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第三話

「彼女を、刺すのです」

 アブラハムはセイに短剣と松明を手渡しながら言った。松明の頼りない灯りに照らされたアブラハムの笑顔は作り物めいて見える。

「……てっきりオレが殺されるんだと思ったけど」

 セイは短剣を器用にクルクルと回しながら言った。

 島の中央に建つこの塔は罰の塔と呼ばれており、光の教えに逆らった罪深い者たちが罰を受けるための施設なのだそうだ。

「殺す? 私たちが? 君を!? とんでもない! おお、神よ! なんと悲しい誤解であろうか!」

 アブラハムは大げさに天を仰ぎ祈りの仕草を取る。

「浄化とは救いだ。セイ。私は、いや私たちは君を助けたいのだよ」

 口調が柔らかいせいでさらに嘘くさく聞こえてならない。

「確かに先ほどの島の者の態度に身の危険を感じるのは無理もない。だが、皆が穢れを恐れる気持ちも分かってやって欲しい」

「それで、この頂上にいる人を殺せばオレは赦されるってこと?」

 セイが塔の外壁に貼り付けたように伸びる螺旋階段を見て言った。塔はまるで伽藍堂のように中身がなく、空っぽだ。

「殺すのではない、ただ、刺すだけだ。これは審判だよ。刺した結果、彼女が死ねば魂と引き換えに救われる。死ななければ、彼女は生きることを赦されたということだ」

 アブラハムが言うには、頂上にいる少女を短剣で刺せばセイの浄化は終わるということだった。

 意味がまったく分からないし、理解しようとも思わないが、アブラハムが信用できないということだけは分かった。

「彼女の穢れはあまりに深い……私たちでは近寄ることすらままならない。己が無力を恥じ入るばかりだ」

 アブラハムは悲しそうに首をふった。

「だが、同じ穢れを受けた君なら彼女を救うことができる。いや、君にしかできないのだ」

 言いなりになって刺すつもりは毛頭ないが、隙を見て逃げ出すためにはまず従うふりをするのが賢明だ。

「さあ、行きなさい。頂上までは長い。足下に気を付けて。君は赦されるだろう! 光の名のもとに祝福あれ!」

 アブラハムは芝居がかった仕草で両手を拡げて厳かに言った。

 ヘタクソな芝居が好きなオッサンだ。そう思ったが口に出すのはやめておいた。口を固く結んでおかないと大根芝居に吹き出してしまいそうだったからだ。


 階段は長く、時折気味の悪いぬめりで足を取られそうになるのでゆっくり登る必要があった。

 セイには手入れをしていないのが丸わかりだったが、わずかに残る靴跡の上を注意深く踏むことで滑りを最小限に抑えることはできる。

 階段の脇には随所に火のついた松明が設置されてある。

 アブラハムは頂上に誰も近づけないと言ったが、靴跡と松明から誰かが頂上まで行き来しているのは明らかだ。

 セイは頂上までのびる階段の松明に火がと持っている時点でアブラハムが嘘を言っていることに気づいたが、靴跡で確信に至った。断言はできないが靴跡はアブラハムのものだろう。

 最上階はまるで隠されるように重い鉄の扉で閉ざされていた。おそらく灯台としての部屋だろう。しかしこの塔が灯台として使われているとは聞いてない。

 セイは両開きの鉄の扉に手をかけた。軋んだ音をたてながらではあるが、見た目の印象と違ってスムーズに開いた。やはりこの扉も頻繁に開け閉めされているのだ。

「……やっぱり信用できない」

 セイは思わず小さな声で呟いた。

 部屋の中は真っ暗で何も見えない。小さな窓から星明りが覗いているが、生活ができるほどの光ではない。

「私は信じてるよ。みんなを」

 暗闇の中から声が聞こえた。鈴を鳴らしたように澄んだ声が。

 セイは咄嗟に声のしたほうに松明を向ける。

 そこには少女が立っていた。長く伸びた金色の髪。真っ黒な深い瞳。長年陽の光にあたっていないことが分かる白い肌。金の枠に縁どられた青く輝く石の耳飾り。

「あんた、この島の人じゃないよね」

 少女、ソレイユが穏やかな笑顔で話しかけた。

 セイは答えることができなかった。ソレイユの声が聞こえていないわけではない。

 美しい。

 セイはその一語しか浮かべることができなかった。

 ソレイユから目が離せない。

 生まれて初めて感じたなにかが胸の中を駆け巡る。騒がしく、激しく踊り、満ちあふれ、内側から心臓が弾け飛びそうだ。

 胸が苦しい。胸の鼓動はこんなにも高鳴るものだったろうか。

 でも決して不快なものじゃない。むしろとても心地よい。それなのにひどく不安にもなる。理解できない気持ちだ。

「ねぇ?」

 ソレイユが頼りない足取りでセイに向かって歩いてきた。彼女が一歩歩くごとに、耳のチャーム状の金色の飾りが小さく澄んだ音をたてるのが聞こえる。

 セイは固まったまま動けなかった。胸の鼓動がますます激しくなる。

 ソレイユはセイのすぐそばまで来て止まった。

 近い。

 近すぎる。

 特に顔と顔が近い。

 人と話す時にこんなにも近づくものだろうか?

「あ、あの」

 セイはやっとのことで声を絞りだした。このままでは触れてしまいそうだ。ソレイユの手が、体が、顔が、そして唇が。いや、触れてみたい。でも触れてはいけない。そんな矛盾する気持ちでセイは混乱した。

 互いが触れ合えそうな程近くで、セイはある違和感に気づいた。それは彼女と出会った時からおぼろげに抱いていたものだ。

 視線が合わない。

 ソレイユの瞳には松明に照らされたセイ自身が映っている。にも関わらず、ソレイユの瞳は自分の視線とあっていないのだ。こんなにも近くにいるのに。

「キミ、もしかして、目が……?」

「キミ、じゃない。ソレイユ。古い言葉で、太陽を意味するんだって。あんたは?」

「オ、オレはセイ。セイって呼ばれてる」

「え!?」

 ソレイユの手がセイの顔に伸びる。

「わ、ちょ、ちょっと……!?」

 冷たく、柔らかい指が触れ、顔をなぞる。

 ソレイユは真剣な面持ちでセイの顔を撫でまわす。頬に。額に。唇に。そして耳飾りに。

「あ、あの……」

「……そう、そうだよね。そんなわけないよね。私より背も高いし」

 ソレイユはそっとセイから手を離す。二人の距離が少し開く。少し落胆したようにも見える。

「あの……ソレイユさん?」

 セイはソレイユが少し離れたことで少し安堵し、そして残念にも思えた。ソレイユの悲しげな表情を見ていると、ひどく自分が悪いことをしたような気持ちになる。

「ソレイユでいいよ。そっか。セイ……セイ。うん。いい名前……いい、名前だね」

 ソレイユは顔を逸らして哀しげに呟いた。

「せ、船長がつけてくれたんだ!」

 セイは焦って話しだした。黙ったままだとソレイユが遠くに消えてしまいそうに思えた。努めて明るい声を出そうとするが、あまり人と話すことに慣れてない上に、明るく、元気に話そうとした経験がほとんどない。声はうわずり、誰がどう聞いても節残な喋り方だ。それでも喋らずにいられなかった。ソレイユの悲しみを少しでもやわらげたかった。

「その、船長が言うには、古い言葉で青を意味するんだって」

 必死に笑顔を作る。笑うなんて慣れていない。きっと不自然で不格好な笑顔になっているだろう。でも笑っていないといけない気がした。

「青……」

 ソレイユが呟いた。

 きっとこの笑顔はソレイユには見えていない。それでも明るい声で、渡って話したかった。

「正しくはセイテンって言うらしい。青空のこと、なんだって」

 少しづつ、声も、喋り方も滑らかになってきた……気がする。

「……そっか。青空と太陽。とてもキレイで、ステキな言葉。変だよね。私たち、穢れてるのに。でも、セイはいい名前だよ」

「そうかな。そんなことはじめて言われた」

 セイは笑った。

 それは生まれてはじめての、不器用ながらも本当の、心からの笑い。作り笑いではない。幸せを感じた本物の笑顔だった。

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