第三部 『歪み歪歯車編』 暴力少女 埜逆崎櫻 8
「…ここのつ…今夜は…扉も開く…
とおで…飛び行く緋の魂緒…」
何度目だろう、この歌を口ずさむのは。
「ルカ…ルカ…」
無神経な暗闇はそんな言葉を聴いてもくれないらしい。
目の前には仮面をかぶった少年がいる。着ている物はどこか異国の服らしい。ただ袖に金細工の刺繍が入っているのを見るとこの少年はかなり偉い立場にあるらしい。歪な左右非対称に歪んでしまったその仮面は苦痛に耐えかねるようにも悪意に満ちた笑いにも取れた。
「アハアハアハ…気分はドウだ…?『価値無し』」
「今日はやたらと客が多い、なの」
少年はガラスの上に素足で立っているというのに血の一滴もたらさない。それはこれが実体じゃないからだ。いかに『グランギニョル』であれど魔王城に侵入することは難しい。これは櫻の胸元の徴を媒介に呼び出された映像なのだ。しかしそれは櫻にとってもどうでもいいことだ。
「しかしかわいそうに。指の全てをタタキ潰されて、弟達には拷問にかけられ…とてもマトモナ奴らとは言えやしないナ、アハアハアハ…」
「心にも無いことを、なの」
「アハアハアハ…言ってくれるナ…ま、それは『価値無し』もオナジことだろう?知ってる、知ってるぞ…夜ごと眠れないのは痛みだけじゃない…殺し足りないダロウ…血が欲しいだろう…刀を振るい肉を切り骨をタタキ、泣き叫ぶ声を耳にシタイだろ?嗜虐趣味に満ち満ちた変態欲求の主のオマエのことだ…違うとは言わせないぞ…」
「何が言いたい、なの?」
「ナァニ、単純なことだ…その胸に刻まれた徴のトオリ…我が劇団の看板女優になる気は無いか聞きにきたんだナ…オマエなら能力も、そしてその本性も我々にピッタリだと思うんだ…」
「お前…グランギニョル…なの?」
「遅い遅い…気付くのが遅すぎる…ソウ、我々は幻想怪奇の劇団グランギニョル…血に塗れた旗を掲げ気が違う演目を何よりも愛するスバラシイ劇団だ…
どうだ?我が劇団に入るつもりはないか…?こんな蔑まれ続ける魔族の下らない国と…我々の劇場と…どっちがスバラシイと思う?ナァニ、こっちにくれば殺し放題だ…好きなだけ血に塗れ悲鳴の旋律に身を震わせればいい…誰も止めやしない…アハアハアハ…」
「誰が、行くか、なの」
「ホウ…これはまたドウシテ…?」
芝居がかった仕草で仮面をかぶった少年は顎に手を当てる。
「わたしはお前たちに従わない、なの」
「フゥン…ソンナにここで虐められ続けるのが楽しいのかナ…ま、人の性癖にどうこういうつもりはないがナ…」
「誰も彼もがわたしを虐めるわけじゃない、なの」
「それはアクマで希望的観測だと思うナ…ドウあがこうとお前が『価値無し』、忌まれ蔑まれ呪われ堕とされ虐げられ疎まれる存在には変わらない…オマケに刀を握った変態欲求の塊とアレバ…そうならない理由がない…皆に吊るし上げられるダケだぞ、ああすでに吊し上げられていたか」
「わたしにはルカがいる、なの。ルカは私を虐めない、なの」
「アハアハアハアハ…ソレが勘違いだというのニドウシテそれがわからない…?アノ女もお前の敵だ…この国にオマエの居場所なんて一つもアリはしない…どこにいようとオマエは追い立てられるだけの存在だ…まるで羊のように…隅へ隅へと追いやられみすみす殺されるのを待つだけだナ…」
「話は終わり、なの?」
「一応…ナ」
「だったら帰れ、なの。お前がいると何かいらいらする、なの」
「アハアハアハ…ソウさせてもらうぞ…マァ、スグに思い知らされると思うがナ…自らの…アハアハアハアハ」
笑い声だけを残し、少年の映像は途切れた。
戒音の身元引き受けに選ばれたのは学園長でも戒音のクラスの教官でもなく『独立の紫』たる、琉架だった。
戒音たっての希望らしい。もちろん琉架が一般の生徒であれば敵わないものであったが彼女は建前では学園長と同列、まして普段から琉架の後ろをついて回った戒音の姿を学園の皆は知っていたので反対はなかった。琉架は魔王の印が入った物々しい封筒をありがたがるとすぐに琉架の持つ一番上等な東欧風の白と赫をあしらったドレスを身にまとい学園の入り口に向かう。
着替えて寮から歩き出すとすでに魔王付きの立派な馬車が入り口のもんのところに止まっていて琉架はそれに乗り込んだ。
長い時間揺られると『紫』の任命で一度だけ訪れた魔王城。空を衝く捻じれた建築に圧倒的に不利なデザインを無理やりのバランスで維持している。その異様さはやはり見るのに畏怖を与えるのだ。門番は何一つ問わずに馬車を通すとすぐに大きな広間へと通された。そこには数週間ぶりに姿を見る戒音がいた。
戒音はいまだ黒服の魔王直属の部下たちに囲まれいろいろと聞かれていたが琉架の姿を見つけると少しはにかんだように笑う。普段なら大きく両手を振って喜ぶか黒服をかき分けてでもこっちに来そうなものだが流石に魔王上でTPOを守るぐらいの常識はあったらしい。
「ルカ先輩…」
琉架はニコニコと頷いた。察したのか黒服たちは二人の間を通れるように道を開ける。
「聞きましたよ。魔王様に逆らう反逆者を捕らえたって。戒音、わたしも鼻が高いです」
「あ、琉架センパァイッ」
戒音はすぐに琉架に駆け寄るとぎゅっと抱きついてくる。琉架はその頭をなでながら言う。
「わたしのほうがダメでしたね…戒音の言うことも聞かずにあんなおぞましい反逆者に肩入れして…本当にごめんなさい…ましてやあの血に塗れた『価値無し』に一体わたしは何を期待していたんでしょうか…」
黒服の間から一人の少年が一歩、琉架へと踏み出した。
「ああ、今回の件ではひどくお世話になりました…『紫』の日向さんですよね?」
「いえ、こちらこそ…ましてや学園内に蔓延る不穏分子に気付けなくてすいませんでした。学園内の自治こそが『紫』の仕事だというのに。
死尽様」
「いえ、相手があれではしようのないことです…それにそのことを織り込んでの作戦でもあったわけですから。なんにしろ、あの劇団の一員をこうして捕まえることができた、そのこと自体が奇跡みたいなものですから十分な収穫といえます。その点は本当に戒音さんが優秀だったとしかいえません。そしてその指導に当たられているあなたの能力の高さには頭を下げることしかできませんね」
死尽は見ているものがため息をついてしまいそうなさわやかな笑みを浮かべながら琉架と戒音に頭を下げる。
「頭を上げてください、死尽様っ!!魔王様のためなら当たり前、礼を言われるほどのことではありません。ましてや死尽様も次代の魔王となられるお方、こんな一兵にもまだなりきれていない詮無い私どもにはもったいなくあります」
「そういえば…褒美がまだでしたね。僕たちで用意できるものであればなんでも用意させていただくつもりです。へたすれば魔国がひっくり返る一大事でした。本当に戒音さんは救国の英雄です。
何かご希望はありますか?」
魔王の血もあるのか死尽の整った顔に浮かべられる微笑。だが戒音に向けられる目がどうしても素直に賞賛されているとは思えない。戒音の望むもの、それを聴くことで値踏みしようとでもするかのような。返答一つ間違えることが奈落に踏み込むような事態に陥りそうな。悪い予感がよぎったことをおくびにも出さず能天気、そう取られるような笑顔で琉架の腕にしがみついたまま戒音は琉架の顔を見上げる。
「ルカ先輩、何がいいッスか?戒音、話が大きすぎて一体どうしたらいいかわからないッスよ」
琉架はしばらく考え込んだ。
「…反逆者に。『価値無し』の櫻に一度お目通りさせていただきたいです。もちろん無理であれば構いませんけれども」
「ほう…それはまたどうして」
「同じ学園のひとりとして、どうしてもいっておきたいことがあります」
「わかりました。そんなことであればお安い御用です。まぁ、ただ淑女であられるあなたたちには刺激が強いかもしれませんが…」
「構いません。わたしたちは軍属です。ある程度どんなことが行われているかは察することができますしその程度で心乱していては魔王様のために外敵を切り伏せることなどできませんから」
「そうですか、ではこちらも下手な気づかいは無用ということですね。失礼いたしました。
君、彼女たちを地下牢へお通しして差し上げろ…ああ、そう、あの牢だよ」
魔王城の奥に通される。『紫』の任命式でも城の中に入ったことがあったが今はその先の向うだった。薄暗く続く廊下の中、だんだんとすれ違う人も消えていき、最後には突き当たりの扉に行き着く。この奥で行われているせいかなんの変哲もない扉なのに瘴気が漏れ出しているかのようだ。ここを開ければ地下へと降りる階段につながっている。
黒服の一人が壁に手を当て呪文を唱えると次々灯りがともった。といっても蝋燭程度の明かりでは薄暗く足元が確認できる程度だ。琉架はその階段を一歩一歩、下りる。戒音は琉架に寄り添いながらどうしようもなく不安ばかりがよぎっていた。櫻はどんな対応にでるのだろう?もしかして、この最後の最後でやはり琉架は櫻を選んだりしないだろうか?
階段を降りきってしまうとその向うに櫻はいた。冷たい鉄格子にさえぎられ、天井から吊り下げられた櫻の姿。魔王の血族とは思えないほど顔を醜く腫れ上がらせ、薄汚れたぼろを着せられ、素足は流れた血とすでに乾いて固まった血とともに饐えた匂いを発していた。
ぼろは胸元を引き破られ、そこには『鳥刺し男』の徴がはっきりと見えた。琉架はソレがはっきりと何を意味する印なのかは知らないが反逆者の証であることぐらいはわかる。
「…ルカ?」
櫻は項垂れた頭を上げる。
「…無様な姿ですね」
そこに込められた冷ややかな、侮蔑を櫻は気付いていない。ただ、嬉しそうに口元を緩めた。
「来てくれた…なの…やっぱり…ルカは来てくれた…なの」
そしてすぐにその横に立つ戒音にも気付く。
「ルカ、そいつから離れる、なの…そいつが…そいつが…」
「あまり馬鹿なことを言わないでください。ここにいる戒音は魔王様の命を救った忠臣ですよ。あなたのような…『価値無し』とはまったく違います」
「え…?」
琉架の口から漏れた言葉に櫻は信じられない、とばかりに顔を引き攣らせる。
「ルカ、ルカ…わたし、うた、歌えるようになった、なの…ここ、やることないからずっと歌っていて…ほら…きいて…
ひとつ 引かれてきた淵の
ふたつ 深みに身を沈め」
歌を歌えばきっと琉架も前のように笑ってくれる。また櫻を褒めてくれる。だけどそんな願いもこの床一面に散らばったガラスのようにはかなく粉々に打ち砕かれる。
今度ははっきりとわかる、冷たい声でそれはさえぎられる。
「止めて。歌うのを止めて。それはわたしと母さんのとても大事なうたです。あなたなんかに歌われたくない。そんな汚れた手のあなたにはこの大事な歌、とても口ずさんでなんてほしくありません」
「ルカ…ルカ…」
それでもいまだ、追いすがるように櫻は琉架を見つめる。琉架はそれに本当に皮肉の混じった失笑を浮かべた。
「本当に、してやられました…反逆者である、とわかっていればあなたなんかに目をかけなかったのに…どこまでいってもしょせん『価値無し』は『価値無し』ですね…ずっとわたしは騙されて続けていたわけですか…ホント馬鹿なのはわたしも一緒ですね」
「ルカ」
「気安く話しかけないでくださいっ」
まるでヒステリーを起こしたかのような琉架の金切り声が地下牢に響き渡る。
「反逆者め…あなたなんて…」
そこから先はどうしても、櫻は聞きたくなかった。琉架の口からだけはその言葉を聴きたくはない。だけど吊り下げられた腕では耳を塞ぐことも叶わず続く言葉を待つことしかできない。
「生まれてこなければよかったのに」
そしてすぐに琉架は地下牢から立ち去る。櫻はまた一人、地下牢内に取り残された。
その言葉が櫻の耳にへばりついた。何度も何度も繰り返される。
生まれてこなければよかった。
「ひ、ひひひ…けひひひひ…」
櫻の口から漏れたのはなぜか笑い声だった。だけどやたらと物悲しく、地下牢内に響き渡った。




