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「アンナベル様!」
「アンナベル様!! ご無事で!」
二人はわあっと、私たちの無事と再会を喜び、先ほどまでの諍いはまるでなかったように素知らぬ顔をした。
私も顔には出さない。社交界で培った感情のコントロールは、ちゃんとここでも活かせている。
「アンナベル様っ、早く、早くここから出ましょう」
「急いで逃げませんと」
「そうね。メアリー、どちらに向かえばいいかしら」
私がそう聞くと、メアリーは落ち着いた声でこう言った。
「はい。では、こちらです」
メアリーがカンテラを向けた方は、今まさにアロルドルフが凄惨な死を迎えた方向だった。
さすがに私も分かったし、カミラもクラリッサも顔色を変えた。
「そっちは……今来た方じゃない。帰り道を案内してよ」
ようやくカミラが震える声でメアリーを非難する。
クラリッサもここは同意だったのだろう。うんうんと必死で首を振る。
メアリーは淡々と答えた。
「カミラ様、クラリッサ様、落ち着いてきいてください。私は先に一度玄関へ行きました。けれど、扉はしっかりと固く閉まっていて、全く開く気配がありませんでした。錆び付いてとか、重くてとか、そう言ったことではありません」
「えっ、でも、アロルドルフが閉め切ってしまわないようにって、支えを入れてくれてたじゃない」
「その通りです、カミラ様。けれど木片は粉々になって潰され、取り外されていました。とにかく扉はピッタリと閉まっており、どうやっても開きません。となると、これは儀式を完了させないといけないのでは、と」
そう言うとメアリーは三つの捧げ物が入ったバスケットを、掲げてみせた。
私たちは黙り込んだ。
メアリーの言うことに間違いはない。
そう、私も一度、玄関まで辿り着いていた。そして扉が開かず、疲れ果てて座り込んでいた時にメアリーに見つけてもらったのだから。
「……メアリーの言うとおりよ。仕方ないわ。祭壇へ戻り、捧げ物を置いてきましょう」
私がそう言うとクラリッサが悲鳴を上げた。
「そんなわけありませんわ! それに、あんな場所へ戻るのは絶対にごめんです。もう、いや……もう、いやです。許して……私、戻りたくありませんわ…………扉が開くか、私、自分で見に行きますわ……」
「クラリッサ、本当に開かないのよ。マリーの言う通り、儀式を終わらせた方がきっと早いわ」
「いや……いやよ。私はもう、戻りません。このまま玄関へ向かいます……!」
クラリッサは頑なだった。そう言い残すと、カンテラを一つ掴み、玄関の方へ歩き出した。
「クラリッサ、一人じゃ危ないわ!」
私が呼びかけてもクラリッサはもう振り返りもせずに歩き続け、独り言のように返事をする。
「皆でいてもアロルドはあんな死に方をしたじゃない……こんなところ、もう耐えられないっ!」
暗闇の中から戻ってきたクラリッサの声は広い廊下にかすかに反響し、彼女以外の声がいくつも紛れているようだった。隣にいたカミラは、どうすればいいか分からないと言った顔で私を見た。
「あの……本当に祭壇へ戻るんですか…………?」
「そうね。扉は本当に開かないのよ。メアリーの言う通り、やれることをやってみましょう」
「あ、じゃあ一度、クラリッサと一緒に玄関の扉まで行って、それでダメならまた皆んなで戻るっていうのは……」
カミラが随分と弱気なことを言うようになったわ、と私が思った瞬間だった。
「いやああああああああああああああっ」
突然、クラリッサの向かった方角から、耳をつんざく悲鳴が聞こえた。
私たち三人は、ビクリと身体をこわばらせ、クラリッサが消えていった闇の方を見た。
ぽっかりと空いた闇の中からも、何かに見つめ返されているような気配を感じたが、目には何も映らない。
また闇の奥からクラリッサの悲鳴が響く。
「来ないで」とか、「やめて」とか、「許して」と言った言葉が、切れ切れに悲鳴に混ざりこだまする。
私たちは恐怖におののきながら、それを聞いているしかなかった。
けれど、その声もだんだんと細くなり、絶望的な訴えは闇に飲み込まれて消えていった。
しばらくすると、あたりはすっかり静まり返った。
悲鳴が聞こえているときは、ただただ絶望しか感じなかったクラリッサの声が、消えてしまった後の方がよほど恐ろしいと私は気付いた。
「……祭壇へ、戻りましょう」
私は掠れた声を無理やり出して、そう言った。
先程のアロルドルフのように、クラリッサに何が起きたかを確かめに行く気はなかった。
顔を真っ青にしたカミラは、もう自分の意志など一つも残っていないかのように、私の言葉に無言で頷く。
もちろんメアリーも。
私たちは、痛いほどの沈黙を背にし、祭壇へ向かおうと振り返った。
その時だ。
――ダァンッ!!!!
「ひぃっっ……………!!!」
「きゃあっっ………………!!」
「………………………!」
私たちのすぐ目の前に何か大きな物体が天井から落ちてきて、反射的に私たちは後ろへ飛び退った。落下の衝撃で床は震え、落ちてきた何かは自身の衝撃で何度か跳ね上がり、床に打ちつけられてから静止する。もしも、直撃していたら自分も無事ではすまなかっただろう。
落ちてきた塊は、ぐたりと床に転がった。
行く手をすっかり塞ぐように廊下に横たわったそれを、私たちは確認しなければならない。
メアリーがゆっくりとカンテラを掲げる。
果たしてそこには、クラリッサの無残な体が照らし出された。
彼女の華奢な手足はおかしな方向に折れ曲がり、いつもの控えめなドレスには真っ赤な血が飛び散っている。
そして、その顔は、鼻から上が引きちぎられたように無くなっていた。
彼女らしい穏やかでゆったりとした茶色の巻き毛は跡形もなかったし、顔の下半分も血まみれで、本当にクラリッサなのかどうか、一目でわかる状態ではなかった。
けれど、口元はあの冷たい笑いを残しているように歪んでいて、これはやっぱりクラリッサなのだと私は思った。
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