2封目 ここで会ったが百年目
「じゃーな、ユキちゃん。また明日!」
「うん、ダイちゃんまたね~」
大樹は、のんびりした声に手を振って駆け出した。
一度家に帰った後、幼馴染みの沢田雪斗から電話が来て、今の今まで彼の家で遊んでいたのだ。
ちなみに遊びの内容は、ゲームをしたり他愛のない会話をしたりとごく平凡なものである。
オレンジ色に染まった空を見ながら、大樹は少し足を速めた。
あまり遅くなると春樹がうるさい。彼はそういった面では、実の母よりも口うるさかったりする。
今日の夕ご飯は何だろう、などとぼんやり思い――。
どんっ
「わっ!?」
角から曲がってきた人物と思い切りぶつかった。
勢いのあまり後ろへ転びそうになる。
「いって……あ―――――っ!」
「あ? あんときのチビ!」
「学校の前で春兄にベタベタ絡んでた奴!!」
「変な言い方するんじゃねえ!」
「そっちこそチビってゆーなっ」
凄んでくる例の二人をキッと睨みつける。
全く嫌な奴に出会ってしまったものだ。もう会うことなんてないと思っていたのに。
「ぶつかってきてその態度とはいい度胸じゃねーか。あぁ?」
「前見てなかったのはお互い様だろっ」
「んだと? 俺たちに謝れって言うのか?」
誰もそんなことは言っていない。自分はお互い様だと言っただけである。
「いいからどけよ! オレ帰るんだから!」
「俺らに命令すんな。……おい、どうするよこのチビ?」
「この生意気な態度、気に入らねえよなあ」
はっきりきっぱり険悪なムードに、大樹は封御に手を伸ばした。
だが、構えようとしたところでハッとする。
今日、人に封御を向けるなと怒られたばかりだ。
封御を取り出すのをためらっていると、相手の一人が目ざとく気づいた。
強引に腕をとられる。
「おい、何だその棒っきれ?」
「棒っきれじゃねーっ! 手ぇ放せよっ」
「うるせーガキだな……」
「――何やってるんだ?」
突然割り込んだ第三者の声に、三人は一斉に動きを止めた。
顔だけ振り向いてみると、そこには見たことのない少年。
しかし相手には見知った人物らしく、彼らは「げっ」と呟きを漏らした。
つかんでいた手も無意識にか放してしまう。
「杉里蛍……!」
(スギザトケイ?)
それが少年の名前だ、と気づくには少し時間を必要とした。
状況が呑み込めず、大樹は彼らの顔を交互に見つめる。
例の二人の方は少し引きつっているようだ。
蛍と呼ばれた方は無表情でよくわからない。
「何やってるんだ?」
蛍はもう一度、淡々とした調子で問いかけた。
彼らは一瞬怯み、口ごもってしまう。
「俺らは別に……」
「な、もう行こーぜ。あいつ相手はなんかやべーよ」
「ああ」
囁き合った彼らが悔し紛れにこちらを睨む。
しかしそれ以上は何も言わずにバタバタと走り去ってしまった。
その背に、我に返った大樹は慌てて声を投げつける。
「あ……明後日来やがれっ!」
「……それじゃ本当に来ちゃうぞ?」
ボソリと言われ、大樹は怪訝に振り返った。
蛍が真っ直ぐこちらを見ている。
「じゃ、明日来やがれ?」
「それも同じだろ。正しいのは『一昨日来やがれ』だ」
「ええ!? だってそれじゃ来れねーじゃん!」
「……来てほしいのか?」
すっとんきょうな声を上げる自分に、彼が小さく吹き出す。
ここで初めて笑った顔を見た、と思った。
彼に会ったのは今さっきだが、自分はずっと怖い顔しか見ていなかった気がする。
「それで、大丈夫か?」
「へっ? あ、えー……うん?」
思わずしどろもどろになる。
大丈夫も何も、自分は大したことなどされていない。
大樹はまじまじと彼を眺めた。
上から下まで視線を行き来させ、ふとあるところに目をつける。
彼が手にしている、中にタイヤキが入った袋。
妙に場違いなソレに呆気に取られ、大樹はつい凝視してしまった。
その視線に気づいた彼が、何を思ったのかその袋を差し出してくる。
「……食うか?」
そんなつもりで見ていたわけではないが……。
「食うっ♪」
――もらえるものはもらう主義だ。
◇ ◆ ◇
簡潔に感想を述べるなら、タイヤキはおいしかった。
そのせいもあって、大樹にとっての杉里蛍への印象は大分良いものであった。
もちろん助けてくれたから、というのもあるが。
「オレは日向大樹ってゆーんだ」
もらったタイヤキをきっちり食べ終えた大樹は、まず笑顔でそう名乗った。
その名前に、蛍の顔が微かに曇る。
「日向……?」
「おうっ。そっちは?」
「……杉里蛍だ」
ぼそりと名乗られ、やはりそれが名前なのかと納得する。
大樹はその名前と顔を頑張って頭に叩き込んだ。
あまり物事を覚えるのは得意ではないので、こんなときは多少の気合いが必要とされるのだ。
「な、蛍って強いのかっ?」
「……は?」
「だってあいつら、すぐ逃げてったじゃん」
「……俺は別に……。みんなが勝手に怖がってるだけだ」
「? ふーん」
よくわからないがうなずいておく。
それにしても、正直に言うならうらやましい。
自分なんて普段怖がられるどころかよくバカにされる。
人より身長が低めなので余計に。
「おまえの方こそ、アレは何だったんだ?」
「アレぇ? ……ああっ」
蛍が言ってるのはさっきの出来事だ、と少し遅れて気づいた。
思い出しただけでもムカムカする。
せっかくタイヤキの美味さで忘れかけていたのに。
(自分で振った話題だということは大樹の頭の中からすっかり消去済みだ。)
「ぶつかったんだよ。そしたらあいつら、何か色々言ってきて」
「無茶な奴だな……。あっちは二人だったのに向かっていくなんて」
「だってあいつら、春兄にも絡んでたんだぜ!?」
客観的に考えるとよくわからない理屈だが、大樹の中では一応筋が通っているのだ。
家族の一人が絡まれたというのに引き下がってなんかいられない。
だが、蛍は違うところを聞き咎めたようだった。眉根を寄せる。
「……春兄?」
「あ、オレの兄ちゃん。ホントの名前は春樹」
「……やっぱり」
彼は小さく息を吐き出した。
憂鬱そうなソレにさすがの大樹でも気がつく。
「蛍? どうかしたのか?」
「あ、いや。……ところで、そろそろ帰らなくていいのか? 親が心配するだろ」
「それはダイジョーブ。親いねーもん。いるのは春兄だけ」
「……え?」
「?」
蛍の顔が曇ったことに首を傾げる。
何か変なことを言っただろうか。
倭鏡の元王であった父は、一度ちょっとした病気で倒れ、今は倭鏡の病院に入院していた。
母はそれを看病するため倭鏡に入り浸っている。
さらに七つ年上の兄は、現在父の跡を継いで倭鏡を治める王として働いている。
要するに、自分と春樹以外の家族はみんな倭鏡で生活しているのだ。
したがって帰っても家には春樹しかいない。
まあ、家族の中で一番の心配性はその春樹な気もするが。
――“……いた……!”
「ん?」
どうしたのか尋ねようとした大樹は、突然聞こえた声に言葉を飲み込んだ。
キョロキョロと周りを見回す。
「……どうした?」
「今、声が……」
「声?」
それも、人間以外の。
不思議そうにこちらを見てくる蛍を尻目に、相変わらずキョロキョロと視線をさまよわせる。
すると、少しして何かが足元へやって来た。
小さくて、フワフワした……。
「――――猫だ」
気づいた蛍が、ポツリと呟いた。
大樹も足元へ目をやり、その姿に目が輝く。
「あ、おまえあのときの!」
「知ってる猫か?」
「ん、今朝学校に行く途中で会ったんだ」
笑顔で答え、しゃがみ込む。
そっとその猫――子猫といった方がいい――に手を伸ばした。
子猫に逃げる気配はない。むしろ擦り寄ってくる。
「“どうしたんだ、おまえ?”」
話しかけると、子猫が顔を上げた。
そこで子猫がくわえているものに気づく。
白いハンカチだ。あれは確か、今朝自分が……。
「“……もしかして返しに来たのか?”」
――“……うん”
目を丸くして尋ねた自分に、小さな呟きが返ってくる。
大樹は笑顔でその体を軽くなでた。
基本的に動物は大好きなので、つい笑顔になるのを止められない。
「“別に良かったのに。でもありがとなっ。……おまえ、名前は?”」
――“名前……。美花ちゃんはボクのこと、「みい」って呼んでたよ?”
「“美花ちゃん? んー…じゃ、とりあえずみいな! 親はどうした?”」
――“……いなくなっちゃった……”
「“……捨てられた、のか?”」
――“…………”
黙り込んでしまったみいに、大樹は気まずさに近いものを感じた。
どうやら地雷を踏んでしまったようだ。
あまり自覚はないのだが、自分は割りとよく地雷を踏むタイプだと人に言われたことがある。
どうしようと慌てる自分に、ふいに背後から声がかかった。
「日向……?」
「うあっ」
遠慮がちな声にビクリと身体が反応する。
やばい! 子猫に夢中になって忘れてた!
「おまえ、さっきからどうしたんだ? 猫に一人で話しかけて……」
「う、いや、その」
心配そうな顔で言われ、しどろもどろになってしまう。まずい!
――この子猫の言葉は、他の人にはわからないんだった!
今更のようなことに気づき、とりあえず愛想笑いを浮かべる。
蛍はやっぱり不思議そうな顔でこちらを見ているだけだった。
多少怪訝そうでもあるが。
ではなぜ自分にはみいの言葉がわかるのかといえば、それは一重に自分が倭鏡の人間だからである。
倭鏡の人間には何らかの“力”が与えられていて、自分のソレが「人以外の声が聞ける」というものなのだ。
こちらの頑張り次第では話すことも出来る。
だからこそ今会話出来たわけだが。
ちなみに「話す」といっても、大樹は相手の言葉をしゃべれるわけではない。
自分の言ったことを相手に通じさせるのだ。
なのでさっきもニャアニャア言っていたわけではないが、――それでもハタから見れば不思議な状況だったのだろう。
そりゃそうだ。
「あ……はは。春兄も心配してるだろうし、オレ、そろそろ帰んなきゃ!」
苦し紛れに笑い、みいを抱きかかえるようにして立ち上がる。
「じゃあな、蛍。タイヤキサンキュッ♪」
「え……あ、おい!」
彼が止めようとするのに耳も貸さず、大樹は逃げるようにその場を走り去った。
ごまかせる自信がなかったのだ。
もしあれ以上問い詰められていたら、崩れるようにボロを出していたかもしれない。
(やっべー……春兄がいたら怒られるところだったぜ)
こんなことがないようにと、彼には人前で力を使うなとよく注意されている。
あの場に春樹がいれば、彼は間違いなく自分の行為を咎めていただろう。
駆け足で家に向かいながら、大樹は腕の中のみいへ視線を落とした。
大人しいソレに、満面の笑みで話しかける。
「“春兄に頼んで、飼ってもらおーぜ。いいだろ?”」
――“うんっ”
初めて聞いた元気な声に、大樹はさらに笑顔になった。