3封目 風化しない思い出
「ダメ」
春樹はきっぱり言い放った。
こちらはまだ何も言っていないというのに。
「は……春兄?」
「その猫、飼いたいって言うんだろ? だからダメ」
「何でだよ!?」
とりつく島もないような言い方にカッとする。
確かに言おうとしたことは見事正解だが、そこから「ダメ」になるのとはまた話が別である。
そんな言い方では納得出来ない。
「みいは捨てられちゃったんだぞ!?」
「……おまえは捨てられた動物、全部拾ってくる気か?」
「……それは……」
言われ、口ごもる。もちろん無理だ。自分の気持ちはどうであれ。
しかし諦めたくはなかった。
何とか説得しようと、大樹は作戦に移るのを試みる。
まずは笑顔で。
「な、春兄。オレ、イイコにするから! ちゃんと世話するし!」
「おまえの言うことは信用出来ないよ」
「う~~~~」
「唸ってもダメなもんはダメ」
「~~~~。ねえママ、一生のお願い!」
「ダメよ、捨ててらっしゃい! ――って何やらせるんだよ。誰がママだ」
「春兄が勝手にノッたんだろ」
顔をしかめる春樹にツッコんでおく。
それにしてもやはりこの作戦は無理だったようだ。
というより、自分でもこれのどこが作戦なのかはよくわからない。
「春兄~。一匹くらいいじゃんか」
「数の問題じゃないだろ」
「じゃあ何だよ!?」
「……あのな、大樹。可哀相、ってだけじゃダメなんだよ。生き物を飼うにはたくさんの責任が必要なんだから。その責任を果たすには、今の僕らじゃ知識が足りなさすぎるよ」
「でも……っ」
春樹が言っていることも十分にわかった。だからこそ悔しくて。
――“……ケンカはダメだよ?”
心配そうに見上げてくるみいを抱く腕に、微かに力を込める。
大樹はキッと顔を上げた。
「みい、こんなに小さいんだぞ!? 親いなくて、捨てられて……誰かが助けてあげなきゃ死んじゃうかもしれないんだぜ!?」
「それは……」
「春兄はみいを見殺しにする気か!?」
「僕はそんな……」
感情が高ぶる自分に、今度は春樹が言葉に詰まった。
彼は困ったような顔で自分を押し止める。
顔色から、迷いが生じているのは明らかであった。
「春兄っ!!」
「……ちょっと落ち着けって」
静かに言った彼は、小さく呻いた。
それから散々、これでもかというほどため息を吐き出す。
「……春兄?」
「本当に世話、ちゃんとするか? 途中で飽きたりしないだろうな?」
「世話するっ! 飽きないっ!」
「絶対?」
「絶対!!」
力強く言い切った自分を、春樹はじっと見つめた。やがて苦笑する。
「――約束だからな」
「春兄……? それじゃ……」
「いいよ、飼っても。……僕だって動物を見殺しになんかしたくないし。でも、本当に責任を持って……」
「春兄――――っ」
「うわぁ!?」
嬉しさのあまり、大樹は思い切り春樹に飛びついた。
やっぱ春兄はこうでなきゃ!
慌てる春樹に構わず、今度はみいを高々と持ち上げる。
「“良かったな! 春兄が飼ってもいいって!”」
――“ホント? ホントにホント?”
「“おうっ。みいは今日から、オレの家族だぜ!”」
高々と持ち上げると、みいも嬉しそうに一声鳴いた。
そんな自分たちのはしゃぎように春樹が苦笑する。
彼にしては子供が二人出来てしまった気分だろう。
「ところで……そのみいって名前、おまえがつけたのか?」
「ん? 多分前の飼い主がつけた名前」
美花、と言っていたのを思い出す。
恐らくそれが前の飼い主の名前だと大樹は見当をつけていた。
ちなみに大樹の知り合いにそんな人はいない。
「ふーん……。その名前のままでいいのか?」
「え? 何で?」
「いや、新しく飼うわけだからおまえがつけてもいいんじゃないかと思って」
「あー……」
それもそうかと納得する。
その方がみいも、気持ちも新たにやり直せるかもしれない。
でも。
「“……なあ。みいって名前、好きか?」
――“? うん”
「んじゃいいや、みいのままで。覚えやすいし、みいはみいだし」
「……そっか。それじゃ、みいを連れてお風呂場に行ってこい」
「お風呂ぉ?」
「今朝は雨降ってたし、みいの手足は泥だらけだろ?」
ソレで家の中を走り回られてはさすがに困る、と春樹が苦笑した。
「あと、ついでにおまえも着替えてこいよ」
春樹が目だけで洋服を示す。
そこでようやく気づいたが、確かに自分の服は少々汚れていた。
みいを抱えていたのだから当然の結果だ。
よって、彼の言うことは全て正しい。
やらなければならないのもわかる。わかるのだが。
「春兄」
「何?」
「何か所帯じみてねー?」
「……うるさいな」
思わず感想を述べると、むっつりと返された。
どうやら禁句だったらしい。
「いいから早く行ってこいって」
「わかった。おっしゃ、行くぞみい!」
掛け声と共に、風呂場めがけて走り出す。
ドタバタとうるさい音に、春樹が微かに顔をしかめた。
しかしいつものことだと思ったのか、文句は出ずに黙って見送る形でその場をやり過ごす。
――大樹とみいが風呂場へ消えると、春樹が小さく息をついた。
「……あんなに喜んじゃって」
大樹の場合、感情がすぐに顔に出るので本当にわかりやすい。
あそこまで単純だと、彼がトランプでババヌキを苦手とするのにもとても納得がいった。
彼にババが回ってきたとたん、ゲームは終わりだと思っていいだろう。
ちなみに神経衰弱では記憶力より勘で勝負する奴だ。
それでもそこそこ、少なくともババヌキよりは勝負が成り立つのだから不思議である。
(それにしても……)
春樹は冷蔵庫を開けてみた。
中のものを一通り確認し、首を傾げる。
「餌ってどうすればいいんだろ……。やっぱキャットフードなのかな。とりあえず子猫だし牛乳……? タマネギはダメだって聞いたことあったような気もするけど……」
ブツブツと呟き、意外と乗り気な自分に気づきハッとする。
風呂場からはやけに楽しそうな声も聞こえ、春樹は無意識に笑いをかみ殺した。
何だか今まで以上に賑やかになりそうだ。
(……ま、いっか)
何事も初めてのことはあるし、ペットを飼うのもいい経験にはなるだろう。
そんな結論に達した春樹は軽く肩の力を抜いた。
ただし、
「うあっ。お湯と水間違った!!」
「…………」
――やはり、多少の不安は拭えないのであった。
◇ ◆ ◇
ガチャリ
手足もきれいになったみいを連れ、大樹はタオルを頭にかぶったまま部屋に入った。
物珍しげにキョロキョロとするみいに微笑い、タオルで濡れた髪をわしわしかき乱す。
――“ダイキ、大丈夫?”
「へっ?」
ふと見下ろすと、みいがこちらを見上げていた。
少しでも目線を低くしてやろうと、大樹はその辺に腰を下ろす。
――“だって、ビチャビチャ”
「“こんなのダイジョーブだって”」
冷たそう、と心配するみいに笑って余裕を見せる。
実際に大したことではないのだ。ただ単に濡れてしまっただけである。
みいのシャワーだけでなぜこんなに濡れてしまったのかは、はっきり言ってどうでもいいことだった。
大樹が自分で間違ってシャワーを出してしまい、それを頭からモロにかぶったのだ。
これには、さすがに自分でもマヌケなことをしたと思う。
「まさかひねる方向間違えるなんてなあ……」
ブツブツと呟き、まあいいか、と考えを放棄する。
どうせ着替えるには変わりなかったのだ。大差などない。
たかがシャワーにここまで手間取るなんて、多少この先が思いやられそうな気もするが……。
「“にしても、みいって水平気なんだな”」
大樹は半ば感心するように呟いた。
猫は水が嫌いだというイメージを持っていたが、シャワーの間、みいは比較的大人しかった。
怖がる様子もなかったし、実に落ち着いていたのだ。
その様子にこちらが拍子抜けしてしまったほどである。
――“うん……。あのね、美花ちゃんが、ボクがちっちゃなときからおフロに入れてくれたりしたの。だからあまり怖くないの”
みいが嬉しそうに教えてくれる。
つまり、水が怖いという意識を持つ前から水に慣れてしまったということだろう。
ナルホド、と何となくだが大樹も納得する。
「…………」
大樹はゴロリと床に寝転がった。
寝返りを打ち、うつぶせの状態で顔を上げる。
これでほぼみいと同じ目線の高さだ。
「“…………なあ?”」
――“なぁに?”
「“美花って……どんな人だった?”」
――“え?”
聞いていいのか迷わなかったわけではない。
しかし、やはり好奇心には勝てなかった。
じっとみいを見つめる。
――“…………優しかったよ”
そう言ったみいの言葉は、思ったよりもずっと嬉しそうだった。
――“髪の毛がサラサラしててね、気持ちいーの。ぎゅって抱いてくれたとき、すごく温かかったよ。それでね、毎日おしゃべりしてくれた。悲しいことがあったときはね、美花ちゃんはポロポロ泣きながら話すの。そうしたらボクも悲しくなっちゃうんだけど……その顔もね、やっぱりキレイなんだよ。ボクを呼ぶ声も、体をなでてくれる手も、すごく……すごく優しかったよ”
一言、一言。大切そうに。
自分なりの言葉で一生懸命話すみいに、大樹はわずかに目を細めた。
ふいに様々な感情が込み上げてきたが、それは言葉に出来そうにもなかった。
代わりに、あえて明るく声をかける。
「“その美花って人のこと、好きなんだなっ”」
――“うん。ダイスキ”
過去形ではなかった。
今でも慕っているのだ。捨てられてしまったにも関わらず。
――“……でもね”
「“でも?”」
――“ダイキも、ダイスキだよ?”
「“……こいつぅー♪”」
ふざけたように笑い、大樹はみいを抱きしめた。
みいからも「きゃー」などと笑いの混じった悲鳴が聞こえる。
そうやってじゃれ合っていると……。
「……何やってんの、おまえ」
唐突に春樹の声が割り込んだ。
顔だけ向け、彼の呆れを通り越した怪訝そうな表情に気づく。
春樹にはみいの言葉はわからないのだ。
いくら自分の能力を理解していても、やはりハタから見れば奇妙なものを感じるのだろう。無理もない。
「何って言われても。春兄こそどうしたんだよ?」
「心配になって様子見に来たんだよ」
「心配?」
何のことか見当もつかず、大樹はきょとんとしてしまった。
そんな自分に春樹が渋い顔を作る。
「力」
「……ちからぁ?」
「調子に乗って使いすぎるなってこと」
淡々と言われ、ハッとした。言葉に詰まる。
「みいとの会話も程ほどにしておかないと、おまえが倒れるぞ?」
「……わかってるよ」
「ならいいけど」
そう言った彼は、あまり自分の言葉を信用していないようだった。
大樹としては少しばかりムッとする。
だが、春樹の心配はもっともなものである。
大樹自身の“力”はあくまでも人以外の声を「聞く」ことなのだ。
「話す」のはその応用みたいなものだが、それには精神力などを必要としてしまう。
その結果、連続で多様したりすると思い切りバテてしまうことになるのだ。
すでに何度かそういった経験がある。
だからこそ最近は控えていたつもりだが……。
「大樹は夢中になると、限度ってものを忘れちゃうからさ」
「気をつけてるってば」
「ハイハイ」
ムキになって答えると、春樹はあっさり身を引いた。
軽くあしらうような態度で部屋を出て行く。
本当に少し心配になって見に来ただけのようだ。
それにしても、親が子供をあしらうようなあの態度はやめてほしい。
歳はたったの一つしか違わないというのに。
――“……何の話、してたの?”
遠慮がちなみいの声に、大樹は慌てて我に返った。
「“ダイジョーブ。何でもないから”」
――“? そっか”
「“おうっ”」
――“……あのね。ボクも一つ、訊いていい?”
「……?」
何だろうと不思議に思いながらもうなずく。
すると、みいは小首を傾げるような仕草をした。
人間らしいソレに小さく笑ってしまう。
――“ダイキは何でボクの言葉、わかるの? 何でダイキの声、すんなりボクに届くの?”
「……えーと」
あまりにも素直といえば素直すぎる質問に、大樹は何と答えればいいのか迷った。
人間相手にすら難しいのに、それが子猫となると一苦労だ。
「“……居間に、大きな鏡があったろ? あそこを通ると倭鏡って世界に行けるんだ”」
――“わきょう?”
「“で、そこに住んでる人ってのはいろんな力を持ってんの。オレもその一人で、そのおかげでみいと話せるんだぜ? ちなみに春兄はな、セーガって生き物を呼べるんだ♪”」
――“そのわきょうも、ダイキのおうちなの?”
「“そう、でもあるのかな。父さんも母さんも、兄ちゃんもいるし。あ、オレの兄ちゃんが倭鏡の王サマだったりするんだけど”」
――“王サマ? じゃあ……エライんだね”
「“いやー……あれはただのめんどくさがり”」
感心するみいに肩をすくめる。
あの兄ほど「面倒くさがり屋」の名にふさわしい者はそうそういないだろう。
たくさんいたら世の中大変だ。
「“葉兄ってば、面倒だからオレか春兄に跡を継げって言うんだぜ?”」
もちろん、まだ先の話ではあるけれど。
――“じゃあ、ダイキは王サマになるの?”
「“へっ? んー……わかんねえ”」
無邪気すぎる問いに苦笑がこぼれた。
自分にはまだ何もわからない。
王になるのかも、自分が何になりたいのかすらも。
「“今はやりたいこと、多すぎるしさあ”」
――“やりたいこと?”
「“ん。いっぱい遊びたいし、いろんなとこ行ってみたいし、……いつかみいを倭鏡に連れてってやりたいしなっ”」
――“うん。ボクも、ダイキのもう一つのおうちに行ってみたい”
「“倭鏡はいいトコだから楽しみにしてろよ。自然もたっくさんあるし、みんな優しいし、おもしろい生き物もいるし。たまに危ない生き物もいるみたいだけど……”」
――“……そうなの?”
多少、みいが声に不安を滲ませた。
そんなみいに、大樹は何でもないように笑ってみせる。
「“そのときはオレが守ってやるからさ。全然ダイジョーブ!”」
――“……うんっ! ありがと、ダイキ”
心から嬉しそうに言われ、何だか自分まで嬉しくなってしまう。
「“渡威が出てきても、オレがちゃーんと守ってやるからなっ! 渡威なんて封御でがつんと……”」
意気揚々と拳を振り上げた大樹は、ふと何かが頭に引っかかった。
それが何なのかすぐにはわからず、部屋をぐるりと見回してみて――まるで何かが弾けたように唐突に気づく。
それと同時にざっと血の気が引くのを、大樹は妙にはっきりと感じた。




