52 嵐のような御方
「……大丈夫よ、ダンフォース卿」
私を庇うように前へ出ようとしたダンフォース卿を押しとどめ、私はフレゼリク陛下と向かい合う。
「私を助けていただいたこと、それに……罪なき命を救うのにご協力いただけたこと、心より感謝申し上げます」
そう言葉にすると、フレゼリク陛下は少しだけ驚いたような顔をした。
「……私は、あなたのお力になれましたか」
「えぇ、陛下がいなければ、きっと今ここに私が立っていることはなかったでしょうから」
彼はとんでもない人だけど、地竜を守り私を助けてくれた。
それは紛れもない事実だ。
「だから、あなたは私の恩人です」
そう伝えると彼は俯き、ふっと笑う。
「……あぁ、駄目ですね」
そう呟き、彼は顔を上げる。金色の瞳が私を捕らえる。
寂しげな色は鳴りを潜め……ぎらぎらと光る捕食者の目をしていた。
あ、まずい……。
「そんな風に言われたら、やっぱり欲しくなるじゃないですか」
彼が腕を伸ばし、私の肩を掴む。
そして誰が止める間のなく、ぐっと顔を近づけられる。
吐息が触れ合うほどの距離でぎらぎらと光る金色の瞳に見つめられると、呼吸さえも止まりそうになってしまう。
肩に触れる手に痛いほどの力がこもる。
まるで「逃がさない」と言われているようで、背筋にぞくりと冷たいものが走る。
「このまま、あなたを連れ去って――」
「ふざけるなよ」
凍てつくような空気を、懐かしい声が切り裂いた。
横から伸びてきた腕がフレゼリク陛下の手を私の肩から引きはがし、体ごと押し返す。
すぐそばにあたたかなぬくもりを感じ、やっと息ができるようになる。
私を庇うように、アレクシス王子がフレゼリク陛下との間に割って入ってくる。
王子は鋭い目でフレゼリク陛下を睨みつけ、威嚇するように告げた。
「俺の妻に触れるな」
まるで抜き身の刃のような、敵愾心のこもった声だった。
だがフレゼリク陛下は委縮する様子もなく、へらりと笑う。
「おや? あなたの妻はアデリーナ王太子妃殿下でしょう? そちらのアデリーナさんはただの侍女だったはずでは?」
フレゼリク陛下の挑発のような言葉に、アレクシス王子はあからさまに舌打ちした。
あたりにピリピリとした空気が漂い、まさに一触即発の雰囲気だ。
あぁ、どうしてこうなってしまったの……。
くらりと眩暈がしたその時、不意にこの場の空気をぶち壊すようなのんきな声が聞こえた。
「うわ、何この空気。戦争でも始まるの?」
「ルー!」
物陰からひょっこり現れたのは小さな秋の妖精王、ルーだった。
「あらら、困ってるみたいだね」
彼はにらみ合う二人と、あたふたする私に視線をやり、にやりと笑った。
「助けてほしい?」
妖精王の彼なら、もしかしたらこの場をなんとかできるかもしれない。
藁にもすがる思いで、私はこくこくと頷いた。
「ふーん……まぁいいよ」
ルーは満足したように鼻を鳴らすと、踊るように軽やかな足取りでこちらへやってくる。
彼が足を止めたのは……アレクシス王子の隣だった。
彼は小さな体でフレゼリク陛下を見上げると不敵に笑った。
「北の国の皇帝様だっけ。まぁ人間たちの諍いに首を突っ込むのもどうかと思ったけど……一応協力の約束してるしね。アデリーナがこの争いを止めてほしがってるから僕はそうする。こっちには他にも妖精王が三人ついてるけど……どうする? それでもやる気?」
私や王子と対立するのなら、それは四人の妖精王を敵に回すのと同じこと――。
軽口のような言い方だったけど、それは紛れもない警告だった。
フレゼリク陛下の金色の瞳がルーを見据える。ぞっとするほど冷たい瞳で。
……一瞬のようにも、永遠のようにも感じられる時間だった。
やがてフレゼリク陛下は、困ったように笑ってやれやれと肩をすくめた。
「これは手厳しい。さすがに何の準備もなく妖精王を敵に回すような真似は避けたいですね。まぁ、これで諦めたつもりはありませんけど」
「いや諦めろ。諦めると誓え」
そう詰め寄るアレクシス王子に、フレゼリク陛下は堪えた様子もなくけろりと笑ってみせる。
「まさか。欲しいものは手に入らないほど余計欲しくなる。そういうものです」
「欲するな! 諦めろ!!」
「私は諦めませんよ、アデリーナさん。それではいずれまた」
彼は最後に私の方を向いて、優しい笑みを浮かべた。
そしてひらりと身をひるがえし、振り返ることもなく去っていく。
少なくともこの場は諦めてくれたのかな?
それにしても、本当に嵐のような御方だった……。