#034 『迷宮攻略前夜』
ヴェル爺の背中が見えなくなった頃、ライドが声を掛けてくる。
「レイン少年、今日の修行はどうする?」
「ごめん、ライド。予定より一日早いけど、もう修行は終わりにしようと思ってたんだ」
予定通りであれば明日、執行騎士の部隊による迷宮の破壊が行われる。それまでに終わらせないといけない用事も終わったし、修行はこれで一区切りだ。
俺の言葉を聞いて、ライドが不思議に思ったらしく、首を傾げる。
「私としては別に構わないのだが、どうしたんだ?」
「元々、ヴェル爺に武器を打ってもらう条件として強くなる必要があったんだ。その目的も達成したし、後はこれもあってな」
そう言って、俺は腰に下げていたポーチからギルドで貰った羊皮紙を取り出す。
その紙をライドが手に取るとふむ、と呟き。
「アヤラルの族長の試練か? という事は、Eランクに昇格したのだな」
「凄い、良く分かったな」
「以前、調べた事があるからな。まあ、もうレイン少年の実力的にEランク判定されてもおかしくは無いから当然の結果だろう」
穏やかな笑みを浮かべながらそう言うライド。俺もそれなりに実力が付いたと思うし、実力者であるライドに認められたという事実が何よりも嬉しい。
だが、ライドは笑みを緩めると、悩まし気な表情に変わる。
「この調子ならDランクもすぐに到達するだろうが……そこから先は時間が掛かるだろうな」
「時間が掛かる?」
若干含みのある言い方が引っ掛かり、聞き返すとライドは一つ頷いてから。
「気を悪くしないで欲しい。別にレイン少年の実力云々という話ではないからな。というのも、『C』ランクには壁があると言われているんだ。冒険者も、魔物も」
「魔物も……?」
冒険者の話ならライドやヴェル爺の例があるから何となくイメージ付くが……魔物にも壁があると言われてもいまいちピンと来ないな。
「ああ。Cランク冒険者として認められれば冒険者として一人前と言われていて、ある程度の才能と実力を兼ね備えていないと到達出来ないランクだからな。そして、冒険者と同じ様にCランク以上の魔物はDランク以下の魔物とは一線を画す能力を秘めている事が多い。だから、もしCランクに該当する魔物と接敵する事があったら一目散に逃げろ。少なくとも、Cランクと認められるまでは絶対に戦おうと思っちゃいけない」
「そ、そんなにか……?」
二週間前、俺はDランクの小さな死神と戦い、重傷を負いつつも勝利した。
だから実力も伸びた今ならCランクの魔物でもカシュアの知識と指示があればどうにか出来るんじゃないかと思ったんだが……。
「君はFランクに上がったばかりでDランクの魔物を倒したと聞いてはいるが、敵との相性が良く、知識があったからこそ何とか撃破したのだろう。だが、Cランクから上は相性や知識だけで通用する相手じゃない。単純な身体能力の差、それだけで圧倒され、殺される可能性が非常に高い」
俺の心の内を読んだかのようなライドの言葉を聞いてゾクリと全身を震わせる。
そう警告してくれるという事は、今の俺の実力でも太刀打ちできないような相手だとライドは分かっているのだろう。
「分かった。どうしても戦わないといけない状況じゃない限りすぐ逃げるようにするよ」
「そもそも戦わないといけない状況に陥らないで欲しいのだが……まあ良い。どんな事にも予想外は付き物だ。十分気を付けてくれ」
呆れたようにライドがそう言った後、思い出したかのように言葉を続ける。
「結局、君は代償魔法の習得はしなかったな」
「ああ。折角教えてくれた所悪いんだけど、俺の相棒から、代償魔法について色々と聞かされたからな。暫くは自分の力だけで何とかしてみようと思っただけさ」
「……そうか」
ライドは目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出した。
そして、目を薄く開けると、こちらを見据える。
「──厳しい事を言わせてもらう。私からしてみれば、甘いと言わざるを得ない」
「……ッ!」
「どれだけ綺麗事を並べたとしても、覚悟をしなければならない時はいつか必ずやってくる。その時に取れる選択肢は多ければ多い程良い。例えそれが、頭の片隅に追いやる程度の情報でも、な」
覚悟。たった二文字のその言葉が脳裏にこびりつく。
俺は、この短期間で二度の覚悟をする事になった。
一度目は、パラサイト・タイタンボアとの戦いで。
二度目は、小さな死神との戦いで。
そのどちらも、カシュアに覚悟を問われ、俺はそれに応えてきた。
でも、カシュアが想定している以上の事態が起きてしまったら?
彼女の指示でもどうにもならないような状況になってしまったら?
それをどうにかしなければいけないのは俺自身だ。そして、その失敗は死を意味する。
そんな場面に直面した時……代償魔法を使わずして強くなるという彼女の教えを、果たして俺は守るべきなのだろうか。
「私は後悔ばかりの人生だった。君も、後悔しない選択をするといい」
ふ、と自嘲めいた笑みを浮かべ、ライドはその場を去っていく。
「ではな。短い間だったが、とても有意義な時間を過ごす事が出来た。ありがとう、レイン少年」
「……ああ。ライドも元気でな」
ライドの言葉が俺の心に大きなしこりを残し。
その背中が見えなくなるまで、俺は茫然と立ち尽くすのだった。
◇
ライドと別れた後、カシュアから頼まれていたお使いを済ませて宿屋に戻る。
その後、カシュアの指示に従い、とある物を作っていた。
『再確認だ。今夜、ボクらは遂に迷宮殺しを決行する。この2週間の努力もあって、十分に、君一人でも攻略が可能だとボクは考えている。後は君の意思次第なんだが……』
「…………」
『レイン君? 大丈夫かい?』
「……ああ、ごめん。考え事してた」
『おいおい、しっかりしておくれよ? 迷宮殺しをしたらもう引き返せない。ボクらは大罪を犯す事になるんだからね』
「……分かってるさ」
ライドとの別れの時の言葉が今も頭の片隅にチラついていて、いまいち集中しきれない。
少し気を紛らわせる為にも、カシュアに今やってる事について聞いてみるか。
「所で、これは何を作らされてるんだ?」
『ちょっとした睡眠薬さ。この前依頼で採取してきた上癒草に、粉末状にまですり潰したロロアの実を混ぜる事で強力な睡眠作用を齎す粉が作れるんだ』
「おい、これ危ない薬なんじゃないのか? 迷宮殺しこそやるとは言ったが、危険な薬を作って法を犯すのだけは勘弁だぞ」
慌てて手に取っていた乳棒を置き、カシュアをじろりと睨む。
だが、カシュアは得意気な顔でふふん、と笑うと。
『心配ご無用。この粉末状の医療薬は疲れている人間であればある程即効性の効き目を発揮する代物でね。連日連夜、迷宮の見張り番でヘトヘトな騎士達はこれを吸った瞬間に深い眠りの世界にご案内さ。だから君は彼らを労わってあげているだけ……慈善行為をしているだけに過ぎないのさ』
へへへ、と悪巧みしている少年のようににやけるカシュア。
本当に医療薬なのか……?と思いつつ、作業を再開すると、カシュアが正面に立つ。
『さて、これからの流れを説明するよ。夜な夜な確認しに行っていたから分かった事だけど、サナボラ樹海の迷宮転移門の前には、二時間おきに見張りの人間が交代し続けている。仕掛けるのはその交代のタイミング。今作っている睡眠薬で見張りの人間を眠らせた後、迷宮内に侵入する』
「ニ時間おきの交代……って事は、実質ニ時間以内で迷宮を攻略しないといけないのか」
『そうだね。それに、迷宮のコアまでの道中、戦闘を考えると大体三十分……行きと帰りの時間を考えたら守護者との戦いは一時間以内に終わらせないといけない。勿論、今の君の実力ならそんなにかからず倒せるとは思うが……』
そこでカシュアは一度黙り、一つ吐息を漏らしてから続ける。
『一度【異常事態】の起きた迷宮内がどんな状態なのかはボクも分からない。元の状態に戻っているのか、それとも起きた時の状態のままなのか……。もし仮に、起きた状態のままだったとしたら、小さな死神を始めとした強敵達を潜り抜けた上で最奥に到達する必要がある』
カシュアの言葉を聞いて、顔を引き攣らせる。
もし仮に、小さな死神達がうようよいる中を強行軍しないといけないとなると、コアの守護者に辿り着くまでにどれぐらい消耗する事になるのだろうか。
以前カシュアから聞いた情報によると、パラサイト・タイタンボアよりも強敵という話だから、少しでも余力を残しておきたい所だが……。
「先に調べる事は出来なかったのか?」
『ボクが転移門をくぐる時、少しでも周囲の騎士達に異常を検知されたくなかったからね。変に動いて迷宮破壊の時期を早められるよりかはマシだと判断した。……その代わり、レイン君にぶっつけ本番を強いる事になっちゃうんだけど……』
「いや、責めたい訳じゃ無いんだ。カシュアが考えて動いてくれてるってのは分かってるからさ」
申し訳なさそうに項垂れるカシュアに慌てて手を振って勘違いを否定する。
『その代わり、迷宮内部の道案内は任せてくれ。最短で最奥まで辿り着ける道のりはボクの脳内で既に思い描いている』
「流石だな」
『ふふん、もっと褒めてくれても良いんだよ?』
おだてるとすぐに調子に乗る所もまたカシュアらしい。
微笑ましくカシュアを見ていると、彼女はごほん、と一つ咳払いして真面目な表情に変わる。
『話を戻そう。もし仮に【異常事態】が起きていなかったとしても、再び【異常事態】が起きる可能性は非常に高い……とボクは考えている』
「……それはライドの話を聞いて気付いた、カシュアの推測の話か?」
『ああ。【異常事態】の発生条件は恐らく──迷宮を破壊しようとする意思。かつ、それを実行出来るだけの実力。……この条件だとボクは推測している』
「……!!」
迷宮を破壊しようとする意思と、それを実行出来る実力。
ライドが教える事は出来ないと言っていたのは、『迷宮を破壊しようとした』事があり、国やギルドに情報を持ち込んだ場合、『何故その結論に至ったのか』という経緯を問われ、斬首刑に問われる可能性があるからだ。それに、2週間前の俺は一人で迷宮を破壊出来る実力も持っていなかった。確かに、理屈は通っている。
そして、今。俺は『迷宮を破壊しようとする意思』を持ち、『それを実行出来るだけの実力』を得た。
この時の事を見越して、カシュアはいずれは避けては通れない道と言っていたのか。
「なら、ライドは……」
──ライドは、迷宮を破壊しようとしている?
そう思いはしたものの、口には出さずに喉元付近で留める。
『なんで彼がそれを知っているか、という話になるよね。でも、今それを考えても仕方ない。サナボラ樹海を攻略してからでもゆっくり考えれば良いさ。取り敢えず、その条件だと仮定して動く事にしよう』
カシュアも頷いてからそう言った。
今からライドに助力を求めに行くのは時間が足りないし、今後の事を考えると俺一人で攻略出来ないようじゃあこの世界全ての迷宮の破壊など不可能だ。それに、なんでもかんでも頼り切りのようではいつまで経っても成長出来ないしな。
「それにしても、迷宮を破壊しようとする意思……か」
『迷宮を産み出した魔王にとって、迷宮は復活に必要な祭壇そのもの。だから予め破壊されないよう、防衛機構が備わっていてもおかしくは無い。問題は、『迷宮を破壊する事』自体が大罪とされていて、それを実行しようとする人間が居なかったからこそ【異常事態】の発生条件が世間に伝わっていないという事さ』
「確かに……」
『財宝を吐き出し続ける迷宮の性質を利用した、人間の欲望を突いたやり口だ。如何にもあの魔王がやりそうな手法さ。本当に汚いね、全く』
けっ、と唾を吐き捨てる勢いで不愉快そうな表情を見せるカシュア。
そんなに嫌悪感を示すなんて、魔王はどれだけ卑怯な奴だったんだ……?
『っと、また話が脱線する所だった。迷宮内部に侵入した後、出来る限り戦闘は避けるつもりだ。もし接敵したとしても、なるべく一撃で仕留めてすぐにその場を去りたい。時間は一秒でも惜しいからね』
「分かった。ヴェル爺から貰った装備もあるしな、運が良ければ接敵しないで済むかもしれない」
そう言ってカシュアにシャドウラビットという魔物の皮で編まれたローブを見せる。
それをカシュアはじっと見つめた後、顎に手を添えて考える様子を見せる。
『ヴェル爺、もしかしたらボクらが迷宮を破壊しに行こうとしているのに、気付いているのかもしれないね』
「えっ」
『武器を受け取りに来た日時、夜間で迷宮を攻略する上で余りにも好都合な装備……気付いていてもおかしくはない要素は山ほどあるからね』
確かに言われてみれば、ローブと一緒に渡された仮面も魔眼に気付かれない為、というよりも顔を隠す意味合いの方が強い気がする。それに、渡された時の様子も今思えば気付いているのを誤魔化していたようにも思える。
『真意がどうにしろ、彼の好意を無駄には出来ない。その二つがあれば、君が敵に捕捉される可能性はグッと下がるし、万が一人間に見つかったとしても顔がバレないのは大きい。一回目の迷宮殺しで面割れなんかした日には、当分の間日の下で行動出来なくなるだろうからね』
……絶対に避けたいな、それは。食料を調達するのにも一苦労するのなんてまっぴらごめんだ。
『……最奥に辿り着いて、守護者を倒した後は迷宮のコアを破壊し、速やかに脱出する。迷宮は維持に必要なコアが破壊されれば、緩やかに崩れ落ち、最終的に消滅するらしいからね。出来れば、帰還するのに必要な体力は残しておいてくれ』
「分かった。保証は出来ないけどな」
間違いなく守護者との戦いは相当激しい物になるだろう。迷宮のそこら辺をうろついている魔物達とは格が違うだろうし、用心するに越した事は無い。
カシュアもそれは分かっているのか、一つ頷いてから。
『何が起きるかは分からないからね。でも、タイムリミットがあるというのは理解しておいてくれよ? 何もマークされていない迷宮を破壊するわけじゃない、国の監視下に置かれている迷宮に侵入し、破壊するんだから、なるべく早く事を済ませたい』
「ああ」
『さて、ボクが予め伝えようと思っていた事は大体言い終えたかな。レイン君から何か聞いておきたい事はあるかい?』
「…………えっと」
カシュアの突然の問いかけに、言葉を詰まらせる。
言うべきだろうか。……ライドに言われてから、ずっと心の中で抱えている不安。
──もし、カシュアが想定していない事態が起きて、俺が今の実力で対処しきれなかった場合──代償魔法を使うべきなのか?
きっと、カシュアは駄目だと答えるだろう。それでも、生死が問われる状況で、甘えた事は言っていられない。もし必要になれば、俺が自分で使う判断をすべきだろう。
「いや、何もない」
『……? そうかい?』
だから、カシュアが知る必要は無い。俺が勝手に、師匠の教えを破るだけ。
その程度の覚悟も出来ない奴が、大罪を背負って生きていける訳が無い。
薬をすり潰し終わり、それを袋に詰めてから、立ち上がる。
『もう出るのかい?』
「ああ。宿屋の人に怪しまれたくないし、早めに現地に行って様子を見ておきたい」
『それなら賛成だ。ただし、そのローブは目立つから辺りが完全に暗くなってから羽織るんだよ?』
「分かってるさ」
ヴェル爺に打ってもらった短剣を腰に下げ、荷物を背負う。
心臓の高鳴りと、心の奥底の不安を、深呼吸をして抑え込んだ。
「──行こう」
こうして、俺達は初めての迷宮殺しに挑む。




