4封目 魔
「精神的な問題だろうな」
さらりと言われ、春樹は思わず目を伏せた。呟く。
「……精神的……」
「だってそうだろ? 身体に異常があるわけじゃねえんだ」
「……うん」
呆れたように言う葉に小さくうなずく。
それはちゃんと診てもらったので確かだった。
顔を上げない自分に、彼がため息をつく。
「そう気に病むな。“力”が使えなくなった奴は他にもいる。でも、みんな一時的なもんだったぜ? ……“力”を使うには大抵多少の集中力を必要とするし、そーゆうことがあってもおかしくねえよ」
淡々と言われても、すぐに顔を上げることは出来なかった。
動揺に頭がついていけない。ずっとグルグルしている。
「……でも、そんな保証はないんでしょ?」
「は?」
「一時的なものだっていう保証があるわけじゃないんでしょ? みんながそうだったとしても、もし……もし僕だけこのままだったら……」
「……おまえがそう考えている内は、“力”も戻らないだろうよ」
「…………」
「もっと自分を信じてやれって」
うつむいた自分の頭を、彼がポンポンと軽く叩く。
まるで子供扱いなソレに一瞬カッとなったが、怒る気もすぐに失せた。
確かに自分は子供だ。
こんなところでつまずいているようでは、まだまだ。
「なあ……春兄?」
今まで口を出せずにいた大樹がおそるおそる声を発した。
彼にしてはひどく遠慮がちである。
「セーガが出せないって、その……どんな感覚なんだ?」
「……? どんな?」
表現のしようがない。
しかも、思い出そうとすると惨めな気がして仕方なかった。
無意識に泣き笑いになる。
「……呼びかけても何の反応もないんだ。自分の中にいるとは思えないんだよ。まるでぽっかり消えちゃったような……」
今までいたものがいなくなる。
それはひどく不安だった。
特にセーガには何度も支えてもらったから尚のこと。
(セーガ……)
心の中で呼びかけても、やはり反応はない。
「…………っ」
悔しかった。哀しかった。
一人で不安になって、つまずいて、また不安になって。
くだらないループから抜け出せない自分がもどかしい。
そのせいでこんな事態にまで及んでしまうなんて、自分が情けないとしか思えなかった。
自分の。自分のせいで。
「なあ、春樹。今のおまえは自転車のチェーンが外れてるようなもんだぜ?」
「……じてん、しゃ?」
「要するに空回りしてるっちゅーこと」
空回り。――その通りだ。
「チェーンが外れてちゃ、どんなに頑張ってこいでも前には進めねえよ」
「でも……」
「おまえ、自転車のチェーンがはずれたらどうする?」
「え? ど、どうって……」
謎かけのような質問に戸惑う。すぐには言葉が出てこなかった。
(チェーンが外れたら……?)
「難しく考えるなって。……んじゃ大樹、おまえならどうする?」
「オレ? ……直してもらう?」
「正解」
――いいのか、そんなんで。
半ば呆気にとられ、春樹は葉を見上げた。
彼の意図を探ろうとするが失敗に終わる。全くもってつかめない。
思わずため息をつくと、葉がニヤリと口の端を上げた。
「春樹。おまえもたまには手ぇ抜け」
「……え?」
「チビ樹は『直してもらう』って答えたよな? ならおまえはどうだ?」
「……?」
それが正解なら、もう他に言うこともないのではないか。
そう訝る自分に、彼は軽く肩をすくめてみせた。
「おまえなら、似たような答えでも『直す』って言うんじゃねえか?」
「それは……」
確かに、と思わせた。
他人に直してもらうというより、自分で直すことを先に考えてしまいそうだ。
「まあ、単純にチビ樹は不器用でおまえは器用だからこその答えかもしんねーけど。でもよ、他人に頼るのも悪いもんじゃねーぜ? 自分一人の力なんて限られてるんだしよ。それに……王にとっても、それは大事なことだ。覚えとけ」
「王にとって……?」
「他人の力を信じねーで一人で勝手な政治をやってちゃ、誰もついてなんか来ねーからな。そんなんじゃあっという間に混乱しちまうだろ?」
「…………」
痛いところを突かれた。
確かに今の自分は周りなど見えていない。
他人どころか自分さえ信じられない始末だ。
こんな状態ではもちろん王の役目が務まるはずもない。
「もっと気楽になれって。チビ樹は楽観的すぎるけどよ、少しくらいはソレも見習ってみろ」
「何だよ葉兄、オレが楽観的すぎるって」
「まんまだろ。おかげでそーんなマヌケ顔になっちまって」
「んな!? 葉兄なんてどっかの殺人犯みてーな眼じゃねえか!」
「あぁ? どこの口がんなことほざいてんだ、そこのどチビ」
「どチビぃ!?」
「“超ど級のチビ”だな。もしくは“度を超えたチビ”。ああ、“どうしようもないチビ”とか“鈍感すぎるチビ”って意味も――」
「チビを連呼するなあっ!」
さらりと答えた葉に、大樹が赤くなってわめく。
そんな彼に葉はいかにも楽しそうに笑ってみせた。
本当に人をからかうのが大好きな人なのだ。
ここまでだともう手に負えない。
そもそも、いちいち反応する大樹も大樹だ。少しは学習してほしい。
しかしいつもと何ら変わりない彼らにホッとしたのも事実で、春樹はそっと苦笑した。
◇ ◆ ◇
――とはいうものの。
そう簡単に割り切れる問題でもなく、春樹はどうしようかと頭を悩ませた。
部屋で一人考え込む。
どうしても一人になりたくて、大樹ともっちーには少し出ていってもらった。
心配してくる大樹を説得するのにどれだけ苦労したことか。
「……精神的な問題、かあ」
呟き、ため息をつく。
わかってはいるがタチが悪いと思わずにはいられなかった。
物理的な問題ならまだ具体的な解決策があっただろうに。
いや、自分の場合こうやって悩んでしまっている時点でさらにマイナス要素が増えているのだろうが……。
わかっているのに止められない。
そんな自分が情けなくて再び自己嫌悪に陥る。
――本当に馬鹿みたいなループだ。キリがない。
(大樹みたいに気楽……って言われても……)
それが出来たら苦労しない。
出来ないからこそ悩んでいるのだ。
そもそも「彼のように」という時点で無理がある。
彼と自分はまるで正反対なのだから。
(……あいつに悩みなんてあるのかな)
いつだって元気で明るい彼のことだ。自分のような悩みなんてないのではないか。
奇妙な言動で人に馬鹿にされることもあるが、それだってちょっとした一言であっさり機嫌を直してしまうのだからつらいと思うことも少ないだろう。
むしろ一日の終わりには、楽しかったことだけ思い出して満足していそうだ。
そこまで考えた春樹は、何となく顔をしかめた。
「……大樹なんて……」
カタン
「……?」
ふいに訪れた物音に、春樹は首だけを巡らせた。
窓の側にユラユラと存在する黒い影。
そして……。
ガタン!
反射的に立ち上がる。
信じられなかった。
春樹は背を机にぶつけ、そのまま目の前の物体を見据える。
「……渡威……!?」
額にある核が嫌でもそれを証明していた。
春樹は一瞬で部屋を見渡し、胸中で舌打ちをする。
封御は渡威の側だ。これでは取りにいけない。
無防備に窓を開けていた自分を悔やむ。
まさか一日に二度も渡威が出てくるなんて考えてもいなかったのだ。
(大樹……大樹を呼ばなくちゃ……)
そう思うのに、とっさに声が出ない。
それは焦りと、緊張と、――わずかなつまらない自尊心のせい。
「…………っ」
そんなものは馬鹿だと、春樹はすぐにソレを切り捨てた。
そんな場合ではない。声を上げようとし――。
「え……?」
渡威が口を開いたように見え、春樹は不意打ちを食らったかのように言葉を失った。
自分に渡威の言葉はわからない。
けれど、なぜか話しかけられているような気が拭えなくて。
「なに……?」
無意識に構えを解き、ボーゼンと渡威を見つめる。
ざわざわと心の奥が揺れた。
頭では激しく警報が鳴り響いている。
ヤメロ、近ヅクナ。心ヲ許スナ。
――逃ゲロ!
だが、……まるで頭と体は別物だった。
気づかぬ内に春樹は一歩、前に進み出ていた。
渡威の口が開く。ゆっくりと。
「『ニ……ク、イ』?」
口の動きを追っただけで、どうしてわかったのか。
そんなことを気にする間もなく、一層激しく警報が鳴り立てた。
その激しさに怯み、わずかに身を引く。
ざわざわ。ざわざわ。
――止まらない。止められない。
「なん……っ」
我に返ってもう一度渡威を見ると、ソレはひどく笑っているかのように見えた。
とたんに気づかされる。
ヤバイ。
「――――!」
そう思った瞬間、春樹は一瞬、意識がぐっと離れたような感覚に襲われた。
ざわざわ。ざわざわ。
ざわめきは、止まらない。




