カラオケにて音感の稽古
「じゃあ音感に入るんだけど、この音、一発で出せる?」
俺はキーボードアプリでドの音を鳴らす。
「ええっと、んー。んー」
絢さんはハミングで音を探り探り出して、ピッチを合わせる。
「うん、オッケー。じゃあこれは? 次はハミングしながら当てるんじゃなくて一発で当ててみてね」
次はソの音を出して絢さんに尋ねる。
「……んー」
彼女はコツを掴んだのか、目を瞑って音を聴き、次は一発で音を当ててきた。
「オッケー。じゃあ次はこれ」
その後も上に下に音を変えながらキーボードで音を鳴らし、絢さんに音を当ててもらう。
低音の時は少し出しずらそうで音がブレたけれど、それ以外は正確に音を判別して当てることができた。
「うん。いいね。歌には自信あるって言ってたけど、音感もリズム感も一定以上のレベルはあるね」
「音楽も昔からよく聴いてたからね。ところで、これはなんの稽古なの?」
「稽古っていうか確認だね。絢さんの音感がどの程度なのかって。まあ、これは簡易的にだけど」
「確認かぁ。でもこれくらいなら誰でもできることでしょ?」
「それがそうでもないんだよ」
そう。実はこの音をすぐに当てることは誰にでもできることではない。
意外と音がわからなかったり、わかっても音をきちんと当てることができない人は少なくない。
もちろんこれは訓練し続ければほとんどの人はできるようにはなるけれど。
「最初、ドの音を出す時に、絢さんも少し下の音からシャクって音を合わせてたでしょ? その後からはストレートに当てることが出来てたけど。でもさ、絢さんが今言ったみたいに誰でもできるのなら絢さんだって一発で音を当てることができたんじゃない?」
「あ、そっか。言われてみれば確かに」
どの程度の高さの音かなんとなくわかる。
その音と自分が出してる音が合ってるのかも一応わかる。
こういう人は多い。
でも、的確に音を聴いて、これくらいの音だとわかって、その音を正確に当てることができる人は音楽をやっている人以外だと一気に少なくなる。
現に絢さんも一発目は正確に当てることはできなかったし、なんなら俺も最初のうちは苦労していた。
今ではキーボードの音がなくても一発で音を当てることができるようになったけど。
「ちなみに絢さんがどうして一発目は合わせることができなくて、その後は合うようになったかわかる?」
「ええっと、音をしっかりと聴くようにしたからかな?」
「そう。それが一番大事なんだよ」
「音を聴くことが? でも普通にこの音に合わせてって言われたら音をしっかりと聴くと思うけど」
「実はしっかり聴いてるようで大雑把に捉えてる場合が多いんだよ」
「大雑把に……。確かに一発目はこれくらいの高さの音だから、同じくらいの音を出してハミングしながら当てようとしてたかも」
「でしょ? その後に俺が探らずに当ててって言ったから、しっかり音を聴こうとしたよね」
「うん。そうだった」
大雑把に音を認識することはできても、正確に認識することは本当に難しい。
しかし、これは役者を志す上では避けては通れない道だと思っている。
音を正確に認識するためには、音をしっかりと聴かなくてはならない。
今回はキーボードの音だったけれど、これを芝居に置き換えると相手のセリフの音になる。
相手がどんな音でセリフを言っているのか。
それをしっかりと識別、把握してセリフを言わなければならない。
だから今回、絢さんにやった確認はどれくらいの音感が備わっているかに加えて、きちんと鳴っている音を聴けているのかの確認でもあった。
もしある程度の音感が備わっていても、きちんと音を聴いていなければ一発目のドの音の時みたいに、声に出して探り探り音を当てにいかなければならなかっただろう。
「音をしっかりと聴くのは芸能の必須技能だからね。これは音楽はもちろん、役者だってそう。掛け合いで相手のセリフの音を聴いて意図を汲み取らなくちゃいけないし。ちなみにオーディションの稽古の時、俺がわざと掛け合いのセリフの音を変えてたんだけど気づいてた?」
「え、なにそれ。全然気づかなかった……」
「まあ、そうだよね。俺がセリフの音を変えても絢さんの芝居は変わらなかったからそうなのかもなとは思ってた。あの時は時間がなかったから特別指摘はしなかったけど、絢さんはもっと音に敏感になったほうがいいと思う」
そこまでやる必要はないじゃんと思われるかもしれないけれど、俺は役者は神経質なくらいに音には敏感になるべきだと思っている。
音楽を聴いてるときや映像作品を観ている時は特に。
音楽ならどんな音程で歌っているのか。バックの音はどんな音なのか。どんな楽器が使われているのか。
ギターだけを集中して聴いたり、ベースだけを集中して聴いたり、ドラムだけを集中して聴いたり。
映像作品ならこのシーンのセリフはなんでこの音から入るのか。なんでこの音で終わるのか。このシーンでなぜこういう音楽が掛かっているのか。
それを癖づけると耳が養われて、細かい音の変化に気付けるようになる。
これは最初はほんとうに大変だし凄く疲れることだけれど、訓練して慣れていけば誰でも聞き分けられるようになるはずだから。
「うん。もっと気を付けてみる。すっごく大変そうだけど」
「上手くなるためには避けては通れない道だから、そこは努力するしかないよ。まあでも、絢さんは音感もあるほうだし、意識したら簡単な音ならきちんと聞き分けることもできるから、慣れるのにそこまでの時間は掛からないと思う」
「かなぁ。そうだったらいいな」
絢さんは少し自信がなさそうだけれど、彼女ほどの熱意があればやり遂げられると信じている。
難しくても俺がフォローしたらいいだけだ。
「とりあえず、訓練方法とか意識すべきところとか教えるから、ノートにメモしてね」
「はーい。お願いします師匠ー!」
絢さんは敬礼してから、ノートにメモするためにシャーペンを握る。
俺は一つ一つ丁寧に訓練方法やコツを説明していくのだった。




