3封目 ちょっとぽっちゃりした大きなゴミ袋のマドレーヌ二世
渡威を追おうとするのは良いものの、特にこれといった見当はなかった。封御も今は大人しい。
やはり飛んでいるので移動も早いのだろう。さすがにそれには対抗出来ない。
セーガを人前で出せないのがもどかしいところだ。
「もっちー、何かわかる?」
春樹はそっともっちーへ問いかけた。
当のもっちーはきっちり大樹のリュックに収まっている。
仕方ないとはいえ、どうも気になってしまう格好だ。
春樹もある程度は慣れてきたし、諦めもついてきたが。
「せやなあ……。ほんのわずかやけど、あっちに気配感じますわ」
「あっち……?」
「商店街の方か?」
意外そうに大樹が目を丸くする。
だが、彼からは見えないだろうが、もっちーは曖昧に首を傾げた。
リュックの中で窮屈そうに身じろぎする。
「それよりもっと先やな。多分やけど」
「ふーん?」
「……ま、とりあえず行ってみればわかるよ」
「それもそーだな」
促した自分に、大樹があっさりうなずいた。
彼は意気揚々と足を進める。鼻歌でも歌い出しそうだ。
そんな彼に、春樹も半歩遅れてついていった。
しかし気分は彼のようには晴れない。
(……何だろう……)
冷静さを取り戻した春樹は、周りに注意しながらも自分に問いかけた。
不思議な感覚に眉を寄せる。
(……何かやな感じがする……)
相手は渡威で、しかもカラスに憑いているのだ。
どうあっても良い感じがしないのは百も承知である。けれど、それとはまた別のような。
どこにでもある「嫌な予感ほどよく当たる」というジンクスを思い浮かべ、春樹は軽く首を振った。
縁起でもない。考えるのはよそう。
「もっちー。渡威の気配はどう?」
こっそり声をかけると、ぬいぐるみのフリをして固まっていたもっちーが微かに動いた。
ぎょろりと目を動かす。
「……おかしい」
「え?」
「気配がでかくなっとる」
「オレたちが近づいてるってことじゃねーの?」
「それもあると思うんやけど……うーん」
唸り、考え込んでしまう。
それに伴い無意識に身じろぐので、春樹はいささか慌ててしまった。
そっと周りを見る。
ニコニコと笑顔を絶やさない肉屋のおじさん。
威勢のいい声を飛ばす魚屋の若い男性。
何をしたのか、夫であろう八百屋の主人を叱り飛ばしている丸めのおばさん。
そしてせわしなく行き来する往来の人々。
――誰も自分たちを気にしている人はいないようだった。
ピークには及ばないが混んだ時間のため、みんなそれぞれのことで精一杯そうだ。
おそらく、ぬいぐるみを連れた二人の兄弟なんて目にも入っていないだろう。
そう結論づけると、春樹はホッと息をついた。
さっきより気楽な気持ちでもっちーに話しかける。
「何がそんなにおかしいの?」
「いや……やっぱでかくなっとるっちゅーのがピッタリなんや」
「……渡威が?」
「と、思うんやけど……」
どうももっちー自身、はっきりしたことはわかっていないらしい。
確かに気配だけで詳しいことを説明させるのは酷かもしれない。
仕方なく、春樹たちは足早に商店街を抜けた。
そのとたん、先ほどまでの人のざわめきが少し遠くなる。
「んで? もっちー、次はどっちだ?」
「んー……左、やな」
「左?」
また少しずつ人通りの多くなる右と違って、どこか物寂しい道の方だ。
電灯も少ないせいで、夜はますます人の通りが少なくなる。
多いのはうっそうとした木々ばかりだというイメージが強い。
「……何か、さあ」
車が通るにはやけに細い道を歩きながら、春樹はポツリと口を開いた。
前を歩いていた大樹が不思議そうに振り返る。
「いかにもおびき寄せられてるって感じがしない?」
「へっ?」
「渡威が資料を持っていく理由はないだろうし……逃げるにしても、こんなところに来るより人前で暴れた方があっちにとっては楽だろ? そんなことをされて困るのは僕らなんだから」
「? それって……」
「もしかしたらだけど……」
罠かもしれない。
そう言おうとした矢先、ザッと強い風が吹き抜けた。反射的に顔をかばう。
「渡威が近くにおる!」
「え……!?」
短く叫んだもっちーが、勢い良く木々の向こうを指差した。
とっさに構え、そこからわずかに距離をとる。
そのまま、春樹は息を呑んでじっとそこを見やった。
しばらく動きはないように思われたが、意外と早く、木々がガサガサと揺れ始める。
これは風で揺れているのではない。奥から何かが出てこようとしているのだ。
ガサリ、ガサリ……
――来た。
「な……っ!?」
出てきたその物体に、春樹は思わず青ざめた。
どんどん血の気が引いていく。
なぜ、どうして。
「カラスが育ってんの――――!?」
それは軽く三メートルは超えているように思えた。
この短時間でどうしたらここまで成長出来るのか理解に苦しむ。いや、理解したいとも思わない。
とりあえずもっちーの「でかくなっとる」というのは文字通りだったようだ。それも見事に。
(ちょっ、落ち着け! 落ち着くんだ! むしろ落ち着いて!)
もはや何が何だかわからない。
「春兄……ダイジョーブかよ?」
渡威と向き合いながら、大樹が横目で様子を窺ってくる。
そんな彼に、春樹はぎこちなく首を振ってみせた。大丈夫なはずがない。
「春樹サン。あれをカラスやと思うからダメなんや」
「は?」
「何か別のモンだと思えばええ」
「そ、そんなこと言われても……」
無理なことを言い出すもっちーに冷や汗を流す。
カラスはカラスだ。他の何物でもない。それをどう思えと?
「春兄、わかった! あれはゴミ袋っ!」
「……はい?」
「ちょっとぽっちゃりした大きなゴミ袋のマドレーヌ二世!」
「阿呆」
ゴミ袋に名前をつけてどうする。しかも一世はどこにいった。
「でも結構いい線いってるのとちゃう?」
「どこが? あれの一体どこが!?」
「いやぁ、マドレーヌっちゅー辺りが」
「~~~~」
くだらないボケをかますもっちーに、春樹は散々ため息をついた。
何とかしてくれようとする気持ちは嬉しいが、ちっとも役には立っていない。むしろ気力が削られる一方だ。
「ほんで性格はちょっぴりドジなおちゃめサン☆」
「もうゴミ袋とかの次元じゃないでしょ!?」
「いいから春兄! 大切なのは思い込みだぜ!?」
「いや、あの……」
もっちーはともかく、大樹は大真面目だ。
仕方なく春樹も渡威に向き直ってみる。心の中では「あれはぽっちゃりした大きなゴミ袋の、ちょっぴりドジでおちゃめなマドレーヌ二世なんだ」と言い聞かせながら。
ついでにシャイだということにもしておこう。もうどうにでもなれ。
当の渡威は威嚇するように首だけを巡らせていた。
嘴を動かし、ギョロリと濁った眼を向け――やっぱりゴミ袋には思えない!
「来るっ!」
ギャア、と鈍い声と共に渡威が向かってくる。
春樹と大樹は慌てて奥へと走り出した。
「だ、第一最近のゴミ袋は黒くないー!」
「へっ? そーなの!?」
「それくらい知っとけ! 全国の主婦を敵に回すな!」
ちなみに主流は半透明のものだ。春樹はきっちり分別もして捨てている。
A型のせいなのだろうか、その辺には少しうるさい。
「にしてもどないします? 逃げててもキリあらへん」
「そーだぜ春兄! 封印しねーと!」
「わかってるけど……」
封印をするには、渡威の“核”を封御で突かなければならない。
そうなると必然的に渡威へ接近する必要があるのだ。考えただけでも恐ろしい。
「ったくもー……こうなったらオレが封印してくる!」
「大樹!?」
「春兄は少しの間待ってろよ! ……って、あれ?」
逆走しようとした大樹が目を丸くする。彼は足を止め、ボーゼンと自分たちが走ってきた道を見回した。
「……渡威がいない……」
「……え?」
てっきり追ってきていると思っていた渡威の姿がない。しかし封御のセンサーはまだ反応を示している。
(近くに隠れてる……?)
慎重に周りを見てみたが、こうも木が多いとよくわからない。
「くっそー……どこ行ったんだよ。もっちー、何かわかんねーの?」
「こない近くだと、おるってことくらいしか……」
ゆっくりと大樹が元来た道を歩き始める。
もっちーも探るように視線をさまよわせていた。
しかし、春樹としては気が気ではない。嫌な予感も募るばかりだ。
「大樹、あまり離れない方が……」
バサッ……
「――春兄っ!!」
羽ばたく音に振り向いた大樹がとっさに叫んだ。
春樹もつられて振り返り、渡威の姿にハッとする。
いつの間に先回りされていたのか気にする余裕はなかった。
逃げようと思うのに、すぐには足がすくんで動けない。
「春兄! 逃げろ! 早くっ!」
「春樹サン!」
大樹が急いで駆けてくる。
しかし、それより早く春樹の周りが黒に包まれ始めた。
「な……っ!?」
これは――!?
「だいっ……」
「春兄!?」
大樹の声も徐々に遠くなる。周りに広がるのは黒、黒、黒。
これが何なのか、この後どうなるのかもわからなかった。
しかし――迷っている暇はない!
「っ……セーガッ!」
とっさに叫び――ほんの一瞬、周りよりも鮮やかな黒が目に焼きついた。
しかし次の瞬間、春樹の視界は完全に光を拒んだのだった。
◇ ◆ ◇
「春……兄?」
ボーゼンと呟き、大樹はその場に立ち尽くした。
先ほどまで春樹がいたそこには、今は人影一つない。
「何で……? 何だよ……これぇ?」
「大樹サン……」
何が起こったのかわからなかった。
カラスに憑いていた渡威が急に姿を変え、すごい速さで春樹を包み込んでしまったのだ。
たったそれだけ。それだけで――春樹も渡威も姿を消してしまった。自分の目の前から。跡形もなく。
「春兄? どこだよ春兄!?」
――“ちっ……連れていかれたな”
ドクン、とセーガの言葉に体が震えた。
犬の姿をした彼をそっと見下ろす。彼は春樹がいた場所を見つめたまま動かない。
……連れていかれた? 春兄が? 渡威に?
大樹は無意識に握る手に力を込めた。声を絞り出す。
「……許さねえ……」
――“……坊主?”
「セーガ……春兄の居場所、わかるだろ?」
――“ああ。……だからこそ俺を出したんだろうな。我が主人ながら、つくづく頭の回る奴だ”
感心と呆れの意を込め、セーガが小さくため息をつく。
しかし大樹はそのことに関して答える気にはなれなかった。
気になることはただ一つ。春樹が今いる場所へ行けるかどうかだ。
「セーガ」
――“何だ?”
「……オレをそこまで連れていってくれ」
――“…………”
いつもと違う低い声に、セーガはふと大樹を見た。
封御を握る手が小刻みに震えている。
怒りを押し殺した、ソレ。
――“……言われるまでもない”
「行くぞっ」
――“……坊主。少しは落ち着け”
いつもなら喜んで聞き入れるセーガの言葉も、今の大樹には全く届いていなかった。




