第三部 『歪み歪歯車編』 暴力少女 埜逆崎櫻 7
「は、あ…はふ…」
櫻は身をよじる。身体が苦痛になれる気配が一向に無い。それどころかますます勢いを増すばかりだ。はじめは緩慢だった蚯蚓の動きが時を追うたびに活発になっている気がする。事実蚯蚓たちは櫻の肉を喰らいその身体の中で数を増やしていた。
あれからどれぐらい時間が経っただろう…両手が使えれば皮膚をかきむしってでも取り出してやるのに、だけどこうやって吊り下げられままではろくに何もできない。
ただいつ終わるとも知れぬ、苦痛に踊らされるだけだ。本当にこのまま死んでしまったほうがいくらか楽かもしれない。
「ふ、あ、が…」
少しでも気を紛らわせようとすると、なんとなく琉架のことが脳裏によぎった。この痛みに耐え切れば、また琉架に会える。何の根拠も無いことだけど。だけどそう思うと少しはまだ痛みに立ち向かえそうな気がする。櫻は一生懸命琉架のことを考える。初めてであったときいきなりチョップされたこと。手を握ってくれたこと。お手玉も教えてくれた。髪も結んでくれた。それに、うただって一緒に歌ってくれる。
そうだ、うたを歌おう。
「ひとつ…引かれて…きた淵の…
…ふたつ…深みに身を…沈め…」
痛みで意識が断続的に途切れる。それでも次の痛みで無理矢理意識を戻らせられてしまう。
喘ぎ喘ぎ、必死で櫻は歌を歌った。真っ暗闇、苦痛に苛まされながら。それでも現実に、琉架に繋ぎ止めてくれるように。
「…みっつ…満たした…夜…の夢は…
よっつ…良き日の…忌み語り…」
櫻の細い声だけが牢屋に響く。一生懸命に櫻は歌い続ける。
だから櫻は誰かが中に入ってきたことも気付けなかった。
「だ…誰、なの?」
びくっと身を震わせると恐る恐る近づいてきたのは死尽が連れていた銀髪で角の生えた小さな女の子だった。女の子はフェルト生地の着ぐるみじみた服を着ていて頭の後ろには耳付きフードがだらりと垂れ下がっている。
「ね、ねえさま…ですか?」
「誰が…誰の…なの?」
痛みのせいで櫻はうまく頭が廻らない。
冷たい鉄格子越しにいま二人は向かい合っている。
「あの、わたしの…わたしとシヅクにいさまのねえさまじゃないですか…?」
「だったら…なに、なの?」
櫻は必死で唇を噛み締めた。これもあれと同じように櫻をいたぶりにきたのだろうか?だとしたら痛がっている姿など見せてたまるか。だけど女の子はそんな櫻の様子に気付くわけが無い。なにしろ彼女は幼すぎるのだから。
女の子は嬉しそうににっこりと表情を崩した。
「ねえさま、ねえさまっ」
そして入り口に近づく。入り口には強力な魔力錠が仕掛けてある。通常であればまず開けることができない代物だ。だけど女の子がそっと手を触れ、「開け」と呟くだけで魔力錠は砕け散った。
「あうっ」
けど一歩踏み入れたとたん、女の子は悲鳴を上げて後ずさった。スリッパでやってきた彼女は思いっきりガラスの破片を踏んでしまった。
「うわぁぁぁぁんっ…うっ…えぐっ…いたい…いたいよ…」
「バカ、なの?ガラスが…あるのは…知っていたはず、なの」
泣き出してしまった女の子を櫻は冷めた目で見下ろした。
「う…うぅ…」
女の子はしゃがみこむとスリッパを片手にぱしぱしとガラスを押しのける。そうやって櫻までのルートを確保するつもりらしい。
櫻は女の子が一体何のためにやってきたのかさっぱりわからずただただその様子を見ていた。
女の子はガラスを掻き分けながらちょっとずつちょっとずつ櫻のほうにやってくる。そしてついに櫻の目の前にたった。
「あ、あの…いもうと、いもうとのやさかざきひそかなの。
ねえさま、なかよくしてくださいっ」
そしてぺこっと頭を下げる。
櫻はきょとんとそれを見た。
「は、ふぐっ…」
気を抜くと急に痛みが身体を駆け巡り思わず声を上げてしまう。
「ねえさま、いたい、いたいの…?」
間近にきて、初めて女の子、密は櫻が痣ばかりの顔をしていることに気付いてしまった。
「別に…死尽がよんだ虫なんか痛くもかゆくもないし、なの」
「に、にいさまが…ごめんなさい、にいさまがいじわるしてごめんなさいっ」
密は泣きそうになりながら一生懸命頭を下げた。
「謝ることは無い、なの。別にお前がしたわけじゃないから、それにわたしなら大丈夫なの」
「…あ、あの、ねえさま、おなか、すいてないですか」
…櫻はぼんやりと考えた。最後に食事をしたのはいつだったっけ。とりあえず水だけは日に三回与えられてはいたが…ということは今日は何日目だったかな…
「三日ぐらい食べてない、なの」
「えへ、よかったです」
「なにがよかった、なの」
櫻は不愉快そうに眉を寄せた。まともに食事も与えられて無いのになにがよかった、だ。
「ねえさま、おかし、すきですか?これ、わたしのおやつだけど…ねえさまがすきなら」
密はごそごそとおなかのポケットから小さな包みを取り出す。そして差し出した。
「はいっ」
「わたし、とれない、なの」
「あ…ごめんなさい」
密はそこで櫻が天井から腕を繋がれている事を思い出した。
「じゃ、わたしがねえさまにたべさせる、なの。ねえさま、ねえさま、くちあけて」
「これで…いいの?」
櫻は口を開いた。密は包みの中からクッキーを一枚取り出すと一生懸命背伸びをして櫻の口の中にクッキーを入れる。
櫻はもぐもぐとそれを噛んだ。とても、甘い。
「あ…ねえさま…クッキー、おきらいですか」
悲しそうに密は手の中の包みを眺めた。
櫻はぶんぶんと首を振った。
「で、でも…ねえさま、ないています」
「…え?」
言われるまで櫻はそんなことに気付けなかった。というか、泣く、て何?琉架がいればすぐにでも聞いてみたかった。なんでこういうときは泣いてしまうんだろう?ルカ、泣くって何?
「多分、クッキー大好きだから、なの」
「そうですか?なら、わたしのクッキーぜんぶあげますっ!あ、にいさまにはひみつです。かってにはいったってわかったらにいさま、おこるとおもうの」
「うん…わかった、なの」
そしてまた次のクッキーを食べさせてもらう。両手が自由だったらいいのに、と櫻は強く思った。目の前のこの小さな女の子にひどく触れてみたかった。これってなんなんだろう?




