第37話 束の間の休息
コキュートス第二樹層、水窟の間。
洞窟内の天井に生える鍾乳石から、水が滴り落ちる先。
「……水だっ!」
そこには大きな湖があり、ジェノは初めての水辺を前に声が漏れる。
「休憩としましょうか。ここなら、比較的安全です」
「いやいや、ここまでずっと安全だったと思うんすけど……」
「先行のパーティがいたおかげでしょう。普段はこう簡単にはいきませんよ」
と、後ろにいたメリッサとギリウスが雑談を交わしていると。
「……ミザっ」
最後方にいたミザリーの不満そうな声が響く。
その小さな頭の上には、気絶したアザミが担がれていた。
(重たかったのかな? 俺が運べれば良かったんだけど……)
その声色から、言葉が通じなくても、感情が伝わってくるようだった。
「ん? ああ、アザミなら、その辺で下ろしてあげたらいいんじゃないっすか」
メリッサも伝わったようで、壁付近を指さして、ぶっきらぼうに言った。
「ミーザっ!」
せーの、と言った調子で、ミザリーはアザミを放り投げようとしている。
「え、ちょっと――」
すぐに止めようとするけど、
「むぐっ!? ……うーん、もう、あさ?」
遅かった。顔面を壁に打ちつけたアザミは、最悪の朝を迎えていた。
◇◇◇
「――以上がここまでの流れです。何か聞きたいことはありますか?」
寝起きのアザミへの説明が終わる。
一言で言えば、特にトラブルはなかった。
鏡の迷路を進み、何事もなくここに着いていた。
その道中には、魔物と思わしき残骸があったぐらいだ。
「……お、おやすみ、ですよね。あ、あっちで、休んでも、よいですか?」
アザミが指差したのは、湖の外れ。
紫水晶の光が薄っすらしか届かない暗い場所だった。
ギリウスの説明によれば進路らしいけど、見える範囲だから大丈夫だろう。
「よいですけど、そこより遠くはいかないでくださいね」
断る理由もないのでそう伝えると、アザミは数度頷き、去っていく。
「――メリッサさん。あなたはミザリーの言葉が分かるのではありませんか?」
その背中を見送っていると、気になる会話が聞こえてくる。
後ろにいる、ギリウスがメリッサに問いかけている場面だった。
「別にうちじゃなくても分かると思うっすよ。ねぇ、ジェノさん?」
「……うぇ!? お、俺?」
「聞き耳立ててたのなんか、バレバレっすよ。ほら、お答えをどうぞっす」
言い逃れようとしても無駄だろう。
会話の内容は分かったし、答えることにした。
「ミザリーさんは、表情や声色が読めるので、ある程度分かりますね」
「そういうことっす。なんか、文句あるっすか?」
「考えすぎたようです。失礼しました」
そこで、会話は一区切りつき、
「よし、じゃあ、休憩っすっ!!」
「ミザぁーっ!!」
メリッサとミザリーは、湖に向かっていった。
「さて、私も休憩させていただきましょうかね」
続いてギリウスも、湖の方へ足を進めようとしている。
周りには誰もいない。情報収集するにはいい機会かもしれない。
「待ってください。ギリウスさんに聞きたいことがあるんです」
「なんでしょう?」
「……集団忘却事件について、なにか知ってることはありませんか?」
事件の解決は、この世界でやるべきことの一つ。
他の人には聞かれたくなかったし、やっと話を切り出せた。
「なぜ、私にそれを?」
「顔の広いバーの店員さんなら、何か知ってるんじゃないかと」
「つまり、あなたは事件を追っていると?」
「ええ。家族が被害者で、どうしても解決してあげたいんです。妹の代わりに」
「……」
話すにはまだ早かったのか、ギリウスは黙り込んでしまっている。
「駄目で元々だったんで、無理にとは――」
「記憶の忘却は、コウモリ型の聖遺物による能力のようです」
話を終わらせようとした中、切り出されたのは有益な情報だった。
(なんだろう、嬉しいはずなのに、変な感じがする……)
嬉しい反面、心のどこかで引っかかる。言いようのない違和感があった。
「どこでその情報を?」
「常連様からの情報です。名は明かせませんがね」
「……」
筋は通っている。別におかしなところはない。
――それなのに。
「今、思ってることを、正直に話してもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「俺は、あなたが忘却事件の犯人だと思っています。ただの直感ですけど」
この人が黒にしか思えなかった。
「……素直ですね。本心だとしても、黙っていればいいものを」
「嘘が下手なんでどうせバレます。それなら明かした方がいいかなって」
「……面白い。あなたのフェアプレー精神に私も乗らせてもらいましょうか」
とギリウスは威勢よく言うと、腕をまくり出した。
「……っ」
包帯が巻かれた下もひどい火傷の痕が見える。顔だけじゃなかったみたいだ。
「火傷の影響で、三分しか全力で動けません。これが私の弱点です」
「俺はあなたを疑ってるんですよ。弱点を悪用されたらどうするんです?」
「それはこちらの台詞です。私が犯人ならあなたをどうすると思います?」
条件は五分と五分。敵か味方かも五分と五分。
複雑で、歪なのに、奇妙なほど、バランスが取れていた。
「……はぁ。分かりました。変な動きをすれば止めますからね」
「もちろんです。……ただし、今の弱点の話は秘密にしてくださいね」
意見の交換は終わった。これ以上の会話は、不毛だろう。
「誰にも言いませんよ。……ちょっと、顔洗ってきます」
今は、冷静に物事を判断するため、頭を冷やしたかった。
「どうぞ。私は念のため、周囲を見張っておきますね」
と、ギリウスに見送られ、背中を向けて、湖の方へと歩いていく。
湖で水のかけあっている二人を横目にして、人気のない場所にたどり着く。
(ここなら襲われても目撃者は出ない。仮に俺が死んでも魔物のせいにできる)
そう考えながら、異様な緊張感の中、手で湖の水をすくい、顔を洗った。
(……なんて、考えすぎか)
ひんやりした水が、熱くなっていた頭を冷やしてくれる。
その時だった。背後から、人の気配と足音が近づいてくるのが分かる。
(まさか、本当に……)
慎重に、左腰のホルスターに手を置く。
(銃はいつでも撃てる状態。抜いて、振り向けば、十分間に合うはず)
と考えていると、足音はちょうど、すぐ後ろで止まった。
「……あ、あの」
「両手をあげて、動かないでください!」
声がした瞬間、イメージした通り、銃を抜いて振り返り、警告した。
でも、すぐに後悔することになった。後ろに立っていたのはアザミだったから。
「……ひっ」
勘違いだったけど、怯えながらもアザミは両手を上げる。
その手には、黒い草が握られていたけど、ぽろりと落ちていった。
「ごめんなさい。そんなつもりは……」
銃口を下げて、すぐに謝ろうとするけど、
「……っ!!?」
アザミはなぜか、この世の終わりのような顔をしていた。
(……なんだ? 勘違いした俺が悪いけど、驚きすぎのような――)
「ば、」
すると、アザミは何か口にしようとする。
でも、吃音症の影響で、すぐには聞き取れない。
「――爆弾っ!!!」
同時だった。意味が理解できたのと、黒い草が地面に着地したのは。
(まずいっ! 確か草は強い衝撃でも作用するって――)
考えているうちに、黒い草は、導火線に火がついたように、赤くなっていく。
「……くっ!!」
気付けば、体は勝手に動いていた。
「――間に合えっ!!」
すぐさま赤く光る黒い草を拾い、湖へ放り投げる。
(守らないと……っ!)
次に、ジェノはアザミの盾になるように、捨て身で押し倒す。
「ひぐっ!」
「――っ!!!」
直後、凄まじい爆音と共に、大量の水しぶきが辺りに降り注いだ。




