プロローグ あの日
あの日も、こんな雨の降る日だった。
重く雨がのしかかり、少々蒸し暑かったあの日。
友達の家にいた自分にかかってきた一本の電話が、自分の中の何かを崩してしまった。
受話器を持つ手が汗で滑ったのを覚えている。
必死に伝えようとする母の声が震えていたのを覚えている。
何度も、何度もつっかえ、母の声に涙が滲んでいたのを――覚えている。
『よく聞いてね……落ち着いてね』
母は何度も「落ち着いて」と繰り返した。そちらの方がよっぽど取り乱した様子で。
けれど、結局母はオロオロとするばかりだった。
口にするのを恐れ、肝心なことを言葉にしようとしなかった。
それに対し、父ももどかしくなったのだろう。
唐突に相手が父に替わり、彼は一呼吸置いて口を開いた。
『――――』
掠れ、押し殺した声で告げられたのは――すぐには受け入れられなかった現実。
「…………」
少年は軽くかぶりを振り、持っていた傘を強く握った。
反対の手に握られていたメモ用紙をじっと見つめる。少々右上がりに書かれたソレ。
「春兄、ハラへったぁ~」
「少し我慢しろって。他にやらなきゃいけないこともあるんだから」
「そんなあっ」
――ふいに聞こえてきたのは、雨音にも負けない元気な子供の声だった。
傘を傾けてみれば、二人の少年がこちらへ歩いてくるのが目に入る。
一人はクルクルと傘を回している小柄な少年。もう一人は、顔をしかめてソレを咎めている少年。
顔をしかめていた方が、自分より数歩離れたところで足を止めた。
わずかに傘を上げ、こちらの顔をまじまじと見てくる。
「あの……僕たちの家に何か?」
自分より少し年下であろう彼は、ずい分と大人びた口調で首を傾げた。
もう一人の少年も彼の隣に並び、大きな傘からひょっこり顔を覗かせてくる。
くりくりした瞳を、好奇心の光で一杯にしながら。
そんな彼らに、自分の鼓動はわずかに高鳴った。
期待にも不安にも似た思いに体が震えそうになり、慌ててそれを抑えつける。
「……ここが、あんたたちの家?」
「はい、そうですけど……」
風が吹く。木々がざわめく。雨が打つ。
一寸の沈黙。
「日向葉って、ここにいる?」




