5封目 漆黒から純白へ
甲板の上はもはや戦場だった。
男たちが荒々しく怒鳴りながら駆け回り、船が傾かないよう躍起になっている。
「縮帆しろ!」
「命綱をつけろ!」
そんな声が飛ぶ中、春樹は懸命に目をこらした。叩きつけてくる雨で視界が悪い。
「大樹!」
「春兄!?」
大樹の反応は素早かった。パッと振り向き、慌てて駆けてくる。彼も他の男同様ずっと外にいたのか、その姿はずぶ濡れだ。
「休んでなくてダイジョーブなのか!?」
「もう平気。それより渡威は?」
鋭く尋ねると、彼は曖昧な表情で首を振った。封御を握りしめ、海へと視線を向ける。
春樹もつられて見やったが、荒れ狂った海はひどく濁って底が見えない。牙を向けようと大きく波打っている。
「でっかいイカみたいな奴で……現れたと思ったら潜っちまった」
「封御に反応があるってことはまだ潜んでるんだ。何とかしないと……」
ダァン!
顔をしかめた瞬間、船底から突き上げられるような衝撃に襲われた。
周りの者が青ざめる。これは嵐のせいではないと気づいたのだ。
(渡威……!!)
このままでは船ごとやられる!?
「春樹! 大樹!」
「渉さん!?」
「あんたらこんなとこにいたのかい!? 危険だから船室にいな!」
「でも……!」
封御を持っているのは自分たちだけだ。嵐はともかく、渡威は自分たちが何とかするしかない。
腕を引かれて抗議しようと――。
ザパッ……
「!」
渡威が顔を出した。その大きさは軽く船の倍を超える。
出てきたときに生じた波だけで船は不安定に揺れた。
「っ……大樹!」
柱にくくりつけている縄をつかみ、とっさに大樹の手をつかむ。そうでもしないと船から振り落とされそうだ。
渡威が再び船を揺らす。弄ぶかのようにゆっくりと触腕が船のマストを数度突いた。
「これが渡威!? 嘘だろ!」
そう叫んだのが誰かわからない。確かなのは、その声が恐怖に引きつっていたということ。
「こんな凶暴だなんて聞いたことねぇよ!!」
「――……」
春樹の中で何かが冷えた。
「……渉さん……」
「何だい!? いいから早く船室にっ……」
「渡威って比較的大人しいんですよね? こんなに凶暴じゃないんですよね……?」
「ああ、普段は小さないたずらばかり! 確かにはた迷惑だけどこれに比べちゃ可愛いもんさ!」
暴風雨のせいで渉の声も自然と荒くなる。その声は春樹の耳に痛いほど届いた。
(どうして今回は凶暴化した?)
自問し、ますます血の気が引く。答えは一つしかないような気がした。
――けれどまさか。まさか……。
「やばいっ!!」
ふいに誰かの悲鳴が上がった。周りが一層緊張する。
「洋が落ちたっ!」
「なっ……命綱が間に合わなかったのか!?」
「洋っ!!」
舌打ちした渉に続き、大樹の悲鳴じみた声。洋は大樹の指導係りだったので特に親しくしていたのだ、彼が焦るのも当然である。
「洋!? おい、洋っ!」
大樹が無謀にも船から身を乗り出す。春樹は慌てて彼を引き戻した。
「バカ! おまえまで落ちるだろ!?」
「放せよ! 洋を見捨てるつもりか!?」
「そんなこと言ってない!」
叫び、呼吸を整える。
目を閉じると同時にキンッと自分の中で何かを繋げるようなイメージが描かれた。
「セーガ!」
――音もなく目の前に黒い生物が現れる。全てが漆黒の、翼の生えた犬に酷似している生物。
ソレは、こちらを見るなり目をスッと細めた。
――“出て早々、大変な騒ぎだな”
「ごめん、セーガ。力を貸して」
――“当然だ”
「ありがとう。……行くぞ大樹!」
セーガに飛び乗り、大樹を見る。
彼はコックリとうなずいた。春樹の後ろに飛び乗り、ぎゅっと腰へつかまってくる。
フワリとセーガは舞った。
「春樹!?」
「大樹も! 無茶すんな、戻って来い!」
漣、渉と叫び声が上がる。しかしそれを振り切り、セーガは真っ直ぐ洋の方へ向かった。
洋は何とかもがこうと必死に顔を出している。波が彼を覆うたびに彼は沈み、再び苦しげな表情で顔を出した。
ぼうっとしている暇も、ためらっている余裕もない!
「洋!」
「だいっ……」
彼がこちらに気づいた瞬間、また波が彼を押し潰してしまう。荒れた海はそれを楽しむかのように大きく揺れた。
「洋! しっかりしろ! 洋っ!」
大樹が身を乗り出し――彼の手をつかんだ!
「っ……」
「セーガ! もう少しだけ高度を下げて!」
大樹一人の力では到底彼を持ち上げることなど出来ない。
とっさに春樹も加勢した。息を揃え、力の限りに引っ張り上げる!
「っはぁ……」
洋が顔を出し、彼自身も這い登るようにセーガに何とか乗り上げた。さすが鍛えてあると言うべきか。
「洋! ダイジョーブか!?」
「ああ……悪い、助かった」
「いえ」
首を振り、――春樹は視界の隅に渡威の姿を捉えた。触腕がこちらに向かってくる!
セーガが再び高度を上げようとし、わずかによろけた。
「春兄! 来るっ!」
「セーガ!」
とっさに叫ぶと、セーガの身体が一回り大きくなった。それと同時にぐんと高度が上がる。
標的を失った触腕は勢いを殺すことが出来ず、そのまま海へと深く突っ込んだ。ザブンと大きな水しぶきが上がる。
――“御主人、すまない”
「ううん、あのままで三人乗せる方に無理があったんだよ」
答えながらも息が上がってくる。セーガの大きさを変えるなんて久々にやったせいで疲労は隠せなかった。だが、今は泣き言など言っていられない。次々と渡威の腕が襲ってくる。
(完璧に標的を僕らに変えた……!)
もう船に興味を失ったのか、腕は全てこちらへ向かってくる。これでは容易に近づけない。だが、近づかないと封印も出来ない。
――“……振り落とされるなよ”
呟き、セーガが勢い良く渡威へ向かっていく。
春樹はすかさずセーガにしがみついた。大樹も春樹をつかむ腕に力を込める。
叩き潰そうと振り落とされた腕を、セーガはギリギリでくぐり抜けた。
だが、ホッとする間もなく次の一撃がやってくる。
「春兄!? セーガはどうするつもりなんだよ!?」
避けてばかりで一定の距離以上は近づかないセーガを不思議に思ったのだろう。振り落とされまいと必死にしがみつきながら大樹が声を上げた。洋も口は挟まないでいるが怪訝そうだ。
「多分……」
「春兄! 前!」
「!?」
ハッとしたときには腕が眼前に迫ってきていた。
春樹はとっさに封御でかばったが、渡威の腕はさらに封御に絡んでくる。慌てて引き抜こうとしたがそれは離れない。むしろ――力勝負では負ける!
「……ちっ!」
舌打ちし、春樹は封御を手放した。潔いといえば潔すぎる行為に大樹が目を丸くする。
「春兄! いーのか!?」
「まだ大樹の封御が生きてる! セーガごと引きずり込まれるよりマシだ!」
封御を奪った腕が奇妙に動くのを見ながら、春樹は鋭く答えた。セーガの方へ集中する。
――“ラスト……”
「伏せてっ!!」
セーガが再び渡威の腕をくぐり抜けた。渡威の腕は春樹たちの頭上をギリギリ通過していく。
そして――ふいに渡威の動きが止まった。
「……やるじゃねぇか」
理解した洋がニヤリと笑う。
目の前の光景に春樹もホッと息を吐いた。渡
威は十本の腕がそれぞれ絡み合って動けずにいる。セーガが巧みに動いたおかげだ。
船からも歓声が上がった。
――“行くぞ”
「うんっ」
「おう!」
動きを封じてしまえばこちらのもの。後は封御で核を突くだけだ。
風雨に負けないようセーガは渡威に近づき――。
油断、していた。
ビュ……ッ
――“!?”
「セーガ!」
しまった、――相手はイカに憑いていたのだった!
渡威に墨を吐かれ、セーガの視界が一時的に奪われた。
いくらセーガでもそれでバランスを保つことは難しい。今はただでさえ暴風雨なのだ。
――“くっ……”
バランスが崩れ、追い討ちをかけるようにもう一度墨が襲ってくる!
「っ……魄戍っ!!」
――叫ぶと、セーガの翼が今まで以上に大きくなった。
漆黒の翼はみるみると純白へ色を変える。ソレはセーガ自身をも包み込んだ。
◇ ◆ ◇
「何だ……あれ……」
船から見守っていた男たちがボーゼンと呟く。
白くて丸いソレは、遠目には大きな卵のようにも見えた。
ソレは暴風雨の中、宙に浮かんだままビクともしない。
渡威が墨を吐いたというのに、なぜかソレには汚れ一つついた形跡がなかった。
「いわゆる“絶対防御”ってやつか……?」
漣が呟き、渉も唸る。難しいことはわからなかった。ここからでは中がどうなっているのかわからない。
「おい! 船の状態は!?」
「大丈夫です! 何とか持ち直しました!」
その言葉に、二人はニヤリと笑った。さすがだ。それでこそこの船のメンバーである。
「渉。俺たちももう一踏ん張りしてみるか」
「旦那のそーゆうとこ、あたしは好きだよ」
ニッと勝気な笑みを見せ、渉は渡威を見やった。
「それに、ガキんちょにばっか頼ってるわけにはいかないしね」
◇ ◆ ◇
驚いたのは船の男たちだけでない。中にいる大樹と洋もこの事態には驚きを隠せなかった。
「すっげ……」
「どうなってんだこりゃ……」
今までの暴風雨が嘘のように安定している。ここだけが他の空間と切り離されているかのようだった。
セーガにいくつか技があるのは知っていたが、大樹がこうして体験したのは初めてだ。春樹が滅多にやろうとしないのである。
「春兄! すげーじゃん! ……春兄?」
春樹の様子がおかしい。息がさっきよりもずっと上がっているし苦しそうだ。
「春兄!?」
「だいじょ……ぶ」
「どこがだよ!」
そういえば彼の身体が熱い。まさかまた熱が上がってきた!?
「春兄っ」
「ごめ……今、話しかけないで……」
「……!」
ピンとくる。これは病気のせいではない。“力”の使いすぎが原因なのだ。
初めてだ、と大樹は思う。
春樹は自分と違い、“力”のコントロールに長けている。純粋にコントロールだけを見るなら彼は葉よりも優れているだろう。その彼がここまで“力”を消費してしまうなんて。
それはそうせざるを得なかったほど渡威が手強いからでもある。
だが、見方を変えるなら、セーガがそれほど強大な力をまだ秘めているということだ。
(だから春兄、あんま技使わなかったのか……)
むやみに使っても、扱いきれるものではないとわかっていたから。
「……っ」
春樹の顔が苦痛に歪む。大樹はとっさに彼の手を握った。
「大樹……?」
彼が驚いたように振り向き――どこかホッとしたように、わずかに表情を緩めた。
その刹那。
「もう大丈夫だっ!!」
漣の声が届き、春樹の糸も切れた。
同時に翼が戻り視界が開ける。セーガはフワリと海の上へ降り立った。
「へっ……?」
嵐が過ぎ去ろうとしているのか、風雨がずっと落ち着いている。いや、それは構わない。
けれど。
「何だよこれ?」
周りの光景に大樹は目を丸くするしかなかった。唖然として他に言葉が出てこない。一体何があった?
「大樹」
「? 洋」
呼ばれ、振り返る。“力”を使いきって眠ってしまった春樹を抱え、彼はニッと笑った。春樹を抱えているというのに、彼は器用に、ごつい片手で頭をポンポンしてくる。
「春樹がこんなに頑張ったんだ。大樹、次はおまえだぜ?」
「……おうっ!」
力強く笑みを返し、封御をぐっと突き出す。大樹は未だ動きを封じられたままの渡威を見た。
「セーガ。目は?」
――“大丈夫だ、もう見える”
「よっしゃ。行くぜ!」
春樹と洋を降ろしたセーガにしっかりとつかまり、大樹は封御を握りしめた。




