けてくれ……!」
アブラハムが穴の縁に捕まりぶら下がっていた。
「これは驚いた。さすがは司祭さま。光のご加護というやつかな?」
「は、はやく……もう、手が……!」
「だろうな。それだけの肥満体では腕も長くはもつまい」
仮面の男は床を掴むアブラハムの手を踏みつけた。
「ぐぉ! な、何を!?」
「影の旅団、聞いたことがあるだろう。お礼に来たというわけだ。俺の役割は塔の掃除だ。ちゃんと仕事が残っていて嬉しい限りだ」
「か、影の旅団、背教徒どもが!? しかし貴様のその服と仮面は間違いなく……」
「苦しいだろう。手を離せば楽になれる。なに、下は海だ。うまくいけばあんたも影の子として第二の人生を歩めるかもな? もっとも、その時は司祭さまなどとふんぞり返ってはおれんだろうがな」
仮面の男はアブラハムの手をゆっくりと踏みにじった。
「ぎゃああ! き、貴様、司祭である私にこんな真似をして、タダで済むと思っているのか!? 反逆だぞこれは!! 許されはせんぞ!」
「ご心配頂き恐縮だが、俺は赦されるつもりはないのでな。あの世で存分に白い光に訴えるといい」
仮面の男は肩をゆらして笑いをもらしながら、ゆっくりと仮面を外した。肌は浅黒く、対照的に髪は雪のように白い。
「お、お前……!?」
「覚えていてくれたとは。奴隷商に売り飛ばした者の顔など忘れているとばかり思ったぞ」
仮面の男は唇を釣り上げて笑い、アブラハムの指を足で一本一本床からはがしていく。
「や、やめ─┬」
アブラハムが言い終わる前に最後の指が床から離れた。
アブラハムの情けない悲鳴が響き、遠く離れ、そして聞こえなくなった。
セイは痛みをこらえながらも半身を起こし、ソレイユをかばうように男との間に入った。
仮面の男がセイたちに振り返る。
「破片は抜けているな。急所も外れている。だが出血が多い。気の毒だが助からんだろうな」
「お前……何者なんだ」
セイはなんとか言葉を絞りだした。口をきくだけでも辛い。
「お偉い司祭さまが仰る通り灯火の子だ。精鋭といえば聞こえはいいが、実際には教会に都合の悪い者を消す、ただの汚れ役だ。俺の場合は“元”がつくがな」
「オレたちを、どうする気だ……!」
「別にどうもしない。お前たちの事情は知らんが、まぁだいたい察しはつく。巻き込んでしまって悪いとは思うが、俺にはどうしてやることもできん。だが、お前には選ぶ権利はある」
仮面の男はセイの目の前に湾刀を突き付けた。
「お前はまもなく死ぬ。だがその時まではもう少しかかる。痛みに苦しみながら。俺がしてやれることは一つしかない。ひと思いに楽にしてやることだけだ」
セイは突き付けられた切っ先を見ながら唾を飲み込んだ。この男は本気だ。セイが望めば本当に一太刀のもとに楽にしてくれるだろう。
「ソレイユに危害を加えたないか……?」
「ソレイユ? 古代語で太陽、女の名か。影の子にはずいぶん皮肉な名だ。俺は別にどうこうする気はないし、世話してやるつもりもない。仲間はもう行動を開始している。俺も急いで合流したいが、お前には選ぶ権利があるのでな」
セイは不思議と男の言葉を信じていい気がしていた。
「もっとも、盲目の女がこんなところでただ一人取り残されては……明るい展望は見えんがな。お前たちが望むなら、二人とも楽にしてやることもできるが」
「ダメだ……! ソレイユは、ソレイユだけは生きてて欲しい……! 切るなら俺だけにしてくれ……!」
「ダメ!」
ソレイユが立ち上がり、セイと男の前に割って入る。
「殺させない! セイだけ殺させたりしない! 私が助けるから! それでも切るなら私ごと切って! そうでないなら、早くどっか行って!」
男は少しの間セイたちを見ていたが、やがて湾刀を鞘におさめた。
「助ける、か。そう言って散っていった奴を何人も見てきたが、まぁ好きにするといい。痛みに苦しみながらでも、最後の時間を恋人と過ごすのもいいだろう」
「オ、オレとソレイユはそんなんじゃ─┬」
ピーーーーー!!!!
突如、耳障りな高い音が響きわたった。
男が仮面を耳に近づけると仮面から甲高い女性の声が響いた。
『アスワドー!! まだ制圧できねぇのかー!? 全部ブッ殺していいんだぞ! あ、でもクソ司祭だけは生け捕りにしろよ! 拷問すんだからな!!』
男、アスワドはいかにも面倒くさそうに溜息をついて首をふり、仮面に向かって話しかけた。
「クラス、もう少し声を抑えてくれ。仮面を外していなかったら鼓膜が破れていた」
『しょーがねぇだろ! この無線、全然調整できねぇんだから! それよかクソ司祭どこだよ! 手足はチョン切ってもいーけど目ン玉くりぬいて耳引きちぎって鼻そぎ落して舌引っこ抜くのはオレだかんな! 横取りすんなよ!!』
「……すまん。塔から落ちた。もう生きてはいないだろう」
『ハァア!? マジかよクッソが!! なら、教団の奴ら皆殺しにしてやらぁ! ガキもジジイもババァも、全部だ!』
「止めはしないがな。物資の調達だけは忘れるなよ。水も燃料もほとんど──切りやがった」
アスワドは仮面をかぶりなおした。
「俺は用事があるんでな。これで失礼する。お邪魔のようだしな」
アスワドはそれだけ言うと、壁の穴に身を躍らせた。
「あ……!」
セイは思わず呼び止めようとしたが脇腹の激痛で声が出なかった。
「あいつはなんだったんだ……」
弱々しく呟いた。それが限界だった。どんどん意識が遠くなっていく。無性に眠い。
「セイ! 大丈夫!? しっかりして」
ソレイユの声が少しづつ遠くなっていく。セイの意識が薄れているのだ。血を流しすぎたようだ。もう脇腹の痛みもほとんど感じない。いや全身の感覚がなくなりつつある。
ソレイユが自分を呼ぶ声が聞こえるが、それもどんどん聞こえなくなっていく。
なんとか守れた、と言ってもいいだろうか。
オレなんかでも誰かを生かせることができたのだろうか。
セイはようやく理解した。どうしてこうまでしてソレイユを守りたかったのか。自分の身を捨ててまで。
そうか。この気持ちは─┬
そこでセイの意識は完全に途切れた。




