4封目 外側に広がるセカイ
何だかんだと言いつつ海賊生活三日目。
「洋! 洗濯物運んできたぜ!」
「お、ちっとは行動が早くなってきたじゃねぇか」
「へへっ、どんなもんだい!」
「つってもまだまだ半人前にも程遠いぜ?」
「うっ……オレだってまだ頑張れるもんねっ」
大樹が頬を膨らませると、洋と呼ばれた男は楽しげに笑った。
春樹は知らなかったが、いつの間にか彼が大樹の指導係になったらしい。大柄な彼は、年は春樹たちの父より若いものの、小柄な大樹といるとまるで親子だ。
ちなみにここで呼び合っている名はどうも本名とは異なるらしい。いわばニックネームのようなものだろう。(どうりで水関係の字が多いと思った。)
「春樹、ぼんやりしてるんだったらこれ持ってってくれ!」
「あ、はいっ」
鋭い声に慌てて返事をし、キャベツがたくさん詰まった樽を受け取る。その重さに一瞬怯んだが、何とか気を取り直して歩き始めた。もう、厨房の担当は春樹になりつつある。
――そう、海賊生活も三日目。まだ三日というべきか、もう三日というべきか。
とりあえず。
(……すっかり人質の立場ってこと忘れてるよねぇ……)
春樹自身もそうだが、何だか異様に馴染んでしまった。
大樹はもちろん、相手もほとんど春樹たちが人質だと忘れかけているのではないだろうか。
頭である漣だけは一歩離れた位置で物事を見ているようだが……。
「キャベツ、持ってきました……」
「お、ご苦労さん。……春樹、元気ないねぇ?」
「いえ」
顔を覗き込んでくる渉に苦笑する。少しダルイのは事実だが我慢出来ないほどではなかった。
それに――この仕事量なら少しくらい疲れているのは不思議でも何でもない。いくら家事に慣れているとはいえ量が半端ではないのだ。
「うっわー! 洋って実は器用なんだな!?」
「実はとは失礼な!」
――ふいに聞こえてきた会話に注意を逸らす。
大樹の声はこの船の中で一番高く、子供特有の響きがあるせいですぐに目立つのだ。加えて元々声が大きいのも原因である。
「あっちは相変わらず元気だね」
同じように会話を耳にしていた渉が笑う。春樹も苦笑してうなずいた。
厨房でジャガイモを洗っていた男が顔を出す。
「何だかんだいって、子供がいるってのも結構いいっすね」
「ん? あんた、女子供は苦手じゃなかったかい? 船には男だけで十分だって」
女の渉が言うからには、この二人には以前何か揉め事でもあったのだろうか。
そう思わせるような顔で渉が男を突つくと、男は困ったように笑った。
「いや、そう思ってたんですけどー……やっぱ女子供がいると華やぐっつーか、活気づくっつーか」
「……確かにね。あたしも驚いたよ、野郎共が意外と子供好きで」
それは春樹も驚いていた。
作業中はもちろん厳しく、大樹が怒鳴られているのもよく耳にする。けれどそれ以外ではみんな親切なのだ。人質だから丁重に、という面を抜きにしても。それはきっと彼らの気の優しい性格が反映しているのだろう。
「ここは姐さんもお頭と一つ……」
「セクハラ発言かましてんじゃねぇよド阿呆」
「いたたたたっ、姐さん、ギブ、ギブ! やめて潰さないで俺の男の象徴~っ!」
「…………」
――春樹は、今の会話を聞かなかったことにした。
渉が何か言って男を追い払った。春樹は彼女と二人きりだ。それを意識し、春樹は小さく息を整えた。キャベツを樽から出しながらそっと渉を見る。
「皆さん、優しいですよね」
「あはは。怖い顔に似合わずね」
「でも、優しいと何だか海賊ってイメージじゃないような気がするんですけど……」
「そうかい?」
――あっさりした言葉に、はぐらかされてしまったかと肩を落とす。
だが、渉はさらに言葉を続けた。
「元々海賊を気取るつもりはなかったしね」
「え?」
「実際やっていることは似たようなもんだし、いつの間にかそう噂が広まってたからあたしたちも便乗してるって感じ。別に海賊を名乗ることに興味はないしね」
「でも……それならどうして海賊行為のようなことを?」
すっかり手の止まってしまった春樹は真っ直ぐに渉を見た。
その視線を受け止めた彼女はニヤリと笑う。その笑みは不敵でいて、どこか楽しげだった。
「春樹。あたしにそれを答える義務はあるか?」
「……いえ。けれど知りたいです」
「くくっ。子供じみたワガママだねぇ?」
「…………」
「でも、あたしたちの行為はそれ以上に子供じみたワガママさ」
「……え?」
思いがけず顔を上げる。
自身の行為を「子供じみたワガママ」と称する彼女は、その言葉に似つかわしくないほど得意気だった。誇らしげと言ってもいいかもしれない。
「海賊行為は軍資金集めだ」
「軍資金……?」
「あたしたちの目的を達成するためにはかなりのお金が必要になってくるからね。……目的のために手段を選ばないなんて間違ってるかもしれないけど、あたしたちはそんなキレイゴトより夢がほしい。ひたすら夢を叶えたいんだ」
「目的や夢を……?」
それが正しいか、間違っているか。そのようなことを春樹が口出すことは出来なかった。
そんな自分に渉が笑いかける。
「そうだ。あんた、まだ物見台に登ったことないだろ?」
「はい、ありませんけど……」
「見晴らしいいから、高所恐怖症じゃないなら大樹とでも登ってごらん」
◇ ◆ ◇
物見台までの高さは軽く三十メートルはある。
慎重に段索を一段ずつ登ってようやく辿り着くと、甲板の人々がとても小さく見えた。
「うっわー! すっげー!」
腰を下ろした大樹がはしゃぐ。潮風を気持ち良さそうに受けながら、彼は笑顔でこちらを振り返った。
「春兄も早く! すっげー気持ちいいぜ!」
「急かすなよ」
苦笑し、何とか大樹の隣へ腰を下ろす。確かにそこは見晴らしが良く、潮風がとても気持ち良かった。ひたすら見渡せる青い海や、手が届いてしまいそうな白い雲には一瞬呼吸すら忘れてしまう。
(やっぱり渉さんの言ってた目的っていうのも海絡みなのかな……?)
先程はどうも誤魔化されてしまった。
しかし今までの様子やここを勧めたことからすると、みんな海は大好きなのだろう。そうなると海に関するものだと考えるのが自然な気はするのだが……。
「春兄?」
「え……?」
声をかけられ、ふと我に返る。それと同時に妙に太陽の光を感じた。頭上から降り注いでいるのはもちろんだが、やたら海が照り返しているような気がする。
「春兄……ダイジョーブか? 顔色悪いぜ?」
大樹が心配そうに顔を覗き込んでくる。
彼に心配されるならよっぽどひどいのだろうかと春樹は苦笑してしまった。
「大丈夫だよ」
「ホントか? でも元気ねーし……」
「ここに慣れてないから緊張してるんだって」
それは本当だった。この高さだけでもすごいのに、ここは船の上。ユラユラと揺れて少々怖くもあるのだ。慣れるにはもう少し時間がいるだろう。
春樹の言葉に、大樹は曖昧にうなずいた。半信半疑な様子で海に視線を戻す。
「あ」
「え?」
「鳥だ! 渡り鳥ってやつじゃねぇ?」
嬉々とした大樹が手を伸ばす。
すると、その鳥は吸い寄せられるように彼の手へ止まった。
それは彼の“力”が関係しているのか、それとも彼自身の空気がそうさせるのか。
鳥は懐いた様子で彼を見ている。
――“見かけない子供ね”
「“おう! オレたちは……えーっと……新入りみたいなもんだぜ”」
――“あら、それは大変でしょう”
「“でもみんな優しいし楽しいぜ?”」
――“それはいいことね。……あ、そうそう。気をつけなさい”
「“へっ? 何が?”」
――“もうすぐ嵐が来るわ”
「“えぇっ!?”」
「……大樹?」
ぼんやり見守っていた春樹は、豹変した大樹の表情に眉を寄せた。
一体何を話しているのだろう。さっぱりわからない。
「春兄!」
鳥が離れていった後、大樹が勢い良くこちらに向き直った。
そうぼうっとした頭で認識するが、なぜかその声は遠く聞こえる。
グラリと視界が揺れた。
「春兄……っ!?」
大樹の顔が引きつる。
一瞬何が何だかわからなかった。
一拍遅れ、――理解する。
(落ちる――――!?)
セーガを出そうとするが、なぜか力が入らない。
このままでは甲板に叩きつけられ、死んでしまう――……っ!
「春兄――――っ!!」
◇ ◆ ◇
ユラユラして、クラクラして、――気持ち悪い。
「……んっ……?」
妙に体がダルイ。一体どうしたのだろうかと春樹はぼんやり目を開け、何とか上半身を起こした。
と。
「……だ、いき?」
すぐ目の前に大樹の顔があり、春樹の思考は一時停止した。あまりにも近かったので驚くのを通り越してしまったのだ。
訳もわからず見つめ合っていると、大樹の瞳にみるみると涙が溜まっていき――。
「春兄……」
「え?」
「春兄―――っ!」
「うわぁ!? な、何!? 苦し……っ」
思い切り抱きしめられて焦る。
しかし大樹が離れる気配は一向にない。むしろ腕の力は増すばかりだ。
「良かった、良かったぁ! も、死んじゃったかもって……っ、呼んでも起きねぇし! 春兄のバカぁ~~~~っ!!」
「え……」
「ハイハイ、そこまで。大樹も落ち着け」
グイと引っ張られ、引き剥がされる。顔を上げると渉がこちらを見下ろしていた。苦笑じみた笑みを浮かべている。
「覚えてないかい? あんた、物見台から落っこちたんだよ」
「……あっ」
言われ、ようやく意識がはっきりと色づく。それと同時に落ちた瞬間の感覚を思い出し、無意識に身体の筋肉が跳ねた。今更ながら血の気が引いてくる。あの高さから落ちただなんて。
「あの……僕……」
「熱あるし、多分疲労のせいだね。しばらく休んでた方がいい」
「……すいません」
ただでさえ自分は乗り物に酔いやすい。それも原因にプラスされているのだろう。
申し訳ない思いで頭を下げると、周りの男が肩をすくめた。冗談めかして笑う。
「あーあ。今日は姐さんの飯かぁ」
「あ、じゃあオレが手伝う!」
「「「それだけはやめて」」」
「何だよそれぇ!?」
みんなに申し出を断られた大樹がキャンキャンと喚く。
そんな彼に男たちは笑ったが、春樹は思わず顔を引きつらせてしまった。大樹の不器用さがここまで広まっているなんて。
「ほら、てめーら! そろそろ作業に戻んな!」
「「「へーい」」」
渉の一声でみんながゾロゾロと部屋を出ていく。
心配そうにこちらを見やった大樹も、洋に何かからかわれたのか、顔を赤くして彼を追いかけ出した。部屋の外でどっと笑い声が起こったのがわかる。
「……くくっ」
「渉さん?」
「いや、大樹ってばとんでもない奴だね」
「……あいつが何かしたんですか?」
不安に表情が曇る。
彼はおっちょこちょいなので、何かまずいことをやらかしていても不思議はなかった。むしろ何も問題を起こさない方が不思議かもしれない。
だが、渉は楽しげに笑った。
「ま、覚えてなくても仕方ないか。……あいつ、飛び降りたんだよ」
「……は?」
「春樹が落ちた後、それを追って飛び降りたんだ。で、あんたを抱え込んで……旦那が大樹ごと受け止めてくれたからあんたら兄弟は助かったってわけ」
「なっ……」
自分でもわからない言葉を言いかけ、絶句する。
春樹は額に手をついた。込み上げてくる感情はどこか「怒り」に近い。
「あのバカ……っ」
「あんたのことが大好きなんだろ。大樹、あんたの目が覚めるまで側から離れなかったしな」
「渉さん……」
「あんたがそうやって怒るのも、大樹が好きで心配だからだろ?」
そう言われては何も言い返せない。春樹は黙り込み、ただ自分の手に視線を落とした。
渉は笑いながら肩をすくめる。
「とにかく、しばらくゆっくりしときな」
彼女は小さな子供をあやすかのように頭を撫でてきた。それはやはり恥ずかしく、けれど思ったより嫌ではない。
春樹は礼も謝罪も忘れ、無意識の内に小さくうなずいていた。
満足したように笑った渉が部屋を出ていく。
――すると、入れ違いに漣がやって来た。
「漣さん……?」
驚き、緊張が入り混じる。彼と話す機会は今までほとんどなかった。
「スープを持ってきた。……インスタントだが渉のよりは飲めると思うぜ?」
「あ……ありがとうございます」
受け取り、慌てて頭を下げる。そのことで軽く目眩がしたが、春樹は何とかそれをやり過ごした。「いただきます」とスープへ口をつける。温かいソレはゆっくり身体に染み込み――何だかすごくホッとした。
チラリと顔を上げれば、落ち着きながらもどこか楽しげな漣の顔。顔も性格も全く違うタイプなのに、それはなぜか父を思い出させて。
ついぼんやり見入っていた春樹は、何度目かの目眩でハッと我に返った。
「あ、あのっ」
「どうした?」
「助けてくれてありがとうございました。漣さんが受け止めてくれなかったら……」
今頃、春樹も大樹もきっと生きてはいない。
「ああ、いや」
納得したようにうなずいた彼は、続けて横に首を振った。
それが何を意味するのかわからず、春樹はただ首を傾げてしまう。
「あれは俺だけの力じゃないと思うな」
「……?」
「受け止めようとした瞬間、潮風がすごい勢いで吹き上げたんだ。それで少しは勢いが和らいで……もしかしたらあれ、大樹の“力”じゃないか?」
「大樹の……?」
「俺もあいつに直接聞いたわけじゃないからわからないが……すぐ復活してたけど、少しの間あいつ、妙に疲れてたしな」
肩をすくめた彼の話に眉を寄せる。全て偶然だと言ってしまえばそれまでだった。“力”を使わなくても、あの高さから落ちれば心身共に疲れもするだろう。
ただ――大樹の“力”なら、絶対に不可能なわけでもない。彼は自然に呼びかけることだって一応出来る。
(でもあいつ、“力”のコントロール悪いからなぁ……)
いつも必要以上の“力”を消費してしまう彼のことだ。もし風に働きかけたなら、きっと力尽きて倒れているのではないだろうか。
「ところで」
ふいに漣が話を変えた。椅子に腰掛けた彼が顔を覗き込んでくる。
「おまえ、海賊行為の理由が知りたいんだって?」
「え、と……」
忘れかけていたが思い出す。どうして彼が知っているのか不思議な気もするが、恐らく渉に聞いたのだろう。
誤魔化しても無駄だ。そう思い、春樹はためらいがちにうなずいた。余計なことに首を突っ込むなと怒られるだろうか?
だが、心配する自分とは裏腹に、彼は柔らかく笑んだ。
「渉も言っていただろう? 俺たちには夢があるって」
「はい。そのための軍資金集めをしているって……」
「――俺たちは海を越えるつもりだ」
「……海、を?」
思いがけない言葉に声が掠れた。
そんな自分に、彼は静かに目を細める。挑むような、それでいて楽しげな瞳。
「聞いたことがあるか? この海の向こうには新しい大陸があるかもしれないって」
「…………」
「信じない者もいる。探して見つけられなかった者もいる。けど……俺らは信じて、そして見つけに行ってやろうと思ってるんだ――新大陸ってやつをな。それが俺らの大きな夢だ」
そう言って笑ってみせた彼は、とても力強くて。
「…………」
何てことだ。――何てことだ!
「春樹。おまえも、俺たちを無謀だと言うか? 馬鹿な夢を追いかけていると……」
「いえっ!!」
「……?」
「僕も! 僕も思ってたんです! 新大陸はあるんじゃないかって、ずっと興味があって……っ!」
「春樹……?」
身体が熱い。興奮が先走って言葉が上手くまとまらない。
「あります! きっとありますよ! 倭鏡の外はきっとものすごく広いですっ!」
地球にも、そうやって新大陸が発見された実例がある。
それならこちらの世界にそれが起こり得ないなんてどうして言える?
力を込める自分に、彼はクスクスと笑い出した。
その笑いにハッとする。
――つい、我を忘れてはしゃいでしまった。
「具合が悪いのも吹っ飛んだようだな」
「あ……すいません」
「いや。春樹がそう言ってくれて俺は嬉しいくらいだ。倭鏡の周囲には王が結界を施していると噂に聞いていたが……おまえが王になって俺らのような奴らを奨励してくれれば、また夢は現実に近づく。そうだろ?」
春樹が王になれば――?
そんなこと、と思ったが決して間違っているわけでもない。
今現在倭鏡に結界が張られているのは事実であるし、その結果を張っているのは王である葉だ。
そのおかげと言うべきか、倭鏡はある種の鎖国状態で内外からの――外に何があるか、いやあるのかすら未知なわけだが――出入りは不可能となっている。
ずっとそうだった。その状態で何か不都合があったわけでもない。
けれど、もし。
王が倭鏡の外へ出ることを許可したのなら……。
(それが……僕にも可能……?)
言葉で言うほど簡単なことではない。新しいことを始めるなら必ず問題が生じてくるだろう。
けれど、可能性は決してゼロではないのだ。
――ドォンッ
「!?」
全てを打ち切るかのように、突然船が大きく揺れた。波の音が聞こえる。まるで叩きつけてくるようだ。
「ちっ……。意外と早く大樹の予言が当たったな」
「大樹が何か言ったんですか?」
「ああ。嵐が来るってよ」
「嵐……!?」
驚く暇もなく再び揺れる。少しずつ揺れは激しくなっているようだった。
慣れていない春樹には、やはり不安や恐怖が込み上げてくる。
「お頭!」
頭からずぶ濡れになった男が駆け込んでくる。漣の表情が険しくなった。
「すぐに行く! おまえも配置に……」
「お頭! 嵐だけじゃない!」
「何……?」
男の顔は引きつっていた。声が切羽詰っている。
「渡威が現れて暴れてるんですっ!」
ダァン!!
男の悲鳴じみた声につられたように――船が今まで以上に大きく傾いた。




