第三部 『歪み歪歯車編』 暴力少女 埜逆崎櫻 6
ガツリ、と鈍い音が響く。
櫻は殴られるまま血の混じった唾を吐き出した。
目の前にいるのは筋骨隆々のいかにも、といった様相の魔族兵士だ。今牢屋の中には彼同様、ただ力だけが取りえじみた兵士が数人櫻を囲んでいる。彼らの真ん中で死尽はつまらなそうにその様子を見ている。
「こんな尋問に意味なんてないのが上はわからないのかな…」
床にはあいかわらずガラスの破片が敷き詰めてあったが彼らはそこの厚い軍靴を履いているので関係ない。櫻の顔には紫色のあざがいくつもいくつもできており、それがここで行われた暴行の様子を如実に語っている。
「……」
櫻の澱んだ目は焦点を定めることなく、ただ兵士のほうに顔を向けているだけだ。兵士を見てはいない。彼女にはそれに価値はない。
「いい加減に口を割れよ、『価値無し』よぉ!!ああ!?
せっかく魔王様が殺さずにいてくれた命だというのに暗殺計画だと!?恩を仇で返すっていうのは本当にこのことだな、おい!!」
ガツリ、と兵士は再び櫻に拳を叩き込む。櫻は殴られるままだ。両手を吊り下げている鎖がガシャガシャと鳴る。
「あのさぁ…誰がまた殴れって言った?僕、言ったっけ?」
ギロリ、と死尽は手を上げた魔族兵士を睨む。魔族兵士は急にしおらしくなり、おびえた目で死尽を見た。
「す、すいません…つい、あまりに『価値無し』が口を割らないもので…」
「勝手な真似をやられちゃ困るんだ。わかる?僕には僕の考えがあるわけで、それを君にかき乱されるのが僕はすごく嫌なんだ。だから僕の命以外は何もしなくていい。最初にそういったよね?そもそも殴るける程度の暴力なんて何の意味もないことがいい加減覚えてよ」
「すいませんっ」
兵士は深々と頭を下げる。
「ま、いいけどさ。次からは気をつけて欲しいね」
ガリガリとガラスを踏みつけながら死尽は櫻に歩み寄った。が、殴ったのとは別のもう一人の兵士は姿勢を正すと大声を張り上げた。
「お言葉ですが死尽様!なぜあれを使わないのです?国家委員会は『価値無し』のための拷問具を用意されたと聞いております!!いくら死尽様でも国家委員会の意に背くのは『価値無し』に同情していると思われても仕方ないのでは?
ぐぅ」
「お前…僕の目を見ろ。もう一度言えるか?僕は第一継承者だぞ。それがたとえ姉とはいえ国賊に肩入れするわけないだろ」
片腕で軽々と持ち上げられた兵士の表情は恐怖で凍り付く。死尽の青い目がその色を深める。兵士ののど元に込められた力が強まると同時に痛みしか感じ取れない冷気に晒される。
「へいへい王子様がそれぐらいで怒ってちゃあだめだよ?もっと広ーい心でいないと」
後ろから投げかけられた声に死尽は手のひらを緩める。どさり、と兵士は落ちた。
「黙蓮…」
牢屋の中に入ってきたのは顔色の悪い白衣を着た女だ。褐色色の地肌のせいで腐りかけの肉のような肌色をしている。金色の目だけはらんらんと輝き、何かにとりつかれているかのような狂気を帯びていた。ろくに手入れをしていないギシギシにいたんだ金髪が背中に広がっている。襟元につけられた二つの徽章、一つは彼女が国家委員会の一人であることを示し、もう一つは彼女が魔導研究所属ということを示している。が、そんな上位に立つ魔族であるのに服装には無頓着なのか白衣の下には趣味の悪い色のシャツとズボンだ。人間でいえばまだ30に届いたか届かないか。その女は手にしていた小瓶を見せつけるようにフルフルと振った。その指の爪はまがまがしく伸び尖っている。
「ほー情報は知ってたけどこれが魔王様の長女『価値無し』の櫻かぁ…魔王様とおんなじ黒髪黒目を受け継いだというのに実際は全く魔力のかけらも持ち合わせてない『価値無し』やはり母親が悪いとせっかくの極上の力も失われてしまうってことなのかなぁ、それとも魔王様の魔力をすべて物理に振りなおした、ともいえるのかなどっちかなー」
黙蓮と呼ばれた白衣女は櫻を肉屋の吊るされた豚でも見るような品定めをする。
「これ、いついらなくなるのかな、いらなくなったらうちに回してほしいな。いくらでも遊びがいがありそうふっふっふっ」
「言葉を少しは考えて欲しいね、継承権はなくても魔王の血族に対してどうなの?国家委員様がさ」
「でも反逆者じゃん?だったらもーどんなこといわれたって関係ないじゃん?それなのに庇うような真似、それは魔王様にたいして不敬、王子様の立場的にはよくない発言だなぁ。『これ』が情報も持ってないならあとはどうやって遊ぶかしか価値はないわけよ。それともやっぱりほんとは王子様はお姉ちゃんが好きなの?まぁ美しいねーでもそれはわたしにはどうでもいいんだなー」
「…僕は彼女を姉なんて思ってないよ。
ただそっちの評判ぐらい耳に入っている。彼女がなにも知らないとはまだ確定していない。それなのにそっちの実験なんかで廃人なんかにでもしてみろ。そっちの方がよっぽど不敬だね」
「だーいじょうぶだよ。魔王様の血だよ?そう簡単に壊れるわけないって!ねー、櫻ちゃんも自分の身体には自信あるよねー?」
黙蓮は少女のように身体を傾けるとにっこりと櫻を見上げた
「…」
櫻はどんよりした目で見下ろすだけだ。今まで櫻に暴力を加えていた魔族たちは震え上がった。いくら吊るされていようとあそこにいるのは絶対的殺戮者だと思い知らされたからだ。黙蓮は相変わらずオモチャを前にした子供の笑みを崩さず、死尽は苛立ちを押さえ込んでいた。
「うーんかわいい!魔王様も超絶美形だったからなーその辺はやっぱり血筋ってことかな?ねえねえ笑ってみてよ」
「いや…なの」
「じゃあ泣いてもらうしかない!残念だなー悲しいなーちなみに痛いのはどれくらい我慢できる?」
「…」
「返事ぐらいしてくれたっていいじゃん。つまんない。と、こ、ろ、でーさっきから持ってたこれ、気になってたでしょー。この瓶の中、見えてる?今からこの蟲さんたちには『価値無し』さんの中に入ってもらうんだなーこれが。
拷問用の蟲なんだけどみんなすぐに諦めちゃうんだよね。つまんないんだよ。だから魔王様スピリッツで頑張ってね。
王子様ナイフかなんか持ってるよね」
「研究所にはマトモなやついないのかな…趣味が悪くて困るや」
諦めたように死尽は内ポケットから銀細工の施された短剣を差し出す。
「こんないいやつ使ってもいいの?ありがたいなぁ」
「メスしか握らないような貴女には過ぎた代物だけど貸してあげるよ」
「じゃあ始めまーす」
黙蓮は短剣を抜くと櫻の纏うぼろを捲り上げた。白いお腹が露になる。そこにそっと刃を滑らせる。櫻は一瞬眉を潜めた。少し遅れて血が滲み出した。
「ハイパーもぐもぐタイムの開幕だ!」
瓶の中に渦巻く蚯蚓はどす黒い紫色をしてその全身から粘々した体液を滴らせている。その表面はさらに細かい無数の触手に覆われ見ているだけで鳥肌が立ってくる。蓋を開けた黙蓮は白衣から取り出したピンセットで一匹蚯蚓をつまんで傷口に近づけると巣穴を見つけたかのように潜り込んでいく。
「あふっ…う、あ、あぁぁ」
牢屋に押し込まれて初めて櫻が悲鳴らしい悲鳴を上げた。櫻の皮膚はところどころ盛り上がり、その下で蚯蚓が蠢いているのが見ただけでわかる。
「ちょっとちょっと、まだ一匹目だよ?まだまだたくさんいるのに…痛みの耐性が特にあるって訳じゃないの?つまんないな。
でもやめてあーげない」
笑いながら黙蓮は次々と蚯蚓をつまむ。
全ての蚯蚓が櫻の傷口に入ってしまう。それを見届けると満足げに頷いた。
「やっぱり魔王様の血族は最高だな!何人か捕虜に使ったんだけど2匹目でみんな諦めちゃうんだよね。生きるのを。
致命傷には程遠いのに痛みに心が負けちゃうんだよね。それをこんなにたくさん!」
「は、あ、あふっ」
櫻が苦痛に身をよじる。そのたびにじゃりじゃりとガラスを踏んでしまい、裸足の足は血に塗れる。だからといってじっとしていることもできない。
「こんな見世物に付き合う気はないよ。僕は先に帰る」
「えーこれからが面白くなるんじゃん?それとも見てるのが辛い?王子様には刺激が強すぎたかな?」
「ふん…もし情報もとることなく死なせたらどうなるかわかってるよね。
その襟の徽章ががらくたになるよ」
「おーこわ」
わざとらしく肩を竦める黙蓮に目を向けることなく死尽が牢屋から出ると魔族兵士もそれに続くのだった。




