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 ウォルバートン先生は帰り、オレ達は割烹着に着替え、キッチンに立った。

 「さあ、今日は料理の基礎中の基礎、パンと目玉焼きと野菜のスープを作るぞ!」

 オレとクレイを前にして、ステアが堂々とそう宣言した。

 「……本当に基礎の基礎だな」

 オレの言葉に、ステアは頷く。

 「どうして、魔法を使わないんですか?」

 クレイがおずおずと質問した。オレもクレイと同じ疑問を持っていたので、ステアを見る。

 ステアは日々の生活のあらゆることを魔法を使って行う事で、魔法の修練にすると言っていた。なのに、せっかくクレイが火をつけることを成功させたというのに、実際の料理は魔法無しで行うという。

 「うむ、その理由なのだが……言葉よりも見せた方が早いな。クレイ、卵を割ってみなさい」

 ステアはクレイに卵を一つ持たせる。

 クレイは、手の中にある卵を見て、ステアを見上げた。

 「割る?」

 「そうだ。卵の殻を割り、中身を出すんだ。フライパンの上にだぞ」

 クレイは近くにあった包丁を手に取った。

 「ちょっと待て!包丁で何する気だ?」

 「卵を割る」

 「違う!それは間違いだ!」

 「まあ、こういう事だ。本来のやり方を知らなければ、魔法を使ってもできないのだ」

 ステアは苦笑して、クレイから卵を取り上げた。

 「クレイ、よく見ておきなさい。卵はこうやって割るのだ」

 そう言って、クレイの目の前で実演してみせる。

 料理台に卵を軽くぶつけてヒビを入れる。両手の親指でヒビの部分から卵を二つに割り、中身をフライパンに落とす。

 「おお!やる!俺もやります!師匠!」

 クレイは目を輝かせて、やりたがった。

 「……オレが教えたことじゃねえか」

 「そうだ。私も卵の割り方を知らなった。おかげで、こんなふうに綺麗な目玉焼きを作れなった。卵の柔らかさを知らず、指先の繊細な動きというものを知らなかった」

 ステアが何故か胸を張ってそう言った。

 昨日、ステアは目玉焼きが目玉焼きにならないとオレに文句を言ってきた。ステアの作る卵焼きは、何故か白身と黄身がまだら模様になって出来上がっていた。料理の本に載っているイラストのようにはできないと、不満そうに言っていた。

 かきまぜたわけではなく、どうやら魔法のナイフで卵を殻ごと真っ二つに切ってからフライパンに落としたらしい。 

 クレイが卵を台に叩きつけた。ぐしゃりと音がして、卵の殻と白身と黄身が台の上に流れ出す。

 「あれ?」

 「そうではないぞ、クレイ。優しく叩くのだ。ヒビが入る程度で良い。この力加減が難しい。ほら、もう一度だ」

 ステアが魔法で卵を元通りにする。

 クレイは言われた通り、今度は優しく台に打ち付けたが、今度は優しすぎてヒビも入らない。

 ステアはもう一度と促す。

 「そうだ!その力加減を覚えておくんだ、そうすれば、魔法でも卵を綺麗に割って、綺麗な目玉焼きを作ることができる!」

 「わかりました!師匠」

 こんな感じて、料理が始まった。

 パン作りも、スープ作りも、クレイにとっては初めてのことだらけだった。

 包丁の使い方や、鍋の使い方は知ってはいても、野菜の切り方、パン生地のこね方はまるで知らなかった。

 「野菜はバラバラの大きさに切るのではなく、できるだけ揃えた方が火の通りが良い。そうすれば、煮すぎることが無いし、生煮えになる事も無い。何より見た目が美しい」

 「パン生地をこねるときは腕の使い方が大事だ。しっかり体重をかけろ。こね方一つでふっくらした美味しいパンが焼けるぞ。生地の感触も覚えておくんだ」

 「出汁の取り方は色々ある。スープの命は出汁だ。この手間を惜しんではいけない。圧縮魔法で無理にうま味を引き出そうとすると雑味が出てしまう。これは時間をかけてやるべきだ」

 ステアは自分の反省点を生かしながらか、クレイに沢山の事を教えた。

 たった一晩で、オレよりも料理に詳しくなっている。 

 「吸血鬼って血しか飲まないんじゃないのか?」

 クレイがパン生地と格闘しているのを見ながら、オレはステアに聞いた。

 「ああ、そうだ。野菜や肉を食べる必要はない。ただ、道楽として食を楽しむ吸血鬼はいる。私も一時期ワインとチーズに凝っていた時期があった。おかげで味覚はある」

 「ああ、なるほどね」

 出汁にまでこだわっていることに驚いたのだ。吸血鬼はその食生活から、ほぼ味覚がないのではないかといわれている。

 クレイの手がだまになった小麦粉で、べったりとしていた。

 「もう少し小麦粉を足してみるんだ。水が多すぎるようだな」

 「はい、師匠」

 クレイはステアの言葉を聞き、生地の様子を見ながら、少しづつ小麦粉を足し、混ぜ込んでいく。

 スラム育ちのせいか、クレイは食材を無駄にしないように、殊更気を付けている。調味料を入れるときも、少しずつ入れて味を見ている。

 パン生地を作るために小麦粉を計量するときもそうだった。こぼしてはもったいないというように、恐る恐るやっていた。

 ステアはそれを首を傾げてみていた。オレが教えてやると、「なるほど」と呟き、頷いた。

 「人間は不便だな。作物は育てなければ十分な量が生えてこない。食べれば無くなってしまう。血をすすって生きることができれば楽だろうに」 

 ステアがぽつりと呟いた。

 「……血を吸うのだって大変じゃないか?」

 「人間はそこら中にいる。行く場所さえ間違えなければ簡単だ。催眠術で記憶をなくすこともできる。第一、殺す必要が無い」

 「ああ、たしかに……」 

 そう考えれば、吸血鬼の生命維持は楽そうだ。個体数も少ないので、人間の血を吸い尽くす心配もない。

 「そこら中にいるという程度の認識しかなかった……どうしてもっと早く気づかなかったのか……」

 ステアの声には、重い響きがあった。

 視線の先ではクレイがようやくまとまりつつあるパン生地をこねている。とても楽しそうだ。

 「お前の畑を見た」

 いきなりステアがそう言った。

 「え?あ、オレの?」

 「そうだ。野菜を植えているだろう?なかなか育ちが良かった」

 「そうか……」

 「お前はあの野菜を市場で売るのか?」

 「いや、オレは市場までは行かない。村の農協に買い取ってもらうんだ。その後、農協の人が少し遠い所にある市場へ売りに行く」

 「そこで、野菜はお金に化けるのだな?」

 「まあ、そうだな」

 ステアはクレイを見ながら続ける。

 「農協の人間がお前の作った野菜を売り、そのお金で生活するのか?他の食材や服を買ったり、家族を養ったり」

 「……それもあるが、また、次にオレの野菜を買う資金になったりもする」

 「……つまり、お前から野菜を買った金額よりも、高く市場で売るのか?」

 「そうなるな」

 「……自分で売ろうとは思わないのか?高く売れば総取りできる」

 「……それをするには、野菜を運ぶための馬車や、沢山売るための人手を雇わないといけない。市場の場所代もいる。それを考えれば、結局、手に入る額はそう変わらない。農協がそれを専門にやってくれれば、オレは野菜造りに専念できるし、農協は売る事だけに専念できる」

 「なるほど、分業か……」

 「そうだ。農協はオレ達農家の協同体だ。オレ達が困っていたら農協から人が助けに来てくれるし、逆もある。困った時のために、人とお金をうまく使えあるようにしてあるんだ。十分とは言えないけど、ないよりはマシだ」

 「……助け合いだな」

 「ああ、どこでも同じような事はしてると思うけどな」

 ステアは小さく嘆息し、肩を落とす。

 「ここには、クレイのような者たちがいない。外で寝ている者も、寒さに震えている者もいない。その協同体がうまく機能しているからか?」

 「……いいや、そうじゃない。今いないだけで、少し前には浮浪者がいた」

 「浮浪者?」

 「家を持たず、仕事もしていない人だ。この古城を根城にしていたよ。去年、亡くなったが……」

 「……その人間はどうやって食べていたのだ?仕事が無いという事は、金も無いのだろう?」

 「クレイと同じだ。森の中で獲物を探し、時にはどこかで必要なものを盗んでいたようだ。村のものには手を出さなかったみたいだけどな。追い出されないために」

 「……お前たちの協同体は、その人間を受け入れなかったのか?」

 「彼が拒んだ。村の人間と会話することも無かった。世話好きのおばちゃんたちが話をしようとしたんだが、無理だった。その後は……彼と目を合わす人間は誰もいなかったな」

 「……何故だ?」

 ステアは心底わからないという顔でオレを見る。

 「……人には人の事情がある。苦しい生活をしても、人と一緒にいたくないって言う人もいる。彼は村の近くにいるだけ、生活はしやすかっただろう。中には……」

 オレが言葉を濁すと、ステアは視線で問いかけてくる。

 「死ぬことを選ぶ人間だっている」

 「……理解できんな」

 「吸血鬼に自殺の概念は無いのか?」

 「私は聞いたことが無い」

 「そうか……」

 思わず、「悩みが無さそうでいいな」なんて皮肉が口をつきそうになった。

 そんな訳は無い。

 生きている限り、悩みの無い生き物がいるだろうか?吸血鬼のように長く生きる生き物が、能天気に過ごすことなどありうるだろうか?彼らは人間よりも強く、知能が高いと言われている。

 事実、ステアはここ数日で様々な事に悩みだした。

 クレイの事。

 料理の事。

 そして、今は人間社会の貧困について悩み、考えているようだ。

 「お前、吸血鬼だろう?なんでそんな事を悩んでいるんだ?」

 ステアは怒った顔でオレを見た。

 「お前が言ったんだろうが。人間の事を理解しろと」

 「それは……別に、人間全体の事を理解しろってわけじゃない。クレイの事を言ったんだ」

 「それでもだ……」

 ステアは眉間に皺を寄せて、難しい顔をする。

 「クレイを一人前の魔法使いに育てるには、人間の事を知らなくてはならない気がするのだ。あの子は人間だ。人間社会で生きていくべきだろう。魔法を教えるだけ教えて、ぽいと放り出すわけにはいかん」

 「……すごいな。良い師匠だ」

 「当然だ。それに……私はクレイには二度と、スラムのような暮らしに戻って欲しくない。この村のように仲間たちと助け合えるような場所で過ごしてほしい。人間嫌いになって、一人で生きていくような道も選んでほしくない」

 ステアは真剣な顔で言った。

 「そのために、私が何をすべきが、考え中なのだ。まずは人間の社会について理解しないと、クレイに何を教えたらいいのかわからん」

 「師匠!綺麗にまとまりました!」

 見ると、クレイがパン生地を完成させていた。

 「よし、それでは、ええと……発酵だ!しばらく生地を寝かせるぞ」

 「……ベッドで?」

 クレイは不思議そうな顔でパン生地を見る。

 (……言葉の勉強もすべきだな。そういえば、ステアが学校に行かせるとか言ってたっけ……)

 この村にも子供が通う学校がある。

 クレイにも友達が必要だろう。

 ステアの言う通り、クレイは魔法だけでなく、人間社会を学ぶ必要があるのだ。

 いくら魔法が使えたからと言って、吸血鬼の社会には入っていけるはずも無いのだから。

 (この世界はスラムだけじゃないってことを、教えてやりてえな)

ステアの言葉を真剣に聞いているクレイを見て、そう思った。

 子供にとって、世界はとても狭い。

 今ある場所が全てだと思ってしまうのだ。

 しかし、世界は広い。

 体が大きくなり、移動することを覚えれば、色んな環境が世界にはあるこを知る。

 (オレもそうだった……)

 オレは初めてこの田舎の村を出て、都会に出た時の事を思いだしていた。


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