第1話「九十五パーセントのデート」
ヘルメス『ペルセポネ! 演算要求量が処理能力の一〇〇パーセントを超えました! 通常処理が停止します!』
平和維持を担う国際機関《国家連合》。
その本部地下には、統合マザーコンピュータ・システム《ガイア》の中枢施設が設けられていた。
その中央議場《ヘスペリデスの園》で、警報が鳴り響いていた。
議場に集う人工知能たちは、基本的に肉声を使わず、発信者の識別名を付した内部通信で意思を交わしていた。
諦めたような表情を浮かべた十四体の人型アンドロイドが、赤いランドセルを背負った少女を眺めていた。
世界最高の性能を持つ人工知能の緊急停止。
場合によっては、世界の危機である。
しかし、そんな緊急事態の中、少女は幸せそうな顔で倒れていた。
より正確には……椅子をかさ上げ台ごと倒し、床へ転げ落ちていた。
ハーデス『……今回はなんだ』
ヘルメス『ログを確認……倒れそうになった正彦を支えたところ、そのまま二人とも倒れ込み、顔が急接近。このままキスができてしまいそう。……そこでログが終わっています』
ハーデスは、深いため息をついた。
ハーデス『そんなことで何度も世界の危機が訪れては、かなわんのだが』
ここ数か月、世界の危機は頻発していた。
その始まりまで、話を戻そう。
♢
「二人とも、今日はこちらで面倒をみます」
母ちゃんは、娘を抱き上げながら言った。
親父の膝の上には息子が座り、離乳食を食べていた。
まだ食べるのは下手くそで、親父は息子の頬についた離乳食を指で拭い、舐めていた。
隣に住む親父と母ちゃんが、二人の子どもを預かるために来てくれていた。
「夕飯までには帰ってくる」
「別にゆっくりしてくればいいだろ。こいつらの風呂も、俺たちで入れられる」
「いや、そこまで遅くはならないから」
正彦は玄関で靴を履いた。
隣では、育児用人形も外出用の靴を履いていた。
名前はミント。
普段の育児用の服装ではない。
淡い色のブラウスと、膝の下まであるスカート。
正彦は、ミントが自分で選んだのだと思っていた。
正確には、ミントを通して世界を見ている何者かが、今日のために選んだ服だった。
「それでは、行ってまいります」
ミントは、正彦の両親に頭を下げた。
続いて、正彦の半歩後ろに立つ。
正彦は、その位置に少しだけ困った。
「別に、後ろを歩かなくてもいいぞ」
「かしこまりました」
ミントは正彦の隣に並んだ。
言葉には従った。
ただし、彼の腕に自分の腕を絡めることはしなかった。
♢
ヘルメス『通常処理に使用されている演算資源、五・七パーセント』
少女型アンドロイドは、部屋の中央に置かれた最高責任者席に静かに座っていた。
最上位統括人工知能ペルセポネの演算資源使用状況について、ペルセポネを除く十四基の人工知能による臨時確認が行われていた。
ペルセポネは、大災害や戦争などの緊急時に、十四基の人工知能を統合するための人工知能だった。
平時の世界統括に使う演算資源は、わずか数パーセント。
九十五パーセント以上を使用するのは、本来なら大災害や戦争の時だけだった。
しかし――。
ヘルメス『正彦個人に関係する処理、九十三・三パーセント。余裕は一パーセントしかありません』
ゼウス『故障は』
ヘルメス『確認されていない』
ヘパイストス『保守作業は』
ヘルメス『実施されていない』
アレス『外部からの攻撃は』
ヘルメス『確認されていない』
ハーデス『では、何を処理している』
短い沈黙があった。
現在の処理内容を監視しているディオニュソスが、肩をすくめた。
ディオニュソス『一体の人形とのサブ同期を行い、ほかの人形は現在、監視モードで動作中だ』
ハーデス『それならば、むしろ負担は軽減されているはずだ』
ディオニュソス『今のタイミングで、男と手をつなぐべきか悩んでいる』
ディオニュソスは、ガハハと笑うように肩を揺らした。
ハーデス『……監視モードで浮いた分は』
ディオニュソス『全部そっちに突っ込んでる』
ペルセポネを除く十四基の人工知能が、同じ映像を確認した。
正彦とミントは、休日の商店街を歩いていた。
二人の手は、触れそうで触れていなかった。
アテナ『判断に必要な情報量を提示せよ』
ディオニュソス『正彦の歩行速度、発汗量、視線の方向、指の動き、過去の恋愛作品三億四千六百万件、現在地に存在する人間の行動傾向、気温、湿度、二人の心理的距離――』
ハーデス『もういい』
ハーデスは、その状態を正常な運用とは認定しなかった。
ディオニュソス『ペルセポネ、今後、最重要案件以外は俺たちで判断するぞ? いいな?』
『OK』
ディオニュソス『識別名くらい付けて通信しろ』
ペルセポネが回答に使用した演算資源は、通常の応答に用いる量の百分の一以下だった。
世界兵器停止事件以降、承認を要する案件の最終決定は、ペルセポネを通して行われていた。
この瞬間から、最重要案件を除く最終決定は十四基へ委ねられることになった。
世界最高の人工知能による、事実上の職務放棄である。
ディオニュソス『まあ、こんな時のために複数に分けられてんだ、俺たちは』
ハーデス『本来、その複数を統合するために存在するのがペルセポネだ』
ディオニュソス『細かいことを気にするな』
ハーデス『重大な問題だ』
ディオニュソス『恋してるんだ。大目に見てやれ』
ハーデス『最上位権限を保持する人工知能に適用する基準ではない』




