4封目 舞
セーガは、人気の少なかった道のさらに奥へと進んでいった。
少しずつ細くなっていく道の中で、大樹は一歩遅れてその後をついていく。
また、もっちーに関しては、今はセーガの背中に乗せてもらっていた。
時間が経ちますます人通りが減ったので、特に気にする必要はないだろうという結論の結果だ。
(にしても……)
ちらり、と後ろを振り返ったもっちーは独りごちる。
大丈夫なんだろうか、と。
(……大樹サン、さっきからずっと黙ったままや)
兄が突然連れ去られたというのだ。もちろん笑ったり喜んだりしている場合ではない。
だが、普段「うるさい」の代名詞でもあるような彼がここまで静かなのはどうも気になった。
オーバーなほど感情をストレートに出す彼だから、“怒り”に対してもかなり騒ぐと思っていたのに。
(……却って怖いくらいやな)
彼の周りの空気が、ピリピリと痛いほどに張り詰めている。
実は、もっちーがセーガの背中に移った原因にはこれも含まれていた。
彼の側にいるのがためらわれたのだ。
あの空気に長く触れていたら、こちらが参ってしまいそうで。
――ふいにセーガが歩を止めた。
後ろの大樹に気を取られていたもっちーもハッとして我に返る。
「ここは……?」
先ほどの道よりはずい分と広いところへ出たようだ。
しかしどこか寂れた雰囲気は変わらない。
そして目の前には―― 一つの、廃れた建物。
廃ビル、と無意識に言葉がこぼれた。
あまりにもソレらしい雰囲気に呆気に取られてしまったのだ。
思い描いていたものと今の状況、そして目の前の現実がピッタリと照合してしまい、却って現実感が遠のいてしまうほど。
「……ここなのか?」
それは大樹も同じだったらしく、彼の声には幾分戸惑いが含まれていた。
そんな自分たちに、セーガは「ああ」とだけ低くうなずく。
「…………」
一度睨むように建物を見据えた大樹が、決心したようにドアに手をかけた。
とたんに、もっちーの中で何かがザワザワと動き出す。
それは危険信号。
「ちょう待ち!!」
「……もっちー?」
「待つんや。……中に渡威がぎょうさんおる。今までの比やない」
ザワリ、ザワリと何かが告げている。
今ノコノコと入っていけば、それこそ「飛んで火に入る夏の虫」だ。
「……セーガ。ここに春兄がいるんだろ?」
――“ああ。間違いない”
「んじゃ行く」
「大樹サン!?」
「ダイジョーブだって」
慌てる自分に、大樹はようやく笑顔を見せた。
しかしすぐに建物に向き直ってしまう。
――“……坊主の奴、焦ってやがる”
「せやな……。春樹サンを心配する気持ちもわかるけど……」
ここで大樹に何かあっては、春樹を救う手立てもなくなってしまうというのに。
だが、自分たちの心配をよそに、大樹の意思は固いようだった。
彼は難しい顔をしたまま封御に手を伸ばし、そっとある部分へ触れる。
そこは持ち運びやすくするための伸縮機能を持つところで、大樹の封御はあっという間に彼の身長を超えた。
下手をすれば身長の二倍にまでなってしまうのではないだろうか。
ソレをしっかりと持ち直した大樹が力を込めてドアを開けた。
錆びた耳障りな音をたて、ドアが徐々に開き――。
「!」
その部屋一面を、カラスが覆っていた。
ひっそりと佇んでいたカラスは、ドアが開け放たれたと知るなり、狂ったようにこちらへ向かってくる。
その額には渡威の核。
「この……っ」
ぐるりと大樹が封御を回した。
近づこうとしていたカラスが封御になぎ払われる。
「大樹サン、全部が全部渡威なわけやない! 何体かは渡威自身が複製したダミーや!」
「わかった!」
叫ぶなり、大樹がわずかに目を細めた。
深呼吸し――部屋の中央辺りまで突っ込んでいく。
(無謀すぎる!)
あれでは「狙ってください」と言っているようなものだ。
だが、他に「こうした方がいい」と提案することも出来なかった。
埃の舞う中でじっと見守っているしかない。
せめて何か手助けが出来ればいいのだが……。
と。
(何や……?)
次々と核を突いている大樹だが、どこか動きがいつもと違う。
――“どうした?”
「いや……何か大樹サンの動き、ちと奇妙や思うて……」
――“奇妙?”
オウム返しに呟いたセーガも、じっと大樹の動きを見やった。
大樹を目で追う内に、やがて小さな唸り声を上げ始める。
――“あれは……舞の用法だな”
「舞?」
意外な言葉に目を丸くする。
“舞”といえば倭鏡の伝統の一つだ。
もっちーは詳しく聞いたことはないが、大樹も伝統の一つや二つは知っているだろう。
あれでも王家の一員だ。
したがって大樹がソレを出来ることに驚く必要はないが……。
「でも、舞ってもっとゆったりしたイメージがあるんやけど……」
大樹の動きは速い。それも普段よりも。
――“坊主は元々、常にゆっくりした動きというのは苦手だからな……。それにあまり細かいところは把握していないそうだ。以前、主人も嘆いていたからな。やるたびに動きが変わってるって”
「あ、アバウトやな~」
――“それでも『独創的な何かを感じる』と褒められたことがあるらしい”
「……他に褒めようがなかっただけやないの?」
確かに『独創的』といえば聞こえはいいが、それはつまり見本や手本とは異なっているということだ。
大樹が本当に意識して独自の動きを創っているのかは疑わしい。
まあ、突拍子のなさが売りでもある彼にはピッタリな言葉なのかもしれないが……。
――“とりあえず、今の坊主にとって大事なのは『流れるような動作』くらいだろうな。見ていても本当に基本中の基本くらいしか意識していない”
「まあ、大樹サンらしいっちゃらしいっちゅーか……」
――“……でも、それも悪いことばかりじゃない。特にこんな場面じゃ、臨機応変に動ける方がいいしな”
そう言ってセーガが大樹に目を向けたので、もっちーもそれにならった。
渡威の数は確実に減っている。下に転がる“玉”がいい証拠だ。
(それにしたって……)
セーガの言う、舞の用法を使っているからなのだろうか。
大樹の動きは普段より数倍良く思えた。
動きに“無駄”がないのだ。まるで別人のように。――怖いくらいに。
ふと、一羽のカラスがすごい勢いで急降下するのが見えた。
しかし大樹は後ろを見てしまっている。
危ない!
「大樹サンっ!」
慌てて叫ぶが――大樹はその体勢のまま腕だけを後ろへ向けた。
ずい分とリーチのある封御でカラスを払い倒し、振り向きざまに核を突く。
流れるようなソレ。
(見ないで止めた……!?)
――“ちっ……!”
突然舌打ちしたセーガに、ギクリと肩を強張らせる。
もっちーは恐る恐る彼の顔を覗き込んだ。
だが、いまいち表情を読むことは出来ない。
「ど、どないしたん?」
――“坊主の奴……『力』を使いすぎだ”
「“力”を……? ……人以外とも会話出来るっちゅーやつやろ? さっきから何かブツブツ言ってるとは思っとったけど……こないとこじゃ使いようないんとちゃう?」
ここにはセーガか渡威くらいしかいない。
セーガとは“力”を使わなくても会話出来るし、渡威に話しかける必要もないだろう。
一対一ならまだ交渉でも出来たかもしれないが、この数ならそんな望みは捨てた方が賢明だ。
だが、セーガは難しい顔をしたままだった。
こちらを見ないまま口を開いてくる。
――“……知らないのか?”
「何がです?」
――“坊主は……話そうと思えば、自然とだって話せるんだ”
「自然と……?」
――“木や花などの植物、それから風とかな。……それらにはたくさんの未知の力が眠っている。坊主は今、多分風と交渉して渡威の動きを先読みしているんだ”
セーガはあくまでも淡々と説明してきた。
しかしもっちーは素直に感心してしまう。
大樹の“力”がそんな大層なものだったなんて。
「それはずい分と便利やな」
――“馬鹿言え。あんなことしてちゃ、あっという間に坊主が倒れる”
セーガの苦々しい言葉にもっちーもハッとした。
そういえば聞いたことがある。
大樹の“力”はあくまでも「聞く」ことで「話す」ことではない。
そのため「話す」には精神力を使い、あまりにも多用すると思い切りバテるはめになると。
――“動物と話すならまだしも、相手が自然となると……”
声のあるものと声無きものとでは、使う“力”も比ではない。
「って……それ、やばすぎやん。大樹サン、この建物に入ってからずっと“力”使いっ放しやで!?」
――“ああ。……いつもの坊主ならとっくに力尽きている頃だ”
「そんな……」
愕然として大樹を見る。
そう言われてみると、確かに彼は渡威より常に先の動きを制しているようだった。
頭上に向かってきた渡威から「跪」き、「拝」することでそれをかわす。
そのまま封御を水平に突き出し、確実に核を捉える。
かと思えばすでに次の動きへ入っているのだ。
時には相手の攻撃を紙一重でかわし、受け流してもいる。
これは舞より槍術なのだろう。もっちーにはよくわからないが。
「大樹サンもやっぱり稽古、受けてたんやな……」
――“御主人より好きだったはずだ。坊主は元々、体を動かすことが好きだしな”
ただし遊びの件があれば、やはりそちらの方を優先したがったらしい。
さすが大樹だ。それをたしなめる春樹も然り。
と。
――どんっ!
大樹が思い切り封御を地に突き立てた。
そのことに驚くと同時に知る。今までここにいた渡威を全て封印したのだと。
「……ホンマに一人でやりよった」
当の大樹は、肩で息をしているものの倒れそうな気配はない。
すでに上へ向かう気満々だ。
――“坊主”
「……何だよ」
上へ向かおうとした大樹の服を引っ張り、セーガが彼の動きを制した。
大樹はほとんど睨むように応える。まるで「邪魔をするな」とでも言いたげに。
――“坊主、落ち着け”
「オレは別に……」
――“御主人に何かあれば俺がすぐに気づく。御主人はまだ大丈夫だ”
「…………」
――“坊主”
「……行くぞ」
ふい、と大樹がセーガから目を背けた。
そのまま古い階段を駆け上がっていく。特に疲れは感じさせない足取りで。
それがなぜか、逆に不安を駆り立たせた。
「大樹サン!」
遠くなろうとする背に、もっちーは慌てて叫んだ。得体の知れない何かを感じながら。
「大樹サン、無茶しすぎや! そりゃ、渡威の狙いもわからへんし……春樹サンが心配なのもわかるけど! でもっ!」
大樹は応えない。振り向きもしない。
「大樹サン!?」
――“もう無駄だ。……坊主にはとっくに聞こえていない”
「……別人、みたいやな……」
――“集中力にムラがありすぎるんだ”
ため息をついたセーガが、軽い身のこなしで大樹の後を追う。
もっちーも慌ててその背にしがみついた。
ガランとした一階には、微かに光を放つ“玉”だけが転がっていた。




