第四部 幕切れ編 束縛少女 埜逆崎櫻 3
「ばっちり指導してやったッスよー!!」
「…まぁ、なんとかうまくいってよかったです」
意気揚々と扉を開けて帰って来る戒音と赫紗。
「あら、お疲れさま。どうでした?初めての指導は?」
琉架は何食わぬ顔で二人に笑いかけた。
そしてそんな自分が嫌になってしまった。すぐにでも戒音のことをきちんと本人に問い詰めて、櫻を救い出さなければならない。償わなければならない。なのに、琉架はそれができない。
琉架、櫻、戒音、その三人の問題のはずなのに、その三人だけでは収まりきらない。その後ろに横たわったグランギニョルという大きな闇がそう簡単に琉架が動くことを許さない。下手に動けばグランギニョルがまた動く。そうしたときにまた誰かが巻き込まれるのは火を見るより明らかなのだ。相手は得体の知れない螺子の外れた連中なのだ。
だけど本当はそんな理由でさえ、琉架のかっこつけ、に過ぎなかった。落ちぶれてしまった『日向』であれど、琉架に流れるのは高潔な『日向』の血なのだ。だから琉架はとにかく、誰よりも優れているところを見せてしまわないといけない。でないと、『日向』は経済的な側面だけでなく、魔族としても落ちぶれてしまったことになるのだ。それは許せない。この学園に入ったのも、飛び級で『独立の紫』になったのも魔王様のためもあるけれどそういう理由も大きい。
琉架は怖がっているのだ。自分の受け持つ『紫』からそんな恐ろしく凶悪な…そして国家反逆の…グランギニョルを出してしまうのが…そうすれば自分にも多少なりともそんな目が注がれるのは間違いないし責任問題だって逃れられるはずがない。
だから琉架は自分が嫌になってしまう。櫻を助ける方法よりも先にそんな算盤を弾いてしまう自分に。
…でも。でもだからといってもちろんこのままにしておけるわけがない。そもそも少しばかりそんな風に疎まれたり、蔑まれるのを怯えてしまってどうする?そんなのは今の櫻のおかれている状況を考えれば全然たいしたことがない。あのときの櫻ははっきりと琉架を求めていた。だから、もう一度。
「へぇ…わざわざまたあの反逆者を見に行くんですか?失礼ですが、日向さん、あなたもかなり物好きですねぇ」
コツコツと石造りの廊下の中、革靴の踵がなった。
休日を迎えると琉架はすぐに魔王城に向かった。学園の外で紫の腕章が通用するなんて思っていなかったけれど死尽は簡単に琉架の面会を受け入れてくれたし、こうやって地下牢へまた案内してくれている。
「ええ、ちょっと…確認しておきたいことがありまして…」
「それはグランギニョルのことですか…?ひょっとして、日向さん、なにか情報でも?だったらすぐに僕に言って頂かないとと困ります。もはや魔国全体の問題ですから」
「いえ、そういうのは…グランギニョルを知ったのだってこの前の死尽様の口からですから」
一瞬ドキッとしたものの琉架は適当にはぐらかした。
地下牢の前では物々しい鎧に身を包んだ二人の魔族がたっている。
「ああ、扉を開けてくれないかな?お客さんだからさ。丁重にもてなしてあげてやって欲しいんだ」
死尽が話しかけると二人は敬礼を返してすぐに扉を開けた。そしてまた下へと階段が伸びている。
「疑ってるわけじゃないけど…一対一の面会、というものは認められないんです。
わかりますよね、規則ですから」
琉架は小さく頷く。そして門番の一人と死尽、三人で階段を下りていく。
冷たい空気と苔むした匂いが広がる中、牢の前へとたどり着いた。
櫻は前回と寸分変わらず吊り下げられたままだ。違うところがあるとすれば着せられたぼろがさらに汚れ、破けた箇所が多くなっているということだけ。
「さ…櫻さん」
恐る恐る、琉架は口を開いた。櫻はぐったりとうなだれた頭を上げようともしなかった。いや、聞こえているかどうかも疑わしかった。いまや、天井から吊るされているおかげでかろうじて立っている。そんな風にも櫻は見えた。
「あらら…すいませんね、日向さん。姉さん、まだお昼だっていうのに眠っちゃってるみたいだ」
にへら、と死尽は笑う。それに薄ら寒さを感じながら琉架は背筋を振るわせた。
しかし、今はまず櫻に気付いてもらうことだ。
「櫻さん、櫻さん」
琉架は何度も何度も話しかける。けれどやはり櫻は微動だにしない。ひょっとして、もう死んでいるのか…?そんな不安さえ琉架の中で首を持ち上げ始める。
「なぁ、お前、姉さんを起こしてきてくれないか?」
死尽は顎で門番に指図をした。
「了解です」
「すいませんね、日向さん、もうちょっと待ってください。すぐに起こしますから」
門番は魔力上を開けるとつかつかと牢の中に入っていった。ジャリジャラリとガラスを踏む音が響き渡る。門番が目の前にたったって櫻は何の反応もしない。門番は櫻の短い髪をわしづかむとぐいっと無理矢理顔を上げさせた。
「面会だ」
櫻の顔が初めて琉架の方を向いた。というよりも、ただ櫻の顔の方向に琉架がいた、という表現の方が正しい。櫻の顔は痩せこけ、ところどころ血がこびりつき、汚れている。それよりも、いま琉架をみているはずの櫻の目は初めて逢った時よりももっと深い黒を湛えていた。あの時琉架は櫻の瞳の中に自分の嫌な部分というものを見つけてしまったけれどいまの櫻の目の中、琉架はなにも見つけることができない。ただただ、透明だと思う。琉架という存在が、だ。
「櫻さん…」
わずかに櫻の唇がもごもごと動いた。聞き取るのがやっとというような小さな、声というよりも息と呼ぶのがふさわしいものが漏れた。
「…なに?」
「…ッッ!!」
打ち砕かれた。琉架は返事を期待せずに櫻の名前を呟いただけだったのだから。
なのに櫻は返事をしてしまった。琉架はあの虚無を詰め込んだような目を牢屋と拷問という極限状況から来る精神衰弱だと思っていた。そう、もはや全てがなんだかわからなくなるほどに。
だけど櫻ははっきりと琉架の声に応えて見せた。櫻は琉架がいるのをわかっているのだ。
…当たり前だ。何を今更。自分に都合のいいことばかり。
櫻があんな目で琉架を見るのは当然だ。琉架の仕打ちを考えれば。
いま手を伸ばしても櫻はきっとその手を握らないだろう。もう二度とこの指先に触れてはくれないだろう。ほんの少し前までは違ったのに。
そして鉄格子にしがみついてでもその中に手を伸ばそうとしない自分にもほとほと嫌気が差した。
門番に、魔王の長男でもある死尽がいる。その目の前であからさまに『価値無し』の反逆者をいとおしむような行動を取ることができないでいる自分。
「言いたいことがあるんじゃありませんでした?日向さん」
死尽はニコニコと琉架に振り返った。だけどいまの琉架に何ができるというのだろう。
その言葉に答えたのは琉架じゃなく、櫻だった。
「生まれてこなければよかった、ならもう聞いた、なの」
一番聴きたくなかった言葉がここにある。耳を塞いで拒んでしまいたかった。だけど櫻はそれをしなかったから、できるだけシャンと背筋を伸ばしてその言葉を聞くのが責任だと琉架は思う。
琉架はじっと櫻を見つめるが櫻はまた元のように項垂れてしまう。もはやこれで充分ということだろう。
琉架は目を伏せて自分の手の平を見つめる。そろそろと指先が鉄格子に触れる。けれどすぐに引っ込めた。
手を握らないどころじゃないだろう。櫻はきっと琉架の手を振りほどいてどこかに行ってしまうのだ。二度と琉架の手に捕まらないように。琉架のいないどこかへと。だって櫻の目はもはや琉架を見ていなかったのだから。
…公園だ。小さな子供達や親子連れもいる。あっちのベンチでは長いコートを着た男女がそっと手を握り合っている。向うのベンチでは老紳士が日に褪せた文庫本のページをゆったりとめくる。雲間から射す日の光は優しい。
櫻は肩をすくめるように身を縮こまらせてベンチに座っていた。琉架はその後ろに立っている。
櫻は裾の長いフリルのあしらわれた白と黒の上品なドレスに身を包んでいる。ドレスは右と左で白と黒のあしらいが反転している少し変わったデザインだ。腰まで伸びた長い長い黒髪はつややかに光り琉架はそれに触れるだけでほぅ、と感嘆のため息をついてしまう。
琉架は指先を髪に通すだけで嬉しくなってしまう。
「ほら、こういうのはどうですか?」
琉架はそっと櫻の髪にリボンを飾りつける。そして櫻を抱きすくめるようにしながら鏡を目の前に差し出す。
「う、う、ど、どうなの?ルカ、似合ってる、なの?」
櫻はちょこんと自分の頭に手を当て不安そうに琉架を見上げた。
「いえ、私の意見じゃなくて…私は櫻さんが気に入るようにしたいから聞いているんですが…」
「私はルカに似合ってる、て言われたい、なの……このドレスだってルカが似合うっていうから…」
「え、あ…あはは…そ、その…大変かわいいですよ」
琉架は顔を真っ赤にしながらはにかみながら言う。
「ほんと、ほんとなの?」
「ええ、とっても。たぶん、誰だってそう言いますよ」
「誰だってより…ルカがいい、ルカにいわれたい、なの」
「もちろん私だって…櫻さんがかわいいって思いますよ。でも、ちょっと嫌だったりします」
「な、なんで?ルカ、ルカ、私、なにか琉架の嫌なことした、なの?」
不安を隠さずに櫻はいう。
「いえ、だってもう、櫻さんを独り占めできなさそうで…」
「…ア、ルカ?」
「そ、そのっ、いまのは失言でした。忘れてください。私ごときが口にしていい言葉じゃありませんでしたね」
「ううん、そんなのない、なの。もっと、もっと聞きたいなの。聞かせて欲しいなの」
「も、もったいないですよ…私なんかにそんな言葉をかけるのは…」
琉架は照れ隠しなのか、櫻から目を逸らした。
櫻は少し、寂しげに笑う。それでざわざわと琉架は不安を掻き立てられる。吹いた風が急に肌寒さを感じさせた。
「ルカ」
櫻は急に立ち上がると琉架と向き合う。
「さ、櫻さん…?」
ダメだ。絶対にダメだ。なぜかわからないけど琉架は強くそう思う。だけど。
「…最後、なの」
「な、何が最後って言うんですかっ!?ね、ねぇ!!」
琉架は慌てて叫ぶ。でも。
「さよなら」
櫻はもう一度笑った。だけどそんな表情じゃちっとも愉快な気持ちになんてなれない。
「そんなこと言わないでっ」
琉架は手を伸ばす。けれど。
一瞬目の前が真っ白に光ったかと思うと櫻は線になって消えてしまう。琉架の伸ばしたてはむなしく中空を掴むだけだ。
…公園だ。小さな子供達や親子連れもいる。あっちのベンチでは長いコートを着た男女がそっと手を握り合っている。向うのベンチでは老紳士が日に褪せた文庫本のページをゆったりとめくる。雲間から射す日の光は優しい。
そんな中、琉架一人だけ取り残された。この公園の空気から突然押し出されてしまった。いまだなにが起きたかわからない、というように伸ばした手と目の前のベンチを交互に眺めることしかできない。そして櫻が消えてしまったのだということをやっとでわかった。琉架は崩れるように背中を丸めて。
何かいい夢を見ていたような気がする。でもそれは突然悪夢に叩き落されたみたいだ。目覚めたときにぽっかりとした空っぽの気持ちだった。とても大事なものに見捨てられてしまったようで。思わずほっぺたに手を当てる。指先が濡れる。ほほを伝う何か。
「わたし…泣いてたの?」
琉架はベッドから身体を起こして誰ともなしに呟いた。




