エピローグ 月がそこにあるから
もう日が暮れ始め、辺りが紅く染め上げられている。春樹は慌てて外へ飛び出した。
「大樹!?」
いない。彼の姿がどこにもない。
油断した。泣き疲れて眠り込んでしまったからもう大丈夫だと思っていたのに。そもそも今の彼は体力が限界を超えているはずだ。
「一体どこに……」
焦りを無理に抑えて周りを見回すと、橋に佇む彼の姿を見つけた。
ホッとする。逃げ出したわけでも、何か無茶をしようとしたわけでもないようだ。
「……大樹」
「? 春兄」
振り返った彼の目はまだ赤いけれど、夕日のせいかそれほど気にならない。
「どうしたんだ? 急にいなくなるから驚いたよ」
「あ……悪い。月が見えたから何となく気になって」
「え?」
言われるままに見上げれば、確かにそこにはほんのり輝く月。
横目で見やると、大樹はぼんやりその月に見入っていた。
「……知ってる? 月は太陽がいないと輝かないんだよ」
「え……?」
「太陽が月を照らしているおかげで月は光れるんだ」
淡々と告げると、大樹はきょとんとした面持ちでこちらを見つめた。
やや考えるようにもう一度月を見上げる。それから彼は嬉しそうに笑ってみせた。
「でも、月がそこにあるからこそ光れるんだよな?」
「え……そりゃ、まあ……」
「やっぱすげーな、月って♪」
「……そうだね」
彼の笑顔につられて微笑む。そういう考え方も、悪くない。
大樹は橋の手すりに腕を預けた。橋下を覗き込むようにわずかに身を乗り出す。
春樹も覗いてみたが、紅い川が穏やかに流れていくだけであった。
「……春兄もすごいと思うぜ?」
「……え……」
「実験とか交渉とか、提案したの春兄だろ?」
「……知ってたんだ」
驚きで彼を見つめると、彼は曖昧にうなずいた。自信はなかったらしい。
「葉兄は壊す気満々だったし、じゃあ春兄かなって」
「うん。でもあれが精一杯だった。……ごめんね?」
もっと上手く対処出来る力があれば良かったのに。
そんな思いでため息をつくと、大樹はぶんぶんと首を振った。相変わらず川の流れを見つめたまま。
「春兄がいっぱい考えたってのはわかるし! 獣人、殺されなかったし……!」
「……大樹だって頑張ったよ」
「でも……オレ、言うだけで何も出来なかった……」
「……おまえが言わなきゃ誰も獣人の処分に反対しなかったよ」
言わなきゃ始まらないこともある。
それに今回の交渉が成立したのも大樹の存在があったからこそ。
彼がしたことは決して無駄なことではないはずだ。
一つ一つが何かにきっと繋がっていく。
「それに、ギャラさんがおまえに本当の名前を教えておいてくれって。それってきっと、大樹のことを認めていたからだよね」
「本当の名前……?」
「うん。ギャラさんの本当の名前は『ギャラクシー』って言うんだよ」
「ぎゃら……くしー?」
「銀河っていう意味」
「銀河……。そっか。ピッタリだな♪」
笑顔を見せた大樹が、森のある方へと顔を向ける。
そのまま彼は、春樹の言葉を噛み締めるようにしばし考え込んでいた。穏やかな風を受けながら、彼はまた月を見上げる。
ぼんやりと、けれど確かに輝いている月。
それは不思議なほど静かな時間だった。
やがて、彼はそっと口を開く。その響きを守るかのように。
「あのな」
「ん?」
「葉兄に跡を継げって言われてからも、オレ、あんま深く考えてなかったんだけどさ……」
彼の眼差しは力強く、真っ直ぐで。
「ルナみたいな人たちを救うのも王サマの仕事か?」
「え?」
「王サマになれば……少しでもそーゆう人たち、救うことが出来るのかな」
「……大樹……?」
夕焼けの色が一段と濃く、温かみを増す。
どこか遠くで子供のはしゃぐ声が聞こえた。微かに震える木々の囁き。
「――ん、何でもない!」
パッと手すりから離れた彼は、元気に笑顔で見上げてきた。春樹の手を握ってくる。
「春兄、早く帰ろーぜ? オレ、ハラへったぁ」
そう笑った彼は、いつも通りで。春樹も自然と笑顔を向けた。
「……そうだね。僕もお腹空いちゃった」
二人並んで歩き始める。大樹は最後にもう一度月を見上げた。しっかりと笑顔を向けて。
月がそっと、微笑ったような気がした。
■10話「静かに鎮め夕月夜」了




