クッキー
王宮に戻って来た当初はどこへいっても何をやっても、メリアンは子供たちについていることが多かった。とくに、魔法を使ったり、何か危険なことが伴うかもしれない場合、自分がいなければ不安だった。けれど、双子とフェルディナンド王子、そしてメリアンとフェルディナンド王子の関係が深まることで、メリアンも彼に安心して子供たちを任せることができるようになっていた。
王子と子供たちが馬術の訓練を楽しむ間、メリアンは厨房を借りて子供たちが喜ぶだろうクッキーを焼いていた。様々な形や味のクッキー。きっと子供たちも喜んでくれるだろう。
訓練が終わるころ、メリアンはバスケットにたくさんのクッキーを詰めて、王子と子供たちのもとへと向かった。彼らは汗ばんだ顔で、楽しそうに笑いながら話している。どんな話をしているのだろう。メリアンがいない彼らは、違う一面を見せるのだろうか。メリアンはそんなことを考えながら、彼らの姿を見て楽しくなった。
子供たちの名前を呼ぶと、メリアンに気づいた子供たちは手を振った。それに応えるように「おやつの時間よ。」とメリアンは伝える。彼女の声は暖かく、子供たちに対する愛情が感じられた。
メリアンの元に駆け寄って来た二人にバスケットの中を見せると、大喜びでクッキーを手に取った。彼らは目を輝かせ、お気に入りの形を選んでいた。王子も双子の後ろでその様子を見ていた。バスケットの中には、星やハート、馬の形にくり抜いたクッキーがある。
「厨房でよく菓子作りに励んでいると聞いていたが、随分と腕があがったようだな。」
王子は過去に一度、王子のためにクッキーを作ったメリアンを思い出していた。
十三歳頃だっただろうか。
メリアンはクッキーを王子に作ってくれた。今まで料理なんて一つもしたことがなかったメリアンは隣でお菓子作りに励む、実家の料理人を見よう見真似で取り組んだらしい。
焼き上がったクッキーは、形もまちまちで焦げ目もあるものばかり。それでも可愛くラッピングをし、緊張した顔で王子に手渡すメリアン。彼女の手はわずかに震えていたが、目には誇らしげな光が宿っていた。しかし王子は冷たく突き放すように言った。
「男は甘いものなど食べぬ。」
本当は嬉しかった。甘いものは得意ではないけれど、食べられないわけではない。けれど、メリアンの前ではかっこつけなければならないと思っていた王子は、素直になれずにいた。
その後、メリアンが落胆して棄てたクッキーを、王子はこっそり拾い上げて一口食べてみた。
(美味しくない・・・)
そう思いながらも、彼女の一生懸命さは伝わってきた。
思い出すだけでも、苦い思い出である。
そのことはメリアンも覚えていたようで、フェルディナンド王子が「私にはくれないのか?」と言うと、
「あなたのお口には合わないと思いますので。」と控えめに言った。
そんな二人の事情を知らないルカは、両手に持っていた一つを王子に手渡す。
「おかあさんのクッキー、おいしーよ。」
「たべてたべて。」
王子はそのクッキーを受け取り、口に運んだ。
「お・・・うまい!」
味も、あの頃とは違い、美味しかった。
メリアンは王子の言葉に、安心し、嬉しそうな笑顔を浮かべた。子供たちも自分たちが手渡したクッキーが王子に喜ばれたことに満足そうな顔をしていた。子供たちはクッキーを思う存分に食べると、その場から離れ、ポニーと触れ合いに行った。もうすっかり仲良しだ。エリオットは、子供たちについてく。
メリアンと二人になると、フェルディナンド王子は心の内を伝えた。
「お前の子供たちへの愛を通じて、お前の愛情を客観的に見ることが出来る今、私はお前の数々の愛情を蔑ろにしていたのだと気付かされる。」
「私も同じです。けれどこれまでの私たちの歴史が、今の私たちを繋げてくれていると思います。それぞれの過ちや苦労を乗り越えて、今日まで続いてきた愛だと。」
二人は互いに深い視線を交わし、手を握り合った。最近は少しでも甘い時間があると盛り上がってしまう。
「切り上げよう。二人きりになりたい。」
王子はメリアンの耳元で囁く。
そうして一行は王宮に戻った。子供たちはメイドに預けられ、風呂に入れさせられる中、メリアンは王子に手を引かれ、王子の寝室へ。寝室のドアをさっと閉められ、一秒でも待てないと、王子はメリアンを担ぎ上げ、ベッドへと連れていく。
ベッドに横たわるメリアンを見つめながら、フェルディナンド王子は彼女の髪をそっと撫で、優しい眼差しで微笑んだ。メリアンも王子の瞳を見つめ返し、心から愛しいと感じるその瞳に溶け込んでいく。
王子はメリアンに優しくキスをし、その後頬、首筋、肩へとキスを続けていった。彼女もまた王子を抱きしめてキスを交わす。
メリアンは王子の胸に手を伸ばし、その温もりを感じた。王子はメリアンの繊細な指先に触れ、彼女の柔らかさに酔いしれる。
「愛してる、メリアン。」
「私も、愛しております。」
そして二人は深く身体を重ねた。
欲情が冷めても愛情は変わらない。終わっても、まだ繋がっていたくて手を握り合った。
夕方になる前に、子供たちのもとへと戻った二人。子供たちは、モーリスからチェスを教わっていた。モーリスとルカが対戦中だ。二人の登場にいち早く気づいたのはリリスだ。
「おかあさん、おうじ、いた!」
リリスは嬉しそうに二人の間に入った。王子はリリスを抱き上げた。
「いい子にしてたかい?」
リリスは頷く。そして王子の顔をじっと見つめた。王子はどうした?と言うように首をかしげた。
「おうじのおめめ、ルカとそっくり。リリスと、ルカもそっくり。リリスとルカとおうじ・・・にてるってみんなに言われる。」
突然の言葉に王子は返事に困っていると、ルカも続けた。
「おじいさまと・・・おかあさんもにてる。」
『父親』という存在を今まで認識していなかったであろう子供たちは、メリアンの父に会うことで、そのことについて考えさせられたのだろう。きっと二人でも話し合っていたのかもしれない。
リリスは少し考えた顔をし、でもまっすぐにフェルディナンド王子を見つめながら聞いた。
「おうじはリリスとルカのおとうさんですか?」
控えめなリリスだが、唐突に驚くようなことを直球で言うところはメリアンに似ていた。
王子はリリスを下ろした。そして、リリスとルカ、どちらもいっぺんに見るように、二人の背丈に屈みながら訊ねた。
「二人は私をおとうさんだと思ってくれるのかい?」
「ぼく・・・おうじがおとうさんだったらうれしい。」
「リリスも。おうじ、やさしいし、かっこいい。まほうも、おうまもじょうず。」
「そうか。」
フェルディナンド王子は二人をいっぺんにギュッと抱きしめた。
「ルカ、リリス。ありがとう。」
泣きそうな声だった。そして深く深呼吸をし、続けた。
「そうだ、私はお前たちの父だ。今まで一緒にいられなくてすまなかった。けれど、これからは、ずっとお前たちの側にいたいと思っている。いさせてくれないか?」
その様子をそばで見ていた誰もが目に涙を浮かべていた。メリアンも。
リリスとルカは笑いながら「いいよ。」と答えた。周りがなんで泣きそうな顔をしているかもよく分からずに。けれど、それは悲しい涙ではなく、嬉しい涙だということを子供ながらにも感じとり、二人は嬉しそうにそのまま王子の腕の中で抱きしめられた。