灯火〈ともしび〉
『蒼井凪クン!今仕事終わったから上坂さん帰るよっ!』
携帯の通知欄に珍しく、公式アカウントではなく生身の人間からのメッセージが届いた。
そのメッセージを見て嬉しい反面、鼓動が早く、それは焦燥感に襲われている様だった。
必ず出会える場所…それは下足箱だ。俺はその近くに何か用事があるかの様に周りを見渡したり少し歩いたりして怪しまれない様に過ごしていた。
「今日も疲れたぁ〜」 「外もう真っ暗じゃん!」
他の準備班も帰宅が始まっている。ただ、今日の作業を終えて疲れたと口にしながらもその声音は達成感に満ち溢れている様だった。
その大群は瞬く間に下足場を後にし、気づけばまだ静寂に包まれ、その落ち着いた空気が肌に触れ血管を伝い、身体中が不安な気持ちで染まりそうだった。
一人で悶々としている中、俺を見るや意外な存在を目の当たりにしたかの様に前に出していた右足が中途半端に止まっていた。
「上坂さん…」
「……お疲れ様です」
「ちょ!ちょっと待って!」
目を合わせようともせず、俺の横を通り過ぎて上靴を脱ぎ、靴を取り出そうとしているのを見て逃げられるんじゃないかと焦ったその時にはもう上坂の腕を掴んでいた。
「……!」
「ごめん…。その、上坂さんと話したいって思って」
「…っ。そうなんですね。でも、私は-」
私は、に続く言葉が俺にとっては残酷で鋭く痛いものであるにも関わらず容易に想像できてしまった。
ここで、首を縦に振れられたら、誰かに意地悪されているとか脅されているとか関係なく単純に俺にもう興味がないんだろう。
そう、割り切って問いを投げかけた。
「俺の事…嫌い?」
「蒼井君の事は-」
『私の邪魔をするやつは許さない。ただそれだけよ』
『強い信念を持たれてかっこいいです。真帆さん』
「…ぅわぁ!?上坂さんっ??」
背後から聴こえてくる会話が耳に流れ込んだ瞬間だった。
俺の右腕を掴み、こちらの反応を確かめる事もなく下足場から逃げる様に外に連れられていた。
死角になる下足場を出てすぐに中庭に続く狭い道まで走った。
ただはぁはぁ、と息を切らしてまであの場に居られなかった理由を俺は聞かずにはいられなかった。
「上坂さん…さっきの人たちって」
片方の生徒が、真帆さん…と口にしていた。この名前でこの学校にいる生徒で思い当たる人物はただ1人だけだった。
山本真帆。俺の目的となる人物である一方、アイツは俺の目の前で上坂さんと友達だと言っていた。
あの時は渋々その事実に少なくとも否定はせずにいたが、今の上坂さんの表情や何より行動がその関係性が偽りである事を証明している様に映った。
「…ぇ…さっきの人?」
「うん。さっきの人たちが来た瞬間に外に出ようと俺の腕掴んでたから…何かあったのかなって」
「……」
重苦しい空気が流れる。上坂さんの視点は俺の目ではなく足元だけに注がれていた。
「あ、それとも本当は俺と帰りたくてしかたなかったとか…、じゃないよね」
場を和やかにしようとボケてみたが返って、そのツッコミがない状況に気まずさが倍増した。
「…うん」
足元を見つめながら、吹く風に流されてどこかに飛んでしまいそうなか弱い声でそう呟いた。
え、え?この『…うん』って、実は帰りたかったの!という肯定的なパターンなのか。そうなの、帰りたくなかったの!という否定的なニュアンス…どっち!?
「え、えーと良ければ一緒帰りませんか?」
「うん」
いつもの見慣れた道を帰っているだけなのに、初めて足を踏み入れる先の分からない不安な想いが身体を支配している。
今、俺の横には上坂汐音がいる。
同じクラス、同じ係なのだから話そうと思えばいつでも話せる身近な存在であったはずなのに、この距離感にいる状況が夢みたいに思うと同時に、テレビの中のアイドルの様な遠い存在になっていた事に気づかされる。
「…」
「…」
車幅が車一台ちょっとしかない細い道を特に会話をする事なく歩いている。
「…」
「っ!危ないっ」
向かい側から減速を知らない速度でやってきた自転車が上坂と正面衝突するかもしれないと思い、瞬時の判断で肩に腕をかけそのまま胸元に抱き寄せた。
「……っ」
「上坂さん、大丈夫?」
周りからは道のど真ん中でハグをしている様に映るかもしれない。けれど、どんな風に思われようがどうでもいい、と思ってしまうほど目の前にいる彼女の安全が一番大切だった。
「蒼井…くん…く、くるしいです…」
「ぁ、ご、ごめん!!その、わざとじゃなくて…」
「…分かってますよ。そんな謝らないで下さい。私を助けてくれて…ありがとうございます」
「…いや、こちらこそだよ。上坂さん」
「…?どうして、蒼井くんがお礼を申し上げるんですか?」
「あー、いや、今のはその…これまでのとかまぁ、色んな意味を込めて?言ったっていうか…」
「……」
「上坂、サン…??」
「あの、蒼井君。助けてくれた身として勝手な事かもしれませんが、その…恥ずかしい……です」
「…恥ずかしい…?」
上坂さんの身の危険から避ける事に必死で、今俺と上坂さんがどんな状況で会話を交わしていたのか把握出来ていなかった。
「…ぁ!!いや、その…ごめん!本当に気づかなくて…」
包んでいた上坂さんの身体から手を飛び跳ねる様に離した…が、上坂さんの表情は何を考えているのか分からないひどく、困惑している様子だった。
「ふふ。また謝って……別に…私は…」
夕焼けの仕業か分からないが頬を赤く染めキョロキョロと視線を動かしながら、目が合うその瞬間、俺の中で消えかけていた灯火が命を吹き返し、道が鮮明に見えた。
「嫌じゃ…なかったですよ……?」




