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第四部   幕切れ編  束縛少女 埜逆崎櫻 2

 戒音にとってあの時渡された『杭』、そして『液』が入っていた小瓶はいつもいつも複雑なものを掻きたてられる。凶器ではあるのだけれど戒音を『価値無し』のいない『紫』に引き戻してくれた、愛しい愛しいものでもある。

 と、同時にこれほど憎んでいるものもない。今にして思えば戒音が踏み外す後押しをしたのもこれがあったからだ。指を潰す感触はいまにしてみればなぜあんなことができたのだろう、と怖くなってしまう。戒音は自分の本性が汚いとは知っていたけども、あそこまで凄まじいものだとは知りたくなかった。自分に巣食う、自分本位、というものがあんなにどす黒いとは思わなかった。

 ましてやこんなもの、そう簡単に捨てることもできない。これの存在は戒音とグランギニョルのつながりを示す証拠なのだ。何しろこの『杭』にも小瓶にも『鳥刺し男』のモチーフ、そして戒音には系統すらわからない魔式が刻まれている。尚且つそれは白と黒のように一見するだけではっきりと魔国で作られたものではない、とわかってしまうのだ。もしそれがばれてしまえばこのヒロイックサーガは一転して違った表情を見せるだろう。

 ゴミとして捨てるのはもちろん、どこかに埋めてしまおうと思ってもここ最近はずっと誰かに付きまとわれてばかりでなかなか一人っきりになれない。あれから一週間は経つというのに、いまだに事件のことを聞いてくる野次馬根性の学生たちからなかなか解放されないのだ。けっきょくずるずるとカバンに押し込めたままここまで来てしまっている。とりあえず肌身離さず持っているのが一番安心のはずだ。

 そして常に持っているせいか、一人きりなるとこうやってつい、眺めてしまうのだ。いまやどうしようもないことだけれども。

 その日は珍しく、『紫』の部室に誰も現れなかった。赫紗は今日は具合が悪くて授業自体を休んでいたし、琉架も七式定例会議に今日は引っ張りまわされっぱなしで当分は姿を見せそうにない。

 赫紗はなんとなく取り出した小瓶を眺めながら夕日に透かしていた。瓶自体にも特殊な細工が施されているのか赤い光に照らされているはずなのに瓶は歪んだ虹色の光を見せる。そのぐにゃりと歪んで見えるグラウンドの風景を見ていると現実感というやつも一緒にドロドロに溶けていってしまいそうだった。

 ひょっとして戒音はいまもハンマァを握ったままそれを振り下ろし続けているんじゃないだろうか?

 狂ったように指を潰すことだけを笑い声を上げながら繰り返しているんじゃないだろうか?

 在り得るわけがない。戒音はぶんぶんと首を振る。

「疲れてるのかな…」

 戒音の周りの熱に浮かされたような空気はやっとで冷め始めたとはいえ、まだまだなくなったわけではない。『赤』のしつこいような取材がなくなっただけでもましだけど。普段以上に完璧な演技、を心がけているとそれだけで少しずつ少しずつ身も心も削られていきそうだ。それどころか本当の自分というものはとっくに消えてなくなってしまっているような気さえしてくるから不思議だ。

 戒音はため息をつきながら小瓶をまたカバンに戻した。


 七式定例会議はひどく長引いた。というのも議題の一つに櫻の反逆事件が盛り込まれ、これからの対応や防ぐための施策、反逆意思の発見する方法、なんてそんなものを話し合わなければいけなかったからだ。次々と出てくる案件を書き写すだけで書記脳では限界を感じる。おまけに一つの組織で請け負うには大きすぎるこの案件、学園最強が長を務める『赤』はここぞとばかりに武闘派としての自らの有用性を捲し立てる。『紫』トップとした学園序列をひっくり返そうと狙っているのだ。忙しいときに余計な悩みの種まで植え付けられて琉架はすっかり分厚くなってしまったファイルを小脇に抱えて紫の部室に急いだ。

 どうせ誰もいないだろう、といつもの癖でゆっくりノブを回して扉を開くと戒音がいた。すぐに出そうとした声が引っ込んでしまう。戒音の表情が憂いを帯びて赤く照らされていた。それは琉架が知っている戒音とはかけ離れて見えた。戒音がコインのようにいままで琉架には表しか見せていなかったとすれば、今、あそこにある戒音はまさに裏だった。

 そして戒音はため息混じりに何かを手にとって見ている。それは離れた琉架からも不思議な色彩に見えた。

 別に隠れることもないのに琉架は扉をわずかな隙間を残して閉めるとこっそりとその様子を眺める。

 戻ってきてからの戒音の態度がどことなくぎこちなかったからかもしれない。そしてその秘密がすべていまのこの場面に集約されている、そんな馬鹿げた考えが一度頭をもたげてくるともう否定することができない。取り憑かれるようにその場を見つめ続けた。戒音は小さくため息をつくとかばんにその小瓶をしまおうとする。握りこんだ手のひらから小瓶の蓋であろう部分、そこに彫られた小さな像が見える。魔国にも地方や時代で様々な意匠、細工の種類があるがそのどれにも似ていない。博識な琉架は人間側の文化にも少しは通じているがどちらかというとそちらに近い。必然と、その小瓶のことは琉架の脳裏にきつく焼きつく。夕日の色とともに。

 

 しばらくは調子づいた学園最強たる『赤』の長をあの手この手で追い詰めて最終的に倫理的正当性のある説得(赫紗いわく泣く子も大騒ぎ)に琉架は駆け回っていた。おかげで涙目の学園最強は見事に説き伏せられなんとか今回も『紫』の旗印は守られていたのである。実際のところは反逆者を捉えた戒音の名前を使えばもっとうまい立ち回りもあっただろうがそれは避けた。一度起きた疑念がそうはさせない。そうはできない。

 そして今日は久しぶりに会議も予定した活動もない放課後だった。

「さて、そろそろ戒音と赫紗にも仕事を任せてもいいころかもしれませんね」

 勿体つけたように琉架はパタン、とファイルを閉じた。

「はえ?」

「つ、ついにっルカ先輩も戒音のことを認めてくれたんすねっ!?うひゃぁいっ」

 間抜けた声を上げる赫紗と両手をあげて喜ぶ戒音。

「ええ、まぁいつまでも私だけが指導に当たるというのもダメだと思うんですよね。いずれは私も卒業して紫はあなたたち二人に任せてしまうことになるんですから。

 ということで今日はあなたたち二人だけで生徒の指導に当たってもらおうと思うんですが」

「マジでー?わたし、フィジカルはノットグッドなんだよねー」

 赫紗は不安を隠せない目で琉架を見つめた。が、まぁここまでは仕込み。

「赫紗のフィジカルはむしろバッドでしょ。まぁ、さすがに上級生のところにいけ、とは言いませんから大丈夫ですよ。同じ学年だったらまだいくらかやりやすいでしょ?」

「そんなの戒音にはいらぬ気遣いッスよ!!上級生だろうが教官だろうが誰が来ようと全ては一緒ッスよっ!!ルカ先輩の名の下に愚民共はひれ伏し涙を流すだけっス!!」

「いや、だからわたしの名前を使って指導したら意味ないじゃないですか…

 戒音、ちゃんと人の話を聞くこと」

「うぇい、お任せお任せッスよ!!ようわガツン、と言ってくればいいだけッスよね!?そんなのガキのお使いと一緒!!ちょろい、ちょろいッスよ!!ルカ先輩は大船に乗ったつもりでその席でふんぞり返って戒音達の報告を待ってくださいッス!!全てはこの戒音と赫紗がうまく果たすッスよっ!!」

 どん、と戒音は自分の胸を叩いた。げふぅ、と琉架はため息をつく。

「…不安ですね。赫紗、しっかりと戒音のサポート、頼みますね。それじゃ、この生徒のところに行って指導に当たってくれますか?私はここで待ってますので」

 そこで琉架が差し出した生徒の写真。それはここよりもかなり離れた校舎で授業を受けている生徒の写真だ。

「あいよー」

 赫紗は言葉にしなけれど、その目の色をみるだけで非難がましい、というよりも自分に任された仕事の重さに戸惑っていることを隠せていない。赫紗としてはなんで騙すような真似をしているのかいまいち納得できていない。

「大丈夫ですよ、赫紗。あなたならしっかりできると思いますし。ね?それより不安なのはあっちですよ。勢い任せで何かやらかしそうで…」

 琉架はちらり、と戒音に目をやった。戒音はすでに意気揚々と紫の腕章に袖を通し始めている。

「琉架さん、やりますよー」

 コクリ、と今度はまっすぐ琉架の目を見て赫紗がうなずくので琉架は内心ほっと胸を撫で下ろした。

「早くっ、早く赫紗、腕章に袖通すッスよっ!!国家権力を振り回して豚や牛と変わらぬ素行不良の生徒どもに指導という名の鉄槌を食らわしてやるッスよっ!!あいつらには妖怪牧場の臭いメシがお似合いっ!!ひぃひぃ言わせてやるッス!!

 食らえ、これがルカ先輩直伝の地獄の生活指導だ、覚悟しろっ!!」

 などと意味のわからない決めポーズをとりながら戒音は赫紗をせかす。

「戒音、そんなこと言ってるといつか斬られますよ。暗い夜道辺りでばっさりと」

 やれやれと琉架はため息をついた。

「平気ッス!!だって、ルカ先輩がいつも戒音を守ってくれるッス!!だって戒音はルカ先輩の嫁ッスからねっ!!だから戒音は何も怖くないッスよっ!!」

「嫌ですよ。わたしは魔王様以外のために死ぬつもりはないんですからね。戒音、あなたは死ぬときは一人だから覚えておいてくださいね」

「ギャー!!!!!!英雄になっても冷たい!」

「英雄って自分でいったらお寒いよー、ほらさっさと行く行く」

 床に両手を着いて項垂れる戒音は今度は逆に赫紗に袖を引っ張られせかされるのだった。そしてすれ違いざま赫紗は琉架の手に何かを握らせる。

 二人が部室を出て廊下の向うに消えていくのを琉架は確認すると慌てて戻った。

 そして扉をしっかりと閉ざす。行くだけでも十五分はかかるのだから少なくとも三十分は帰ってこないだろう。

 琉架はすぐに戒音の個人ロッカーに近づいた。今まではいくら見知った者たちしかいない『紫』の部屋とはいえ鍵を掛けなさい、何度もそう言い聞かせてもこの『紫』にそんな不届き者がいるわけないといって鍵をかけていなかった。』それを最近はしっかりと鍵を掛けている。そう、先ほど素早く赫紗が握らせてきたのはこの鍵だった。

 こんなことは盗人と変わらない。本当に自分が何をしているかわからない。後ろめたさを感じれば感じるほど逆にカバンの中身が気になってしょうがなかった。あの時見た憂いの戒音。まるで別人のようだった戒音。戒音もまた、他人に見せられないものを抱えている。そんな当たり前のことを琉架は気付かされてしまった。そしてそのことを知ってしまえばはしゃいでいる戒音が、時として、まるで声のない悲鳴を上げているように感じられてしまうことがある。必死で自分の中の何かを繋ぎ止めようと、いや、元に戻そうとあがく、張り詰めたような空気と痛みを漫然と琉架は感じてしまうのだ。

 そしてその秘密が全てあの日の夕方、眺めていた小瓶にあるように思えてならない。琉架は自分を押さえることをしようとしなかった。

 琉架は激しく脈打つ鼓動と沸きあがる罪悪感を抑えながら戒音のカバンの留め金に指を触れる。パチリ、と琉架の気持ちとは裏腹に軽い音がしてカバンは開いた。

「……っ!!」

 琉架が言葉を失うのも仕方がなかった。この教室の風景、全てがひび割れ崩れ落ちあっという間に深遠に包まれてしまったかのようだ。そこにあったのは琉架が信じたものとまるで正反対の現実がある、ということを証明するのにまったくもって充分な代物だけだった。それしかなかった。勘違いだとかそういう希望をすべてかなぐり捨てざるを得ない決定的な。

 『独立の紫』の腕章もその中にあった。ところどころどす黒い染みがあり凝り固まっていた。琉架はそれが何か気付けなかったがよくよく見ればそれが血であることに気付くのに長い時間はかからなかった。だけどそれよりも打ち砕かれたのが『杭』と小瓶の存在である。琉架ですらまったく見たことのない、魔式がいくつも刻まれている。いったいどういう効果かもわからない。しかしそれが魔式であることに疑いはない。理解できない言語の文字列を見たってそれを直感的に文章だと理解できるのと同じことだ。どういう式であれど、それが魔式であることはもはや厳然たる事実。そして不思議な色合いの小瓶。そのどちらもに、あの図が刻まれてある。

 不死の象徴である火の鳥。力なく崩折れた羽根。胸元に突き立てられた槍。

 それは牢屋に繋がれた櫻の胸元に見た徴と同じ。反逆者を示す『鳥刺し男』。

 なぜ戒音がこんなものを…?じゃあ櫻のあの徴はいったい…?戒音が捕まえたという反逆者…

 頭の中でいろんなものが混然一体としてうねうねとそれぞれが思うままに蠢く。鈍く奥に痛みが伝わる。額に手を当て、舌の根の歯をがちがちといわせながら琉架は必死でこれが意味することを考えようとしていた。足元がずぶずぶと床に沈んでいきそうだ。ピントのぼやけた視界でふらふらしながら琉架は椅子に崩れるように座り込んだ。

 やたら喉が乾く。息が荒い。よくわからない、気持ちの悪い汗をじっとりとかきながら琉架は血染めの腕章と『鳥刺し男』が刻まれた『杭』と小瓶を穴が開くほどに見つめた。

 ただわかることはたった一つ。

 魔王の暗殺計画は単純に忌み子の櫻がグランギニョルの力を借りて復讐する、なんてわかりやすい文脈じゃ捉えることができない。むしろそういうわかりやすい文脈に回収されるように仕組まれている、ということだ。しかしそこから先は憶測しかできない。

 戒音がその中でどんな役割を、グランギニョルは本当は何を目的としているか、なんて。

 そんなこといまはどうでもよくなってしまう。ただ、狂おしいほどに胸が痛い。このまま心臓まで押しつぶされて死んでしまいそうだ。

 琉架は櫻と時間を重ねてきた。

 手を握って、歌を歌って、リボンを結んで、約束を交わして。

 なのに、琉架はそんなありふれた策略にまんまと乗せられていたのだ。一度でも、いや、一瞬でも櫻を信じることをしなかった。初めから裏切っていたのだ。積み上げた時間を砂の上のお城にして潰してしまったのは櫻のほうじゃない。琉架だ。

 そして、すがるように、祈るように、琉架に向かって『うたを歌える、きいて』といった年下の少女を無下に。

 琉架が最後にかけた言葉なんて…知っている。知っていたのだ。琉架は櫻が母親にどんな言葉をかけられたかを。彼女の遺書は過去の新聞に載っていた。そして琉架はただただ悪意をこめて言ってしまったのだ。

 その言葉の持つ、毒と、殺意と、憎しみとを全て込めて、そして刃のように刻まれることを願って。

『生まれてこなければよかったのに』

 いまや悪意を込めた刃は琉架の内面をズタボロにしてしまう。

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