7封目 子供のワガママは果てなく
鈍く激しい音が徐々に弱まってきたのはいつからか。
「出せっ! ここから出せよ!!」
何もない空間に椅子を思い切り叩きつければ、返ってくるのは確かな手応え。
椅子から腕へとその衝撃は容赦なく伝わってくる。
痛みに腕が軋んだ。
それでも大樹はもう一度椅子を振り上げる。渾身の力を込めて。
「ここから出せ――っ!!」
椅子を空間へ振り落とす!
――だが、やはり手応えはあるもののそれ以上は進めない。
手が痺れ、大樹はその場にへたり込んだ。
数度咳き込む。
無理に大声を出したものだから喉が痛い。視界が曇る。
「げほっ……ちくしょー……」
もうどれくらいこうしているのかわからない。
少なくとも部屋に閉じ込められてからずっとであった。いい加減体力が限界だ。
大樹は力なく周りを見回した。割と小さな部屋なので簡単に一望出来る。
机にベッド、中がガランとした本棚が一つずつ。そして今は役割を果たせていない窓とドアも一つずつ。
床には本が乱雑に投げ出されていた。大樹が投げたのだ。
大樹はもう一度一冊の本を手に取り、思い切り窓の外に向かって投げつけた。
本は勢い良く宙を飛び――窓に当たることすらなく跳ね返ってくる。遮るのは見えない壁。
「葉兄のバカ! アホ! 結界なんて張りやがって……っ」
悔しさに唇を噛む。
こんなところでじっとしているわけにはいかないのに。
「どうすりゃいいんだよ……」
何度も何度も試した。大声だって数え切れないほど出した。
それでも何も変わらない。
それならこれ以上どうすればいい? 一体何が出来る?
コンコン
「!?」
窓から聞こえた音に勢い良く振り返る。大樹は思わず目を見開いた。
「春兄……!!」
「大樹、入ってもいい?」
「え? でも……」
戸惑っている内に、窓に鍵はかかっていないらしく、春樹はすんなりと部屋の中へ入って来る。
「結界は……?」
「結界にも色々あるから。これは大樹専用ってとこかな」
「……本も出れないけど」
「大樹が投げた本だからだろ?」
春樹はさらりと答え、部屋の荒れように苦笑した。それからすぐに表情を引き締める。
「……大樹。窓の外、見て」
「へっ……? ――ルナ!?」
セーガに乗っているのは紛れもなくルナの姿。
体の疲労も忘れて駆け寄ると、彼女はそっと微笑んだ。
軽い身のこなしでセーガから降り、窓から中へ入ってくる。
大樹は喜びで顔を明るくし――すぐにそれを打ち消した。
「ルナ、その傷……!?」
「色々あって。でも私は大丈夫だから……」
「ダイジョーブなわけないだろ!?」
怒鳴っても、彼女は笑顔で「大丈夫」と首を振るだけ。
それを見て、何かがピンと来た。
「オレの……せい……?」
声が震える。情けないくらい泣きそうになった。
「オレがルナに会っちゃったから? オレが……オレがルナに会わなきゃ……っ!」
彼女は今も、仲間と笑い合っていられたのだろうか。
傷つくことなく無事に暮らせたのだろうか。
「……大樹、それは違うよ。元々、もう駄目だったの。言ったでしょ? 猟師が森に迷い込んだって。それから徐々に噂は広まって……私たちじゃもうどうしようもなかったんだよ。こうなる運命だったんだと思う」
「……そんなこと……」
「それに私、大樹に会えて良かった。色んなものを見ることが出来たよ。――ありがとう」
「…………っ!!」
力の限り首を振る。言葉にならなかった。
嬉しい。けれどそれ以上に苦しい。嫌だ。こんなの嫌だ。
「ルナ……死ぬ気じゃないよな?」
「…………」
「やだっ……そんなのぜってぇやだ!! いなくなるなんてやだ……っ」
「……大樹」
ルナは微笑んだ。嬉しそうに、それでいて悲しそうに。
「その気持ちは嬉しいよ。春樹さんからも聞いた。大樹が私たちのために王に食ってかかったって」
「――……」
「私たち獣人のためになろうとしてくれたヒト、私のお父さんと大樹くらいだよ」
「……ちがう……」
大樹は緩く首を振った。今、少しわかった気がする。
「大樹……?」
「オレ……そんな偉い奴じゃない……っ」
ルナのためだとか。獣人のためだとか。そんな立派な理由があるわけではない。
「オレが嫌なだけなんだ……っ!」
ルナたちと会えなくなるのが嫌だから。ルナたちが苦しんでいると自分まで悲しくなるから。自分がルナたちの笑顔を見ていたいから。
だから嫌なのだ。だから殺さないでほしいのだ。
それは、ひどく子供じみた我侭。
「……それでも十分、嬉しいよ?」
「ルナ……」
顔を上げるのと同時に感じた温かさ。回された腕。そっと込められる力。
――“おまじない”だ。
大樹も恐る恐る腕を回す。
そこからは確かに温もりを感じるのに、ルナの身体が細くて、心細げで。
いつものようにぎゅっとするのがためらわれた。
「大樹、ありがとう。――バイバイ」
「あ……っ」
腕が離れる。引き止めようにも、彼女はするりとこちらの手を逃れてしまった。
そのまま窓の外へ姿を消す。
追いかけたい。だが結界がそれを阻む。
「ルナ! ルナ!?」
「……大樹」
「春兄! ルナは!? どうするつもりなんだよ!? バイバイって……!」
「大樹。結界にも色々あるんだからな?」
「え……?」
大樹の質問には一切答えないまま、春樹も窓の外へ姿を消す。
セーガに乗った二人がどこかへ向かうのが見えた。
一人部屋に残され、大樹はその場に立ち尽くす。
ルナの温もりと春樹の言葉だけが何度も蘇ってきた。
◇ ◆ ◇
セーガに乗り、直接王室へ向かっている春樹はちらりと後方を見やった。
ルナが真剣な表情で前を見ている。それは何かを決心した様子で。
「……ルナさん。本当にいいんですか?」
「はい」
きっぱりした返事から揺るぎは見えない。
「すいません、こんなこと頼んで」
「いえ。少しでも可能性があるならそれに賭けたいですから……。それより、最後に大樹に会わせてくれてありがとうございました」
「……いえ」
呟くようにし、春樹は前方へ向き直った。セーガが一段と速度を上げる。
◇ ◆ ◇
『結界にも色々あるんだからな?』
あれは一体、どういうつもりで言ったのだろう。
大樹は開け放たれた窓を見たまま思考を巡らせた。
春樹のことだ、きっと意味があるに違いない。
逸る気持ちを抑え、深呼吸で落ち着こうと試みる。
不安が膨らむ一方だが、何とか気持ちを切り替えようと大樹は外を睨みつけた。
大丈夫だ。――きっとダイジョーブ。
(結界……)
大樹はそっと手を伸ばした。
何も見えない。けれど感じる手応え。大きな、大きな壁。
(結界にも色々……?)
そういえば以前に聞いたことがある。
結界にはいくつかタイプがあるのだと。
例えば今のように、周りと同化して見えない結界と、はっきり壁として見える結界。
短時間張られる強力な結界と、長時間張られるが効果の落ちる結界。
一点に集中して強固な結界と、均一的な結界……。
――これは? この結界はどのタイプだ?
「……ここ……?」
大樹は気づいた。ドアより右に寄った箇所だけ風の流れが違うことを。
「…………」
『オレはやだからな! ぜってー諦めないっ! ルナたちを助けるんだ!!』
――その気持ちは今だって変わらない。
「諦めてたまるか……!」
封御を取り出し――思い切り突く!
何度も何度も、精一杯に叩き込む。腕が痺れても構わない。力任せに、けれど一点に集中して。
ありがとうとルナは言った。バイバイとも言った。
だが、自分は?
何も、何一つすら言えていない。伝えることが出来ていない。
そのまま会えなくなるなんて嫌だ!
ぐっと押し込むと、封御が何かに引っ掛かった。
大樹はさらに体重を乗せる。力を思い切り込めて。
「ぅあ!?」
ふいに風が勢い良く流れ出ていったような気がした。
それと同時に自分の身体を支えていたものが消え失せ、大樹は重力に逆らい切れず前へ崩れ落ちる。
封御もまた、部屋の外へ押し出されて数度転がった。
「……出れた……?」
音も何もなかったが、確かにあった手応えが消えている。
大樹はフラフラと立ち上がり、手を前に出しつつドアへ向かった。ぶつからない。
――結界を出ることが出来た!
「ルナ……!」
封御を拾い、弾けるように駆け出す。
足が重いが気にしている余裕はない。
とにかく動いていないと不安で仕方なかった。
どこだ。彼女はどこに――。
「わ!?」
「お?」
キョロキョロしていたせいで、向こうからやって来た相手と見事に衝突した。
勢いで後ろへ吹っ飛びそうになったが、相手がとっさに腕をつかんで支えてくれる。
「……って大樹?」
「へっ? 空兄……」
「おまえ、部屋に閉じ込められてたんじゃ?」
空が怪訝そうに首を傾げる。
だが今の大樹にはうろたえている余裕すらない。ただ意味もなく首を振る。
「空兄こそここで何やって……」
「葉がおまえの様子見に行ってくれって言うから。……あぁ、もしかしてもう話し合いは済んだとか? だから葉も結界解いたとか」
「話し……合い?」
呑気に笑う空を見上げる。
大樹の頭は真っ白になりつつあった。部屋の中で体力を使いすぎたのだ。考える力はほとんど残されていない。
「話し合いって……?」
「獣人のことだろ?」
「え!?」
「……あれ、もしかして知らなかったのか?」
空が目を丸くする。彼の顔にはしっかり「やべ」と書いてあるようだった。余計なことを言ってしまったと思ったのだろう。
「空兄! どーゆうこと!? 獣人の話し合いって!?」
「いや……獣人を壊すって案が多かったんだけど、それは延期してもう少し様子を見ようっていう方向性になるって……」
延期。様子見。それは思いがけない言葉。
「ほんとに……? マジで!? じゃあ、とりあえず獣人は無事なのか!?」
「森に結界を張るらしいから、その辺の自由はなくなっちまうみたいだけどな。葉が何とか周りを説得するって言ってたし、多分それで決定なんじゃねぇかな?」
「――……」
大樹はズルズルと力が抜けていくのを感じた。空が慌てて支えてくれる。
(良かった……)
まだどうなるかわからない。
けれど今すぐ獣人が殺されてしまう危険はなくなった。
希望が少しずつ見えてきた。
「大樹ー? しっかりしろよ。ほら立って」
「あ、悪い」
「そんなに嬉しいのか? だったらあの子に感謝しろよ」
「……え?」
カラカラと笑う空に瞬く。大樹はふと奇妙な予感がした。
「空兄、あの子って……」
「ん? ほら、おまえが一緒にいた……、――あ」
「ルナ? ルナが何かしたのか!?」
問い詰めても、空は曖昧に笑うだけ。
それは嬉しいわけでも楽しいわけでもなく、ただ誤魔化すための笑み。
大樹は苛立ちを隠せなかった。空の腕を強くつかむ。
「空兄!」
彼は目をそらす。
大樹は彼の腕をさらに強くつかんだ。その手が震えそうになり、それを押し隠すためにさらに力を込める。
それに反応するかのように、空がゆっくり顔を向けてきた。その瞳は真剣に。
「……あの子が、実験材料になるって」
「じっけん……?」
「獣人は造られたものだろ? それなら造り変えることも出来るんじゃないかって話になったんだよ。危険な要素をなくすことが出来るんじゃないかって……。そのためには獣人の仕組みとかを詳しく調べたり効果を試したりする必要があって、そーゆう役、あの子が自ら引き受けたらしいんだ」
その実験に成功すれば、獣人を壊す必要はなくなる。だから“様子見”なのだ。
けれど、実験って? 調べるって何を? もし失敗したら?
そもそも“造り変える”って――?
「…………」
「大樹。実験っていってもひどいことばかりするわけじゃないし……大樹? どこ行くんだ!? 大樹!」




