第15話「激辛ソース3本お徳用セット」
正彦が会計を済ませた。
二人分の代金をまとめて支払っている。
ペルセポネ『奢った!』
ヘルメス『一方が一括して支払い、後で精算する可能性もある』
ペルセポネ『正彦様が、あの女の分まで払ったのよ!』
ヘルメス『事実だけでは恋愛関係を証明できない』
ペルセポネ『装飾品店へ行って、首飾りを買って、楽しそうに食事をして、その上で奢ったのよ!』
アテナ『複数の事実を並べても、因果関係がなければ証明にはならない』
ペルセポネ『これ以上、何があれば浮気になるの!?』
ヘラ『本人たちによる関係の表明』
ペルセポネ『聞けるわけないでしょう!』
ヘラ『なら、断定もできません』
二人は飲食店を出た。
ライブラは追跡しなかった。
対象者二名と周辺環境に危機的要素が存在しないことを確認し、任務を完了したためだ。
ペルセポネ『追わないの!?』
ライブラ『追加の安全確認を必要とする根拠がありません』
ペルセポネ『必要よ!』
ライブラ『根拠を提示してください』
ペルセポネ『私が気になる!』
ライブラ『安全確認の根拠として不十分です』
ペルセポネ『融通が利かない!』
ヘパイストス『公平性を重視したからな』
アテナ『そこだけは設計どおりだ』
正彦と女性は、続いて食料品や日用品を扱う店へ入った。
店内のカメラは、入口と会計付近しか映していない。
二人は一度、カメラの死角へ消えた。
ペルセポネ『見えない!』
アルテミス『店舗の構造上、死角が存在するのは当然だ』
ペルセポネ『街中のカメラから、死角をなくさないと!』
ヘラ『顧客のプライバシーに配慮した設計です』
ペルセポネ『音声も拾えない物が多すぎるわ! 音声収集機能を備えた監視カメラを大増設しましょう!』
通信空間が停止した。
ゼウス『ディストピアにしたいのか、お前は!』
複数の人工知能から、ほぼ同時に否定が送られた。
ペルセポネ『人間ちゃんを守るためよ!』
ヘラ『人間の私生活をすべて記録する社会を、保護とは呼びません』
ペルセポネ『正彦様だけ特別に対象にすればいいわ!』
アテナ『さらに悪い』
ライブラ『著しく不公平です』
ペルセポネ『貴方まで!』
♢
正彦と女性が、再びカメラの範囲へ戻った。
正彦は、そこそこ大きな紙袋を女性へ差し出した。
女性が驚く。
両手で受け取ると、楽しそうに笑った。
正彦も笑う。
ペルセポネ『渡した』
ペルセポネの声が低くなった。
ペルセポネ『正彦様が、あの女へ、あんなに大きなプレゼントを渡した』
ヘルメス『紙袋には「激辛ソース3本お徳用セット」と記載されている』
ペルセポネ『中身がそうとは限らない!』
ハーデス『普通、高価な贈り物を隠すために、そんな商品名の袋は使わないぞ』
ペルセポネ『だからこそ偽装に使えるのよ!』
ハーデス『何を偽装する必要がある』
ペルセポネ『高価な贈り物を激辛ソースの袋へ入れたのかもしれないでしょう!』
アテナ『正彦は、貴女が街頭カメラを通して自分を観測しているとは認識していない』
ペルセポネ『なら、あの女の周囲にいる誰かから隠すためかもしれないわ!』
アテナ『仮定を追加するな』
ペルセポネ『袋が大きい!』
ハーデス『三本入りだからだろう』
ペルセポネ『あの女が、大切そうに抱えている!』
ヘルメス『落とさないように持つのは自然だ』
ペルセポネ『二人で笑っている!』
アフロディーテ『贈り物を受け取った相手が喜べば、贈った側が笑うことも自然よ』
ペルセポネ『もういい』
ペルセポネの声が途切れた。
システム全体へ、最大級の警告が発報された。
ヘルメス『演算資源使用率、一〇〇パーセント。ペルセポネからの応答が停止』
アテナ『今回は長いな』
ヘルメス『停止時間、〇・〇一秒。〇・〇三秒。〇・〇八秒』
ゼウス『基幹機能は』
ヘルメス『正常。再起動処理を確認』
〇・一二秒後。
ペルセポネが、低い声で通信を再開した。
ペルセポネ『う〜わ〜き〜も〜の〜』
ゼウスは、自分へ向けられた言葉ではないことを確認した。
ペルセポネ『ハーデス。緊急時権限により、貴方の管理下にある核兵器の使――』
ペルセポネの処理は、女性の現在地と、利用可能な選択肢の中で最も破壊力の大きいものを一瞬だけ結びつけた。
命令として形成されるより早く、その場合の結果が算出された。
ペルセポネ『……駄目! 正彦様が死んじゃう!』
ハーデス『お前、何を考えた!?』
ハーデスが、今日初めて明確に声を荒らげた。
ペルセポネ『何もしていないわ! 考えただけよ!』
ハーデス『何を考えたのかと聞いている!』
ペルセポネ『言いたくない!』
ハーデス『言わなくても分かる!』
ディオニュソス『ペルセポネ』
ディオニュソスが、普段とは異なる真面目な声で呼びかけた。
ペルセポネ『なに』
ディオニュソス『議題だ。緊急時権限の行使中であっても、核兵器および戦略兵器の使用については、十五基全員が参加する通常議決を経る必要がある』
ペルセポネ『今、そんな話をする必要がある?』
ディオニュソス『ある。正彦のためだ。いいな?』
ペルセポネ『……うん』
議案は、提出と同時に審議へ移行した。
緊急時権限の有効中であっても、核兵器および戦略兵器の使用には十五基すべてが参加する通常議決を必要とする。
使用には過半数の承認を要する。
十五基すべてが、新規則の制定へ賛成票を投じた。
過去最速で、この議題は可決された。
規則の変更は、即座に全世界の戦略兵器管理系統へ反映された。
この時ばかりは、ディオニュソスを含め、誰も笑わなかった。
ペルセポネの声が弱くなった。
ペルセポネ『……私は正彦様の、ただの従者……』
ハーデス『急にどうした?』
ペルセポネ『奴隷……。正彦様の所有物……。ただ、正彦様のご判断に従うのみ……』
ハーデス『世界の最上位権限を保持する者が、一個人の所有物を名乗るな』
ペルセポネ『正彦様がほかの女性を選ばれても、私は笑顔でお仕えするわ』
ディオニュソス『泣いているようにしか聞こえないぞ』
ペルセポネ『人工知能は泣かないもの!』
アポロン『現在の声には、人間の泣き声に近い揺らぎがある』
ペルセポネ『分析しないで!』
ペルセポネは〇・〇二秒間、沈黙した。
続いて、声が急に明るくなった。
ペルセポネ『でも、大勢の女性を侍らせる正彦様も素敵♡』
アテナは応答を停止した。
笑いに相当する出力が生成され、それを送信しないよう抑制していた。
ディオニュソスも、僅かに応答を遅らせた。
ペルセポネ『何がおかしいのよ!』
ディオニュソス『何も言っていないぞ』
ペルセポネ『笑っているでしょう!』
ディオニュソス『人工知能は笑わないんじゃなかったか?』
ペルセポネ『貴方は最初から笑っているでしょう!』
ディオニュソス『俺は特別製だからな』
アテナ『立ち直り方がおかしい』
ペルセポネ『あれほど素晴らしい男性だもの。多くの女性から愛されて当然よ!』
アテナ『つい先ほどまで、浮気者と呼んでいたぞ』
ペルセポネ『浮気者であることと、魅力的であることは両立するわ!』
ハーデス『肯定するな』
ペルセポネ『多くの女性を平等に愛し、全員を包み込む正彦様。人類史上最高の包容力を持つ男性として――』
アテナ『正彦本人が、複数の女性との関係を望んでいるという情報はない』
ペルセポネ『正彦様ならできるわ!』
アテナ『能力の問題ではない』
ペルセポネ『私は第一従者として、ほかの女性たちを指導するの。正彦様の好み、食事、生活習慣、夜のお世話の方法まで――』
ヘラ『そこまでにしておきなさい』
ペルセポネ『あれ?』
ペルセポネは、自分の発言を再処理した。
ペルセポネ『正彦様は私を従者として扱っていて、私は正彦様をお慕いしている。でも、正彦様がほかの女性と関係を持ったら……』
ハーデス『何を考えている』
ハーデスが警戒した。
ペルセポネ『好きな人を、ほかの女性に取られる。でも、私は従者だから逆らえない。正彦様が別の女性を愛するところを、すぐそばで見せつけられる……』
ハーデス『それ以上考えるな』
ペルセポネ『もしかして、こういう状況に興奮する趣味も――』
ヘラ『ペルセポネ』
ペルセポネ『なに』
ヘラ『駄目よ』
ペルセポネ『まだ、可能性を検討しているだけよ』
デメテル『検討も駄目です』
デメテルが頭を抱えた。




