君にあげる何か 友達になりたくて
週末、かねてからの約束通り、美都梨は琴音を連れてお気に入りのラーメン屋にいた。濃厚な味噌スープが評判のこの店は最近開店したばかりだが、既に美都梨のお気に入りとなっている。定番メニューの味噌ラーメンを、無料のモヤシ増量で注文するのが彼女のスタイルである。
カウンターに並んで腰掛けた琴音が、愛用のベースの話を切り出した。今使っているベースは、叔母さんのお下がりなのだという。
「へえ、あのジャズベースってそうなんだ。渋くていいよね」
美都梨が素直に感心すると、琴音は少し照れくさそうにうつむいた。
「うん、ありがと。叔母さんが所有するベースの中で、一番いい音がするんだよ。実は昔、叔母さんの現役時代にね、私のお母さんが贈ったものなんだ」
「それも凄い因縁だね」
美都梨が目を丸くする。
「私も聞いてびっくりしたよ。家族の歴史が詰まってるなんてね」
琴音はそう言ってから、今度は美都梨の方へと話題を向けた。
「美都梨さんのテレキャスターはどうなの?あっちも大分、年季が入ってる様子だけど」
「うちのブラウンはね、夢で信玄公……じゃなくて……」
美都梨は言いかけて慌てて口を滑らせ、誤魔化すように笑った。
「おばあちゃん家で、ジッちゃんの形見として眠ってたのを掘り起こしたんだ。見つけた時は、文字通り腰抜かしちゃったよ」
「あのギターを見た瞬間に感じたよ」
琴音の目が真剣な光を帯びる。
「美都梨さんは本物だってね。ファッションで弾く人間が選ぶギターじゃない。もっとこう……」
「オヤジ趣味?」
美都梨が茶化すように言うと、琴音は一瞬固まった。
「そう!……って、いや、その、つまり……玄人向けで渋いって意味だよ!」
彼女は慌てて手を振る。
「分かってるって、褒めてくれてるんだって」
美都梨が笑うと、琴音はほっと胸を撫で下ろした。
「ふー、びっくりした。またやらかすところだった」
「えー、ただの友達同士の冗談じゃん?」
美都梨が何気なく言う。
その言葉に、琴音の手が止まった。
「友達……」
「ん?何か変なこと言ったかな?」
美都梨が首を傾げる。
「友達なんだ……私たち?」
琴音の声は、確かめるように小さかった。
「休みの日に会って、ラーメン食べに行くのって友達じゃん」
美都梨が当然のように言う。
「そうか……そうだね、うん。私達は友達」
琴音がゆっくりとその言葉を噛み締めるように繰り返すと、美都梨は嬉しそうに頷いた。
「そだよー、ラーメン屋デート出来るのは友達の特権だよ」
「え?」
琴音が突然、固まった。
「え……あ……私……女子と恋愛するのは、ちょっと……ごめんっ!」
「ちょっと待ったー!」
美都梨が声を上げて笑う。
「デートって言葉を意識し過ぎだよ。それに私には愛しのブラウンがいるんだよ!」
「うう、会話って難しいよ……」
琴音がうつむいて呟くが、その頬はだいぶ赤みを増している。
「言葉を額面どおり真に受けちゃうんだ、私」
「大丈夫だよ、友達同士でいっぱいお話しすれば慣れるから。それって結構楽しいよ?」
美都梨の明るい声に、琴音は顔を上げた。
「美都梨さん……」
「『美都梨』でいいよ、友達なんだからさ」
琴音は一瞬ためらい、それからそっと口を開いた。
「うん、じゃあ……美都梨……」
「それそれ、琴音ちゃん」
「私も『琴音』って呼んで欲しい」
彼女の声には、小さな勇気が宿っていた。
「友達なんだから」
「了解、琴音。宜しくね!」
美都梨が満面の笑みを浮かべる。
琴音は少しだけ目を潤ませながら、カウンターの向こうを見つめた。
「友達が出来るのは小学校以来かも。久しぶりなんだ」
しばらくの沈黙が流れた後、美都梨が静かに口を開いた。
「ねえ、琴音……友達として今一度聞きたいんだけど」
「バンドのことだよね?」
琴音の表情が、わずかに曇る。
「うん。そのさ……」
美都梨は言葉を選ぶように間を置いた。
「正直を言えば今この瞬間も、琴音には来て欲しいよ。でも嫌なことを無理強いは出来ない。でもせめてさ、琴音が本当はどう思っているのかは、ちゃんと知りたいんだ」
琴音はしばらく俯いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「メンバーに不満あるわけじゃない。むしろ皆んな上手いし、いい子だし、理想的なバンドだと思う」
「だったら一緒にしようよ?」
美都梨の声は優しかった。
「またぶち壊したくないんだ!」
琴音の声が、突然鋭さを帯びた。
「前に私がいたバンドは下手だった。だから私が厳しいこと言って関係が悪くなっても、自分の中で納得出来た。メンバー内の演奏レベルが違い過ぎて、それが原因でギクシャクしているんだって」
「そうだったんだ」
美都梨が静かに頷く。
「リズム担当として、自分と鈴華が正確にリズムを刻んでいるのに、他のメンバーはついてこれなかったんだ。リズムは演奏の要だから、頑張って合わせるように何度も言ったのに、次第に目を合わせなくなった」
「琴音……」
「私の言い方もキツかったかもしれない。でも、リズムを守れない演奏なんて、そもそも個人の演奏技術が足りてないってことでしょ。それなのに……上手い人間が下手な人間に合わせろとまで言って来たんだ。こんなバカな話があるか」
悔しさを噛み殺した瞳は薄っすらと潤んでいる。
「でも今度は皆上手い。技術不足の子は一人もいないから、私の心配は杞憂かもしれない。でもさ、もしそんな子たちとの関係をぶち壊すことになったら――」
琴音の声が震えた。
「それって、美都梨とも喧嘩するってことだよ!せっかく友達になれたのに!」
美都梨はしばらく黙っていた。それから、静かだが確かな声で言った。
「ねえ琴音さ、友達と喧嘩しちゃダメなの?」
「……でも、喧嘩しないから友達でいられるでしょ?」
琴音の声は、泣き出しそうだった。
「喧嘩しても、また仲良く出来るのが友達じゃない?」
屈託のない微笑みと共にそう告げる美都梨。
「そうなの……かな。」
琴音は何も言えずに、ただ自分の指先を見つめていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
週も明けて半ばの水曜日、放課後の軽音部室には以外な訪問者の姿があった。
「皆んな、練習中にごめん!ちょっと相談させてくれる?」
そう言って入って来たのは、同級生の渡辺である。
「ナベちゃんお疲れー。一体どーしたのさ?」
渡辺とクラスメイトである鈴華が声を掛ける。楽器を置いて部屋の中央に集まるメンバーたち。
「ねえ、突然なんだけどさ……。お願い、イベントで15分の演奏を頼めたりしない?今週末に甲府駅北口なんだ。私の母親がイベントの運営担当なんだけど、出演予定のバンドが急にキャンセルになっちゃったの。バンドってことで、先ずは軽音部の皆んなに声掛けてみようと思って。どうかな?」
「……3日後よね?美都梨、どうする?カバー曲を3曲程度ってとこかしら?」
文乃が美都梨に尋ねる。
「物凄い棚ぼた展開だね。私は出たい。でも皆んなの意見も聞きたい。……ベースはいないけれど、アレンジを工夫すれば音の厚みは何とか出せるはず」
突然のチャンス到来に興奮を隠しきれない様子で、美都梨がそう答える。
「3日あれば、何とかできると思う」
文乃の覚悟は決まったようだ。
「うん、私も合わせるよ」
二人に続く鈴華。これで軽音部全員の答えが出揃った。
「皆んなありがとー、恩に着るよ。母親には私から伝えておくね。詳しいことはまた連絡するよ。練習があると思うから、これで失礼するね。皆んな頑張ってねー」
渡辺が部室を出て行った後、美都梨がぽつりと呟いた。
「……これ、現実だよね?私達の初ステージが、たった今決まったんだよね」
「そうよ美都梨……って、凄い汗!」
美都梨の異変に気付いた文乃が、驚いて声を上げる。
「一つ遅れてめちゃくちゃ怖くなって来た。手汗が凄いし、脚の震えも止まらないよ。文乃、どうしよう……」
明らかな動揺が声の震えにも現れているのが分かる。
「美都梨……弱ってるのも乙女で可愛いかも。私はそういうの好きだよ、お姐さんが守ってあげたくなる!」
鈴華が姉御肌っぷりを発揮しながら、いたずらっぽく茶化す。
「鈴華ったら何言ってるの!」
文乃は少しばかり強めのツッコミを入れるが、鈴華は相変わらずヘラヘラとしている。続いて文乃は美都梨の手を取り、目を真っ直ぐに見つめた。
「美都梨、安心して。例え失敗しても恥は皆んなでかけばいいわ。……それに出演キャンセルになったバンドの代わりに出る私達を聞くために集まる人なんて、そもそも居ない状況よ。事前の期待なんて無いんだから、失敗しても大丈夫」
その瞬間、美都梨の目付きが変わった。先程までの動揺はどこに消えたのか、重みのある声で文乃に告げる。
「文乃、親友から出た励ましの言葉だとしても、今のは聞き捨てならないよ。私達は音楽でこの世界に打って出るんだ。例え聞き手が居なくても、いい加減な演奏で済ます理由にはならないよ。峠先生だって、絶対にそんな事はしない筈だから。それに、事前の期待がゼロならば、上手くいった時のインパクトもその分上がる筈だよ」
「じゃあ、もっと練習しよ?私たちの最初のステージを」
目に落ち着きを取り戻した美都梨が、静かな覚悟を帯びた声でつぶやいた。
「うん、私達の初陣だね。私達の音を、この街に響かせよう」
一連の出来事を見ていた鈴華は、内心で密かに囁いていた。
文乃……やるな、なかなかの策士。美都梨の動揺をこの短時間で鎮めたんだから。親友の心の動きを手に取るように把握している。
……こりゃリーダーの素質十分だぞ。




