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倭鏡伝  作者: あずさ
1話「繋がる世界」
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1封目 兄と弟

 ピピピピ…… ピピピピ……


 意識のずっと遠くから聞こえてきた電子音に、日向春樹の手は自分の意志とは関係なくソレを求めていた。

 手探りでやっとお目当てのものに触れ、そのままボタンを押す。

 耳元の音がピタリと止まると、ようやく春樹は重たい体をむくりと起こした。


「~~~~朝か」


 のろのろとベッドから這い出ると、ふと一つ上のベッドに色素の薄い髪が視界に入った。

 それは一つ下の弟・日向大樹のものなのだが、春樹はこれを見るたびにいつか頭から落ちてくるんじゃないかと不安になる。

 まあ、例えそうなっても「絶対上がいい!」と言い張った彼自身の責任なのだが。


 気持ち良さそうに寝息をたてている弟に背を向け、まず春樹は洗面所へ向かった。

 バシャバシャと水を出し一気に顔へかぶる。

 それだけで大分眠気が覚め、彼は歯をみがくなり台所へ直行した。

 今年中学生となったばかりの彼としては、やはり育ち盛りのせいもあってよくお腹が空く。

 ただ……少し悲しいのは、自分で料理しなければ食事にありつけないことだ。


「……そろそろ冷蔵庫の中身も買ってこなきゃ……」


 呟き、春樹は小さく肩を落とした。――中学生ですでに所帯じみている自分が、何だかやけに情けない。

 しかしそうも言っていられず、春樹は手際良くフライパンなどを取り出していった。

 ちなみに今この家にいるのは春樹と大樹だけだが、ちゃんと両親は健在しているし、ついでにいえば年の離れた兄もいる。

 ただある事情でみんな家には帰ってくることがなく、ほとんど二人暮しのような生活だ。

 その相手が大樹だというのが泣けてくる。彼ほど世話の焼ける人物はいないのではないだろうか。

 少なくとも春樹の十二年では見たことはない。いるなら一度くらいお目にかかりたいものだ。


「――ってまだ寝てるし」


 一通りの料理を盛りつけた春樹は、物音一つしない寝室に小さくため息をついた。そろそろ起きなきゃやばい時間だ。

 仕方なく一皿と団扇を手に取り寝室へ向かう。

 ……いつの間にだろうか。布団がベッドから、大きく投げ出されていた。


「大樹! 起きろ! おいっ」

「く―――……」


 くーじゃない、くーじゃ。


「今日も学校なんだぞ!」


 遅刻するだろ、と怒鳴っても彼は身じろぎさえしなかった。

 全くといっていいほど起きる気配がない。


「……ったく毎朝毎朝……」


 苛々と呟きながら持っていた皿と団扇を取り出す。

 まだ温かい料理を、春樹は大樹に向けてパタパタと扇いでやった。


 その刹那。


「――――メシ!!」


 ガバリと起き上がるなり、大樹がそう叫んだ。


「………………ん?」

「…………」

「……おはよう、春兄」

「…………おはよう」


 こちらの微かな苛立ちに気づいているのかいないのか、大樹はヘラリと笑っただけだった。

 ひょいとベッドから降りてくる。


「あ―――っ、ハラへった―――っ! 春兄! メシ出来てる!?」

「出来てるよ。でも先に顔洗えよ」

「ハイハイ」

「その前に! ベッドから飛び降りるなって何度言えばわかるんだ? ちゃんとはしごを使え、はしごを」

「だぁっ! 春兄ってば細かすぎ!」


 ――何回言っても言う通りにしないからだよ。

 そう言いかけ、春樹はその言葉をぐっと飲み込んだ。

 もう何十回、何百回……下手すれば何千回も言ったのだ。

 今更言っても決して直りはしないだろう。

 それ以前にすでに大樹は洗面所へ走り去っている。


 春樹はこめかみをぐりぐり押した。何だかもう疲れてしまったようだ。

 ――この十一年間、幾度となく奴には振り回されてきたが今でも慣れない。

 あれで母親譲りの顔のせいか、よく知らない人には「かわいい」と言われるのだから――……とんだ小悪魔だ。

 いや、大樹自身にも確かに悪気はないのだが……。


「春兄―――、メシ食おうぜメシ―――!」


(だから余計タチ悪いんだよなぁ……)


「春兄?」

「――え? あ、何?」

「だからメシ食おうって」


 聞いてなかったのかよ、とむくれる大樹に苦笑を漏らす。

 こんな奴なのに何だかんだいって憎めないのは、たった一人の弟だからだろうか?


「……急いで食べろよ。片づける時間もあるんだから」

「わかってるって!」


 笑顔でそう言い、今度はバタバタと食卓へ走っていく。

 どうでもいいが本当に騒がしい奴だ。彼に静かなときなんて存在するのだろうか。


「いただきまーす」

「……いただきます」


 お互い向かい合って席に着く。

 それから食事タイムとなったのだが、ここでも大樹の口は止まらなかった。

 黙々と箸を動かす春樹の前で、一口運んだ彼が「お?」と声を上げる。


「春兄、料理の腕上がったな」

「……おかげさまで」


 自分以外に家事をする者がいないのだ。こんな生活を続けていれば当然の結果だろう。

 そんな小さな皮肉に大樹も気づいたらしい。むぅ、と口を尖らせた。


「オレがやろうとしたら、春兄怒るじゃん」

「おまえにやらせたら台所に二度と入れなくなるからね」

「……そりゃ、電子レンジに生卵入れたのはまずかったと思うけどさあ」

「それだけじゃないだろ。油ひっくり返したり包丁落としたり! 焦げないように見ててくれって頼んだら寝てるし! おまえが料理してたらいつか死ぬぞ!?」


 もちろん春樹が、である。


「な……何だよっ。オレだってやれば出来……っ」

「無理」

「即答することねーじゃん!」

「もうおまえに家事なんか期待してないの。いいからさっさと食べろよ。時間なくなるぞ」


 冷たく言い捨てると、それ以上言い返せなかったのか大樹は小さく唸っただけだった。

 それから大人しく朝食を食べ続け――たのはたった十秒だけのことである。

 彼はパッと顔を上げ、その勢いで思い切り立ち上がった。


「やべっ、道具用意してなかった!」

「いつも前日に用意しとけって言われてるだろ?」

「すっげー眠かったんだよ!」


 言い返しながら、一生懸命口の中に朝食を詰め込んでいる。まるでハムスターみたいだ。


「んんんーんん!」


 恐らく「ごちそうさま」だと思われる言葉と共に、バタバタと自分の部屋に戻ってしまう。

 奥の方で何かを倒したような音が、した。


「――――」


 あんなに急いでいても全部食べてくれるなんて、嬉しいんだか悲しいんだか……。


「さて、と」


 呟き、自分も食べ終えた春樹は皿を重ねた。

 落とさないように気をつけながら台所へと運ぶ。

 そのまま勢いよく水を出し、春樹はじゃぶじゃぶと洗い始めた。

 本当は学校から帰ってきてからやってもいいのだが……そこは性格の問題である。

 春樹としては面倒なことをためておきたくない。

 これが大樹ならためてためて――……そのまま忘れてしまうのがオチだろう。


 ピー ピー


「!」


 小さく鳴る電子音に慌てて水道を止める。

 その音源は薄いカードの形をしていた。

 手に取った今はすでに沈黙している。

 そのディスプレイに目を走らせ、春樹は少し目を細めた。


「…………」

「春兄―――! 早く行こ―――っ!」

「うわっ!? もうそんな時間!?」


 玄関で急かす大樹に「ちょっと待て」と返し、急いで自分の部屋へ向かう。

 マッハで着替え、手早く鞄などを取って玄関へ直行した。

 そこには準備万端な様子の大樹が立っている。


「春兄早く!」

「わかってるよ。……おまえ、またソレで行くの?」


 ソレ、と言って春樹は大樹の足元を見た。

 靴にローラーがついているソレは、いわばローラースケートと呼ばれるものである。


「いーじゃん、別に。学校でも禁止されてねーし」

「そりゃそうだけど……」

「それに『また』って言うけど、昨日はこっち」


 そう言って彼はスケボーを指差した。

 大樹はこの類がどうも好きらしい。

 まあ、勉強より運動が好きな大樹のことだ。彼らしいといえば確かにらしい。


「ってのんびりしてる場合じゃなかった!」


 叫び、さっさと靴を履く。

 乱暴にドアを開けると、眩しい光が目の前を照らしていた。


「走るぞ大樹!」

「おうっ!」

「――あ、そうだ」

「ぶっ」


 急に立ち止まられ、後ろにいた大樹が思い切りぶつかった。

 ローラースケートのせいかバランスをくずしかけている。


「……だからそれやめろって言ってんのに」

「春兄が急に止まるからだろっ!?」


 体勢を立て直した大樹に叫ばれ、春樹は「いやー」と笑って誤魔化した。

 その通りと言えないことも、なくもない、かもしれない。


「にしても急にどうしたんだよ、春兄。何か忘れ物?」

「いや……。今日は一緒に帰るぞ。葉兄(ようにい)から連絡が入ってる」

「葉兄から?」


 大きな瞳がさらに大きく見開かれる。

 しかしそれも、すぐにジト目となって春樹に注がれた。


「っつーかさ。今じゃなくても後で言えば良かったじゃん、学校すぐ隣なんだから」

「忘れない内に言っておこうと思って。葉兄、遅れたりすると怒るだろ?」

「う――ん……」

「てなワケで走るぞ! 学校まで競争!」

「あ―――っ! 春兄ずりぃっ!」

「ズルくない! おまえなんてローラー履いてるだろ!」

「ズルイ!」

「ズルくないっ!」


 ぎゃあぎゃあとわめきながら学校へと走っていく。

 それは何気ない、周りから見ればただの微笑ましい光景であった。



 そう、彼らはどこにでもいるような平凡な少年であった。

 あることだけを、除いては。



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