4封目 見えない重さ
「あ―――――――っ!!!」
ゴンッ
「…………」
突然響き渡った大樹の絶叫に、春樹はしたたか頭を打ちつけた。
痛みにしばらく声すら出ない。
テーブルの下に潜り込んでいるときに今のは遠慮してほしい。
「脳細胞が死ぬ……」などと妙なことを呟きながら、春樹はようやくテーブルの下から這い出てきた。
ちなみになぜそんなところにいたのかというと、単に落ちたものを拾うためだ。これといって深い意味はない。
「大樹、一体何が……」
「春兄っ!!」
こちらが駆けつけるよりも、大樹が飛び出してくる方が早かった。
彼はすっかり狼狽している。もはや半泣き状態だ。
「どうしよう!? オレ……オレっ」
「だから何が……」
「封御なくしたっ!」
「――はあ!?」
思わず咎めるような声を出すと、大樹が多少怯んだ。
やはり罪悪感のようなものは感じているらしい。
「なくしたって……あれほど手放すなって言ったろ!?」
「んなこと言ったって! 気づいたらなかったんだよっ」
「もっとタチ悪いっ!」
反論してくる彼にきっぱり返す。
それではどこを探せばいいか手がかりすらないではないか。
ぎゃあぎゃあ騒いでいると、みいが部屋から出てきた。
大樹に向かって何回か鳴く。
それに耳を傾けていた大樹が、やがて考え込むような仕草を見せた。
その様子を春樹は怪訝に眺めていたが……。
「……そっか……」
ぽつり、と小さな呟きがこぼれた。彼は思い切り顔を上げる。
「公園!! 多分あそこだっ!」
「公園?」
何でそんなところに?
「オレ、ユキちゃんの家の帰りに春兄に絡んでた奴と会ったんだよな。そんでケンカになりそうだったのを蛍が止めて」
「大樹……ちょっと待て」
思い出しながら説明し始める彼にストップをかける。
何やらたくさん聞き咎めたい気もするが、今は少し先を急ぐ。
なので前半はまあいい。
いや、あまり良くないが百歩譲る。
「ケイって……まさか杉里蛍、だったりしないよね? おまえの友達か誰か?」
「? そのまさかだけど」
「――――」
あっさり言ってのけた彼に絶句する。一気に混乱が押し寄せてきた。
「え……何で? 何でおまえが杉里くんと……? 知り合いだったのか?」
「何寝ぼけたこと言ってんだよ、春兄。だったらとっくに話してんじゃん」
「だよね……」
大樹は何でもかんでも話してくる奴だ。
以前から知り合いだったのなら、一度くらいは彼の口から名前を聞いているはずである。
「話戻すけど。その後、公園でタイヤキ食べて」
「タイヤキ、だあ?」
「おう。蛍にもらった」
「……杉里くんに?」
笑顔で教えてくれる彼を見ていると、何だか頭が痛くなりそうだった。
次々と不可解なことがやって来すぎる。
何でそこで、タイヤキが出てくるんだ?
「それでみいが来たから別れたんだけど……オレ、そのときにはもう封御持ってなかったような気がする。だから多分、タイヤキ食べてるときにベンチに置きっ放しにしてて……」
「よくわかんないけど、よくわかった」
自分でも矛盾していることを呟き、春樹は深くうなずいた。
とりあえず今は封御の件が先決だ。よくわからない部分はこの際置いておこう。
「それじゃ、公園に探しに行くぞ」
「おうっ」
やるべきことが決まったせいか、大樹の声はどこかホッとしていた。
家を出ながらヤレヤレと思う。
ホッとするのは封御がきちんと見つかってからにしてほしい。
ミャアー……
「――ん?」
後方で猫の鳴き声がしたような気がして、春樹は足を止めずに振り向いた。
やはりと言うべきか、みいが駆けてくる。
「みい。……ついてきちゃったんだ」
思わず呟くと、みいは再び鳴いた。
だが、もちろん春樹には何を言っているのかわからない。
ただミャアミャア聞こえるだけだ。
「大樹、みいは何て言ってるんだ?」
「自分も探すって言ってるぜ?」
「……え?」
「オレらの役に立ちたいってさ」
「……うわ。おまえよりずっとイイコだね、みいって」
「何だよソレーッ!」
素直に言った自分に、大樹が不満そうにわめく。
そうしている内に公園にたどり着き、春樹は少し歩調を緩めた。
「ほら、早く探すよ。どの辺に置いたんだ?」
「確かあの辺……あ」
指差した方に視線を向け、大樹が何かに気づいた。
春樹もその視線をたどる。
その先には、見知った一人の少女。
「椿ちゃん」
「え? ……あ、こんばんは」
軽く身体を動かしていた彼女がこちらに気づき、笑って頭を下げた。
彼女は佐倉椿といって、大樹のクラスメイトである。
ちなみにクラスの委員長でなかなかのしっかり者だ。
さらに言えば自分たちの秘密を知る数少ない一人でもある。
「椿ちゃんは今日もここでダンスの練習?」
「はい。最近調子良くて、つい踊りたくなっちゃって。……二人はどうしたんですか?」
「うん……ちょっと、大樹が封御なくして」
「封御を?」
椿が目を丸くし、それから大樹を見た。
思い切り呆れた表情をしている。
「何バカやってんの、大樹。もうバカなんだから。バカバカ」
「何度も言うなあっ」
「一度言ったくらいじゃバカだからバカだって自覚しないでしょ」
「だからっ! バカって言うんじゃねーっ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ大樹と負けずに言い合う椿を見て、春樹は小さく苦笑した。
ケンカするほど仲がいい、ということなのだろうか。
「ところで椿ちゃん。その……封御、見かけたりしてない?」
「いえ。私、踊る前にぐるっと簡単に一回りしましたけど……見ませんでしたよ?」
「そっか、ありがと。……じゃあどこだ……?」
間違っても風に飛ばされたなんてことはないだろう。当然だがそこまで軽くはない。
だとすると転がっていったか、誰かに持っていかれたか。
あまり転がる可能性もなさそうだが。
「転がってもそう遠くにはいかないし、誰かが持っていったにしても使い道ないし……」
「物干し竿に使いたかったとか!」
「……貴重な意見、どうもありがとう」
すっとんきょうなことを言う大樹に投げやりに返す。ツッコむ気にすらならなかった。
とりあえず今は、茂みなど手当たり次第に探すしかない。
「大樹、おまえはあっち探して」
「わかった!」
「あ、私も手伝います」
「ありがとう」
嬉しい助っ人に微笑み、早速封御探しが開始される。
――が、数分もしない内に大樹と椿の会話が耳に飛び込んできた。
「……何だ? コレ。こんな看板あったか?」
「ああ、それ? 工事のお知らせ。そこの噴水、壊しちゃうんだって」
「何でわざわざ?」
「さあ……。色々事情があるんじゃないの?」
「ふ~ん」
探しながらも耳を傾け、そういえばそんな話もあったなと思い出す。
近所の人たちが「せっかくきれいだったのに」と話し合っていたのを小耳に挟んだことがあるのだ。
少し前からそんな話はちらほら聞いていたが、看板まで出したということは本格的に決まったのだろうか。
「――あれ? 猫……?」
「あ、その猫は“みい”っていうんだぜ」
「え? 何、あんたの猫? いつの間に飼ったのよ」
「今日から!」
得意気に胸を張る彼に苦笑する。
口より手を動かしてほしいのだが。
「かわいいーっ! ねえみいちゃん、大樹のトコなんかやめて、私の家に来ない?」
「こらあ! 何勝手なこと言ってんだよ!?」
「いいでしょ別に。選ぶのはみいちゃんだもん」
「良くねえっ」
「動物にだって飼い主を選ぶ権利はあるでしょ。ね、みいちゃん♪」
「ああっ、こら! みいもそんなになつくなーっ!」
「……いいから、早く封御を探してよ……」
すっかり手が止まってしまった二人に呟き、春樹はがっくりと肩を落とした。
◇ ◆ ◇
時折大樹のヤキモチに中断されつつも、封御探しは日が暮れるまで続けられた。
ほぼくまなく探したつもりだが、もちろん限度というものがある。
そのため断言することは出来ないが、しかし少なくとも自分たちの見た範囲に封御は見当たらなかった。
小中学生が夜遅くまでフラフラしているわけにはいかないし、探そうにも懐中電灯などを用意していないので手元が見えない。
そのため仕方なく今日は諦め、明日再び探すことになったのだが……。
結果、
「封御をなくしただぁ?」
――兄である日向葉に、このことを報告しなければならなかった。
「何やってんだよおまえら」
不機嫌そうに睨まれ、思わず身をすくめる。
ただでさえ目つきが悪いのだから睨まないでほしい。心臓に毒だ。
「おまえらって……ぼ、僕まで入ってるの?」
「当たり前だろ。一番下の不始末は真ん中の責任だ」
「ええ!?」
ちょっと待ってほしい。一番上はどうした、一番上は。
「ちなみに一番上の不始末は弟の責任なんでよろしく」
「そんな無茶な!」
「いやいや、おまえなら出来るって」
「それ、一番苦労するのは僕じゃん!?」
「今更だろ」
「~~~~……」
あっさり言われ、春樹は言い返す気力も根こそぎ奪われてしまった。
確かに兄の言っていることは事実だ。そりゃもう、悲しくなるくらい。
(何で僕がこんな目に……)
これまた今更なことを考え、春樹は投げやりがちにため息をついた。
そんな自分を尻目に、葉が大樹へ向き直る。
一気に暗いオーラが増したようで、大樹はもちろん、隣に立っていた春樹まで数歩後退った。
「そこでむくれて立ってる大樹くん?」
「な……何だよっ」
バツが悪いのか、怯みながらも突っかかっていく。
葉は、そんな大樹に一歩一歩にじり寄った。
その足音がとてつもなく静かなのが妙に怖い。
「…………何で」
「う、うん?」
「なんっでてめーはいちいち厄介ごとを起こすんだコラ―――――っ!!」
「――――っ!!」
叫ぶと同時に、葉が大樹に技をかけていた。
そのあまりの速さに目を瞠る。
自分がされているわけではないが、やはり後退らずにはいられなかった。
見ているだけで冷や汗が頬を伝いそうになる。
(葉兄、何かまた技増えてるっぽいし……)
これはプロレス技だろうか。
ともかく、いつの間にかひっそりと技が増えているのは少し怖い。
陰で何をやっているんだ、この王様。
「いででででっ! ギブ! ギブ――――ッ!」
「てめーの罪はこれくらいじゃ許されねえぞ?」
「なっ、オレだって好きでなくしたわけじゃ……!」
「まだ口答えする元気があるなんてさすがだな?」
にやり、と葉が口の端を上げる。
それを見て、春樹はこっそり大樹に合掌しておいた。
こんなときの彼はもう止められない。すっかり遊びモードに突入してしまっている。
「は、春兄~っ」
「ごめん」
「ごめんって! ――ひゃあうぅ!?」
助けを求めた彼から奇妙な悲鳴が上がった。
脇腹を押さえたままうずくまっている。
どうやら葉にくすぐられたらしい。
「笑い死にってよぉ」
「だあ! 来んなっ! 放せ!」
「一見幸せそうな気もするけど、実はすっげー苦しいんだろうな」
「何しみじみ言っ……や! ごめ、オレが悪かっ……やめ! ~~~~っ!!?」
悲鳴にならない悲鳴、とはこのことだろうか。
(そういえば大樹、くすぐられるの弱かったっけ)
他人事のように思いながら、春樹は一歩離れたところでその様子を傍観していた。
それにしてもよく飽きないものだ。
毎回似たようなことを繰り広げているというのに。
「……真面目な話、本当に早く見つけ出せよ?」
「え?」
ふいに葉から真面目な声がかかり、春樹は目を数度瞬かせた。
ぜぇぜぇと息をしていた大樹も怪訝そうに彼を見上げる。
大樹に限っては多少恨みの念も込められているようだが、それはともかく。
「渡威だって好きで封印されてるわけじゃねーんだ」
「だろうね」
「だから当然、渡威にとって封御は邪魔だ。それで封印されちまうわけだから」
「だから何だよ?」
「……バカチビ樹」
「なっ」
一向に話が見えていない大樹が、葉の言葉にカッとした。
先程いじめられたばかりだというのを忘れているのか無謀にも突っ込んでいこうとする。
それを、春樹は襟首をつかんで引き戻した。
いい加減に学習してほしい。このままではキリがない。
「渡威が先に封御を見つけたら、何かと面倒になるってことだよね?」
「そういうことだ。こっちもホイホイ替えを渡せる状態じゃねえしな」
「……わかってるって」
封御の数には限りがあるし、倭鏡にも渡威は散在している。
なので元からそんな甘い考えに頼るつもりはなかった。
他にこれといった打開策がないのも厳しい現実だが。
「そういえば……渡威といえば、歌月の人たちはどうしたの?」
「……まだ見つかってねーよ」
ふと浮かんだ疑問にぼそりと返される。
多少プライドが傷ついたのだろうか。
この兄に限ってそんなことはないような気もするが。
「なあ、歌月って前は仲良かったんだろ?」
「うん……。父さんの友達だったらしいよ。でも、急に仲が悪くなったって」
「仲が悪くなった、っていうよりあっちが一方的に嫌い始めたんだ」
教える自分に、葉が不機嫌そうに付け加える。
質問した当の大樹は、わかっているのかいないのか、ただ曖昧にうなずいた。
「そういや、おまえらはあそこの家の奴らと面識ねーのか」
「そんな今更……」
今気づいた、と言わんばかりの葉に呆れてしまう。
そもそも自分たちは普段、日本で普通の学生として過ごしているのだ。
同年代の友達や店の人たちなどはともかく、他の倭鏡の人々との交流の輪はそんなに広くない。
「いや……確かあそこ、子供がいたんだよ。息子が一人」
「え? 子供?」
「そっ。名前は覚えてねーけど、春樹と同い年だったはずだぜ?」
「僕と……?」
だったら面識があったとしてもおかしくない。
だが、少なくとも春樹の記憶にはその存在はなかった。
大樹と違い人の顔や名前を覚えるのは得意な方なので、やはり会ったことはないのだろう。
「ま、おまえらも何かわかったら俺に連絡しろよ」
「あまり可能性はなさそうだけど……」
「そのときは任せとけ!」
後半のセリフを引ったくり、大樹が身を乗り出した。
しかしすぐにソワソワし始める。
「てなわけで、もう帰っていいか?」
「あ? ……別にいいけどよ。何かあるのか?」
「みいが待ってる!」
「……みい?」
嬉々として答えた大樹に、葉が怪訝な顔を向けた。
確かにこれだけ言われても何が何だかさっぱりだろう。
「大樹が猫を拾ってきたんだ。それで仕方ないから飼うことにしたんだけど」
「で、その名前が“みい”♪」
「……おまえが猫を、ねぇ」
葉がまじまじと大樹を眺める。
そんなことを全く気にしていない彼が、早速帰ろうと足の向きを変えた。
もはや家に帰ることで頭が一杯らしい。
つくづく一つのことに夢中になる奴だ。
春樹も苦笑し、仕方なく大樹にならう。
葉に別れを告げて歩き出そうとし――ふいに葉が顔をしかめたのを、見逃すことはなかった。
「……大樹」
「何だよ?」
「おまえ、覚悟はあるのか?」
「……覚悟?」
意外な言葉にきょとん、と大樹が彼を見上げる。
春樹も同じ気持ちで彼を見つめた。
そんな自分たちに、彼はただ淡々と言葉を続ける。
「生き物は死ぬもんだ。遅かれ早かれ、いつか必ずな。……その覚悟が、おまえにあるか?」
「何言って……」
「大樹」
無理に笑おうとする大樹を、春樹は静かに遮った。
残酷な話かもしれないが、葉の言っていることは確かに事実だ。
目を逸らしてはいけないことである。
「葉兄の言う通りだよ」
「春兄……?」
「動物の寿命は、人間のものよりずっと短いものが多いよ。ペットを飼うなら、そのペットとの別れはほとんどの人に訪れる。みいを飼っている限り僕たちも例外じゃない」
「でも!」
「……僕、言ったよね。生き物を飼うにはたくさんの責任が必要だって。これもその内の一つだと思う。……そうでしょ、葉兄?」
「……ああ」
託される、小さな命。
その重さは、言葉で表せないほど確かなもので。
「…………」
黙り込んでしまった大樹に、春樹は軽く息をつく。
突然知らされた“重さ”は――やはり、大きすぎるのかもしれなかった。




